はてなキーワード: 伊達政宗とは
北条時行って誰なのか。北条って苗字は知ってる。聞いた事ある。時政?時宗?なんなそんな人が歴史の教科書に出てきたきがする。
豊臣秀吉、織田信長、徳川家康、武田信玄、上杉謙信、伊達政宗くらいならどういうドラマがあったのかだいたいわかる。でもその程度。
日本じゃないけど三国志とかもよくわかってない。諸葛孔明とか劉備とか?四面楚歌って言葉もそこ由来だっけ?
歴史以外にも文学。クソデカ羅生門は羅生門を知らないとその面白さがわからない。
他にも増田に対してブコメで色々な文学作品のパロディである事を指摘している人が沢山いる。
みんな色々な事を知っている。
そういう話題、というか教養。当たり前にはてなで盛り上がる教養が自分には備わっていないことに劣等感がある。
みんないったいいつ興味を持って、何に触れるとそういう教養を身につけられるのだろう。
格好つけて英語キーボードを買ってみたけど、
円マークがどこにあるか分かりません。
ちょっと前に水戸行くんだ!って言っててこないだ行ってきたんだけど、
水戸ってさ
仙台の伊達政宗さんは牛タンを全国に広めた人で概ね兼々有名なのね。
じゃ水戸は?って思ったら、
あの水戸黄門さまのふるさとというか生まれ育ったというか発祥の地というのか産地なのかしら?
ラーメンを初めて日本で食べた人だってググったら一発で出てくるけど、
でね、
本格的なあのあのよ!
あれがずらーっと一面に吊り下げられて売ってたら迫力あるし
納豆の素敵なスメルがスゴかったわよ!
なんか納豆の香りがする!って香りのもとに導かれるようにリビングデッドでお馴染みのゾンビばりに売り場へ歩いて行ったら、
ゾンビってあんな全速力で走れるものかしら?ってそんな話しは置いておいて
2つ耳のところに当てて卑弥呼様!って言うのと
藁納豆に火を灯してファイヤーダンスしか思い浮かばなかったのが残念でならなかったんだけど、
もっと残念だったのは、
納豆ってお土産で買っても要冷蔵ちゃんみたいな感じで持ち歩かなくちゃいけないので、
いざって言うとき、
いちいちクーラーボックスから出す手間って敵に見られたらダサいじゃない。
懐に隠し持っておいていざってときに出せばいいとも思ってない?
あれもあれで、
そんなこんなで
まだ食べてないけど。
納豆で思い出したけど、
羨ましいでしょ?
でね、
スーパーカップ界のアイスと言えばスーパーカップでお馴染みなんだけど、
その
あのまるでアイスのスーパーカップに入った大盛り納豆が私のお気に入りで、
これってスーパーカップ界に凛として君臨し輝く素晴らしい納豆なのよね。
なんでも1.5倍っていう大盛りさ加減で
スーパーカップ界に一石を投じているのよ。
ってまあラーメン界のスーパーカップのそんな話しは置いておいて
でも欠点なのはその納豆スーパーカップ1つ200円ぐらいするので、
美味しいからいいけど。
そう思ったらいきなり合点がいったのよ!
あの印籠入れに納豆入れたらスマートに敵にかざせるんじゃね!ってスゴい発見したわ。
あの印籠入れには、
さすがに生の納豆がダイレクトに入ってるわけじゃないだろうから
まんまその形の
納豆だけに!ってね。
さすがにその木刀を買うノリで
でもちゃんと普通の瓶入りの乾燥納豆のふりかけは買ってきたわ!
この紋所が目に入らぬかー!ってね。
敵はビックリして驚くはずよ。
だって納豆の匂いもしないから懐にそんなのを持ってるだなんて思いもしないでしょ?
藁納豆で卑弥呼様とファイヤーダンスとジャグリングは思い付いたので、
それら使って良いからね!
水戸って梅も有名なの?
今思ったらそれ梅関係ないじゃん!って
雪山で遭難したときにセントバーナード犬が首からぶら下げているウイスキーをほら飲めって言うぐらいな勢いで
パプロンを咥えてほれ飲めって薬を持ってきてくれる賢いワンちゃんのように条件反射で思っちゃったわ。
自分用に1つ買って食べてみたら、
ほんと、
ぜひ水戸に行ったら美味しいものがたくさんあったからいろいろと試して欲しいわ!
あの大仁田厚さんの有刺鉄線電流爆破デスマッチの有刺鉄線を藁納豆縄のようにしてに置き換えたやつよ!
うふふ。
時間が無かったのでおにぎりにしようかと思って鮭おにぎりを買ってみたものの、
週明けの朝の忙しさ故、
事務所に来たらさっさと朝の作業をしていたら食べるのを忘れていたわ!
私の中の天使と悪魔が戦っていたわよ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
伊達政宗さまほどではないけどね👍
背負って帰ったら? 伊達政宗みたいに
元増田です。
全く違う経験をされてるみなさんから客観的に意見もらえてよかったです。
ギターは見えないとやり難いのでは、と思い込んでいましたが、昔やっていたのでできるかもしれない。
実際、手に取ってくれるかは分かりませんが、好きそうな楽譜をプレゼントしてみようと思います。
大河好きなので眼帯渡したらこっそり楽しんでくれるかも……(家族の前ではふざけないので、、)
そして、ねこちゃん、魚系の飼育。ありがとうございます。そういえばホームセンターが好きで、わたしが小学生の頃はよく突然新しい水槽関連のもの、ぶくぶくとか買ってきてました。一時期はめだかが増えすぎて、人にあげたりしていましたが、死んじゃってからは水槽も片付けてしまったので、ホームセンターにも連れて行ってみようかなぁ。
落語、家でやってくれたら楽しいなぁ。母はたまに聞きに行ったりしているそうなので、テープがCDを送ってみるのも検討します。家に機材はそろってるのにYouTubeとか全く手を出さないので、、。
箱庭系の造作やゲームは、目が気になるのでは、、と勝手に自分のフィルターで候補から外しそうになってしまいましたが、楽しい気持ちを思い出したら、少し心が軽くなるかもしれませんよね!!
父と話ができたらまた違うのでしょうが、そういってても仕方ないので、自分にできる範囲で少しだけお節介したいと思います。
また、良い報告ができたらいいな。
本当にみなさま、ありがとうございます!!!!!!
私(シス女性・ヘテロ)にはFtMの親友がいる。これから、私から見たその親友について、彼と初めて出会ったときから順番に時系列で書いてみようと思う。
この記事を書こうと思ったのは、ツイッターやネットには、ジェンダーについていろんな意見が飛び交っているけれど、LGBT(この言い方は性自認と肉体の問題であるトランスを性志向の問題であるLGBと一緒くたにしていてあまり良い言い方ではないと思うが)の当事者とヘテロの人との関わりについて、ヘテロ側から書いた記事が少ないなあと思い、そういう視点からの話があったら何かしらの意義はあるかもしれないと思ったからである。
最初に断っておくが、私は「性別なんて結局関係なくて全ては人間同士の問題だ」といった浅はかな話を伝えたいわけではない。私の親友は現在進行形で社会のトランスジェンダーの人々への不理解・不寛容による様々な不利益を被っている。そのような不利益はなるべく早くこの世から無くすべきだし、そのためには多くの人々がジェンダーにまつわる問題を自分事として、リアルに考えられるようになることが必要である。そのために、この記事が少しでも世の中のジェンダーにまつわる問題を考える人の参考になったら幸いである。
↓以下自分語り↓
彼とは中学で出会ったけれど、初めて出会ったころからしばらくは彼はまだ「彼女」として生きていた。お堅い私立の女子校に入った割には少しやんちゃなタイプで、4月早々の初めて一緒に帰った日に寄り道禁止の校則を破って一人で新宿で電車を降りようとした私に、彼女は「面白そう!」と言って付いてきてくれた。
一緒に帰ってる子がいるのに勝手に寄り道しようとするところから察せられると思うが、当時の私は集団行動がとにかく苦手だった。あと、謎のプロフィールカードを回して(書くのが地味にめんどくさい)、趣味とか性格とかをやたらと自己開示して同じ雰囲気の人同士で固まっていく、女子特有のあの謎の雰囲気にも全然なじめなくて、あんまり友達ができてなかった。彼女は一緒にいても無理に私のことを聞き出したり、自分のことを話したりもしなくて、そういうサッパリしたところがすごく楽で私たちはすぐに意気投合した。
毎日一緒に新宿で降りてその日のノリで無意味にアルタとか世界堂とかを気が済むまで一緒にぶらついた。私は可愛いアクセとか服とかをよく買ったけど、彼女は最新のごついボールペンとか、銀粘土という私が知らない謎の粘土(それを使ってクロムハーツっぽいかっこいい系のシルバーアクセを作っていた)とかを買っていた。お金がない日はパックのジュースをコンビニで買って地元駅のベンチで座ってずっとだらだらどうでもいいことを喋っていた。彼女も私もあんまり家に帰りたくないタイプだったので、無意味に夜の9時くらいまでベンチで喋っていた記憶とかあるけど、何をしゃべっていたのか全然思い出せない。多分最近やったおすすめのゲームとかそういう他愛もないどうでもいい話をずっとしていたんだろうと思う。中二の頃は二人してゲーセン通いにハマって、大金をつぎ込んでハウスオブザデッドをラストまでクリアしたり(金の無駄すぎる)、夏休みを全てクイズマジックアカデミーに溶かしたりした。マジアカに関しては昔は1クレで2回遊べるような気前のいい設定のゲーセンが結構あって、二人で交互にお金を出すと1000円もかからずに一日中遊べた。答えるジャンルは彼女は理系学問と歴史の担当で、私はアニメゲーム芸能の担当だった。あと彼女はクレーンゲームを一度やると取れるまで諦められないという悪癖があり、月のお小遣いを一瞬で溶かしてどうでもいい景品を取ったりしていた。いつだったか、彼女がクレーンで私のために戦国BASARAの伊達政宗のフィギュアを取ってプレゼントしてくれた時はすごくうれしかった。
中学二年生できっちり中二病になった私が突然ロリータに目覚めてピンクのフリフリドレスを着だしたときも、「似合ってるしいいんじゃね」の一言でそれ以上特に何も突っ込んでこなくて、その雑さがかえって楽でありがたかった。
とまあとにかくこんな感じで彼女と遊ぶのはとても楽しかったけれど、仲良くなるにつれてだんだんと、そして確信的に、私は彼女が他の「女の子」とはどこかが違うということを感じつつあった。何が違うのかはまだはっきりとはわからなかったけど、とにかく彼女は他の女の子と何かが決定的に違っていて、そして、違っているからこそこんなに気が合うんだろうなあと漠然と思っていた。
中学二年の終わりごろのある日、彼女が急に長かった髪をバッサリ切って学校にやってきた。私服の服装も、ワンピースとカーディガンみたいな感じから、Tシャツにジーパンみたいな男の子っぽい服装に変えた。他の子は「すごい大胆にイメチェンしたね~!」とか言ってたけど、私は彼女のそれが「イメチェン」なんかじゃ絶対ないことが何となく分かっていた。自分の性別についてとか、そういう話を彼女としたことは無かったけど、その時は漠然と「多分彼女は本来の自分の姿に戻ろうとしてるいるんだろう」と思った。私がロリータを着だしたとき、「うちのお母さん宝塚とか好きだからさ、そういうの着て欲しそうにするんだけど、嫌なんだよね。」とポツリと言っていたことを、何となく思い出した。髪の毛は、お母さんはもったいないから切るのやめなよ!そんなに短くしたら男の子みたいだよ!って言って反対したらしいけど、自分で勝手に美容室に行って切ったと言っていた。「そっちのほうがしっくりくるじゃん!」って彼女に伝えた。
中三の頃から、お母さんとの折り合いが悪いとかで、彼女の元気がない日が多くなっていった。私はそういうことに無理に相談に乗ろうとするタイプじゃなかったし、彼女も多分それを望んでないだろうと思ったので、元気がない日はとりあえず一緒に遊んで、彼女が家に帰らずに済むようになるべく長い時間一緒にいるようにした。ジョナサンのドリンクバーで追い出されるまで粘って、彼女が授業を休んだ分を一緒に勉強したりした(完璧に教えられるほど私が頭が良くなかったのは申し訳なかった)。一緒に夜遅くまでいると彼女の携帯にお母さんからしょっちゅう電話がかかってきていたけど、そうなると彼女は携帯の電源を切っていた。確か彼女の携帯はストラップも何もついていない、青いシンプルなソニーのやつだった。
高校生になると、彼女はだんだんと学校に来なくなる日が増えた。学校になじめないとかそういうことじゃなくて、多分、彼女が「彼女」でいることが限界を迎えつつあったんだと思う。たまに学校に来られる日はむしろ楽しそうにしていたし、学校はすごく楽しい、全然嫌じゃないって言っていた。今にして思えば、女子校で性別が一つの空間だったから、自分が男の子に対する女の子だっていうことをことさらに考える必要が逆に無くて、彼女を苦しめる色んなものから解放される場所だったんだと思う。
けど、そういうことを彼女のお母さんはどうやら絶対にわかってくれないようだった。学校の先生も「何でいじめもないのに来ないんだ」って感じだったし、周りの大人は誰もかもが、何か彼女の根本的な何かを理解してなさそうだった。私もその時はまだはっきりと彼女の苦しみを理解できていたわけではないけど、ただの思春期の悩みとか親子関係のもつれとかではないだろうことはぼんやりと感じていたし、そして多分、私が彼女のことを根本的に救うことは出来ないだろうということを感じていて、何とも言えない気持ちになっていた。私にできることはただ今までと変わらず仲良くすることだけだよな~と思って努めてそうしようとしていたけど、先生とかに「〇〇さんと仲良くしてあげてね~」といかにも不登校の子のケア的な感じで言われるたびに、そんなことずっと昔からとっくにしとるわ!と白けた気持ちになった。
彼女は結局高二高三と結局ほとんど学校に来られなかった。私はアホなりに頑張って何とか大学に合格したけど、彼女はそんな調子だったから、何とか卒業はできたけど当然現役で受験するのは無理で浪人することになって、春休みに会ったときに予備校に通うことにしたと言っていた。大学に入ってからは私も忙しかったし、彼女も親と一緒にいるのが限界で一人暮らしを始めたりした関係で、初めて半年くらい会わない期間があった。その半年の間に、私は女子校を出て男という存在に実に小学校ぶりに接触し、この世界には男と女がいてそうやって社会が成り立っていることを久方ぶりに思い出した。何なら初めての彼氏まで出来た。
そんなある日、サークルの部室でスマブラでもみんなでやろっか~ってなったときに「ゲームとかやったことある?」って何気なく男の子に聞かれて、その瞬間、「ああ、「男の子」と「女の子」っていう、こういう感じの雰囲気、あったな」という感覚が自分の中に鮮烈に蘇ってくるのを感じた。私は小学校の頃からゲームが大好きで結構いろいろなソフトを遊んでいたけど、女の子でゲームが好きな子は小学校のクラスに一人もいなかった。男の子が新作ゲームの話で盛り上がって「今日俺んちで一緒にやろうぜ!」って言ってるのを聞いて、混ぜて欲しいなあって思っていたけど、何故か言えなかった。そういう小さいころほのかに感じていた違和感とさみしさが心の中にバーッと思い出されてきた。小学生までの私はずっと一人でゲームしていてすごくさみしかったし、一緒に気兼ねなくゲームしてくれる友達がいればいいのにな~ってずっと思っていた。だから、男だからとか女だからとか考えずにとりあえず一緒にゲーセンに通って、アホほどマジアカやれたのが、あんなに楽しかったんだなあってことがようやくしっくりきたのだった。
夏の終わりころ、「引っ越し終わったから会おうよ」って連絡が来て、家に遊びに行って半年ぶりに会った。一人暮らし始めたてだという部屋はめちゃくちゃ殺風景で、唯一あるデカめな本棚に河合塾とか駿台のテキストに混ざって横光三国志とかジョジョとかいろいろな漫画がたくさん詰まっていた。プレステがない事にちょっとがっかりしたが、「浪人してるので親に止められた」って言われてまあそりゃそうかって納得した。けれど、親に干渉されない空間で前よりだいぶ生き生きしているようで安心し、それからちょくちょくまた一緒に遊ぶようになった。
最近はよくそういう話もするけれど、どういうタイミングで性同一性障害とか、FtMとか、そういう話を彼から聞くようになったかを私は何故かはっきり覚えていない。大学生になってからだというのは覚えているが、はっきりとしたカムアウト的なことを受けたのがいつだったか、記憶があいまいなのである。もしかしたらそういうはっきりしたカムアウトも無くて、「男なんだよね~」「そっか、まあだろうね~」みたいな感じで、ダラダラ喋ってるときにノリで言われたのかもしれない。どのみち、私は大学に入って自分の中で「男」という概念を思い出した時点で、ああ、彼女はやっぱり完全に「男」だったなという確信を持っていた。肉体の上での性などどうでもよく、長年一緒にいて相手のことを知りつくした結果、彼女が「女」では絶対にないということが理性を超え出でて感覚レベルでしっくりくるものがあったのである。性別というものは全くもって不思議なものだなあと思う。とにかく、大学生になってからは私の中では彼女だったあいつは完全に「彼」になった。もっとも、私は中学生のころからきっと、もともと彼のことを特別に彼「女」とも思っていなかったけれど。
けれど、「彼」として彼と一緒に過ごすようになってから、私は何回か彼のことを配慮のない言葉で傷つけてしまったことがある。例えば、「久々にプールでも一緒に行かない?」って何気なく誘ったとき。中高のときは家も近かったし、ゲームの合間にたまに区民プールに一緒に行って泳いだりしていたのだ。彼は泳ぎがとてもうまかった。けど彼は「水着が着られないから行けないよ。もうずっとプール行ってないな。」って、ちょっと悲しそうな顔をして答えた。私は、ああそうか、まだ一緒の更衣室で着替えていたあの時も、彼はずっと気まずい思いを抱えて過ごしていたんだなあと思って、そういうことにひっそりと苦しみながら誰にも言わずにずっと耐えていたことを思い、ものすごくつらい気持ちになると同時に、無神経に誘ってしまって申し訳なく思った。あとは、彼が中高の共通の友人の結婚式に出るのを断ったと聞いて、行けばいいのに!って言ってしまったとき。なんで行かないのって聞いたら、まだオペしていないから男物のスーツを着て行って浮きたくないし、何より「女子校時代の友人」って言われるのがつらいって言われて、ああそうかごめん…と思った。私の結婚式はドレスコード何でもOKで、「昔からの超マブダチ」みたいな感じでぼんやり紹介するから来てよって言ったら、それは行くわと言ってくれてうれしかった。
とにかく女として見られることがつらいので、彼は大学生になってからは名前の漢字も男の子っぽい名前に名乗り変えて(予備校で事情を説明して対応してもらったらしい)、高校を出てからは基本的に男として過ごしていた。だから、予備校で知り合った友人に私を紹介してくれたときも「高校の友達だとだけ言っといて!どこの学校か聞かれたら適当にごまかすから」と私に言った。何でわざわざぼかすの?って聞いたら、女子校出身だってバレたくないから、ごめん!って言われて、なるほどそうか…と思い、私はよく分からない共学出身の人としてその彼の友人とよく遊ぶようになった(ちなみにその人はすごく理解のあるいい人だったので、最終的には彼がFtMで女子校出身ということもきちんとカムアウトしてすっきり過ごせるようになった)。
とにかく、彼と友人として共に過ごしていく中で、私は世の中がいかにトランスジェンダーに対して無関心で配慮が無いかということを、図らずも身に染みて思い知ることが出来た。私は元々ジェンダーに対してあまり意識が高くなかったけど、彼は大学に無事合格してからはそういうジェンダーにまつわる問題に取り組むサークルに入って、この社会が抱える色々な、特にトランスジェンダーに関する問題について、私に色々と教えてくれた。「病院で保険証出してあれ?みたいになるときマジ困るんだよね~ここばっかりは女っていうよりしょうがないけどでもやっぱ嫌なんだよね~」みたいな、彼の身近な問題から分かりやすく説明してくれて全然押しつけがましくないのが、彼らしくて良いなあとよく思う。
つい最近、彼が昔の話になったときに、「一度だけ学校の先生に『自分は男なんだ』と相談したけど、その時『言ってる意味が分からない』と言われて否定されてすごくつらかった。それから中高の時にはそういうことを言えなくなってしまった。けど、お前に自分が男なんだってことを言ったとき、『やっぱそっか、私にとって〇〇は〇〇で男でも女でも変わらないけど、今度から男って思っとくわ!』とあっさり言われたのが、すごく気楽で救われた。自分の性別について否定されるのはつらいけど、逆に気を遣われすぎるのもつらいから。」と彼に言われた。私はマジで思ったことをそのまま言っただけで意識してそう言ったわけではなかったけど、そう言ってもらえたのはすごくうれしかった。これからもずっと、大切な友人として、過ごせたらいいなあと思っているし、彼を取り巻くあらゆる不利益が一刻も早くなくなるよう祈り、自分ができることをやっていきたいと思っている。
伊達政宗は目が見えなかったんだ
左翼の難癖のように思っている人も多いようなので
まず「諱(いみな)」について。
諱は「忌み名」に通ずると言われ、おいそれと呼んでいいものではない。
家臣や他の大名たちは「上総介様」「上総介殿」などと呼ぶわけである。
ちなみに、これは実際に「上総介」という官職に任官されたわけではなく、官職風の呼び名にすぎない。
後に「右府様」「織田右府」などとも呼ばれているが、こちらは正式に右大臣に任官されたから。ややこしいね。
次は「避諱」について。
これは偉い人の諱を使うことを避けるというもの。
「民部」と呼ばれていた官庁が「戸部」に変更されたりしている。
一説には「観世音菩薩」が「観音菩薩」と呼ばれるのも「世民」の避諱だとか。
古代の「大伴」氏が淳和天皇の諱「大伴」を憚って「伴」氏に改姓したことや、
「国家安康」で有名な方広寺鐘銘事件などは日本での「避諱」の一例と言えるが、
これは「そんなにも大切な諱を可愛い家臣にあげちゃうよ」というもの。
織田信長からの偏諱と言われている(家臣だけでなく同盟国の嫡子とかにも与えている)。
二文字ある諱のうちの一文字だけを与えるので「偏諱授与」、あるいは「一字拝領」という。
ちなみに、偏諱でもらった字は、名前の上のほうに置くのが基本である。
その父親の「輝宗」は室町幕府第13代将軍・足利義輝の「輝」、
その父親の「晴宗」は室町幕府第12代将軍・足利義晴の「晴」、
その父親の「稙宗」は室町幕府第10代将軍・足利義稙の「稙」、
それだけ幕府との結びつきが強いということを示している。
後醍醐天皇の諱「尊治」から「尊」を授与されて足利高氏が足利尊氏と改名したくらいである。
その元号が天皇の「諡号(死後に贈られる尊称)」になることが決まっている。
この諡号というのも、そもそもは皇帝や天皇を諱で呼ばないためのものだったりする。
いわば天皇の名前を内閣の首長である総理大臣が決めているに等しい。
もちろん安倍晋三の諱は「晋三」なので、
自分の名前が含まれるような元号は避けるのが当然だと思われる。