はてなキーワード: 国民性とは
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ラガルドIMF専務理事がギリシャ人は脱税ばかりしていると批判した時、日本のウェブでの反応は、ほとんど「その通りじゃないか、ギリシャ人はいい加減だ」というものばかりでした。英語圏のニュースサイトでは、もちろんギリシャを罵倒するコメントもあったのですが、それよりもずっと多かったのはギリシャを国際金融の犠牲者と見なし、短絡的なラガルドを批判する、いわゆる反ウォール街・反グローバリズムの視点からのIMF批判でした。返し刀で、IMF専務理事の特権を活用してラガルドが税金をほとんど収めていないことがスクープとして明らかになり、海外のニュースサイトでは大きく取り上げられたのですが、これなども、反ウォール街の文脈があればこそ、そういうネタを発掘する力学が働いたものと思われます。
こういうのを見ていると、日本は良くも悪くも「国民国家」なのだなあと感じます。海外では「国境」が流動化し、その分だけ、「階級」がより鮮明な存在感を持ちつつあるようです。日本も本当はそうなのかもしれません。多くの人が気づいていないだけで。
ギリシャ危機も始まってから結構長く時間がたっています。私も最初は、ギリシャ政府の行為、ギリシャの国民性が問題だと考えていました。そこに問題があるのではないと思うようになったのは、この危機の様相が次第次第に変化していったからです。
ギリシャ政府の負債比率の虚偽報告があり、それが明るみになって、信用不安から流動性の不足が生じました。この時点では因果関係は単線的で、ギリシャに原因があるのは明らかでした。
しかし、事態は波及していきました。イタリアのようにプライマリーバランスが黒字で、なおかつ流動性が不足するのは異常な事態です。債務比率も決して高くはない国々も流動性の危機に直面し、対症療法として緊縮財政をとっていますが、それだけではどうにもならず産業競争力、つまり貿易収支を改善しなければならないという話になっています。
この危機が、単に一時的な事件を契機とした信用不安、流動性の不足が原因でないことはもはや明らかです。
それは通貨ユーロと、財政の不統一というEUの構造的な問題に由来していることはだれの目にもはっきりとしてきました。
ギリシャには多々、問題があるのは確かです。確かですが、それが危機の原因ではないのです。もちろん、ギリシャがドイツのような、尋常ならざる財政均衡への執念を持ち合わせていれば、この危機でギリシャがターゲットにされることはなかったかも知れません。しかし仮に、プライマリーバランスの黒字を維持していたとしてもイタリアやスペインのように、危機に陥ったかも知れません。
構造的な原因としては、バブル化した資本のサプライサイドの問題があり、こうした事態が発生した時に機能的に動けないユーロゾーンの問題があります。
ギリシャが悪い、ドイツが悪いと他人事のように言っていますが、忘れてはならないのは日本は世界最大の債権国だということです。米国債ばかりを買っているわけではありません。80年代バブルを引き起こしたのとまったく同じ資本が、円キャリートレードでゼロ年代に世界的なバブルを引き起こした可能性が強いと私は見ています。
日本の機関投資家や金融機関がサブプライムローンのような質の悪い債権や、ギリシャ債のような信用力の劣る債権を保有している度合いはごく小さいのですが、そう言われて、リーマンショックの時に、比較的被害が少ないだろうと予想されていながらもっとも手ひどく日本が損失を被ったことを忘れてはなりません。
金融セクターは投資をしないと生きていけないのです。この簡単な事実を思い起こす必要があり、そして日本は世界最大の債権国なのです。さまざまなルートを通して、日本資本は世界市場に供給されています。ドイツの銀行が、フランスの銀行が、ギリシャをそそのかした、アメリカの証券会社がギリシャに不正を行わせた、けしからんと言いながら、その資本の出どころは元をたどれば日本である可能性が高いのですよ。
ギリシャ人は先の選挙で、より穏健な路線を選択してくれました。危機はこれで終わりではありませんが、とりあえず、私たち日本人は彼らに感謝すべきだと思います。
今回の選択がギリシャ人にとってどれほど苦渋に満ちたものだったか、想像してみるべきでしょう。
国家会計の不正を行ったのはNDです。PASOKはそれを暴いたのですが、やり方が拙すぎて危機を発生させてしまいました。ギリシャ人が「政治家が悪い」と言う時、具体的に念頭にあるのはNDとPASOKの旧二大政党です。不正を行ったと目される政治家がのうのうと今なお議席を維持しています。怒り、憎悪が満ち満ちて当然ですが、それでも穏健路線のために、ぐっとこらえてギリシャ国民の多数は敢えて、NDを再び政権党につけました。彼らなりの正義の感覚を曲げてでも、国際協調路線を選択したのです。
これは大きな譲歩であると言うべきです。
オーストラリアは医療関係者をオーストラリアに移住させるべく大規模な勧誘を行っています。もう半年以上も給与が支払われていない状況では、さらに半年、ふみとどまれる医療関係者は少ないでしょう。ご存知のとおり、医者ひとり、看護士ひとり、薬剤師ひとりを養成するためには莫大な投資が必要になります。ギリシャがこれまで行ってきた投資の成果を、労せずしてオーストラリアは手に入れるでしょう。個人の移動の自由といえば聞こえはいいですがこれは形を変えた収奪です。社会資本のごく基本である医療の崩壊は目前に迫っています。
ギリシャがプライマリーバランスの黒字を達成するまで、どこまでの収縮がこの先必要になるのでしょうか。
この先、ギリシャのみならず、南欧、ひょっとしたらフランスでも、社会資本の劇的な崩壊に至るかも知れません。メルケルが態度を変えない限りいずれはそうなるでしょうし、そうなれば、EU市民権を持つ彼らはドイツに流入するでしょう。その時になってやっと、ドイツ国民も譲歩を真剣に考慮するのかも知れません。
これらをする人は必ず理由として「ソーシャルによる可視化が怖くなった」を挙げる。「見たくない話題があるから」「名前を聞くだけで気分を害す人物(そしてその関係者)がいるから」「我慢していたけれど私はそれでずっと傷付いていたから」。
つまり、自分が害を受けているのをインフラのせいにしている。まるでそれはいじめられっ子が「僕がいじめにあっているのは、義務教育という仕組で、画一化された不特定多数の人間が学校という空間に押し込められたから」と叫んでいるようなものだ。悪いのは仕組みではなく、いじめっ子だ。だが、いじめられっ子は基本的にどんなに悪い人間がいても「いじめるヤツが悪い!私をいじめているヤツは●●と××だ!」とは叫ばない。根本的な原因を明るみに出そうとしない。なぜかそれが出来るのは自分で命を絶つ時ぐらいだ。これでは「(いじめる側はもちろん悪いが)いじめられている方も悪い」と言われても仕方が無い。
そういった弱い人間はいる。それも仕方が無いし現実である。ただ、ソーシャルでそういった宣言をして自己保身をしようとする人はなぜか、本人としては弱いつもりがない。何が悪かったのか本質を見ていない。
結局の所、それはお前が悪かったのだ。お前の使い方が悪かったのだ。ネットの使い方を分かっていなかったのだ。自由で広大なスペースでは君は生きられなかったのだ。もっと閉じられた世界や、制限だらけの世界でしか本当は生きられないのだ。そしてそれは日本人の国民性であるとも言える。島国在住の君はそれが普通だ。
それならそれでいい。「私の今までの使い方が間違っていましたのでこれからの使い方を変えます」と。それだけでいい。だがそれは、本来は恥ずべきことだ。例えば、小さい頃から箸の持ち方を本気で間違えていた人間が大人になってから箸の持ち方を矯正する。おそらくそれは恥ずかしく思って矯正するのだ。恥ずかしいことなのにそれを全世界に向けて「私は今まで間違ってました!直します!応援してね!」などとは言わない。密かに、厳かに、なるべく誰にも気付かれないように矯正するだろう。そしてそれも日本人の国民性だったはずだ。なぜか君は普通ではない。そして「自分が悪かった」のに「インフラが悪い」せいにするなどとは本当に恥の上塗りである。陥没乳首のペチャパイで、ウエストがバストより大きくて、大陰唇が水着からはみ出すような、そんなブスはおそらくヌーディストビーチには行かないだろう?
その上さらに「本当は繋がっておきたい人もいるのですが」などという追伸まで付けていたりする。八方美人とはまさにこの事だ。この追伸はもちろん、本当にそう思ってる人に対してであろうが、例えば後から、自分が嫌だと思っていた人間や話題を克服した時にも使える。「(昔は死ぬほど嫌いだったしお前のせいで友達削除したんだけど)●●さんとは繋がっておきたかったんですよ!」と踵を返すことができる。万が一の時の回避策だ。日本という狭い島国で狭いコミュニティで生きる人間としては良い施策であろうと思う。それはまぁ良い。理解は出来る。
八方美人はいずれ破綻する。特に、まさに不特定多数の人間と一瞬で繋がれるネットでは破綻が早い。ただそれを「ネットのせい」にしてはいけない。その場所に合わせた振る舞いが出来なかった自分が悪いのだ。そしてそれは恥ずかしい事だ。色々ひっくるめて、はっきり一言で言ってしまえば「ネット向いてない」となる。
お前は弱い。弱いんだ。それをはっきり受け入れるべきだ。それを真に受け入れたのなら、とらないといけない行動は、八方美人という皮を被ることじゃないだろう。それは問題解決を先送りしているだけだ。受け入れていない。結局、同じ問題で永遠に悩む。
解決しなければならない問題とは、一体なんだったんだろうか。
僕がこの世から消し去りたいものは3つあります。ひとつは、核戦争、ふたつめは、魔族と人間のハーフである魔剣士グロチウスが主人公(必殺技は真・蛇殺円月刃↓\→↓\→AB)の冒険譚を書き綴った僕の黒歴史ノート、みっつめが、ソーシャル物乞いをする女子大生です。
Google+で日本一のフォロワーを持つ女子大生、坂口さんが炎上しています。ネットのやりすぎと、海外留学で早稲田大学の単位を落として、留年をするための費用を、ソーシャルネットワークstudy giftを使った寄付で賄おうとしたのが原因です。
さらに、なぜ僕らは「ソーシャル物乞い」を赦すことが出来ないのか。
日本人の国民性との相性の悪さ、そして、サービス自体のインセンティブ設計の悪さによって、学費寄付プラットフォーム「study gift」がうまくいかない理由を解説してきます。
意外と思うかもしれませんが、日本人は世界有数の「自己責任国家」です。自分のケツを自分でフケと思っています。本当?と思う人は、ファクトを見てみましょう。
What the World Thinks in 2007の調査結果によれば、日本では「自力で生活できない人を政府が助ける必要はない」と考えている人が世界で最も多いのです。日本人で「必要はない」と答えたのは、38%。弱肉強食の自己責任国家アメリカでも28%で2位なのを考えれば、いかにこの数字が凄いかわかりますよね。
このように、日本人はマッチョイズムの国アメリカよりも、「てめぇのケツはてめぇでふけ」と考えています。
なぜかというと、日本の共同体というのは、ムラ、地縁、血縁・・・こういうものが完全に瓦解しつつある超個人主義社会だからです。個人社会なのだから、自分のケツは自分で拭けよという言説が強くなります。生活保護に、なぜあれだけの人が発狂するのかを考えれば、日本人がいかに自己責任教のマッチョ民族かわかりますよね。
自己責任教の世界一の教徒である私たちは、この女子大生の乞食っぷりを赦すことができないわけです。
でも、可愛い女子大生が困っているのだから・・・、という意見もあるでしょう。
それでも、なお賛同を得られないと断言します。
なぜなら、
「手を尽くしていないから」
彼女は手を尽くしていない。やるべきことをやらずに、助けを求めている。だから批判されるのですね。
彼女は、google+で57000人のフォロワーがいる、家入さんのような大物とのつながりもある。実際に現在、IT系のイベントのマスコットガールとして引き合いがある。
はっきりいって、下手な社会人よりも「お金を稼ぎやすい立場にある」といえます。早稲田大学の留年費用くらい払える、稼げるでしょと。
自己責任教の私達にとって、他人の手を借りるのは、できることをやってから、という心情が根強い。
似たような事例では、NHKの職員が難病の娘の手術代金の寄付を願いでて、火祭りのように炎上した話があります。なぜなら、彼らはNHK職員で役員でかつ高給で、家も売っていないからです。しかも、彼らは金をほとんど出していない。
娘を治したいのはわかる、けど、てめぇでやれることをやってからだ。という理屈で炎上しました。
彼女の場合も同じで「自分でなんとかできるのに」「なんとかしない奴」が同情を得られる国ではない、という話ですよね。
「女なんだから、家入さんにおっぱいもませれば、ひともみ100万円くらいくれるんじゃないの」というような、僕は絶対にそんなことは考えたことがないし、考えたことのある奴は黒く腐って死ぬべきだと思うけど、そういうことを考える人もいる。
もちろん、前提として「ネットやってたら、単位落としちゃった。援助して。テヘペロ」に共感できねぇってのもありますよね。塩谷瞬さんが可愛く見えるレベル。
じゃあ、坂口さんはどうすれば炎上しなかったか。これはシンプルで「寄付ではなく、取引にすればよかった」。たとえば、
・日本で一番SNSを使いこなしている女子大生の無料ネットコンサル
みたいなことをやればよかった。まぁ、もっとスマートなやり方もあるかもしれないけど、彼女側からの納得できる価値提供が必要だった。なぜなら、価値提供があれば、それは乞食ではなく、ネットを使ったマーケティングだからです。それを批判するのは、資本主義に喧嘩を売ることになるので、なかなかに難しいですよね。
メルマガっていう価値提供はするみたいだけど、うん、メルマガは高名なジャーナリストのおかげでアレな感じになってるしね。
持っているのにその力を行使していない人が誰かからの共感を得ることってできないのではないかしら。
寄付ではなく取引にしろ、というと、それは寄付プラットフォームではないよねという話になるかもしれません。でも、「学生への寄付」というコンセプトをとり続ける時点で、study giftはあまりうまくいかないと結論を出せます。
なぜか。簡単に言うと「寄付をするためのインセンティブを提供できない」からです。
これは僕らが寄付をする動機を考えればわかります。寄付をする理由は3つあって、
まぁ、こんなもんだよね。で、学生に寄付をしても2.3は期待できない。とすると、1の「精神的な満足を得たい」だけになる。NPOに寄付をするなら、1は大いに期待できる。
でも、女子大生が「あなたのおかげで大学を卒業できました!サイバーエージェントに就職して、これからはコンプガチャに変わる新しい価値ある課金ソリューションを生み出します」となっても、それで精神的に満足する人は少ない。
なぜなら、ネットにはまって単位を落とした女子大生に5000円を使うなら、人は、アフリカの子供たちを数百人救える5000円の使い方をしたいから。たとえば、5000円出せば、予防接種のワクチン350回分が用意できる。そういう精神的満足に、ネットを頑張った女子大生を助ける満足は、かなわない。
もっと同情できる学生がこれから出てくるかもしれない。けど、やっぱさ、合理的な考え方をすると、寄付だってコスパを考える。学費っていう寄付は、この世の中の寄付でも恐ろしく「精神的満足」のコスパが悪いのですよ。
さらに言うなら、「study gift は集金力が恐ろしいほど低い」からうまくいかない。40万以上集まったスゴイと思う人もいるかもしれない。
けどさ、
という、
「隠してたんだけど、俺は核戦争を生き延びた魔族の末裔かつ、体がゴムのように伸びて、かつ幼なじみは美人、かつ吸血鬼でなんというか凄くスゴイ、あと、魔法とかも使える。加えていうと、ちんちんが鬼のように黒くてでかい、その名を魔剣士グロチウス」みたいな、ウルトラご都合主義なみに、好条件がそろって、40万円ぽっち。(僕が書いてる時点で)
集金力の低さは、上の「学費という寄付はコスパが悪い」ことと「学費ぐらいなんとかしろというマッチョイズム」に起因してるんでしょう。
いやぁ、無理でしょ。仮に今回がうまくいったとしても、他の学生にも適用できるようなプラットフォームにはなりえないんじゃないかしら。個人情報と、ネットのおもちゃになるリスクをとって得られるリターン、たぶん、恐ろしくつりあわなくなるよと。プラットフォームとしては機能しない。じゃあ、家入てめぇが寄付すりゃええやんかと。
つーわけで、最後はRHYMESTERの『耳ヲ貸スベキ』からの引用でしめたいとおもいます。
で全部終わる話しですよね。てめぇで稼げるんやから、てめぇが稼げやハゲと。まぁ、お金貢ぐひとは勝手にやったらいいんじゃないですか。それで、アフリカ人もっと救えるけどね。
いや、うん、こういう正論じみたものが聞きたいわけじゃないよね。そう、違う。
あのさ、あのさ、留年した理由は、インターネットにはまってSNSに写真をはりつけるのに時間を使ったり、旅行を楽しむのに時間を使ったり、さらには雀荘にいくのに時間を使ったからだよね。いい、言うよ、あの日桜の木の下で交わした約束、もう忘れてる?だから、言うね、今言わないと一生後悔するから、言うね。
ばーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーかじゃねぇの。
糞して寝ろ。
http://anond.hatelabo.jp/20120501000137の、
に対して、http://anond.hatelabo.jp/20120501002027が
と突っ込み、それに対する返答(http://anond.hatelabo.jp/20120501223527)が、
いや、日本の特性を知ってるだけさ
しかし、日本の特性を知っているだけでは他の国との比較はできないし、比較しようとする考えはナンセンスだというのがおれの主張(http://anond.hatelabo.jp/20120501231030)。
思えば山本七平の昔から、日本人はこういう連中に騙され、日本disを吹き込まれてきた。もううんざりだ。
ダメな国民性を指摘するのによその国を持ち出すのは止めてくれ。改善したいと思っているのなら最悪の手法だ。子供だって、なんでAちゃんみたいにできないの!って叱ったらすねるだろ。
まあクダを巻きたいだけなんだろうけどさ。もうちょっと突っ込まれにくいクダの巻き方を覚えた方がいいと思うよ。
「シェア」とか「繋がり」とかが、時代のトレンド、テーマのように考えてたけど、なんか違和感が芽生えてきた。
何をもってシェアや繋がりが大事なのか。今まで、若い世代は近所付き合いなどの繋がりが薄く、それを円滑にするためにシェアが大事だ!って言ってると思ってたけど、今の世代はメディアが言うほど繋がりに植えていないし、自己中心的な人や空気を読めない人は排除されるコミュニティに成り立ってて、繋がりに飢えているはずがない。(あるのは、自分が誰かを演じてる違和感の方だ。)
人付き合いが薄くなってるっていうのは、単純にコミュニティの形成、形式が変わってきただけなんじゃないか。
その中でも、若い世代はコミュニティをきちんと生きてるように俺には感じる。「人間観察が趣味です。」とか意味不明なこと言いながら、必死に空気を読みながら生きているじゃないか。
それでもなお、やれ「シェア」やれ「繋がり」などと、背中を押されているように見えてきたのだ。
では、何故シェアや繋がりをテーマにもってきたのか、それは時代や世代がそうさせたんじゃなく、社会や企業がそうさせたに過ぎなかったと思ってきた。
仮定する筋書きは以下。
→若い世代の消費行動とか、もう全然わかんない、全然予想できない。困った。てわけで、シェアさせよう。ネットに赤裸裸に書いてもらおう。
→メディアでまず、「若い世代は人間付き合いが下手。」「昔みたいな人情も無い。」レッテルをはろう。
→レッテルを貼ったら、あとは若い世代向けトレンド(ケータイなど)から「シェアせよ!繋がりが大事!」と号令をかける。
→流れに敏感な若い世代は、自分を”ウィキリーク”させていき、消費行動や世代性を惜しみなく公開。
→ああね、なるほどね。新しい消費行動もだいたいわかったから、もう号令かけなくていいよ。 ←今ココ
シェアって、そもそも何を指してたのか。
みんな情報は金になるのを知ってるくせに。海外にどんどん負けながらも、国内での生き残りも大変な企業。畳み掛けるように現れた、「スーパーコンペティション」の現象で、有益な情報はもっとシェアされなくなっていく。
政府や東電が情報を公開しない事を全面的に否定できないのは、自分たちだって重要な事はシェアしないからじゃないのか。
日本国民がもってる問題は、ほんっとうに根が深い気がした。
インターネット上でのシェアなんて、まだ「エンターテインのシェア」と「自分ウィキリーク」どまりなんだと思う。
年間に自殺する人が3万人いて、20代、30代の死因の1位が自殺っていうのを聞いて
由々しきことだなあと思った。
事件でも、戦争でも、病気でも、飢餓でもなく、「自殺が死因の1位」って、かなり恵まれた国なのに。
由々しきこと、と来たもんだ。
保険などの医療制度がきちんとしてるから、若年にも関わらず病死することが少ない。
(国民性もあるが)治安もしっかりしているから、事件で殺されるわけでもない。
これを悲観する人は、どんなパラダイスに住みたいんだ?
ちなみに、他人に迷惑の掛からない死、なんてありえないから、利己的な死は勘弁してくれってのはある。
海か山でヒッソリと死に、死体が自然に帰るまで発見されず、戸籍や保健、賃貸などの社会的な制度上でも顧みられることなく死んだら、迷惑はかからんかもしれんが・・・・
それはもう、生きながら死んでるのと変わらんしな。
なるほど。母数が少ない、という指摘は正しいですね。このアンケートの資料性は低い、と考えることにします。
平成17年版 国民生活白書 女性は結婚相手に対して経済力を重視している
http://www5.cao.go.jp/seikatsu/whitepaper/h17/01_honpen/html/hm01020101.html
こちらは、回答者は全国の18歳以上35歳未満の独身男性3389人、同女性3085人。
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/2475.html
統計数理研究所によって「日本人の国民性調査」が1953年以来、5年ごとに戦後継続的に行われている
(同じ問を継続しているが問によっては必ずしも毎回聞いている訳ではない)。
この調査はすべて、全国の20歳以上(ただし2003年第11次調査以降は20歳以上80歳未満)の男女個人を調査対象とした標本調査である。
よくフェミニストの方は男女差別の根拠として『女性の家事労働時間の各国比較』を根拠にされていますが、
国民性の違いがあります。 主に日本人女性自身のセルフイメージに問題があると思います。
女性の家事労働時間 http://anond.hatelabo.jp/20111231161437
一方で、「『家事・育児の負担(C)』を男性以上に求められてきた女性が『フルタイム(A)』で働くよう社会から求められていること」はどうでしょう。A+Cは「過大」ではないでしょうか?
そういった現状を無視して議論を進めようとするフェミニストは危険だと思います。
貴方の頭の中にあるイメージがそうである、という事は分かりますが、古い女性観です。
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/2475.html
戦後の大きな意識変化が見られるのは「楽しみ」の男女差についての見方である。
男性の場合、男の方が楽しみが多いとしているが、その割合は下がってきている。
むしろ女の楽しみの方が多いのではと思う男性が増えている。
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/2470.html
男女年齢別に集計した楽しかった時間の合計をグラフにしてみると、3つの点が明解である。
(2)女の方が男より楽しく生活している
現実の男女は貴方の思い描いている世界と同じでしたでしょうか?
今の男性がどれだけ苦しい思いの中でいるのか、
そういった状況だからこそ結婚がイメージできない男性が増えているとは思いませんか?
正直、今の世の中でフェミニストが「女性に権利を!」と叫ぶのは
男女のカップリングの面でマイナス、男性の自殺に関してもマイナスでしょう。
それは思考停止です。 根拠がない議論がお好みですか?
はてなを利用し始めて、まず気になったことが、「主語がでかい」という言葉だった。
一体何を言っているのかと思ったら、要はひとまとめにするな、ということらしい。
はてなではそれだけ主語の大きさ、主張対象のレンジについてうるさい印象がある。
具にすることは重要だが、そこらへんの落書きに正確性やそれに準ずる信頼性を求めるのはどうにも理解できない。
それなら、こういう人らを集めるためにわざと主語を拡大させて話したほうがいろいろと得になるだろう。炎上でもないし。
これが過激になると、国民性そのものに食ってかかるような勢力になる。
国民性とは、字義通りはじめから個人の気質などを話しているわけではない。
テストの答案で○☓を使うとか、虹の色は七色で数えるとか、そういうレベルの話である。これに異を唱えられても困る。
(もちろん、国民性そのものの使い方を誤っている奴もいる。「日本人は畳が大好き!」とか「日本人は空気を読む」とかいうのは国民性ではない。過激化した層が噛み付いてるのも、こういうたぐいのものだ。)
彼らは、誰と闘っているのだろう?そして、誰に勝利したいのだろう?