はてなキーワード: 正論とは
今、人間不信と女性不信をなんとかしたいと思って婚活相談している。相手はビジネススクールで知り合った、コミュニケーションについて学んでいる女性だ。
スクール内の彼女の講義で、カウンセリングを受け付けている旨を聞いて相談した。
結果、裏切られた。いや「裏切られた」は自分勝手な言い草だが敢えて言う。裏切られたと。
俺は深刻な女性不信を抱えている。小1から小6までクラスの女子全員に避けられ、1年の時のBBA担任に些細なことで教室の後ろや廊下に何度も立たされて晒し者になった。3年の時は一時期クラスの女子と遊んだことはあったが、些細なことで詰られて泣きながらゲロ吐いてそれ以降女子と遊ばなくなった。当時のBBA担任には往復ビンタされたこともある。4年の時はいじめられたが、担任(また別のBBA)に相談しようにも、担任もいじめの対象だった。5年の時は転校生の女子に惚れて体育のマラソンでちょっかい出したら担任(男)にこっぴどく怒られた。調理実習の時は女子の間で「【俺】に食品を触らせるな」がクラスの暗黙のルールだった。2年と6年の時は目立った事件はなかったが、2年の時には確実に「女は信用できない」と思っていた。
中学に入っても状況は変わらなかった。小4でいじめられた影響で完全に人間不信になったので、喜びと悲しみの感情が死んでいた。中3で祖父が他界したとき「何で俺だけ涙が出ないんだろう。悲しまなきゃいけないのは分かるけど辛い」と思っていた。悲しむのが苦痛でしかなかった。
大学時代、ちょっとした意見の違いでサークル内で揉め、その時に法学部の先輩がわざわざ携帯のメアドを「◯◯◯.2ch.net@docomo.ne.jp」に変えて匿名を装って悪口中傷のメールを何度も送ってきた。俺はサークル内で孤立し、あるときサークル裁判で事態を収束するために俺がクビになった。
大学卒業後に入社した会社が4年後に倒産して、その後すぐに就活したがまったく決まらず、貯金が底をついた頃にクレカの督促の電話口でオペレーターの姉ちゃんにこっぴどく怒られた。今考えても姉ちゃんの言い分がまったくの正論だが、その言葉のキツさに耐えられずに就活も休んだ。
普通のバイトも決まらないので仕方なく警備員をやったら、新人いびりで支社長にいじめられ、こいつを殺したいと本気で思ったことがある。現場で凶器を物色しようと思ってたときに高熱で寝込み、その後しばらくして支社長が左遷されたので実行には移さなかった。
「人はいつか必ず自分を裏切る」と信じて疑わなかった。そんなときに数少ない友人や知人と色々話して、女性不信と人間不信を解決しようと決めた。
以上の内容を、女性不信の部分に絞ってざっくり相手の女性に話した。返答はこうだ。「そんな(ネガティブに捉えること)ないと言おうと思ったけど、私も最近信じてた人に裏切られたので共感しかできない」
俺はこう返した。「共感してくれてありがとう。そんなことないと言われたら信用できなくなるところだった」
その後、3週間ほど返答がなかったのでこう送った。「同じ悩みを持っているなら、協力して解決するのはどうだろう」
そしたらこう返ってきた。「今は愛のある優しい彼氏がいるのでちょっと違うかなと思います」
何で裏切られたばっかりなのに彼氏がいるんだよ。自分に彼氏ができたら用済みかよ。いやそうじゃない、裏切られたっていうのはいったい何だったんだよ。
後日「私はこのようにした」旨の返答が来た。前彼に捨てられた後に大変な努力をしたということで、きっとものすごい苦労をしたんだろうなというのは分かるんだが、違うそうじゃない。たった2、3ヶ月で解決したこと自体、似非男性不信だったことの証左じゃねえか。それで共感したつもりかよ。こんなの騙し討ちじゃねえか。
非常に自分勝手で自分本位でクズな考え方なのはわかってる。でも溜め込んでちゃ仕方ないし、かといって本人に言ったらそれこそ終わりなのでここに吐き出すしかなかった。悔しい。どうしようもなく手が震えて涙が止まらない。これほどの屈辱を味わったことはない。許せない。
ああそうさ、俺は弱いさ。こんなとこに不平を言うだけのどうしようもないクズだ。だけど頼むから相談受けるならもうちょっと女性不信を勉強してきてくれ。それくらいのことは言ってもいいだろう?
今俺はこうやって悲劇のヒーローぶっているが、学ぶこともあった。彼女は悲劇のヒロインにならなかった。それだけは糧にしなきゃいけないと思う。ただ、あとは返答とかを顧みてほしい。もっと勉強してきてほしい。彼氏を気にして手を抜くようなことはしてほしくない。ただそれだけを願う。
自分は増田氏の主張を正論だと思ったしそう書きました。その上で煽らないで欲しいとも書きました。
繰り返しになりますが、自分は、この件の熱狂の先に新しいコンテンツプロデュースの形を見付けられると良かったのにな。と考えるし、出来るなら今後もこの件に限らず考えてみたいと思います。今ある仕組みは、あくまでかつての商習慣の積み重ねの結果として存在するものでしかないので、今後の社会に則した仕組みは、これから組立てて行く必要があると考えます。今までに無い作り手と送り手と受け手の新しい絡み方が見付けられれば、この界隈はもっともっと楽しくなると思います。
怒りをぶつける様な書き方をされた事は残念に思いますが、怒るという事はそれだけ真摯にご自分の仕事に向合って来たからこその反応なのだろうとも思います。残念に感じられる反応も多かったかと思いますが、どうか増田氏も、ご自身の持ち場において、気を落さずに頑張ってください。
これは本当に巡り合わせの問題です。
①食器は気が向いたら洗う
③食器を洗った後フキンで拭いて水垢が残らないようにした上で、少しでも埃が被らないように食器棚に保管
の三通りがある。
①は論外(のように思えますが、論外ではない家庭で育った人も多い。)ですが、②と③の断絶をあなたは想像できますか?
生まれ育った家庭によっては②で十分だったり③で十分だったりします。
綺麗好きな方が正論になるため、②の家事をする人が③のパートナーを持つと地獄を見ます。
いくら時間ガーと言っても生まれ育った環境の習慣を変えることは困難です。
分かりますか?
私からは以上です。
(1)(2)両方読んだ。
自分も似た領域で働く身であり、元増田氏の主張の殆どは正論だと思った。憶測も多く含まれてる主張だが違和感は感じ無かった。でもあまり「ゴミオタクども」等と煽らない方が良い様に思う。
そう言いたくなる気持ちはわかる。大きな仕組みの中で、手間ばかりかかる煩雑な作業に対して最善を尽くそうする人々の努力を、実態も理解せず雑な大企業批判ノリで踏みにじられるのは、かなり腹が立つ。わかる。
同様に、監督やヤオヨロズ等の振舞いに対して、社会人としての一線を問いたくなる感情も理解出来る。クリエーターは中心的かつ重要な役割りではあるが、その他の役割りに対する一定の配慮も必要である。という主張は正論だと思う。でも。それでも。けもフレの件に関して言えば、それらの怒りは少し置いて、考えてみるべき事がある様に思った。
自分はその界隈で働く人間であるが(けもフレ自体には関与していない)、同時に一人の視聴者として、けもフレという作品と作品が巻き起こす現象を大いに楽しみ、その行き着く先に大きな期待感を持っていた。確かに、幾つかの発信物にクレジットが無い事に気付いて「おや?」と思いもしたが、それ以上に、作り手と作品とファンがかつて無い速度で呼応しながら熱を帯びて行く様子を見てとてもドキドキした。既存のコンテンツプロデュースの枠組みからは決して生まれて来ない熱の発生を目撃で来た事にとても興奮した。大袈裟に言えば、そこに未来を感じていたのだ。
とても残念な事に、今回の件に関しては、不幸な炎上騒動に行き当たってしまったので全てはタラレバでしか無いのだけれども。もしも、本件の関係者達が悩みに悩んだ上で、かつての「正論」の枠外にある「新しいコンテンツプロデュースの仕組み」を編み出す事に成功出来ていたとしたら...ひょっとしたらその先には、今までに見た事も無い様な作品やビジネスが芽を吹いていたのではなかろうか...
とても残念な出来事が起こってしまい、起こってしまった事はくつがえせないとは知りつつも、その話しの経緯を端で見ていた者としては、苛立ちをぶつけ合って喧嘩をするよりも、どうやったら「その先に行く事が出来たのだろうか?」という事を考え、議論した方が良い様に思う。
苛立ちと喧嘩と確執の深め合いだけで終えてしまうには、あまりにも惜しい作品であり現象だったのでは無いかと考える。なのであまり煽らないで欲しいなと。
一部では「悪質な差別キャラの代表」として長年有名だった(らしい)あれを出しちゃったから炎上した感じ
あのキャラを今後出したら(どんな出し方であれ)抗議するぞと心に決めていた人たちが多かったんだろう
実際の番組ではここまで炎上するほどの露骨な同性愛イジリは少なかった
逆に言うと、登場時の2〜3分以外は単に変な仮装してる石橋が映ってるだけだった
お約束なので一応やっときます的な雑さすら感じたし、あるていど批判が来るのを見越した演出だと見ながら思った
あのキャラの「今回の放送内での言動」のどこがどう差別的なのか、きちんと言語化していくほうが今後のためだと思うんだが
あれが流行ってた当時あのせいで辛い思いをした人たちにとって、どこがどうと細かく分析するのもまた辛いわけだしな
個人的には最初のいいともパロディパートが予想以上に面白かったんで今回の件でそっちがまったく話題にならないのはちと残念だわ
その面白さはタモリと鶴瓶ととんねるずが自由にやってる雰囲気から来ていて
そしてその自由さには今回炎上したキャラのような下品で人を傷つける笑いは確実に含まれていて
自由な面白さは出せ、でも下品部分は出しちゃいけない、というコントロールをいかにしていくか
いいともパートではできたんだからやればできるでしょって意見はなあ、正論だけど役には立たないよなあ
タモリがやってたインチキ中国語芸だって差別的だと批判しようと思えばできるわけだしな
テレビ見ない自慢の人たちは個々のテレビマンや演者の反応なんか追ってないだろうから一括りにテレビはー芸人はーと言ってるけど
いろいろな反応がすでにあることは少なくとも自分は知ってるし、それを見てまた考えを深めようと思う
議論したいから異論反論求むとのことだけど、完全に正論だから反論しようがない。
刺青叩きたい人も本音ではわかってるんだよな。まともに議論したら勝てないことに。
どうやって煽ってやったら食い付くのか俺も考えたけど、結局愛好者が少ないから滅んでいく文化の一つになるのかなぁ…という寂しい結論になった。そもそも興味なさそうだもんな。アニメではあれだけ騒ぐくせに。そういう俺も刺青文化を守りたい愛好者ではなくて通りすがりだし。
今の自分の境遇がある程度許容できてしまっていて、もうこれ以上、見えない社会の階層をアップできる見込みもない。
あとは年齢を重ねるに従ってどんどん自分の能力が落ちていくのをただ見守るだけ。
なんというフラストレーションの溜まる日々。
だけどリセットすら怖くてできない自分は、ただ毎日を怯えながら過ごすだけ。
社会的には死んでいるも同然。
持病があるので生きているだけで金が無駄にかかる。
私など生かしておく価値もないのに。
でも再燃が怖くて通院をやめることもできない。
消極的に生きているだけにすぎない私が医療費を無駄に消費している。
親に「死にたい」と言ったら、「死んだらどれだけ周りに迷惑かけると思ってるの?」と言われた。
親は、私が死んだら周りに精神的にダメージを与えると言いたいのだろうけど、生きてるほうが周りに経済的に迷惑をかけてる以上、生き続けていること自体が私にとっては精神的ダメージなのだ。
もしこれが日本ではなく発展途上国だったら、金持ちの家に産まれてないかぎりは、自力で生きられない私なんてとっくに死んでる。
でも生き心地は良くない。当たり前だけど。
私が生きていることで経済的に社会に迷惑をかけてることは正論だと思うんだけど、なぜそのことに真正面から答えてくれないの?
役立たずなのに生きているのは本人だって辛いんだよ。
何が言いたいのか分からなくなってきた。
普段だったら日記帳に書くようなとりとめのないことを、今日は増田に書いてみた。
自分が何がしたいのか、何を望んでいるのか、どうなれば満足なのか全然分からない。
ちなみに心の病院にはとっくに行ってるし薬も飲んでるしカウンセリングも受けてる。
でも何も解決はしない。日本で悩んでるという人はだいたいみんなそうでしょ。
心の医者に行ってやるべき治療はしてるけど、突破口が見えなくてどうしようもない状態。
ほんとどうしたいんだ。
アイドルに限らずよくいるよね、こういう人。
「俺の好きなブランド、薀蓄やこだわりを何も知らないようなチャラい奴が着て絶賛してたからもう着なくなった」
「俺の好きなアニメ、ファンがイタい振る舞いをしてるのを知って作品を嫌いになった」
とかと同じ。
自分では「○○を好き」と思っているけど、他人から見れば「○○が好きなのと同時に、○○を好きな"いい趣味してる自分"が好き」な奴なのが特徴。
一般的なファンとは違うと言ったが、その境界は曖昧で、ほとんどの人が後者の要素を多かれ少なかれ持っている。
程度の問題なのだが、最初から後者を目的に流行り物に飛びつく人はまだマシで、深刻なのは前者をこじらせて後者に化けた人だ。
自分の「好き」が高度化して高尚であるという思いが強くなると、趣味の対象(アイドルとか)そのものや、その楽しみ方も勝手に高尚化しようとする。
結果として、他のファンに異様に厳しくなって原理主義者と化したり、
非ファンからの目を気にして異様に閉鎖的・排他的になったり(腐女子に多い)、
ときには、製作・運営者に非常に辛辣な言葉を投げて、「こういう風に作るべきだ(俺の思う通りに作れ)」と傲慢になったり(アニメアンチに多い)する。
彼らは、
「趣味なんだから、他人がどうであろうと自分が良いと感じていればその思いを通すべきだ」
という正論を受け付けられない。
いわばアクセサリーのように自分と一体化したものだから、そのアクセサリーが何者かに卑しめられると自分の品位も下げられたように感じる。
それを自意識が受け入れられないから、好きなはずのものを「嫌い」とすることで、自分から切り離そうとする訳だ。
幼稚な思考ではあるが、誰もが一度は陥るレベルで、ありふれた思考でもある。
それ故に、どんな趣味でも、この手の人はちょっと深堀りしてみればしょっちゅう目にするレベルに周囲に潜んでいる。
私の最終学歴は専門学校卒で今は看護師をしている。頭は悪かった。一方で弟はよくできていた。そんなもんだから弟と比較されて過ごしていた記憶しかない。
弟は県内一の進学校に通っていた。両親もそこ出身。私だけが例外。亜種。
そもそも小学校の頃から勉強にはつまづいていたし、だから親にはもう諦められていた感もあった。10歳程度で親の期待には答えられないことがわかった。バカに生まれると苦労するのである。
まぁ勉強できないからやりたくなくなるわけで、成績もよくない。当然ですがそのほかに身を立てられるようなスキルもなかったので、勉強するしかなかった。今でも「芸術とか運動とか、そういう才能あるの?あるんだったら文句言わないけど、そうじゃないでしょ。なんで勉強すらできないの」と言われたことをよく覚えている。正論なので当然文句は言えない。
なんとか高校は普通レベルのとこに入った。友達がいないわけではなかったので学校生活には問題無し。だがやっぱり家庭がネック。中学生の弟と当時の成績を比べられるわで。まぁ自分たちの行かせたくない学校に金払うのもばかばかしかったんだと思う。学費などは文句を言われた。色々あって進路を決める時期になった。もはや国立大学には行けそうにない頭の出来だったし、医療福祉関係には中学の頃から興味があったので看護専門学校に行こうと思った。お願いだから専門学校とかはやめてくれと言われたが、なんとか行かせてもらった。そしてバカなりに学校を卒業し、県内では結構大きい総合病院への就職が決まった。たぶん名前を言えばすぐわかるくらいって感じの。この頃から両親の態度は激変した。ようやく自分を認めてくれるようになったのだ。いいところに就職したね、と。一時期はどうなるか不安だったけど本当に良かった、と。嬉しかった。ものすごく嬉しかった。
何年かして弟も就職することになった。弟の就職先はテレビ局だった。進学校から偏差値の高い大学へ行き、テレビ局である。だが、ここで順調にいっていた弟の評価は一気に下がることになる。両親に言わせればテレビは斜陽産業だとかなんとかであんまり面白くなさそうなのである。
ちょっと弟にマウント取れたような気もした。性格悪いと言われそうだが、弟にも評価されない悔しさでも味わってもらえればいいな、とか思ったのである。
この間、休みに帰ってきた弟に話を聞いた。ちょっとかわいそうだな、くらいの気持ちで話を聞いた。なんかADのような仕事をしているらしい。新人のお笑い芸人のこともさん付けで呼んでいるところが業界人の自慢話っぽかったけど、基本的には楽しそうだった。自分が面白いことに携わっているという自信があるし、視聴者からのご意見でも高評価を得ているということがなによりも嬉しいらしい。一方、自分はどうかというと楽しく仕事をするとかそういう感覚がなかった。患者さんからありがとうと言われてもなんか信用できなかった。
楽しそうに話す弟に思い切って、両親のことを聞いてみた。弟は親のことは全然気にしていなかったらしい。というか両親のことを気にしたことがないとも言った。そうだった。弟は両親に事細かく言われたことがなかった。そもそも学校の成績も良かったし、進学の度に文句を言われた自分とは大違い。そういう部分で苦労なんかしていない人間だった。
自分は勉強に対する苦手意識が大きく残っていたし、今でもそれで勉強不足で恥をかくこともある。就職先でしか褒められなかったことも自分の自信につながらない。たぶん、今の病院をやめてしまうようなことがあれば両親は自分のことを、またボロカスにするに違いない。子供の頃の、自分に戻るだけなのだ。弟は今どこへでもいける。今更何か言われても自信が揺らぐことなんてないんだろう。まぁそんなことに気づいたところでこれからどうしようかと思ってもどうしようもない話なので。