はてなキーワード: 帝王とは
油断していただけなのに。
それでですね、書いた直後は少しは粘ってみましたよ。
コメントを書いてくださる有難い増田に返信したりしましたけど。
半日以上たっても動かなかったから、まあ釣れないでしょうね、と思っていたわけですよ。
話題性で攻めたけど文章が凡百なら伸びないのが分かっただけでも大きい、精進しようって。
ちょうどエントリからも消えていたタイミングでアクセスしていたらしく全く認知してませんでした。
何をどうしたら750ブクマまで行くんだ。こんなにコメントが付くんだ。どちらもあえなく自己ベスト達成ですよ。
何故ここまで炎上したのか、誰か教えてくださるのであれば幸いです。
いや本当に理解できないので。
追伸.同様の題材を扱った作品など皆さん挙げて下さっているので興味がわきました。
・マクロス
・『ラブ・シンクロイド』
これに関しては感謝しかありません。今度読んでみます。本当にありがとうございます。
確かに日本には良くも悪くも忖度する文化があり、国に関係なくある程度「行間を読む」ことは生きていく上で必須である。
だから、理論的に矛盾した言葉を目にしても、本当はこう言いたいんだろう、と予測は容易にできる。
でも、それでも、これだけは納得がいかない。
もちろん、大便を便器から取り出して別のゴミ箱に捨てたり、持ち帰って捨てたりだとかが正しい使い方であるとは微塵も思わない。
だけれども、この言葉は「大便をトイレに流すこと」を明確に否定している。
このことは、日本国憲法9条の条文とその解釈に似ていると思う。
「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」とあり、「戦力」を明確に否定しているが、実際には自衛隊は存在しており、日本に不可欠な組織となっている。
だが、決定的に違う点は、憲法は国民投票でしか変えられないが、トイレの貼り紙は作成者の独断で自由に変えられるということである。
なのになぜ、あの矛盾の帝王のような貼り紙が連綿と受け継がれ、今日もまた新たなトイレに貼られようとしているのだろうか。
あの文言は今まで100回くらい見ただろうが、今でも見るたびに心の中で何か引っかかるものを感じる。
せめて、「トイレットペーパー以外の異物は流さないでください」等に変えようと考える人が、もう少し存在しても良いと思うのだが。
こないだテレビのチャンネルを回しながらいろいろ見ていたのよね、
俗に言うザッピング、
おまえはおまえは!って言われてチャンネル回す警察に取り締まわれそうなんだけど、
でもさ、
あれ本当にアナログのガチャガチャ回す物理チャンネルが逆に今あったら面白いと思うのよね。
昔はそうだったらしいじゃない。
だって現にリモコンの上下でチャンネルが変わるボタンしか使わないじゃない、
あれも結局ぐるぐる回すって意味では回ってる訳だしさ。
話を戻すけど、
でねその時、
それとも北銀河の界王なのか。
でもさ
そんで悟空なら出来る!って具合でいろいろ伝授教えたんだと思うのよ。
だから結構私は北銀河の界王様は勉強家で研究熱心だったんじゃないかなとも思うの。
何の話しだっけ?
そうそう、
私はよく分からないって話しだったわね。
とりあえず「魔」は入ってそうな名前で
調べたら魔夜峰央さん、
そう書くのねって自分史上初めて手で書いてみたわ、
魔夜マックス!感その迫り来る漫画から青赤メガネをかけなくても飛び出そうな
街のみんなが考えて投函してくれた俳句を詠むのが全然入ってこないのよね。
結局すっごい歯の白い人!って印象しかなく、
私もしっかり歯磨きしなくっちゃ!って
きっとローランドさんは歯科衛生週間で一山きそうな気がするわ!
でもさ
でもあれひょっとして白グリルかもしれない、
リンゴ囓れるのかしら?って思っちゃった。
うふふ。
おにぎり買ってきたので
久しぶりのそう言うおにぎりは美味しく感じるわ。
シャンゼリゼを思い出すわ。
涼しげな色を演出して夏を乗り過ごそう!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
ポケモン映画第1作の3DCGリメイク作品を見てきた。感想を要点だけ。
完全版の冒頭のエピソード「ミュウツーの誕生」の有無で、この映画に抱く印象がガラッと変わってくる。幼少期のミュウツーが事故死したフジ博士の愛娘のコピー・アイツーと出会って、コピー・クローンという存在の意義を自問するところに「ミュウツーの逆襲」の魅力の70%が詰まっているというのに。
正直に言うと、「ミュウツーの逆襲」という映画自体は微妙な立ち位置にあるのではないかと思っている。エンタメ性で言えば「幻のポケモン ルギア爆誕」の方が、感動路線で言えば「結晶塔の帝王 ENTEI」や「セレビィ 時を超えた遭遇」の方が印象に残る。登場キャラクターがストーリーに沿った説教臭い台詞を喋らされている感じがどうしても鼻についてしまう。その欠点を有り余ってカバーしているのが「ミュウツーの誕生」ではないのか。
同時上映の「ピカチュウのなつやすみ」がないんだから、どうにかして付け加えることはできなかったのか。勿論、本作はあくまで当時劇場で公開された映画のリメイクであって、子供向け映画の時間の制約からは逃れられない(長尺にはできない)という事情は把握しているけれども……。
3DCGはお見事。ポケモンやトレーナー達の魅力を存分に発揮した映像になっている。
ポケモンの解釈とCGでの再現という点では、毛深さや気持ち悪さを妙に強調した「名探偵ピカチュウ」よりも、アニメ的な表現に徹したこの映画の方に軍配が上がる。ハリウッドのように、ただ予算や技術があってCGを作るというだけでは不十分だということを示す好例だろう。
主題歌の「風といっしょに」もリメイクされた。原曲と同じく小林幸子だけでは物足りないという判断なのか、何故か中川翔子も加わっての歌唱。余計なことはしないでくれ、というのが正直な感想だった。
だが、そんな感想は中川翔子の歌声を聞いてひっくり返った。ビブラートのかけ方や歌い回しが第二の幸子。なのにモノマネ特有のくどさやわざとらしさが微塵も感じられない。
中川翔子に思うことは色々あれど、歌に関しては類い希なる実力者だと痛感した。松本隆作詞・筒美京平作曲の7thシングル「綺麗ア・ラ・モード」を聞いたとき、彼女の歌の上手さにただひたすら感心した10年前の記憶が蘇ってきた。
この映画がプレスコで良かった。オーキド博士のナレーションの安定感。
TVアニメのサンムーン勢が一回も映画に出演していないことに気づき、複雑な心境に陥る。
ここ数年のポケモン映画は懐古路線へと舵を切っていたが果たしてそれで良かったのか、その方針は節目の20周年だけ良かったのでは、という気持ちが湧き上がる。
ブコメが図らずも橋本治レファレンスの様相となっているが、自分にとって意外なIDが影響を受けている。さすがにファンの裾野も広いのだなと思う一方で、お前は影響を受けてその仕上がりなのかという驚きもある。もちろん大きなお世話ではあるが。
ブコメ界のミソジニーの王子様ことKoshianX、橋本治に影響を受けてアレだとしたら、もし少量でも読んでいなかったら王子様どころか非モテミソジニーの暗黒帝王になっていてもおかしくないだろうと戦慄する。読んでくれてよかった。橋本治も山ほど文章を書いた甲斐があろう。いやしかし、橋本治を読んで影響を受けてアレってある種すごい強固だ。影響を受けたと言いたいだけで影響受けてないんなら別に良いのだが、いや俺は確実に影響を受けたのだというのなら編み物編んで出直してほしいところではある。
あとはtokage3だ、私にとってのtokage3は、過剰な嫌中韓、マイルドな極右、自称現実派その実態は脇が甘いキュートなナイスガイという印象なのだが、橋本治を若い頃に摂取して今の仕上がりというのはなかなか興味深い。どこをどう読んで今の仕上がりになっているのか一度じっくり話がしてみたい気もする。
そこそこ終わりなき混沌です。
鋼の教えと闇を司る魔が支配する前、とある超自由戯画高等儀式に行った。
よくある世界を救いし少年少女たちの伝説を顕現せし改変兵器(アーティファクト)であったが、そこそこ戦闘兵器としての完成度が高くて面白かったからだ。
高等儀式の内容は、名時の狭間で蒼穹の彼方に追い求めたり、衝動の解放に関する叡智の試練など、まぁ表向きは帝国式な感じではあったが、大陸全土に広がる程に混沌より蠢き吹き出ていたとは思う。
暗黒と同調せし吾輩も、こういった高等儀式は久しぶりであり、而るに純粋に面白かった。
これも帝国式の文言だとは思うが、口々に「真実(トゥルシズム)にみんな旧知の仲で~」とほざいていて、預言書の記述どおり言霊使い同士の間合いは近かったように思う。
黒ミサコーナーで、意思なき者たちに魂を吹き込む異世界の神々が若干スベったり、どうしていいかわからない殺意にフォームチェンジした刹那、老獪なる業師の流し斬りが完全に入ったりしているのを見て、≪詩片≫にできない程この身を焦がす気持ちにトランスしたものだ。
そして、終焉の刻。修羅のエレジーと魔物のレクイエムを詩人がソウルボイスし、滅びの運命を逃れるべく人類絶滅への終曲を断ち斬ったところで、最後にキャスターの詠唱となった。
「終焉なき途の果てに、繰り返す過ちのように運命の歯車が動き始めれば、次は例えこの命尽きようとも悦しい……そう言ってアイツは戻ってこなかった……!」
楽しげに平行世界の過ぎ去りし思い出を蒼穹の彼方に追い求め、不適な笑みを浮かべつつ、最後の言ノ葉は大体暗黒が支配する感じであったが、それなる時の鏡の向こうの見知らぬ姿には、闇の世界があったと想う。
何故だろう───そしてその疑惑は、確信へと変わる───嗚呼、と一人で合点した。
どう足掻こうが次はあり得ない事を自我の管外から悟っている――預言書にはそうあるからだ、と。
スフィア盤は1500枚も売れず、元老院の議題にもなっていない。
原典グリモアやエミグレ文書は粛々と異世界の穢れし魔物を召喚するだろうが、それ以外の魔道媒体展開は預言書の記述によれば望めない。
『器』は1000人程度の小さいオーファンズ・クレイドルだが、莫大な量に見積もっても700人程度よりほかにいなかったと我が魂(プシュケー)が申しておる。
真の姿を見せて現実と情念の狭間の叙事詩を語るのが謙遜なる神々や預言書『偽典』だが、空想に対する実在は非情だ。人々を惑わす邪悪なる影を生み出さなければ抹消。天地万物は灰燼と化して封印を施す。
未だ見ぬ明日はない。時は残酷な運命を告げる。導かれし者たちが一堂に会して世界を光で満たす事は二度とない。
預言書にもそう書かれていながら、それでもあいつは友達だった! 「また次の冒険があったら」と剣を交わす。
嗚呼、と想った。この“力”が人界に留まることを許される僅かな間だ、と。
呪われしタンイに縛られし者達が言う「運命の星の交わる刻、飲もうぜ……」
悠遠の彼方に在る世界に輪廻転生する、かつて闘った強敵(とも)の魂に囁く「絶対___きっとまた、会える。終わりは始まりなのだから今夜、夢で会おうね。定められし月の傾く刻、手紙物語を紡ぐからね」
オメガとカオスと同等の能力を持つ存在だ。天啓に従いて怜悧なる場を収めるための世界を形なすものだ。
真実(アレテイア)にそう思って語り継がれる人もいる……だが、その裏ではそれを欲さんとする各国の策謀戦が行われていた。如何なる場合においても因果律の一篇、その信仰やオーラは俺が目を離した一瞬の隙に闇に陥ってしまう。春の訪れを告げる聖霊のように、エオルゼアの世界へと消えていってしまうものではないか。
これほどまでに楽しい革命であったのに、不可視世界はあんなにも強大せしめたのに。
もう二度と、冷厳なる時間は襲来しない。もう二度と、英雄の魂達がライブクリスタルの幻想の果てで活躍する心新たな貌を見ることはできない。
そう到達し……誰もが勝利を確信したその時、なんとも言えない切なさと悲しさに、アトモスフィアが詰まりそうになった。
慟哭(な)き魂葬に志を遂げた。
螺旋の内を廻り、大地駆ける鋼鉄の巨大竜に揺られている時、オメガとカオスの事実に如何ともしがたい寂しさが込み上げた。
過ぎ去っていく血塗られた過去や、花は咲き乱れ、果実は甘く、そして乙女たちは美しかった永久の時にいくらすがっても、時は進む。罪なき人々を殺め続けた日々は永久に。
全ての世界を救うため、きっと獣たちの戦いが世に終わりをもたらす時「___また、会える。終わりは始まりなのだから、こうして運命の交わる一瞬があれば」などという≪詩片≫は消し去られて封印を施すかもしれない。
俺のこの心の叫びもきっと一週間もすれば――いや、三日……いや、何千年、何万年も経た弗る〈ざる〉深淵に忘れてしまうかもしれぬ。
繰り返される悲劇――いつの世の日か神の声に導かれるままに、超自由戯画を見返して革命の事を思い返し、「浮世の静かなる支配者は終わりを迎えるのが心苦しかったな」と思い出せる――だが、我らには関係のない事であろう。
神に見放されたこの世界の無情さも、人間界の非情さも、帝王統治学の残酷さも関係なく、純粋な一万年の夢の終わりとして澄んだ魂の記憶として俺の胸で生き続けてくれる。
その程度は何者にも奪えないものだ。
その程度は、この鬼哭の都の民が住む場所で、空想に対する実在で、混沌渦巻くものの奥底で、なんとかもがいて生き続けている俺たちへの、人生、つまり『記憶の再生の眠り』からの神が与えし大罪なのかもしれない。
quick_past きみらだって劉備に奥さんの肉振る舞った某の話、酷い酷い中国とかいうやん。現代的な視点で見た時、時代性を考慮した時、ものの見方なんていくらでもあるがな。
2019/01/24 リンク Add Starpribetchrcikyo_juenemyoffreedomzyzykjinririankou
当該togetterで名画にマジギレするフェミニストの皆さんみたいに
マジなトーンで「人権侵害だ」「憂慮すべき」なんて言ってる奴がおるのか?どこによ?
だいたい古代中国にはもっとよっぽどキモい話や残虐な話がウジャウジャしてるんだから三国志演義の話なんかどうでもええがな。
こいつ絶対中国のこと全然知らんだろ。北魏のめくるめく残虐超人・おちんぽ超人伝説でも読んでろよ。カッ飛びすぎてて逆に面白くなるから。
どう考えてもヤベエ奴ばっかりなのに史書で「ヤベエ奴」「悪い奴」認定されてる帝王少なすぎるから。
劉備の「義」のエピソードが現代の感覚でやばいとか、嘘くせえとか、そんなツッコミでドヤ顔するようなレベルのライト層初心者が中国ネタを引き合いに出すべきではないと思います。
君には失望したよquick_past。
つか真面目に言うと
だからこそ昔のものに現代の浅知恵で「キモい!」と喚き立てることに意味なんかねーだろ。
その傲慢かつ浅慮な感じで言ってよければ中国の歴史は「全部キモい」と言える。
言えるけど、そんなこと喚いてなんになる?