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2018-08-16

[]喜多七太夫長能

能楽の四座一流のひとつ喜多流の流祖。

1586年生まれ。堺の目医者の子と伝わる。

七歳のとき秀吉の前で立派な能を舞ってみせ、

「七つ太夫」と称賛されたのがそのまま呼称となった。

その後も豊臣家との結びつきが強く、

大坂の陣に参陣して真田幸村のもとで戦ったという。

戦後浪人となっていたが、黒田家などの推挙により能役者として復帰した。

特に秀忠からは寵愛を受け、能楽第一人者として活躍するうちに、

所属していた金剛座から独立を認められて

「北」「喜多」を名乗るようになり「喜多流」を創始した。

秀忠という最大の後ろ盾を亡くしたあとは、周囲の嫉妬に苛まれ

秘曲「関寺小町」を上演したときには、難癖をつけられて謹慎を命じられた。

このとき伊達政宗が家光に掛け合って赦免させたという。

また、上洛途中の桑名で馬子を殴って死なせてしまたこから

桑名藩主・松平定綱と諍いを起こしている。

次第に後継者の正能に出番を譲ることとなり、1651年に引退、1653年に亡くなった。

 
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