はてなキーワード: マイルドヤンキーとは
中学を卒業後、各地を転々としていたわけで、地元のつながりとか、仲間とか、そういったものを語るときの自分の目は、
どこか遠くのラピュタを見つめるような目をしていたと思う。
けれども、最近、仕事がきっかけで、また中学のある地域へ引っ越してきたことで、それが少しずつ、それがそうでもなくなってきたのである。
ここ半年ぐらいの生活はというと、会社に行って、プログラミングをして、帰って、またプログラミングを黙々とするみたいな感じだった。
土日も基本的には同じで、いや、酷くて、基本的にこもっている。日曜日の夜になると、カーテンをジャッとあけて、漂流してねぇな、なんて確認して謎の安心を得て月曜日に備える感じだ。
テレビもねぇ、ラジオもねぇを地で行っていて、世の中のニュースがまったくわからない。
わかるのは、カラパイアとからばQとかの世界のどうでもいいニュースばかりだ。
Yahoo!トピックスとかを見ればまだ世の中の動向がわかるのかもしれないけれど、基本的にはてなと、意外にもGunosyからのメールが入り口だ。
そんなわけで、自分とマイルドヤンキーとの接点は、ヨッピーの記事ぐらいのつもりだった。
遠い世界の話で、そういう話は聞くけど、実在するかどうかはこの目で観測するまではわからない、ってな具合で。
ところが最近、何かと中学の友達と遊ぶことが増えてきたのである。やはり、近くにいるということはそういうことなのだろうか。
自然と何かしらと声をかけられたり、誘われたりしているうちに、いつのまにかモール文化圏に入り込んでいた。
土曜日に、誘われて、一緒に田舎道をドライブして、アウトレットモールに行って(ミニバンではない)、
なにを買うでもなくぶらぶらと散歩して、公園に行って、中学の頃の思い出話をして、楽しかったねっつって。
本当は、中学は結構辛かったんだけど、浜辺の泥の中から、磨き上げられたガラス片をすくい上げるような感じで。
誘われても、最初は、たまには行ってやるかぐらいの話だったんだけれど、最近はどうも異なる。
純粋に、何か楽しくなってきたのである。そういう生活に幸せを感じ始めている自分に驚きを隠せない。
Exileも特に好きでもないし、地元!仲間!と声を張り上げて言ったりするわけでもないのだけれど、
自然と地元の仲間と遊んで、いつまでも中学の話で盛り上がって、それが楽しい。
いつどうやって東京に戻ろうか、みたいなことばっかり考えていたのに。
まぁでも、そういう暮らしって多くの日本人が昔からしてきた生き方なのかな、と思って半ばあきらめ気味だ。
自分が、そういう本能を組み込まれている側の人間でも不思議はない。父の実家は、ずっと百姓だった。父の実家に行くのが、好きだった。
見た目に関しては、ずっと髪も染めずに、地味にしていたんだけど、営業でもないし、銀行みたいな堅い仕事でもないから、
20も後半にさしかかってはっちゃけてしまった感じだ。今だったら、染め上げる金もあるし。
最初、美容室で仕事大丈夫ですかってめちゃくちゃきかれたけど、人と関わらないんで大丈夫ですってこたえた。
で、まぁそのぐらいにして、表題の件に戻るんだけど。
こんなところに自分の幸せがあるとは、気づかなかったし、自分でも自分にびっくりなんだけど。
そんなにしゃべってなかったのに、そんなやつと今頃仲良くなったりしたとかも関係あるのかもしれないんだけど。
今も定着したのかどうかはよくわからないけれど、地方出身者としては昔からそういう感じの人たちは一定数いたような気がする。
マイルドヤンキーが話題になった時にもそれは言われていたけれど。
マイルドヤンキーの話題にも絡めて「地方民が田舎から東京へ出ようとせず、地元で満足する若者が増えた」というような論調だけれど、
それは今に限った話ではないのではないか?
まぁ確かに今は地方ショッピングモールの充実や、amazonを始めとするネット通販の普及で
地方在住であるデメリットも軽減されているので、昔よりも数は増えたのかもしれない。
では、昔の人は本当にそんなに都会に憧れていたのか?
私は地方都市の出身で、地元が決して嫌いではなかったけれど、いろいろなものが窮屈で閉塞感を感じたし、
いろいろな新しいお店や、イベントごとや展覧会やコンサート、そういうのに行きたかったから、
地方都市で生活している人というのはやはり閉鎖的で、自分の住んでいるところ以外にはあまり興味がないようだった。
もしくは、あこがれはあるけれどやっぱり住み慣れた地元が一番、という考えの人が多かった。
地元が嫌いで都会に憧れる人というのはとっとと出て行ってしまうので年を重ねるとその風潮が余計強まる。
そういうずっと同じところに留まり続けている人と話していると、地元以外の世界に興味を持たず、視野が狭いと感じる事がよくあった。
自分の周り以外の世界は別の世界、という断絶というかすっぱりと切り離したような考え方。
比較的若い世代の人になると、東京にも行ったことがある、遊びに行くだけでも十分という人もそこそこいたのだけど。
やはり地元が好きで移住などは考えられないという感じだったが。
さて、東京へ出て就職してみて思った事だが、私が就職したのは別にトップ企業という会社でもなく、
ただの中小企業だったので、地方から出てきて関東に住んでいる、というよりも
今まで東京近郊(東京や千葉や埼玉など)で生まれ育ち、東京へ就職したという人がほとんどだった。
そうすると、やはり視野が狭いというか、自分の周りだけで世界が完結している人が多かった。
新宿や渋谷とかなんでもいいけれどそういうテレビによく出るような都市がこんなにも近くにあるのに、
かえって地方の人たちのほうが、テレビの向こうのあこがれの世界という感じで興味を持っていたような気すらする。
私はこの視野の狭さや自分の周りにいる人がすべてというような考えが好きではなかったし、
自分の周りにいる人や自分の常識がすべてだという思い込み、他人が自分と同じ考えであって当然、だとか
自分の習慣や風習を押し付けるような感じ。あまりうまく説明できないけど
でも、ある日ふと思ったがそれが普通なのではないか?
そこそこ働いて、子どもを育てて社会生活を送る上で他の世界の事なんて知ってどうする?
自分の周りさえ快適であればそれでいいのではないか?
難しい事は考えず、ただ自分の狭い世界だけで生活していければ、穏やかに一生を終えられるのだ。
だから、相容れない価値観は排除して綺麗な世界を作ればいいのだ。
地方から単身東京へ出てきて働くという人と、もともと東京住みなので東京に就職しましたという人では
東京で働くという事に対しての認識がすごく違うというのはずっと感じている。
★「自分は美しい」と回答する女性の比率は、世界平均は68%だが、日本だとわずか18%しかいないらしい。
日本女性の「自己評価の低さ」が、そのまま日本女性の極端な痩せ願望に繋がり、妊娠力を毀損する。
★20代の若者に対して「『子の親になれる』という自信は、あなたにはありますか?」な質問を投げかけると、多分世界と日本とで極端に違ってくるのでは?
日本では「自分は親になる自信がない」な若者が過半数で、それが少子化の一因じゃないかと推測する。
★「出生数と年収」は、低年収層では正相関かもしれないが、高年収層では正相関じゃない気がする。
むしろ、「あなたは幸福ですか?」という自己満足度と、出生率が正相関なんじゃないか、と思う。
★多分、「あなたは幸福ですか?」な幸福度アンケートだと、「都内の年収900万プレーヤー」より、「地方の年収400万マイルドヤンキー」の方が、幸福満足度は高いんじゃないかと思う。
そして、出生率もそれに比例している。
「同期は1,000万円の大台に達したのに、何故俺は900万円のママなんだ!!」と不幸をこじらせていたりする。
「大台に達するまで、子作りはお預け」とペンディングし、数年後に大台達成した時には奥さんの妊娠力が低下して子供できず、というオチ。
春が好きだ。声を大にして言おう、春が好きだーーー!
君が好きだと叫びたい!晴子さん晴子さん!
女子「ねーねー、1番好きな季節って何?」
なんて、キャッキャ言いながら季節ランキングを聞いてくるそこの女子よ。
あ〜かわいい。あーいとおしい。う〜んそうだね。
春を愛している今の僕に好きな季節なんて愚問だから、1番好きな果物ランキングにしよっか!うん、いいよね。
女子「いちごかなぁ、それとも巨峰かなぁ、・・・あ、メロン忘れてた♡」
いいんだよ、悩んで、逡巡して、ぐずぐずと迷ってまよって、たまに熟れちゃって。
ちょっと舌が痺れるくらいのデラウェアちゃんに君がなってくれるなら、僕は石の上にも三年、山本昌は現役32ネン☆
その悩みを読みきって満を持しての桃が登板しまーす。桃最強説。
女子「えっ、このタイミングで桃なんてずるぃよー☆」「もう!桃は反則ぅー!」
UNOでドロフォーを喰らったような、オマリーに角光男をワンポイントリリーフで当てられたような
とにかく困った顔をしたかわい子ちゃんが、そんな戯言を言ってきてたって、時既に遅しピーチマロン3年→柿8ネン☆
いや、ちょっとまって!ジブン、春だからって浮かれすぎてナイ!?
恥ずかしいけど言うよ。言わせてよ。
若かりし頃の僕はなんて答えていたと思う!?
驚ろくなかれ。「冬」と答えていたんだよね。
いま、なんて言った若いの。理由はなんですかって!? the reason why!?
特に男たるもの、そのロジカルでロジスティックスな知的体育会系な一面を
見せないといけない。わかったよ、せかすなよ言うから、もう言うからさ。
冬が一番だった理由は
「夏は脱いでも脱いでも暑いけど、冬の寒さは着込めばなんとかなるから」
ねえ聞いた!?おい、そこの烏合の衆の皆様、ご拝聴誠にありがとうございます!
バカだねー!!我ながらヘドがでるね、この嬉し恥ずかし蒙古斑BOYよ。
そんな若かりし頃の蒙古斑には、さすがの佐川男子も真っ青。西濃運輸中年への期待はキンモツ☆
あ〜!!ごめんごめん違う違う。
ほら、いつもはおとなしい僕だって、こんな積極的で晴れやかに楽しい気分になれる!
春がナンバー1シーズンでいいと思うんだ。いいよね、だからそんな可愛い娘ちゃんが
出来心で適当に聞いている好きな季節ランキングなんて愚問は、春一択で決まり☆
はい、解散解散〜!
いやだ。ヤバいことに気づいちゃった
ねえ、この春の楽しい気持ち。
先発が山本昌で勝ったから、すっかりマサのおかげだと思ったけど、
実はマサは3回で降板していて、ロングリリーフで角光男が3回〜7回くらいまで投げてて・・・
まさか、ゴールデンウイークのゴールデンは角光男の”光”・・!?
春という季節を愛する自分。華麗かつ高尚な自分を味わうために書き始めたのに、こんな終わり・・・
このままじゃ、GW最高で〜す☆なんて言いつつ、空港でワイドショーのインタビュー受ける一般の愚民たちと同じ。
だけど、これは抗えない結果。
春を後押ししているであろう、ゴールデンウイークの力投に拍手をせざるを得ない。
ああ、わかったもういいよ。ぜんぶ飲みこむ。
一般人マイルドヤンキーその他大勢と、俺は一緒なんだろわかってるよ。
だから2つだけ言わせてくれ。
春最高。
先日親類の墓参りに行った。
新しめの霊園で、その親類の墓は
自分にとっては一般的な「○○家代々の墓」ってタイプのだったんだけど
「絆」とか「感謝」とか書いてあるのをちらほら見かけて面食らう
誰がこんな墓にするんだろう。洋式墓ってなんかモダンでいい感じ
それにしたって「絆」とか「感謝」って、J-POPじゃないんだし
今どきは墓までキラキラかよと、正直心のなかで思った。
今まで「死」という現象を全く意識してなかったんじゃないのかなあと。
で、突然我が子の死に対峙して色々悩んで泣いて悔いて責めてとか色々あったんだろうと、
でも、主に時間的な、次に予算的な数々の妥協を受け入れていく中で
どこにでもある何者でもない感じで切ない
我が子にオリジナリティのある命名をしたつもりが
常日頃から思っていたけど、墓というのも
とても恐ろしい。
自分の死んだ後ってのも気になるんだけど
それよりもまず、親しい人たちを今後どう見送るべきかってのを
最近「地元好き」と言うのが流行って来てるのに対し、マイルドヤンキーとか言って必死で貶めようとしているのも
むしろ東京叩きが流行りものとして存在する2chの方が特殊(彼らは単にマスメディアに反発しているだけかもしれんが)。
以前マイルドヤンキー論が流行るのは東京ブランドの失墜の裏返しではないか、的な事を書いてた増田がいたなあと思って検索したら出て来た。
http://anond.hatelabo.jp/20140513095138
元増田のブコメで「東京が叩かれるのが悔しい」的な事を言ってる人がいるけど、
これも一昔前なら有り得なかった感覚だよね。
昔は地方の方が圧倒的に下である、と言うのが東京人にとっても地方人にとっても当たり前の共通認識だったから
多少東京をdisってもかっぺが何かいってらーpgrで終了だった。
それを本気で気にする人が出て来たというのは、それだけ地方の地位が上がった(と言うか東京の地位が下がった)からなんだろうな。
「男性差別」に構図が近いかも。
いつも疑問に思う事だが、○○離れについて周りを見渡しても見た事が無い。
都市部に出ると若い人が軽やワゴンを乗り回してる場面に遭遇するし、
企業説明会では普免必須が常態化してるので、恐らくクルマ離れ等と主張するには何か理由があるのではと思う。
きっと、専門家たちは〇〇離れを作ってそういう市場を作りたいんじゃないか。
実際、一昨年まで若者のクルマ離れを謳っていたのに、去年そして今年には新聞でホンダ車が前年比増加したという記事が出ていて
少なくともクルマ離れをしているという確固たる根拠もなく主張されてたのがよく分かった。
要するに「若者の~」にする事が専門家たちの主張なのであって、〇〇離れにはさして関心がないのである。
何となく○○離れを用いる事で現在の若者事情に精通した振りがしたいのだ。
マイルドヤンキーが増加している、という話がある。
しかし、登場する自称マイルドヤンキーに対して、筆者は普通のヤンキーとの違いに一向に理解を示せない。
それもそのはずだ、テレビや雑誌のマイルドヤンキー論はあくまで一部のヤンキーファッションに憧れる一般人を対象にしたものであって
実際は、マイルドかどうかなんて問題とは考えていないのである。
だからヤンキーなのにマイルドなどという矛盾が生じているのだ。
基本的にヤンキーは反社会的な人間であるので、テレビや雑誌に登場するようなクラブに行ったりBBQをしたりなんて一般的な事は行わないものである。
これはテレビや雑誌が印象操作で暴力団は必要悪だと主張するのと同じ事である。
要は、若者はこうであると主張したい老害の懐古主義によるアンチテーゼでしかない。
その主張のために矛盾が生じてしまっているのに未だ根拠なく主張し続けるのは、この老害たちが最新の情報の中心である若者に嫉妬しているからである。
う~ん
IT系のページについてるブコメと、料理のページだとか、政治系ニュースについてるブコメは全然雰囲気違うし、層も違いそう
全員が「自分が平均より高い知性を持っていると信じてる」ような節は感じてるけど
そりゃ勿論そうなんだけどさ、やはり「はてな民」と聞いて皆がイメージする典型ってのはあるよね。
どっかで「地方民をマイルドヤンキーと呼んでやたら敵視するのは、自分の方が賢いと思ってるのに彼らの方が幸せそうに見えるから嫉妬しているんだ」説を見て
いやいやそりゃないわと思ってたけど、それが正しいのかもなあと思いつつある。
「マイルドヤンキー」(自体が実態が伴うか怪しい単語ではあるけど、そこからイメージされるもの)より収入も社会的地位も低い人多そう。
専業主婦もやたら敵視していて、これも以前は専業主婦=「ブランド服着てデパートで買い物して一流レストランでランチ」的な
有閑マダム(それ現実にどんだけいんの)しか発想せず嫉妬してるのかと思ってたけど
「しまむら着て家で茶漬け食いスーパーのセール品しか買わない」みたいな貧乏専業主婦でも嫉妬してるのいるもんなあ。
実際口では「男に頼らず自立している女になりたいからワーママを目指すアタシ」なんて事を言いながら
よくアニメやゲームの暴力シーンやエロシーンが子供に悪影響をどうこうって話あるよな。
ネットじゃ脊髄反射的にそんなバカな話があるかって反応帰ってくるけど、
そんなことをふと思ったのは、修論発表会も終わって、ちょっと余裕できたからアニメでも観ようと思って、
TUTAYAでふしぎの海のナディアを全巻借りてきてオールで一気見したから。
やっぱこれ名作。
25年も前の作品とは思えない。
OPで真っ青な空を背景に白鳥が画面内に飛び込んでくるシーン、
「あ、美しいってこういうことなんだ」
と子供ながらに思った、あの気持ちが鮮やかに蘇った。
もし小学生のころに、ナディアを観なかったら、今の自分は無いだろうな。
ジャンを見て、そうか、こういう男が物語の主人公になるんだ、と思ってから、電子工作にハマって今に至る。
一方、俺の隣で毎週一緒にナディアを観ていた妹は、ナディアみたいな女になりたいと思ったのか、
自分は卑弥呼の生まれ変わりなのだと思い込んだらしくて、家中に謎の呪符を貼り付けていたが、
気がついたら不登校児になっていた。
最近はマイルドヤンキーだかなんだか知らないが、そういう文化圏で男にサファイアを貢がせている。
これはこれで立派なもんだ。
俺達は極端な例かもしれないけど、やっぱり子供の頃に観たアニメって子供のその後の人生に多大な影響を与えると思う。
でもそれは、ただの暴力描写とか、残酷描写とか、そういうんじゃなくてさ。
ようは、感動、なんだよな。
自分に感動を呼び起こしてくれた何か、が子供に影響を与えるんだ。
ごく平凡な子供は滅多なことじゃ感動しないだろ。
「感動」を取り締まればいいと思うよ。
自動車なんか興味無いどころか車オタきめええええええ^^;とか思ってた新社会人。
でも配属が郊外になるから車必須で、親が買ってくれることになった。
フィアット500(ルパンの影響)、シボレーカマロ(トランスフォーマーのry)、
アウディTT(ほんとはR8)、スカイラインクーペ(インフィニティ顔はあれだけど)などなど、
乗ってみたい車はあるけどまずは手頃なところから。
そうすると国産の大衆車かなって思って見繕ってたら、ホンダのヴェゼルが気に入った。
クーペとsuvのクロスオーバーとか好みすぎる。インテリアも落ち着いた色があって超良い。
なにしろ、値段の割にある高級感で、ワゴンだのミニバンだのと差別化できる。
郊外に生息しているマイルドヤンキー()と一緒にされてたまるか。
待ちきれなくて一日中ググってる。
こんなことしても手に入るのは先なんだよーーーーーーー