はてなキーワード: 公共性とは
私は「正しさ」と「安全」は分けてくれ派。
世に蔓延る「正しさ」にウッとなるのは分かるが、「安全」に関しては鬱陶しいくらい周知されて良いと思ってる。
だからマスクとかワクチンに関してはある程度その「正しさ」をもって世間に周知されて良いと考える。
言い換えれば、ある程度の「客観性」が認められる「正しさ」なら、必要悪であろうと。
だからこそ「特定のイラストや広告が犯罪を助長する」みたいな「安全性を偽装した正しさ」は許しがたいのだよな。
これは明らかに、その二者の境界を曖昧にして、主観を押し通そうとするやり方なんだよ。
直近であれば「月曜日のたわわ」、あれは「未成年を性的に見ることが許されるような内容の広告を、新聞広告という場に置くのはどうか?」という「公共性」の次元の議論における是々非々の話であって、
フェミニストはこれらを問題にして、そうした言論・表現は(少なくとも公共性高い場面では)規制されなければならないと考える。
フェミニストが問題にしているのは、「表現・言論の自由が現実には男女で不均等に配分されているのではないか」ということである。
それは国会議員の男女比に端的に示されているし、経済団体の会合で居並ぶ人たちは平均60歳以上の中高年男性である。
一般の行政や企業の会議も、現状ほとんどは男性が仕切っているだろう。
憲法や法律で女性の表現・言論の自由を規制しているものは全く何もない以上、こうした不平等は社会全体の中でつくられていると考えるほかない。
そこでフェミニストは、女性の実質的な表現・言論の自由を奪っているものとして、公共的な場面における表現物に着目する。
つまり、女性は男性のサポート役であり、男性の「花=添え物」であり、男性の性的消費の対象であるかのような発言や広告である。
フェミニストはこれらを問題にして、そうした言論・表現は(少なくとも公共性高い場面では)規制されなければならないと考える。
これな、経緯がまるっと忘れられて、戦略上辿り着いた戦法を、あたかもそのために活動していたんだとばかりに書いてるんだ
宗教な時もあれば、時の権力者の時もあれば、お気持ちの時もある
例え、非道徳的な内容だとしても
それをやることは、粗野で、人権の否定で、進歩的ではないとなった
有識者は反対を述べる
それは「名誉棄損」や「侮辱」などの対立する権利である必要がある
それは「差別」であったり
それは「文化の盗用」であったり
これはすごいんだ
「公共」を前面に「政治的に正しくあるべき」というべき論で、法律によらず踏み絵を課すことが出来る
この法律に拠らないというのが実に素晴らしい
仮に法廷に訴えられても、この話で対立が起こると、訴える側を「政治的に間違っている事を法律でごり押す」という図式に出来る
なにせ「正義」だ
これからは違う
販促POP
とにかく「公」にあると認められるものに、そこにあってはいけないという様になった
それはとても「許されざる性差別」で「過度な性搾取が行われ」、「女性を侮蔑している」が
性差別だがあっても良いよと
でも「公には出すな」という歪な論に逃げて、勝ちを狙うよになった
狙う先はここだ
表現の自由を守り抜くのは当然だし、児童ポルノを無くせば子どもへの性暴力も無くなるという話ではない。
どう解決していくかはクリエイターも含めて国民的に議論していくべきだ。
具体的には、子どもたちや一般の人たちの目に触れないような場所に置くゾーニングというやり方もあると思うし、
“こういう表現は本当にまずいよね”“儲からないよね”という合意ができれば、
クリエイターの皆さんも作らなくなると思う
❌そこでフェミニストは、女性の実質的な表現・言論の自由を奪っているものとして、公共的な場面における表現物に着目する。つまり、女性は男性のサポート役であり、男性の「花=添え物」であり、男性の性的消費の対象であるかのような発言や広告である。フェミニストはこれらを問題にして、そうした言論・表現は(少なくとも公共性高い場面では)規制されなければならないと考える。
⭕単なる負の性欲の発露
そこでフェミニストは、女性の実質的な表現・言論の自由を奪っているものとして、公共的な場面における表現物に着目する。つまり、女性は男性のサポート役であり、男性の「花=添え物」であり、男性の性的消費の対象であるかのような発言や広告である。フェミニストはこれらを問題にして、そうした言論・表現は(少なくとも公共性高い場面では)規制されなければならないと考える。
そこでフェミニストは、女性の実質的な表現・言論の自由を奪っているものとして、公共的な場面における表現物に着目する。つまり、女性は男性のサポート役であり、男性の「花=添え物」であり、男性の性的消費の対象であるかのような発言や広告である。フェミニストはこれらを問題にして、そうした言論・表現は(少なくとも公共性高い場面では)規制されなければならないと考える。
そこでフェミニストは、女性の実質的な表現・言論の自由を奪っているものとして、公共的な場面における表現物に着目する。つまり、女性は男性のサポート役であり、男性の「花=添え物」であり、男性の性的消費の対象であるかのような発言や広告である。フェミニストはこれらを問題にして、そうした言論・表現は(少なくとも公共性高い場面では)規制されなければならないと考える。
そういうものがこの世に存在しないなどとは誰も言っていなくて、「問題である」とするその線引きがまさに『行き過ぎ』やで、と指摘されてるだけなんだよ。
参院選で赤松健などが「表現自由派」と「表現規制派」の対立が存在して、表現の自由を守れと主張している、これはそもそもが完全にデマであり間違いである。リベラルなフェミニストが「表現の自由を制限すべき」などと考えているわけがないし、むしろその逆である。
フェミニストが問題にしているのは、「表現・言論の自由が現実には男女で不均等に配分されているのではないか」ということである。それは国会議員の男女比に端的に示されているし、経済団体の会合で居並ぶ人たちは平均60歳以上の中高年男性である。一般の行政や企業の会議も、現状ほとんどは男性が仕切っているだろう。憲法や法律で女性の表現・言論の自由を規制しているものは全く何もない以上、こうした不平等は社会全体の中でつくられていると考えるほかない。
そこでフェミニストは、女性の実質的な表現・言論の自由を奪っているものとして、公共的な場面における表現物に着目する。つまり、女性は男性のサポート役であり、男性の「花=添え物」であり、男性の性的消費の対象であるかのような発言や広告である。フェミニストはこれらを問題にして、そうした言論・表現は(少なくとも公共性高い場面では)規制されなければならないと考える。
これを形式的な「表現の自由」で批判することは可能だが、それは表現・言論の自由の全てではない。むしろ形式的な表現・言論の自由を守るほど、男性マジョリティの発言権ばかりが強まって女性の言論・表現の自由が抑圧される、という日本社会全体の構造と向き合う必要がある。向き合う必要性を感じないとすれば、それは実のところ表現・言論の自由に関心がないと言うしかないだろうし、日本の自称「表現自由派」のこれまでの言動を見る限りは、そう言わざるを得ない。
(追記)
この問題をややこしくているのは、問題になっている広告の萌え絵を好むオタクの人たちが、マイノリティの被害感情を抱えていることが多いこと。フェミニストから見れば「女性を性的対象にしている広告」でしかないものでも、オタクの人たちにとってはそれを批判されるのは「マジョリティ社会からの抑圧」に見える。発信力のあるフェミニストの多くが弁護士や大学教授、新聞記者など、社会的な威信や地位の高い職業に就いているから、なおさらそう映る。「キモい」という、非モテ男子にとって破壊力の高いワードを無邪気に連呼する一部フェミニストが目立っていることも、オタクの人たちの被害感情を刺激している。
この点については、自分はオタクの人たちに同情的である。しかし、だとすれば掲げるべき旗は「表現の自由」ではなく、オタク系男子に対する自覚のない侮蔑的な発言や表現で自分たちがどれだけ傷ついているのか、ということへの抗議だろう。
(追記2)
まあまあ炎上してますね・・・。前にも似たようなことなんども書いているのに。
言いたかったのは、フェミニストはあくまで「女性の実質的な表現・言論の自由を高めるための環境づくり」を目指しているのであって、「表現規制派」というレッテル貼りは間違いだということ。フェミニストやリベラル派が目指すのは、あらゆる階級や属性の人が等しく表現の自由を行使できる社会だ。
何が問題になっているのかをわかりやすく例えて言えば、男性8:女性2という構成の会議や討論会で、その中で声の大きい饒舌な男性が軽い下ネタでその場の爆笑をとったとしよう。これだけで女性が発言することが圧倒的に困難になることは、容易に想像できる。吉野家の元常務は、まさにこうした話術で会議の場の空気を支配する名人だったのだろう。フェミニストは、こうした環境が日本の社会全体に薄く広く存在していると考えているのである。「下ネタは禁止」は、確かにそれ自体は言論の自由の規制であるが、それを放置すると言論の自由の行使が男性に圧倒的に偏ってしまう点で、言論の自由にとって必要なものである。
現在、テレビの情報番組から帯ラジオのMCまで、日本のメディアを支配していると言っても過言ではない「お笑い芸人」たちは、最近は女性も若干増えつつあるとは言え、圧倒的に男性中心である。特にお笑い芸人にとって、あけすけな下ネタトークは必須である。女性でも下ネタを嫌がらない人は確かにいるとは言え、平均的な女性にとっては明らかにハードルが高い。結果として、男性が仕切る、男性目線で構成された番組だらけになり、女性はそれに相づちをうったり、あるいは「天然ボケ」を男性MCに突っ込まれたりするだけの存在に成り下がる。
いま番組を文字通り仕切って自己主張を展開できている女性というと、和田アキコはまあ例外としても、ラジオのジェーン・スーぐらいしか見当たらない。国谷裕子や小島慶子は戻ってこないだろうか・・・。
私は特にフェミ側の人間というわけではないけど、フェミ側の建前上の理屈としては(逸脱してることもあるんだが)、絵自体というよりも、
「それらの絵がどういった場を与えられたか」
を一応問題にしてると思うんだよね。
ただその理屈では、いわゆる「環境型セクハラ」と言うには弱い。
職場のように逃げ出せない場で性的なものを見せつければ環境型セクハラだろうが、昨今話題になったもののほとんどは目を逸らせば解決するものだ。
そうすると彼らの理屈はどうなるかというと、
「個人の不快感の問題でなく、微エロが公共空間に置かれることの社会的影響」
の一点になる。
そもそも影響なんて測りようがない、というのは置いておくとしても、まあそれぞれの事例について「程度」の問題になっちゃうよね。
そのキャラクターてのは何か特定のメッセージを放っているのか、などなど。
毎度見ていてほぼ思うのは、
それぞれ全く問題でないとも思わんが、「性的搾取」のような人権問題を匂わせる批判は言い過ぎ、くらいかな。
何でもかんでも性的客体化というのも、端的に無理がある。
「たかが」ミニスカート姿のJKキャラに「性犯罪を誘発する懸念」とまで表明するのには、世間は付いてこないと思うんだよねえ。
ゲンロン・シラス問題(呉座チャンネルキャンセル問題)について最も良く議論されているのが5ちゃんねるだという状況は嘆かわしい。とにかくシラスにはイエスマンしかいない(批判すると即BANされるから)からまともな議論が成立していない。
この問題は結論としては東浩紀の失言に対して春木チャンネルで苦言を呈され、それに呉座さんが相槌を打ったことに対して東浩紀がキレた以上の事実はない。女性差別だなんだとかいう話はあるが、ちゃんと動画を見た人間(まあゲンロン社によって動画のアーカイブが消されているので確認できる術はないのだが)、ちゃんと議論できる頭を持っている人間だったら芯を食った全うな批判だったと判断するはずだ。
問題の発端については以下の増田が詳しいので是非ご参照されたい。
https://megalodon.jp/2022-0615-2127-40/https://anond.hatelabo.jp:443/20220615175101
こんな状況でゲンロン社内で議論が尽くされていると思えるはずがない。結果としてゲンロン社は呉座さんを「上げて落とす」会社としても団体としても最悪の決断をしている。こんな状態で公共性の議論なんてできるはずがない。
日産が「2021年度に全国に公共性の高い場所に150kw級の急速充電器を多数設置する」という約束をしてたけど、反故にしたまま2022年度に突入した。日産許すまじ。今はまだEVが少ないから高速道路でも大きなストレスなく充電できるけど、これからEVが増えたらそれ以上のペースで充電器を増やさないとカオスになるのが目に見えてる。E実際にEVが増えてきてるので、そろそろ何とかしてほしい。
VWグループが独自に自社専用の急速充電器を設置し始めたり、テスラには最強のスーパーチャージャーがあったりで、外資系のメーカーは独自に急速充電を整備しようとしている。公共に期待するより、こっちに期待した方が早いかも。
それとは全く関係なしに、全国の田舎にあるセカンドカー(軽自動車)は、これからどんどんEVに置き換わっていく。通勤用のセカンドカーなら長距離は走らないから航続距離や急速充電は関係ないし、家の駐車場でコンセントから自宅充電できる。そうするとガソリン代が全くかからない。所有者にとっていいことしかない。
地方における軽EVの増加は、地方のガソリンスタンドの経営に悪影響を与え、ガソリンスタンドの廃業に拍車をかけていく。その結果、田舎でのガソリン車は不便になり、ますますEVが増えていく。