2023-02-28

個人には無数の属性があるゆえに

逸失利益裁判の敗因は原告陣営数学力(特に統計学知識)がある人がいなかったからと考えてみる。

そもそもなぜ障害者という括りの中で算出されなければならないのか?個人には無数の属性があってその数だけ括り方もあるはずだ。

聴覚障害があるという共通項で集めた人の収入分布は確かに低いところにピークがある山なりのグラフになって、それは健常者で集めたものの85%に相当するのかもしれない。

しかし件の女子も該当するような、成績がこういう数値以上という基準で集めたグラフだと、むしろ健常者という基準で集めたグラフよりも高いところにピークがあるものになるかもしれない。あるいは基準とする属性の取り方によっては、障害者ピークより上にしか分布してないグラフになるということもありえる。

そうなったグラフ対象となっている人に障害者も含まれてるなら、いっそう件の女子逸失利益も健常者平均より高いとする確度も上がるだろう。

もちろん属性の取り方に応じてたとえばk個の属性があるとしたならΣ(i=1→k)kPi通りのグラフが考えられることになり、グラフ母集団の大きさとかグラフ障害者がどれだけ含まれいるかに応じて数学的に適切な重みづけをして、数学的として合理的に算出されるべきだろう。

しかし少なくとも単に健常者平均の85%というのは明らかに知識不足ゆえの統計学的に稚拙に過ぎる考えである

もちろんここで裁判官を咎めてもしょうがない。立証責任があるのは原告である原告陣営統計学専門家弁護士も交えたうえで係りあって、数学的に説得力ある主張としてまとめたもの弁護士が力説する必要があるのである

とはいえなるべく易しく説いたとしてもそれでも裁判官が理解できるのかという疑問はある。

裁判官には国会委員会にあたるものもないから、結局これ以上易しくできないというところまでやさしく力説したのも虚しく理解できないからと今回の判決と同じ結果になっていたかもしれない。裁判官の向学心に無関係自由心象主義採用していることの問題である

  • https://anond.hatelabo.jp/20230214210842 ← この人にもつなげるけど、「グラフ」って言葉をわかってない人は、グラフ理論とプロットをごっちゃにしてる。たぶん、今まではプロットの方の考え...

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