はてなキーワード: 精神と時の部屋とは
ひそねとまそたん/GGO/銀英伝/ゴールデンカムイ/シュタゲ ゼロ/フルメタル・パニック! IV/東京喰種:re/ヒナまつり/ヒロアカ3期/メガロボクス/こみっくがーるず/ダリフラ
■うーん。視聴継続するか迷い中。
魔法少女サイト/魔法少女 俺/ピアノの森/ウマ娘 /PERSONA5/かくりよの宿飯/多田くんは恋をしない/WIXOSS/LOST SONG/ルパン三世PART5/食戟のソーマ 餐ノ皿/ゲゲゲの鬼太郎/デビルズライン
■まだ観てすらいないどうしよう
ヲタクに恋は難しい/奴隷区/Cutie Honey Universe/異世界居酒屋
多いなあ。仕事サボらなきゃ全部観れない量だコレ。
精神と時の部屋やカンヅメカンみたいな効果を持った不思議な機械の力で私の精神とゲーム機だけを加速させて5時間の間に50時間分のゲーム体験をしたい。
今だとたとえばDQ11とかP4とか一度やってみたいんだけど、そのために50時間も使う気はないんだ。
とはいえやりたい気持ちは確かに存在するのでこの方法によって解決したい。
『三日間有給を使って徹夜でやりこめばいい』と思う人もいるだろうけどそうじゃないんだ。
1万円するステーキが食いたいんだけど千円しか金は出したくないってのと何も変わらないもんな。
ああそうですよ私が間違ってる。
なんだろうなあ。
かっこいいオッサンや可愛い女の子と一緒に冒険したり、こつこつLV upを繰り返したい気持ちはあるのさ。
どこかで見たような話を稚拙なテキストでなぞるだけのシナリオなのに、BGMや演出による効果と自分がコントローラーを握り続けた事による感情移入のせいで大げさに感動しちまいたさ。
溜め込んだ回復アイテムをふんだんに使ってラスボスをボコボコにしたいさ。
でもそれに時間を使うのは勿体無いぞともう一人の自分が叫び続けてるんだ。
そんななかでダラダラゲームなんてやっても、時間の価値を知らなかった中学生の頃みたいには楽しめない。
ああそうだ。
結局はあの頃みたいに、人生をジャブジャブ使っている事に無関心なままで呑気に涎垂らしてコントローラーポチポチ押してたいのさ。
今はもう駄目だ。
たとえばゲームオーバーになった時の感覚が昔と今じゃぜんぜん違うんだ。
子供の頃はゲームオーバーになると、画面の中で自分が敗北したことにショックを受けていたもんさ。
でも今は違う。
ゲームオーバーになって最初に感じるのは、あちゃあクリアにかかる時間が増えちまったぞ、さ。
過程を楽しむ余裕が無くなってる。
テキストは最高速にしてスキップスレスレのスピードで読み進めてる。
WIKIを見てないときでも、ロールプレイガン無視の最強装備の事しか考えない。
ルート分岐の気配を感じたら一周目からWIKIをなぞるだけの作業の始まりさ。
ネタバレを見ることよりも、分岐失敗で周回回数が余計に増えることの方が怖いんだ。
なんだこれ。
もうゲームなんてやめちまえ。
年に数本遊ぶかどうか。
でもまた味わいたいんだ。
あの頃のゲームへの没入感を。
弱味を握られてるわけでもチ〇コを握られてるわけでもないのだが、止むに止まれぬ事情である女性に大きな金を貸すことになった。返すと言っているが、まぁ返ってくることはないだろう(日本人の血がクォーターのさらに1/4入っているというので信用度もそれくらいか)。額面は『この国』の『田舎』の『女性』が一年近く休み無しで働くくらいのものだ。
これも定かな話ではないが、来月から数年ぶりに日本で働くとのこと。予定の月収も聞いた。
それが本当なら、たった2週間残業付きで働くだけで返せる金額ということになる。
同じ額を稼ぐのにかかる時間は、率にして20倍以上のひらきがある。とてつもない差だ。
去年の12月くらいから時間ができていろいろとアニメを見てるんだけど
基本名作とされてるやつとか、女の子が戦う系のやつはだいたい楽しめるっぽい。
ごく最近はこの投票も参考にして見てるhttp://www.nhk.or.jp/anime/anime100/ani_report/
日常系はまだ手が出てない。ラブライブとか会いますはあんまり興味ない。
##楽しめたやつ
○リリカルなのは:1期面白かった。「リリカルなのは始まります」からのOPイントロが良い。2期微妙 3期1話で見る気なくなった。なのはとフェイトの素朴な殴り合いが好きなだけだったぽい
○まどかマギカ:すごすぎてハマってしまい勢いでブルーレイ(+BDドライブ)とか本とか買いまくって今冬ボーナスから7万ぐらい使ってしまったが後悔してない
○キルラキル:面白かった。アホみたいな勢いが良かった。マコちゃんかわいい。いまグレンラガン見てるが同じだ
○ニンジャスレイヤー:原作は大好きなんだがこれはちょっと…。まあ楽しめたけど原作ありきって感じ
○タイガー&バニー:↑で一位だったので。まあ面白かったかな? でもなんで一位って感じ?
○ガルパン:まあまあ。戦車の挙動は凝ってるのに戦車戦の構成が適当すぎね? 毎回謎の追いかけっこしてた印象
○リゼロ:面白かった。毎回の引きがやばかった。でもなぜか最後まで見てなくて22話で止まってる。あと18話かどっかでスバルくんが青い方にウダウダ言い過ぎと思った
○けものふれんず:まどマギ祭りにリアルタイム参加できなかったのが悔しいのでとりあえず見てる。めっちゃ癒される
##気になってるやつ
◇ご注文はうさぎですか:よくわかんないけど順位高いので
◇けいおん:なんかアニメオタクたちが一時期けいおんの話ですごかった覚えがあるので
◇らきすた:なんかアニメオタクたちが一時期らきすたの話ですごかった覚えがあるので。でも↑でランクインしてないぞ?
◇織田信奈の野望:昨日話題になってたので。なんかカワイイっぽい
◇結城友奈は勇者である:なんかカワイイっぽい
◇Fate:虚淵玄だそうなので面白そうだけどシリーズが長そうで踏み込むのに勇気がいる
◇とある~:面白そうだけどシリーズが長そうで踏み込むのに勇気がいる
##なんか合わなそうで見てないやつ
●ストライクウィッチーズ:女の子も兵器も好きなんだけど合体してるやつはなぜか好きになれないので見てない
●艦これ:女の子も兵器も好きなんだけど合体してるやつはなぜか好きになれないので見てない
●魔法少女育成計画:なんか引きこもり少女的な人が無駄に死んだところで見る気なくなってしまった
なんかオススメあったら教えてください。とくにアニメ映画は情報がさっぱりわからん。
ガンダム、エヴァ、パトレイバー、攻殻機動隊みたいな古典系も好きだけどとりあえずはいいかな。
最近のやつで。
##《追記》
皆さんいろいろ挙げてもらって本当にありがとう。自分だけじゃわからん情報だらけでほんと嬉しい
以下挙げてもらった中でピンときそうっぽいやつ
☆化物語:とりあえずさっき1話見た。だけで我慢できず2話まで見た。文字の羅列で雰囲気で圧倒してくるのとセリフ応酬の言葉のドッジボール感が本当にたまらん。凄い
☆戦姫絶唱シンフォギア:推薦人が一番多かった。本編見てないけどサイト見る限り確かにこれは勢いで持ってかれそうな感じはある
☆このすばらしい~
☆RWBY
今日本では大抵の人が朝9時には職場にいることになってる訳だ。
すると朝8時には電車や車に乗る必要があってその為には7時半には起きないと駄目な訳だ。
その状態で睡眠時間を8時間確保しようとしたら夜中の11時半には寝てないとおかしいって事になる。
それどころか3時ぐらいになってようやく砂嵐になる。
人によっては朝6時半とかに起きないといけないのに見たい番組が10時から始まったりする。
こんなんじゃ睡眠時間を安定して8時間なんて取れないじゃないか。
人間は睡眠時間を8時間取らないと少しずつおかしくなるように出来ている。
そりゃ狙ってそういう設計をされた訳じゃなくてそうしないと壊れる程度の強度にしか作れなかっただけの事だけどそういう風に出来ちゃってる。
それは現代人が忙しいとか言った所でどうしようもない。
どうにかしたかったら少し寝ただけで疲れが取れるホルマリンタンクなり遺伝子改造なりしちゃうしかない。
でもそんなの今の科学力じゃ無理。
というわけで現代人は忙しいけどちゃんと寝ないと駄目なわけ。
だけど現代社会はそんなの知ったこっちゃないと言わんばかりの作りをしている。
ちゃんと寝る必要なんてないんだどうにかなるんだからと言わんばかりだ。
しかし実際はどこもかしこも能率の落ちてる奴やヒステリー起こしてる奴が少なからずいやがる。
何を考えているんだそいつらをさっさと寝かせろその方が絶対世の中が上手く回るぞ。
それなのにどうしたことかこの社会は夜中の10時に家に帰る人に配慮して10時から面白い番組やるよとか抜かしやがる。
馬鹿だろ。
受験生にすら5時間も寝てるんじゃないとか言うらしいじゃないか。
本当に何を考えているんだこの国は根性論で睡眠時間が減らせるわけがないだろ。
何だ根性を出せば精神と時の部屋が作れるのか作れるなら今すぐ作ってもらおうじゃないか。
人間は寝ないと脳が壊れるように出来ている。
その内容は、ノートなくしたからその科目のノート全部見せてとか、解いた問題写真にとって送ってとか、私の借りてる本が図書館に全部なかったから貸してとか。
別にいいんだけど全部めんどくさいから(ノートを見せる間に私はその科目の勉強ができない、やりたいことがあったのに写真の問題を解かないとならないなど、そのことに関わることで生じる行程がすべて煩わしいので)嫌に感じる。
テスト前は皆と勉強しないようにしよう、あまり人と接しないようにしようと思うけど、ラインのせいであまりこれの意味がない。
みみっちいな、これくらいのこと面倒だと思うなよと感じる私と、やっぱ嫌な物は嫌と感じる私で葛藤、いらない葛藤が生じる。精神と時の部屋とか行きてえな。
いまこんな状況を想像してみよう。受験生を受験生活に最低限必要なものしかない部屋に閉じ込める。すると勉強効率が良いだろうという、そういう思考実験があるのだ。
人は刺激を求める生き物である。刺激のない環境に閉じ込められると激しい苦しみを覚え始める。
精神的苦痛だけかと思いきや、身体もズキズキ痛み始めたりと大変だ。女の子にそんな思いをさせるのは可哀想だという意見もあろう。
しかしあの悟空達も殺風景な精神と時の部屋には苦しみ抜いた。仏教の高僧らも同様の修羅場を乗り越えてきたのだ。
確かに刺激に慣れっこの現代っ子にはキツかろうが、それを耐え抜いてこそ強靱な精神が鍛えられるのだ。
一応効能書きを言っておくか。効果は早い段階(3日程度)で現れる。猛烈な刺激への渇望とスポンジのように速やかな刺激の吸収である。
電話も漫画もゲームもネットもお菓子もない空間に閉じ込められると、猛烈に刺激が欲しくなる。
モノと情報にあふれた日常ですらすぐ刺激を求めがちな現代人のことだ、無味乾燥な空間に閉じ込められればそれはもう猛烈に刺激が欲しくなる。
その猛烈に刺激を渇望した状態で、試しに参考書ではなく用語集を読んでご覧。驚くほどスムースに知識が脳に吸収されていくのが分かるだろう。
しかも面白い、ただの用語集のくせにクッソおもろい。山川出版の『世界史用語集』『日本史用語集』『政治・経済用語集』『地理用語集』
『現代社会用語集』『倫理用語集』と6冊一気に読破できるであろう。受験科目じゃないのに置いてあったからいつの間にか読んじゃったっていうね。
面白い漫画を6冊読むなんてあっという間だろう。そんな感じで一気に読めちゃう。しかも内容をよく覚えてる。
さらに長期間続けると、また違った効果が現れる。刺激への執着が無くなってくるのだ。
パソコン触りたくてたまらない、友達とも話したい、美味しいご飯だって食べたい、そんな強い欲求は段々と薄れてくる。
それだけではない。閉鎖空間に存在するわずかな刺激以外のあらゆる刺激への執着は全て、見事に薄れていくのである。
こうして些末なノイズに惑わされにくい心が養われる。ノイズに惑わされないということは、合格という目標に向かって日々集中できる。
また長期軟禁後も、集中力が高くスポンジのように速やかに知識を吸収できるスーパーサイヤ人状態がしばらくは保たれるのだ。
軟禁には危険性がないわけではない。ただし、それは刺激不足というより運動不足によるものである。
確かに刺激不足は度を超すと危険だ。五感を完全に奪う感覚遮断実験では精神病のような認知能力低下も認められたという。
しかし軟禁は五感自体を奪うわけではない。ましてやこのケースでは参考書という脳へのご褒美まである。
それでも人によっては精神を病むかもしれないが少数派であり、しかも多くは一時的なものである。
長期軟禁の大半のケースでは、運動不足による衰弱のほうが問題である。衰弱に起因した身体の故障を一生抱えるケースもある。
したがって、被験者には運動(くれぐれも過酷労働ではない)が義務づけられるべきである。それだけで随分と軟禁のリスクを低減できる。
最低限のモノと情報が提供され、健康に留意する監視者がいれば、軟禁生活は意外とラクなものであることは知っておいてほしい。
身を引き裂かれるように辛いのは最初だけで、すぐに順応する。苗木こまるだって順応してたではないか。
念のために言うが、決して誰かを軟禁することを勧めるものではない。また、俺がそのような蛮行に及んだわけでもない。
1.通信について
23年間母船で待ってたロミリー(黒人)は寝てないなら直しておけよ。無能か。
先発隊のひとたち、わざわざ行ったのに生存の信号しか送れないのはなぜ?
具体的な大気の組成とか、気温とか、重力とか、その他ちゃんと送れば
マンの星とエドモンドの星で迷う必要がなかったと思うんだが、、
3.マンとエドモンドのどちらを選ぶか
(ブラックホールが近いからマンの星はダメだ)は妥当なものな気が。
ラスト、クーパーが特異点に落ちていく際の相対論的な時間の流れは?
そのあと切り離して落ちていく際に数百年たつと思うんだが、、
4の疑問に目をつぶるとすると、クーパーが助けられたタイミングと
アメリアがエドモンドの星についてエドモンドの死を確認したタイミングは
ほぼ同時のはず。
なのに、老マーフィーはアメリアが一人で待ってて、これからコールドスリープに
入る、って見てきたように言っているのはなぜ?
クーパーが伝えたなら分かるが、土星近くのコロニーではエドモンドの星に向かう
宇宙船団が作られてた(クーパーがその中の1台に勝手に乗ったやつ)ので、
それは時系列が合わない。
観測データが何MBあるのか知らないけど、それをモールス信号にしたら
何桁になるんだ。時計経由で送るほうも大変だし、読み取るほうも発狂しそう。
特に送るほう、クーパーの主観時間は変わらないんだから、酸素持たないんじゃ?
よくあんじゃん。
AVとかで、よだれ垂らしながらイキまくる、とか、エロ系フィクションで、「ンギモッチイイ!」とか。
あれを実生活で体感したヤツってどのくらいいるんだろうね。男女ともに。
もちろん俺はそんなの体感したこともないし、あなたのじゃなきゃイケないのとか言われたことないし。
そういうの、全部フィクションだと思ってるし。
でも言われてみたいんだよ。自分のカラダでそうなる女性の姿を見てみたいんだよ。
主観として体験してみたいと常々思っている。
数日前の増田で「スポーツ選手のセックスは体力があって気持ちいい」とか、女性が書いたと思われる記事があったけど。
寝取られ系の2chまとめとかで、イキまくった体験を書いているケースとかあるけど。
頭が真っ白、とか、自分が自分じゃないみたいで狂いそうだった、とか書かれてるけど。
そういうの見るたび、俺にはそんな快楽を女性に与える機会が訪れることはないのだな、とぼんやり諦念を感じている。
それはひとつのファンタジー。現実願望と地続きの、うす壁ひとつ隔てたファンタジー。
獣のようにまぐわって、キメセクさながらの快楽を与えるために、蟻の戸渡りあたりに、常日頃から力を込めるのだ。
それとも、俺が目にした数々の情報は、ただのフィクションなのか。
快楽主義者の嘘吐きなのか。
だとしても、みんなに「分かる」って言ってもらいたいんだよね。
一人の快楽主義者として。フィクションに影響を受けやすい愚か者として。
書き方がたいへん悪かったが、自分が絶対的な快楽を得たい、というのではないのだ。
自分の性技によって、女性に忘我の快楽を与えたいという願望があるけれど、
そんな状態へ導くのって、男にとってのファンタジーだよね?現実じゃそうはいかないよね?そうだと言ってよバーニィ、というのが要旨です。
しかし…
それって、現実にあるよ。フィクションじゃないよ。(中略)そういう相手に出会えるか、運だけだと思う。さいわいにも自分の場合は出会えた。今はもう別れてしまったけど、いまでもあのときのセックスを思い出してオナニーしてる。
ライフセーバーの女の子とのセックスは凄かったよ。体力あるからこっちがダメになっちゃって、
手足縛って、バイブツッコンでウィンウィンさせて放置して、自分が復帰したらはめてあげた。
完全に狂ってた。アへ顔っていうの、初めて見た。
そうそう!こういうのですよ!!こういう現実を知りたかったのですよ。
こういうリアルを垣間見ると、なんか自らの未熟さを感じ、その領域に達したいと思うんですよ。
でも残念ながら俺にとってはファンタジー、っていうね。
で、そのファンタジーに毒されて自らを否定しているか、というとそうではない。
空から女の子が降ってきてないから俺の青春はダメだった、というのではなくて。
そうした性の快楽を与えることができる男たちが現実に存在することを知って、それでもファンタジーだよね、と現実を否定したくて、でもどうやら現実らしくて絶望してる、という状況。
いわば、圧倒的強さを誇るサイヤ人やZ戦士(=絶倫戦士)の戦いを目の当たりにして、自爆せざるを得ないチャオズの心境だ。
チンギス・ハンが広大な蒙古帝国を築いたのは、周辺国の王女を犯し孕ませる性癖があった故、という一説を耳にしたことがある。
そういうのを聴くと、自らの欲望が反応する。
支配欲なのかなあ。征服欲なのかなあ。
そうした欲望は、現実的にファンタジーで留まっていたほうが良い領域のだと思うが、せめて自分のセックスの範囲では実現したいと思う。
だが、自分はZ戦士の戦いに参加できないと知って、絶望している。そんな状況だ。
浅学にして、「はてなオフ会」についてはあまり知らないが、倒錯した性癖の持ち主やらZ戦士が集まる場なのだろうか。
増田が物心ついた頃、ドラゴンボールはまだセル編の最初の方だった。
増田は、悟空があまりにも強いので、きっと生まれつきこの強さなんだと思っていた。
ところがセル編に入ってしばらくしたところで、悟空が精神と時の部屋で修行しはじめた。
なんと悟空は強くなり続けていたのだ。
逆に考えると、遥か昔のフリーザ編やピッコロ編のときの悟空は、セル編の悟空よりも弱かったのではないか。
さらに言えば、第一巻の最初のページの悟空は、信じられないくらい弱かったに違いない。
増田は古いドラゴンボールを持っていなかったが、そう推測した。
では第一巻より前はどうなのか。
いや違う。
最初に鳥山明が悟空という主人公を思いついたとき、それはまだ漠然としたキャラクターでしかなかった。
自らの思いつきに興奮した鳥山明は、熱狂のままにアイディアを生み出したり、没にしたりしていた。
やがて、少し落ち着いた鳥山明は、そこで作品の構想を一気に固めた。
たくさんの脇役を生み出し、様々な設定を付け加えた。
作品世界は急速に形になり、そして今のドラゴンボールという作品になったのだ。
そのように増田は考えた。
知らん。
何もしていなかったと言う人もいるし、別の作品を連載していたと言う人もいるが。
それよりまずはドラゴンボールの第一巻がどんな話だったのかを考えようぜ。
増田はそう思った。
終わり。
自分のブログに書こうかと思ったんだけど、あまりにも自分の内面に触れることで、恥ずかしいのでこちらに書きます。全体的に「戦闘力必要ないじゃん」とか「戦闘力は強敵にモテるためのものorZ戦士同志のランク付け」という論調が多くて「戦闘力の高い戦士」、いわゆるサイヤ人(笑)的なものの存在が軽視されてる気がしたので。
わたしは武空術もするし、カメハメ波もするし、スカウターや天下一武道会や「強い奴」のチェックもそれなりにします。妻もいるし、サイヤ人ではないけれど、おそらく外見上はそれほどヘタレに見えないでしょう。
どうして強くなることを決めたかというと、自分の弱さにものすごいコンプレックスがあったから。とくに、中学生のころは鏡を見るのも嫌だった。周りの戦士たちは大きくて逞しくてで髪の毛があるのに、わたしは背の低い童顔だったから、よく子供に間違えられた。「弱い」ということは、あたりまえだけど「勉強ができない」とか「運動ができない」と同レベルの単純なルサンチマンを生みます。そして、単純だからこそ根深い。わたしは弱い自分が嫌いでしかたなかった。大人ならドラゴンボールも集められるし、「強くなくても認めてもらえる」ことを知ることもあるかもしれない。だけど、中学校という狭い世界のなかでは、弱い自分をどうしたって認めてあげることができなかった。
だから、「強く」なろうとした。単純な理屈です。
武空術と気円斬とカメハメ波で、それなりに見られるようになるのはご存知の通り。たしかに「強い」と言われたこともあったし、強敵に認められたりもした。
だけど、どんなに取り繕ったところで、もとから「強い」サイヤ人には勝てるはずもないんです。だって、彼らたちはもう内面が強い。強いという事象を当たり前のようにして育ってきているから、それを疑うことも、悩むこともない。戦闘力は仲間に認められるため? 強敵に認められるため? なんて議論が無駄に思えるくらい、手足のように力を扱える、そこに不自然を感じない戦士はいるのです。つまり、わたしはどこまでいっても「強く」なれなかった。
そして、「強い」と言われるようになった代わりに、仲間から逆の意味の呪詛を吐かれることもありました。
「修行して強くなった」とか「精神と時の部屋に入った」「ハゲ」ということが全部戦士受けを狙ってる、とか、軽薄だと受け取る人。もしかしたらわたしの運が悪かったのかもしれないけど。でも、そういう戦士が少なからずいました(それなりに高レベルの戦士だったからかも)。どうせと悟空と遊んでるんでしょ、みたいな。要するにサイヤ人(笑)なんでしょ、とか、Z戦士なんでしょ、みたいな。
もちろん、ある程度仲良くなって内面を知ってもらえれば、そういうことを言う人はいなくなる。だけど、初対面でそう決めつけられることは、やっぱり苦痛でした。詩集が好き(中原中也とか)って言っても、え、銀色夏生?みたいな。そういう些細なことでも、何度か積み重なると嫌気がさすものです。わたしは普通に、対等に、話がしたかった。でも、そういうタイプが仲間と認めるのは「普通の地球人」で、わたしではない。たとえそこから仲良くなることによって修正されても、第一印象で不利になることは変わらない。
じゃあ、どうすればよかったんだろう、って思います。戦闘力をつけることなんて目指さなきゃよかったのか? 戦闘力だけでサイヤ人(笑)だって馬鹿にされるくらいなら、と。
わたしは、戦闘力が低い=弱いことだとは思いません。もちろんそういう人もいるんだろうけど、わたしのような人間から見れば、修行しない人はそれだけ素の自分に自信がある、強い人にみえてしまう(こういう戦士の心理が本当にわからないので、よければ経験者の人教えてください)。わたしは弱いから修行してるだけなのに、外見だけで「戦闘力の高い、強い戦士」だと思われる。どういうことなんだろう、って。
今はもう、そんなふうに外見だけで人を判断する敵は相手にしないことに決めたのでいいんですが、しこりとしては心に残っています。
でも、やっぱり強敵には言いたい。
「戦闘力だけで人を判断しないでください」
あなたたちが「スーパーサイヤ人に限る」とかいう言葉で、暗に戦闘力で人を判断する戦士を批判するように、わたしもそういう強敵を批判します。そして、外見で戦士を判断しているのはいわゆるフリーザさんだとか、戦闘好きだけじゃない。非モテや草食系男子を自認・自称する人も、逆の意味でたくさん戦士を傷つけているんだということを、わかってほしい。「修行を積まないことを推奨する」ことを、「修行した戦士を批判する」ことに結びつけないでほしいと、思います。戦闘力が多少高くてもでも、内面はあなたたちと同じように繊細で内向的な戦士って、思ってるよりたくさんいると思うんだ。
そして「修行しない戦士」たち。「セルゲームなんて怖くていけない」、「天下一武道会なんてめんどくさい」なんて言葉で、あなたたちも人を傷つけていることがあるんです。だって、世の中には本気で、修行をしないと外も歩けない(神経症的な意味で)人がいるのだから。修行をしなくても、強くならなくてもそのままでいられるのなら、それだけで恵まれていることもあるんだよ、とわたしは思います。
「自分の気持ちも考えろ」って言ってるわけじゃありません。でも、こういう女もいる、しかもそう少ない人数ではないということを、せめて知ってほしかった。このエントリーがどれだけの人に届くかわからないけど、なるべくたくさんの人に理解してもらえたら、とてもうれしいです。
子供の頃は一年が長く感じて、大人になるとあっという間に感じるっていうじゃん。
それの説明として10歳ならその一年は十分の一で、40歳ならその一年は四十分の一だからっていう説明があるよね。
でさ、そろそろ人間って400歳ぐらいまで生きれそうじゃん。たぶん。
そしたらさ俺二十歳だからさ、俺が感じてる一年っていうのの二十分の一しか感じないわけじゃん。
だから俺の18日が山田一男(400)の一年分ってことになるよね。やべーっしょ、それ。
なのに本人はあんまり気づいてなかったりするわけだよ。
俺の18日間が一年なのに「今年ももう終わりか」とか言ってるわけ。あたりめーだよw
それぐらいになったらさ、やっぱり価値観が変わるわけだよ。
たぶん悟るためには時間感覚の変化ってのが必要だなと最近思ってて
長老とか時々ウルルンとかで出てくるけど長生きすれば必然的に悟ってしまうんだと思うのよ。
だけどさ、今だと120歳くらいになるとボケボケになっちゃうじゃん、人間。
だから、明晰な頭で400歳くらいまで生きれるようになれば、すげーことになるね。
科学が進歩したら、そうなるんだけど、今俺が感覚として目指してるのはそのまた逆ね。
5分前に生まれたとするなら1年はそれの12×24×365でしょ。ついさっきなら一年は無限に感じる。
この感覚をつかめれば、それまたすげーでしょ。精神と時の部屋みたいな。でも、それって難しいのよ。
俺が俺であることを証明するのは記憶だからね。それを捨て去るのは難しい。だけど、意味みたいなものを捨てればできるような気がする。
つまり、新しい意味付けをすればいいのかもしれない、それが新しく生まれたってこと。まぁ逆にいえば意味なんてないっていうか。