はてなキーワード: パズドラとは
ドラコレ以来絵柄を変えただけのポチポチゲーが生まれては消えていったが
たとえばレアの上にスーパーレア、その上にダブルスーパーレアが追加になり、レジェンドレアやウルトラレアなんてものも後から後から追加され
お金をかけて集めたカードが半年後には紙くずになるという文字通りのインフレが起きている。
同じようなゲームばかりが量産される中だからこそパズドラが流行ったんだろう。
一応課金要素はあるが、無課金でも十分遊べることが広い層から支持されてるけど、最近の流れをみてるとどうも雲行きが怪しくなってきた。
課金はしていないがかなり遊んでるゲームなので、パズドラの今後が不安だ。
無課金でもモンスターが集めやすい、虹の番人という強力なモンスターが使える、属性的に不利なダンジョンがない、
などの理由で序盤にまず目指すべきパーティとして注目を浴びた。
耐久力を伸ばすリーダースキルがなかったが、ルシファーの登場で耐久パを組めるようになった。
無課金でもモンスターが集めやすく、6.25倍という強力な攻撃力が得られるので人気がある。
ドラゴンタイプは育成に経験値が多く必要なので序盤は辛いが育ててしまえばかなり強い。
スキルに幅が出ないのと耐久性、回復力に欠くので高レベルダンジョンではきつい。
やられる前にやるというパーティだが、敵の耐久インフレの前には火力不足になりつつある。
不遇だったエジプト神の性能が修正されて攻撃力9倍、12倍、16倍という超攻撃型のパーティが組めるようになった。
攻撃力もそうだが、このパーティーの最大のメリットは属性さえかぶらなければ、どんなモンスターでもパーティーに組み込めるということだ。
有用性の高い威嚇、防御体制、ギガグラビティ、鉄壁など、「やられるまえにやる」という方針を最大までサポートできるスキルで敵に挑める。
攻撃力インフレによって、被ダメージは6万とか8万とかになって、どんなパーティを組んでも攻撃を食らってしまうと負け確定というゲームになってきた。
また、HPインフレによって敵のHPが200万とか300万とかになって、普通の攻撃力じゃ倒すのは不可能じゃないが、なんどもコンティニューするのが前提、という風潮になってきている。
よって、ボス戦の基本的な方針は
割合ダメージ技でHPを減らす→「威嚇」で攻撃までの時間を稼ぐ→緊急時には「鉄壁」で敵の攻撃をしのぐ
という、いかに攻撃を食らわずにこちらの攻撃ターンを稼ぐか、いかに少ないターンで戦闘を終わらせるか。
もっというと石(一個85円)いくつでクリアできるか。というゲームになってきている。
イシスでは力不足になり、発動条件は厳しいが攻撃力30倍をたたきだせるラーが見直されてきている。
エジプト神はガチャでしか手に入らない(一応無料で引けるが運が必要)ので、
無課金で目指せるパーティはHP満タン時だけ攻撃力9倍のゼウスパ、HP20%以下のときに攻撃力25倍になる五右衛門パが主流である。
ただ、最近敵がゼウス潰し(先制攻撃)、五右衛門潰し(火属性10ターンバインド)のスキルを使ってくるようになってきた。
結局、パーティ編成しながら戦略を考えるのではなく、「いかに石の消費(コンティニュー)を少なく抑えるか」が基本的なスタンスになってきているので
新しいダンジョンでもコンティニューを最小に抑えるためには特定のパーティで挑むしかなくなってきている。
今思えば自分で考えてパーティ組んで試行錯誤したり、「このターンで回復ドロップ消しつつ4コンボ以上しないと死ぬ!」というギリギリの戦いをしていた頃が一番楽しかったなあ。
先日、本を読まない人を見下していると書いたところ思いのほか反響があり驚いています。
話は変わりますが、私は課金ゲームにはまるような人を見下しています。正直言って、頭の中がお花畑でいらっしゃるのかと疑いたくなる。友達になりたくない。
課金ゲームという単語が正しいのかわかりませんが、いわゆるパズドラとか、グリーとかDNAさんたちが出しているようなゲームのことと思ってください。
お金を払って対価を得るというのが基本だと思っています。払った金額に対して、得た物の価値が低く感じると、私はとても残念な気持ちになるのです。
課金ゲームというものは、払った金額に対して、得るものといえば、ポイント?みたいなものでしょ? よくわからないのです。ゲームによって違うのかもしれないですが、課金するとコインが増えると仮定しましょう。
それって、携帯の画面で数字が増えるだけってことですよね? お金を払ってまですることなのですか?
そもそも、ゲームにあけくれて、クリアーしたい一心で課金しまくる人というのは、何がしたいのでしょうか?
私が思うに、ゲームをクリアーするという達成感を味わいたいのではないでしょうか? つまり、現実世界で何かをやり遂げた経験が少ない、もしくはやり遂げられる自信がないのではないでしょうか?
ゲームの世界なら、金さえ積めば、プレイヤーの攻撃力があがりコインが増える。そして、強いドラゴンみたいなものを倒せる。自分がヒーローになれる。
でも現実世界では、自分は何ひとつやり遂げることができない。やり遂げた経験がない。
そういう人が多いのではないでしょうか?
もう一つ言えば、やはりお金を払って何も得れない課金というのは、経済的に(家計的にという意味で)無駄すぎる行為です。それをしてしまうような人の金銭感覚がしれません。
100円や200円かもしれないですが、200円あればイオンなら500mlのジュースとお菓子が買えますよ。ブックオフで本を買えますよ。(アフリカではry) それをただの仮想空間の数字のために…理解できないですね。
課金ゲームにはまる人との価値観の相違を認めましょう。そういう人がいることを認めますし、やめろとは言いません。そういう人の中にもいい人はいて、一概に達成経験の欠如や金銭感覚の欠如が理由だとはいいません。
しかし、生理現象として、課金ゲームをしているのを知ると、こいつヤバイと思ってしまいます。ごめんなさい。正直言って、見下している自分がいます。
でもこういう人がいるから、経済って回ってるのかなとも思います。つまり、課金する人も実体経済のプレイヤーなんですよね。なるほど、見下している場合じゃないですね!感謝しなくちゃ! って価値観の相違を認めてみました。
ほな、さいなら!
http://anond.hatelabo.jp/20130528120421
ちきりんや藤沢数希が質が高いとか冗談でしょ?日本中探してもあんな質の低い文章書く奴はまず出会えない。褒め殺しならそう書かないと伝わらないよ。
http://anond.hatelabo.jp/20130528124814
これ本気で悩んでるけど解決案が全く見つからないんだよね。啓蒙で何とかなるなら2chから転載禁止されたブログは潰れてるはずだし。
さらにタチが悪いことにマスメディアもそれを追っかけてる。特に日経の劣化が酷い。パズドラ2というデマとか。
俺自身がどうかというと、アクセス増えるのが嫌になってブログ書くのをやめた。アクセス集中する記事ってだいたい文意が取れてないトンチンカンなコメントが付くし。読む側のスキルが低すぎるんだよね。
2ヶ月ぶっ続けでやって、不定期開催のゲリラ、スペシャルを除くひと通りのダンジョンをクリアした。
一度始めるとクリアしないと気が済まない性分だから本当に集中的にやった。
GWもずっとやってた。
今後はクリアしてないダンジョンが出てきたら、初回クリア時にもらえる魔法石(レアガチャで必要なやつ)のためにプレイする感じになると思う
無課金でも確かに最後まで行けるね。2ヶ月楽しませてもらったわ。
なんだかんだですっげー人気があってCMも打ちまくって株価も爆上げするようなアプリってこういう感じなんだなという勉強にもなった。
あとパズドラはソーシャルゲーって言われてるけどそうじゃなくて、実質シングルプレイだったから気楽だったし。
相手に拒否ったことが伝わったら気まずいとかも考えなくていいしね。
「現在ログイン中のフレンドだけを冒険に連れていける」っていうシステムになってたらソシャゲなんだろうけどそうじゃなくて、ログアウトしててもフレンドが勝手に自分を使ってくれるような仕組みになってるのは社会人にはありがたい。
コミュ障には親切な作りにもなってて、フレンド申請拒否を一切のコミュニケーションを取らずに行えたし。
さーて次は何をしようかなー
パズドラの人気の理由をいろいろググって集めた。
どの理由も間違ってないが、他の多くのスマホゲームにも似たような特徴やシステムがあったりする。
これらはパズドラだけが圧倒的なセールスとダウンロードを記録し維持し続けている理由をいまいち説明しきれていない気がする。
パズドラの人気の理由は、上記の多数の理由にさらに以下の2点を加えたい。
オンラインゲームはリアルタイムで同時にプレイしなければ他の誰かと協力することができないものが多い。
パズドラはフレンドとの協力にリアルタイムでの同期が必要ない。
異なる時間にログインしても助っ人としてフレンドを選んで協力してプレイすることが可能。
リアルタイム性を強制させないことでライトユーザーでも自分のペースでゲームをプレイすることができる。
時間に縛られないので、待ち時間や休憩中に起動してプレイの途中で閉じても何の問題もない。
もしパズドラがフレンドと同時にログインしていなければ協力できないシステムだったら、ここまで多くのユーザーを取り込むことはできなかったかもしれない。
オンラインゲームはランキングや勝敗などのプレイヤー間の競争を強制するものが多い。
しかし、プレイヤーを競わせる手法はヘビーユーザーや廃課金者だけしかついていけない場合が多い。
パズドラはゲーム側がプレイヤーに競争をさせるコンテンツがないのでライトユーザー層にも受け入れやすい。
また、勝敗を競うゲームは一般的に女性ユーザーから敬遠されることが多い。
プレイヤー間の競争を強制させないことでライトユーザー層や女性ユーザー層を多く取り込んだ。
結論。時間の緩さと競争のない緩さはパズドラ人気の核心的な理由であり、他のオンラインのスマホゲームにはあまり見られない特徴。
最近iOS、Android向けの「神界のヴァルキリー」というゲームをやっている。いわゆる「ソーシャルゲーム」に属するもので、数百枚に上るカードを武器に一本道のシナリオをこなすというタイプのゲームだ。これが最近バージョンアップしたのだが、その中で、今まで無制限に上昇可能だった能力値を19999に制限するという措置がとられることになったのだが、ところが、この際に既に制限値を超えたプレイヤーに付いては値を引き下げないと発表した。まだ始まってそれほどでもないゲームだが、このために、スタートダッシュでアイテムを購入して能力値を上げた一部のプレイヤーが事実上最強の状態にとどまることになり、単に強いだけならともかく、ランダムマッチのPvPや魔女を倒す協力プレイがあることなどから、プレイヤーの間で反発を買うことになった。通常こうしたゲームでは、最初にある程度制限を行い、徐々にそれを解放していくのだが、サービス運営側はなぜか最初に制限を設けておらず、その点は十分問題がある。ただ、これは、そもそも運営の問題ではなくて、ゲームの仕様の問題ではないかと思うのだ。
先日App Annieというサイトが発表した数字で、日本のガンホーによるパズルズ&ドラゴンズが売り上げ一位になったと話題になった( http://blog.appannie.com/app-annie-index-social-networking/ )。ここで二位になり、その前までは一位だった"Clash of clans"は、日本で流行っている(とされる)カード収集型ソーシャルゲームとは全く違う。プレイヤーは防衛用に街を作り、兵士を生産し、その兵士でゴブリン村攻略のシナリオを進めたり、ランダムマッチのPvPを行う。いわゆるFree2Playなので、参加は無料だが、ゲーム内通貨であるGemを有償で購入することでゲームを優位に進めることが出来る。ただ、ゲームに出てくるキャラクターはバーバリアンだとかアーチャーだとかごく普通のものが10種類ほどあるだけ、街作りも壁や砲台を立てる地味なものだ。ゲーム開始当初の難易度は高くなく、設備や兵士の生産は短い時間で出来る。レベルが上がれば利用できる設備も増え、その代わり時間もかかるようになる。基本的に無料でも進められるが、Gemを利用するとこれらの生産が短時間に行えるようになるという仕組みだ。逆に言えば、Gemにはそれしか機能がない。レベルが上がると街作りに必要な条件が厳しくなるのでGemが必要だが、それ以外は特に利用することもない。ランダムマッチもレベルに合わせて行われるし、選択権もあるので、突然強いプレイヤーを倒さなければいけないこともないし、そこからの修復も簡単に出来る。要するに、金をかけた所で、他のプレイヤーを圧倒することはほとんどないのだ。
その一方、「神界のヴァルキリー」や、それに近いゲーム(この前に「海賊ファンタジア」という、同じくカードの強さがものを言うゲームもやっていた)は、金をかけた分が、そのまま強さに反映する。通常入手できるカードはほとんど能力が無いに等しく、R(レア)とかSR、HSRと呼ばれるカードを入手するかしないかが、プレイヤーのゲーム進行を左右することになる。「神界のヴァルキリー」に至っては、強化用のアイテムも有償で購入することも出来る。強力なアイテムの入手はプレイヤーのレベルと関係なく機能するため、ゲーム開始時点からいきなり最強になることも可能だ。
こういう仕様は一見筋が通っているように見えるが、課金システムとゲームが強く絡んでいるため、一歩舵取りを間違えるととても面倒なことになる。レベルの解放やカードの入手率の変更が、そのままダイレクトにプレイヤーに影響を与え、どういう変更を施そうが、大抵の場合に有利/不利がどこかで発生してしまう。発生するだけならまだしも、有償サービスの利用者まで巻き込んでしまうため、センシティブな不満が出やすくなる。つまり、ゲームの仕様変更で不満が出るのは、単に「運営が悪い」という話だけではなくて、ゲームの根本的な所に欠陥があると思わざるを得ないのだ。
正直言って、こういうゲームばかり開発されている現状は、少し心許ない。パズドラをやれば認識は変わるのかもしれないけど、それでも、しばらくこの波は止まりそうも無いし、こうした欠陥に気づかない限り、残念ながら疲れるような騒動はしばらく続くのだろう。
センスのない人
「センスのない人」が嫌いです。いわゆるファッションやカルチャー的なセンスのことではなくて、いろんなことをうまくやる能力、くらいに捉えてもらえればいいと思う。私が勝手にその能力を「センス」って呼んでるだけの話です。
例えばバス。そこそこの混雑具合で、運転手(「サービス・クルー」とか言うんだっけ)が車内アナウンスを使って「混み合いますので置くまで詰めてください」みたいなことを言っているのにも関わらず、出口ドア付近でピタリと止まって動かない人。センスが無い。最初のバス停で降りるならわかるけど、降りない。で、ボトルネックになる。会社やらプロジェクトでもきっとこの人はボトルネックになってるんだろうなって思う。
例えば電車。バスと同じくドア付近。もう書くまでもないと思うけど「お前そこに立たないと死ぬのか?」と聞きたくなるくらい必死の形相でドア付近を死守する人がいる。センスが無い。一旦降りろ。できるだけ詰めろ。人の流れというものを無視すんな、と思う。
あとスマホを必死で操作しながら前を見ずに歩く奴。パズドラで何コンボ出してるのかしらないけど、かわせないなら前を向け。全体的なペースに合わせて歩けない奴(おじいちゃんおばあちゃんとか身体障害者の方は別ね。当たり前だけど)。
こういう「センスのない人」が世の中をちょっとずつ生きづらくしているんだと思う。どうしたらこういう人を駆逐できるのか、日々思案しています。だれか教えて。
ハマり過ぎて怖かったから。
リセマラ(リセットマラソンの略。最初に1回だけ無料でできるレアガチャでいいモンスターが出るまで何度もアンインストール→インストールを繰り返すこと)まで始めるに至ってヤバイと思った。
でもよく考えれば(考えなくても分かるはずなんだけど)、本末転倒なんだよね。
ゲームを始めるための準備を楽しんでるっていう状況。いやそれもありっちゃありなのかもだけど。
もともとiPhoneアプリだと、ちょこっとRPGシリーズも1週間~2週間くらいで終わらせるくらい短期集中クリアするタイプ。
そんな感じでクリアしないと気が済まない人間にとってはパズドラはほんときつい。
普通に戦ってればそれなりにレベルが上がって進みやすくなるゲームと違って、モンスターのレベルがなかなか上がらずに先に進めない。
ストーリーもない。
助っ人が強ければ進めるという他力本願(※「確信犯的」誤用)な進め方がいいらしいんだけど、それだとイマイチ楽しくない。
そこで、自分の力でガシガシ進めるにはリセマラで最初からいいモンスターを入手することが近道と判断するにあたって、リセマラを始めてた。
リセマラ自体も楽しいといえば楽しいけど、貴重な時間を浪費しまくっていいモンスターが出て先に進んでクリアできたとしても、ちょこっとRPGなんかの比じゃないくらいの徒労感にさいなまれることは確実。
普段はモバゲーとかのソシャゲもやんないけど、ハマる人の気持ちが分かる気がした。
増して小・中学生とかならめちゃくちゃハマるのもわかる。
フレンド申請、承認とかも相手に気を遣わなくてもいい(ネトゲみたいなあいさつ、メッセージのやりとりが一切不要)のも、コミュ障にうってつけ。
がっつり据え置きゲー、あるいは携帯機ゲームまでやる気力はないけど、これくらいのライトなもので達成感が味わえるならということで安易に手をだすと、予想以上に危険。
・・・だとわかっていてもなんかやっちゃう、これがパズドラ廃人の気持ちか。
iPod touchですらコレだからiPhoneなんか持っちゃった日にはほんと手から離せなくなりそうだったわー。ipodでよかったわー。
プレイし始めたきっかけ は App Store で売っていたのを見たのか、ネットの記事を読んだのかどちらかだと思うが覚えていない。
ただ人気が出ているということは知っていた。
人気の高さから当初2011年頃にリリースされたものだと勘違いしていて、購入時点でリリースされてから1、2ヶ月しか経っていなかったことを知ったのは大分後になってからだった。
まさか1年間ほぼ毎日ゲームを開くことになるとは思わなかった。
何がこのゲームをここまで魅力的にさせるのか?
自分なりに考えた結果をここにまとめておく。
本当は自分のブログに書こうと思ったが、最近のブログの方向性とかなり異なる内容のため増田に書かせてもらう。
長文を読みたくない人は以下の要約だけ読めばいい。
実力と運のバランスがほどよく、課金により圧倒的優位に立てるわけでもないのでユーザは公平感を感じてプレイできる。
覚える要素が少ないため、少しブランクが空いてもすぐにプレイに復帰できる。
魔法石という課金通貨を頻繁に配布するため、ユーザは常に課金時と同様のユーザ体験をしている。
そのため実際に課金したときに期待するユーザ体験と実際のユーザ体験にギャップがなく、不満を感じることがない。
システム障害時にもお詫びとして魔法石を配布するため、普通は大きくユーザ体験を損なうようなシステム障害が逆に良質なユーザ体験を提供する機会に変わっている。
常時開催されるイベントにより、単調になりがちなパズルゲームを飽きさせない運営の工夫がなされている。
著者のスペックは以下の通り。
このゲームのいいところは、あまりモンスターが強くなくても、パズルの腕と、落下してくる玉の色の運次第では割と勝ててしまうところにある。
実力だけでもそこそこ勝ててしまうからパズルの腕を上げて勝ち上がるというプレイも可能だし、運だけでもたまに勝ててしまうのであまり頭を使わないギャンブル的なプレイもできる。
パズルの腕がよく、かつ運がいい場合だとかなり難しいエリアでもクリアできてしまう。
逆に若干格下のエリアをプレイしていていも、気を抜くとたまにやられてしまう。
札束で殴るゲームなど揶揄されるように、ソーシャルゲームにはとにかく課金すれば誰でも勝てるという印象があった。
パズドラは課金だけでは勝てないようなゲームバランスになっている。
例えば課金専用のモンスターガチャ(ランダムで強力モンスターを入手できる仕組み)でしか入手できない「神」タイプという種別のモンスターがいる。
これらは確かに強力だが、決して最強ではない。
パズドラではモンスターでパーティを組むため、やみくもに強力なモンスターだけを使うよりも相性のいいモンスターで編成した方が強力なのだ。
また、たとえ強いパーティを作るとしても、ある程度のパズルの腕がないと結局勝つことができない。
実力のみのゲームだとプレイヤーとしての腕を上げ続けなればならないのでずっとプレイする必要がでてくる。
逆に運のみだとただのくじびきと変わらないので、ギャンブルに興味がない私はすぐ飽きてしまっただろう。
課金したからといって実力も運が無関係にならないというところも魅力的だ。お金で簡単に強くなれるゲームなら努力してプレイしようと思わないだろう。
このあたりの「公平さ」も魅力の一つである。
パズドラは覚えなきゃいけないことが少なく、ちょっとブランクが空いてもすぐに遊べる点が魅力だった。
大作RPGや複雑な話のノベルゲームは途中でブランクを空けると設定や伏線を完全に忘れるのでもう話についていけなくなる。
シミュレーションゲームはパラメータの意味や敵味方のユニットのスペックなどについて全て把握していないとまともなプレイができない。
FPSはスポーツと一緒なのでプレイし続けないと腕が落ちてやっぱりまともなプレイができない。
そういう「ゲーム疲れ」を感じて近年あまりゲームをプレイしなくなった。
かといっていわゆるカジュアルゲームのようなあまりに単純なゲームだとすぐに飽きてしまう。
このゲームで覚えるべき情報量は自分にとっては楽に記憶しておくことができるレベルだったので、仕事で忙しくブランクが空いてもすぐにプレイに復帰できた。
パズルの方法と所持モンスターの能力、あとは目標とするプレイフィールドの難易度を把握するだけでプレイができる。
モンスターの能力も、HP、攻撃力、回復力、スキル、リーダースキルの5つしかないので覚えやすい。
ガチャやコンティニューなどを行うには、「魔法石」と呼ばれる課金用通貨が必要となる。1個60-85円ぐらい。
私が驚いたのは、この魔法石をこれでもかというぐらいばら撒くことにある。
まず、毎月のように行われるイベントで魔法石がプレゼントされる。
1日1個が1週間から10日ぐらい続くので、月に大体5-10個近く入手することができる。
それだけでなく、パズドラではシステム障害時にもお詫びとして魔法石をプレゼントする(通称詫び石)。
障害の規模にもよるが、大きな障害のときは10個もまとめて配布する。
私にとって何より衝撃的だったのがこの「詫び石」システムである。
この運営方法により、ユーザである私はシステム障害を期待するようになってしまった。
こんなことは業務システムでは全く考えられない。
通常業務システムにおいて障害が発生した場合、ユーザは苛立ち、怒りの電話やメールを運営者にぶつけてくる。
ユーザにとってシステムが稼動し続けることは当たり前のことであり、障害などもっての他なのだ。
運営側は障害により若干の収入が減るかもしれないが、UX(ユーザ体験)を下げるどころか上げるということに成功しているのだ。
私のような無課金のユーザでも、常に手元には魔法石が余っている。
だから、課金ガチャを回したりコンティニューしたりということが気軽にできる。
これが何を意味するかというと、課金した状態のUXがゲームプレイにおける日常として組み込まれているということである。
もし私があるとき気が変わって課金をしようとしたときでも、課金したらどういうユーザ体験が待っているかを課金する前に十分把握しているのだ。
期待するUXと実際のUXのギャップが非常に小さいため、課金しても不満を覚えることはないだろう。
もっとも、この驚きをゲーム開発会社に勤める友人に話したところ、「今のソーシャルゲームでは当たり前」と言われたので昨今のゲームに詳しい人には驚くことではないのかもしれないが。
もう一つ、私が驚いたことで友人に「それも普通」と言われたことがある。
パズドラでは常にイベントを開催していて、イベントが開催されない期間が存在しない。
現在だと常時最低でも2つのイベントを同時開催していて、これらは月曜に開催され、2週間行われる。
開催期間は2つのイベントで1週づつずらされているため、ユーザからは毎週新しいイベントが開催されているようにみえる。
ゲーム自体はパズルを行うだけのシンプルなものなので、こうして工夫で飽きさせないようにしているのだろう。
先述の友人の話によると、ネットゲームにおいてはイベント開催が非常に重要らしい。
特に日本は文化的に年間行事が多いため、これらに合わせて緻密にイベントスケジュールが組んでいるようだ。
パズドラはゲームデザインだけでなく、運営も驚くような工夫がなされている。
私がこのゲームをプレイしていたのも、この運営の方法を研究したかったからという側面もあった。
運用・運営という側面はゲームだけでなくITシステムやレストラン・ホテルのサービスなどあらゆる場面で重要ではあるが、あまり一般の人には注目されない。
こうした「舞台裏」にこそ成功の秘密があるのだということをあらためて認識した。
なぜ丸一年が経過したタイミングではなくこの時期にこんな文章を書いているかというと、最近プレイしていないからである。
引退というわけではないが、気持ちとして一区切りついたのでこうしてまとめてみた。
理由はすごく単純で、ここ1、2ヶ月でモンスターのドロップ率とスキル成長率が大幅に下がった(と感じた)からである。
ドロップ率2倍でもほとんどドロップせず、スキルアップ率2倍時にスキルが全く上がらないと、さすがに砂に水をかけているような気分になって急速にプレイに疲れてしまった。
自分も仕事をしてるので、男性が仕事から帰ってオフタイムになり、家ではボケーっと過ごす姿はすぐに想像できる。
家についたら10分とか1時間とかぼけーっと呆けてしまうこともしばしば。
かといって、専業主婦のように旦那が帰ってくるまでわくわくして待ってる女側の気持ちもわかる。
話し相手がほしいんだろうな、あれは。
果たして男性はその両方を考えたり、理解したことがあるのだろうか。
専業じゃなくても帰宅して落ち合ってから女側がどんなふうに相手と接したがってるのか、とか、そういうの。
家ってオフタイム時にパワーチャージする場で、一人暮らしなら一人、複数暮らしなら複数でのチャージの仕方があるんだと思う。
一人の頃は好きなことをやってりゃーいい。
二人なら二人とも勝手に好きなことやってりゃいいってもんでもなさそう。
二人+分身ができたときはまた別だ。
子ども可愛いから明日も頑張れるとか言う男性いるじゃん。それって一人で勝手に好きなことをしてオフタイムを楽しむのとは全く別物。
ケースバイケースというか、環境が変わったら何か知ら変化するものだろうと考えている。
かれこれ2~3か月ずっとパズドラばかりしている同棲中の彼に、いささか不満を持っている。
起きたらすぐパズドラ。通勤中もたぶんパズドラ。私がごはん作ってる間もパズドラ。食べる直前までパズドラ。長トイレもきっとパズドラ。寝る間際もパズドラ。寝落ちして滑り落ちたiPhoneはパズドラ。
ネトゲに限らず、ゲームが悪いとは言わない。これまでもやめろとは言ったことがない。
だけど、少しはかまってよ、これくらいは言いたい。
さすがに、理解の限界だなぁ。
私は暇があるから料理したり、洗濯機まわしてるわけではないんだよ。
私の趣味をやればいいといわれるだろうけど、ロックのライブDVDを相手や隣近所に気遣って小音量で見ても楽しくないんだよなぁ。
新天地での地盤作りに専念してもらいたいから、オフの時くらい好きなこともさせてあげたい。
だけどそればっかりはイヤ。たまにはこっち向いて。
簡単に言うと、有料ガチャを提供している限りそのゲームは叩かれる(リスクを負い続ける)、という事だ。
ガンホーはやりすぎないようにARPPU(金使ってる奴の平均支払い)を調整している、という事だけど、単純に"平均"で考えているのであればやがて行き詰まる。なぜなら、MAU(遊んでる奴らの数)が増えれば増えるほど"ガチャ運の悪い奴"の発生数も増える。"運の悪い奴"の母数が増えていけば"無茶をする奴"の発生リスクが上がっていく。そして、無茶をする奴が爆発した瞬間、その極端な支払いがモバゲーやグリーと同じ文脈でピックアップされニュースに乗り、パズドラもまたダーティなコンテンツとなってしまうからだ。
言い換えると、青天井に支払いの発生する仕組みはすべて、ユーザ数の増加に伴ってこの宿命を負う。ソーシャルゲームだって、自分でお金のコントロールができる"大人"がやる分には問題は無いだろう。しかし、それが"子供"の手の触れるところに落ちた途端、それは射幸心を煽る悪魔だと批難される。そして、これらのゲームから子供を排除する手段がない。あるいはユーザの中に子供が入り込むのは不可避なのだ。
このまま進めば、今年中に「(例によって親のクレカで)パズドラにお金を使いすぎた子供」がニュースになるだろう。そこら辺がパズドラの曲がり角になる。もちろん、あらゆるガチャゲーにとっても同じである。
既存のソーシャルゲームは、そのゲームの中にソーシャル性を持っていたため、支払いを促すアクセラレータが内蔵されていた。パズドラのアプリケーションそのものにはおまけ程度のソーシャル性しか実装されていなかったため、そこで無茶な支払いを促すものは無かった。
しかし、(主に)Twitterによりソーシャル性(この場合、主に顕示欲が喚起されること)の補間が行われ、その状態で大量のユーザを抱えることになると、今までのソーシャルゲームと同じような流れによるトラブル発生リスクがどんどん上がっていく。インターネットによるソーシャル化は必然の流れである。
どんなに良心的な価格設定を行っていたとしても、無限にお金が使える状況と確率によるデジタルデータコンテンツ配信の組み合わせは、最終的に破滅を導く。将来的には、この両方を満たす商売は法的な規制を受けるだろう。