はてなキーワード: ニコニコ超会議とは
ホントはもっとあったけど起きる直前のしか覚えてない。くそう。
なんか雑誌読んでてそこに艦これのコスプレ写真とコメントがのってた。
金剛のコスプレの上に、「めずらしく艦これのコスプレでは若い子だと思ったら星野飛鳥ちゃんでした!かわいい!!」って感じで書いてあった。
摩耶の沈没シーン?っぽいのだった。
でも俺摩耶の沈没シーン知らないから、なんか変な絵になってた。
柔道の亀の状態から顔を横(読者側)に向けて苦しそうな顔して、頭と足をワニっぽいのに噛まれてる絵だった。
数枚あった絵が全部構図とキャラがそれだった。
天城が横転して沈没したのが有名ってところからきた無意識の夢なんだろうなってのがよくわかる。
ああそうだ思い出した。
ニコニコ超会議に出てた。
一度も行ったことないし行くつもりもないし行きたくもないのに。
そんでよく高校の体育祭であるようなスタンドの上っぽいところ。
絶対オタク系にいくはずがないであろう高校のときの後輩がいてすごく意外に感じた。
自分が座ってた椅子がやたら揺れるから後ろのやつに文句言ったら、上述の後輩がすみませんそれ俺です・・って言ってきて微妙に気まずい思いした。
選挙カーで名前を連呼した方が、票が多く入るようになるらしい。
民衆はまだまだ愚かだから、有効な手段として使おう、というのはまだ判る。
安全保障関連法案に関して、国会前のデモを観たけど、煽り方が低レベルだった。
もはや、有効な手段にすらなっていない、内向きで、残念な煽り方だった。
別にお題目なんだから、判りやすくキャッチーな造語で良いと思う。
(内閣も「平和安全法制」って呼んでるし、まあ五十歩百歩だろう)
ただ、次がない。
スローガンとしてはアリだろう。つかみはオッケーだ。
最初は理解できていなくて当たり前だ。不安とか不満とか、漠然としたことでも行動するのは立派だ。
そこから、隣の国とどう揉めてて、誰と揉めてて、この法案は誰が後ろにいて、どういう法案なのか。
その理解を促すヒトが居ない。
公正中立とは言わなくても、ゴリゴリに偏向した洗脳するような教育ですら出来ていない。
次がない。単発。2chの大規模オフと同じ。せっかく集めて何もしない。夏休みの思い出レベル。
人が集まることには意味がある。
数が揃って不満の声を上げることはプレッシャーになるし、過去、デモは世界を変えてきた。
キング牧師のかの有名な演説、「I Have a Dream」は、人種差別撤廃を求めるデモでの出来事だ(ワシントン大行進)
失業率に抗議するデモから、政権への批判のデモ、数百人のデモが数千人となり、結果政権が転覆したことすらある(ジャスミン革命)
ただし、運動が盛り上がった結果人数が増えることに意味があるのであって、逆ではない。
成績が良い家庭に本がたくさんあるからといって、自宅の本の数を水増ししても賢くはならない。
ジャスミン革命と呼ばれる事になったチュニジアで起こったデモは、最初はごく少数の規模で始まった。
インターネットでゆるく連携しながら、着実に考え方を広げ、数百名のデモに警官隊が出る騒ぎになっている。
ワシントン記念塔広場を完全に埋め尽くしたワシントン大行進の記録映像は衝撃的だ。
そのテレビの放映は、公民権運動が、一部の黒人だけのものではないアメリカの問題だと雄弁に物語った。
アメリカ国民誰もが当事者であると突きつけたあの映像に残るデモには「20万人」以上が集まったと言われている。
3万人が集まった運動は、チュニジアの政府転覆に繋がるデモの、数十倍の規模だ。
だが、主催者発表の累計35万人という数字は、ワシントン大行進の映像を観た後では、ひどく滑稽だ。
60年安保の参加者だって居ただろう。岸打倒のデモで30万人(警察発表で13万人)だぞ。バカにされたとは思わんのか。
なぜ、わざわざ自らを貶めるような発表をするのか。誰も止めないのか。
最初に言っとくと、俺は安倍さんは嫌いだ。昔っから嫌いだった。
個人としての安倍さんはまだ嫌いだ。だが、安倍晋三内閣総理大臣は、失敗も多いが無難に外交をこなしてる。
安倍内閣も国民をバカ扱いしてるのかもしれんが、テレビや新聞のコントロールは現政権のほうが上だ。
海外の報道までコントロールできているかは判らんが、概ね好意的な声が大きい。
結果を出すのに嘘も方便でやるのであれば、現政権には勝てない。
だから、テレビや新聞に勝てるような煽り方をしないといけない。
所詮は意向に基づいたデータの取捨選択だ。陣営が違うだけで科学者ですらタマにはやってる。
情緒で煽った後に、データを並べて、理路を広げて、説得していくフェーズに移らないといけない。
いつまでもシュプレヒコールを上げるだけじゃ、バカ扱いされてるんじゃなくて単なる馬鹿だ。
憲法学者が反対しているのはなぜか。自衛隊にも反対しているのはなぜか。
軍隊を持たないことを理想とするのか、折衷案として自衛軍は許容するのか。
警察なら良いのか、災害派遣ならどうなのか、海上保安庁はどう扱うのか。
海外からどう言われてもどんな理由でも軍隊は国の外に出さないのか。
全てに答えを出せなくても良いが、せめて想定問答を議論する会合くらいは持てないのか。
キッカケや、最初の入口としては、良いと思う。
そのキッカケから、何を学ぶのか。どう動くのか。それが全く見えない。
情理を尽くせば外交でもうまくいくという主張も、一つの主張だとは思う。
安倍首相を説得するのの数百倍は、朴槿恵大統領を説得するの大変だぞ。
たぶん、オバマ大統領を説得するのは数千倍、アメリカ合衆国を説得するのは数億倍大変だ。
それに比べたら、日弁連と学者の会とSEALDsとミュージシャンに声かけて回って、Youtubeに講義を載せてCSに冠番組作って、次のニコニコ超会議を乗っ取るくらい大したことないだろう。
それが出来そうもないと感じるなら、たぶんもっとスタートラインを下げて、地道に始めるべきだと思う。
モンストのイベントですら、炎天下の中5万人以上集まったんだぞ。資金力でも動員数でも必死さでも負けている。
意義が違うというならその意義をスローガンから掘り下げて広げてくれ。
先日とあるECサービスの社員と会ったときに、なぜあれほどまでにひどいデザインなのかを聞くと、
「世の中バカのほうが多い。実のところそっちをターゲットにしたほうが儲かるんだ。そしてバカはああいったデザインのほうが買ってくれる」
という答えが返ってきた。
私は軽蔑するが。
私はニコニコ動画の創業者が何を考えてつくったのか、本当のところは知らない。
しかし私が見る限り、バカが自己顕示欲を満たすためだけに使っているように見える。
人に使ってもらえるサービスをつくろうとすると人間の持つ根源的な欲をいかに美しくラッピングできるかというところに終始することになる。
これはしかたのないことなのだが、人間の持つ欲の中でも自己顕示欲は最低だ。
いや、やめたいのだ。
何がウザいって全く興味のないアイドルとかニコニコ動画で有名な生主(ここ重要!)が素人番組よろしくニコニコ超会議とか訳分からん企画に出ますよってCMは
本当にあてつけかと思う位酷い。
何が一番悪いって広告流したら金入るんだろ
それなら前みたいに画面両端に広告貼るだけでいいだろ
ところが今起こってるのは見たい動画の再生ボタンを押すと最低5秒はそのCMを見なくてはならない事に尽きる。
しかも、このCM、0時や2時の時報の前後でもお構いなしに流される訳で、ウザい時報が終わったと思ったらその間の何秒かのCMを再度流される訳だ。
そこまでして宣伝しないと行けないのか?
中学生みたいな見た目の子供がどこかの店のトイレにしけこんで、しばらくすると片手にビール瓶を持ってスカートを捲られながら、精子入りのコンドームを片手に出てきて、ガハハハと笑っていたり、それでも話してみると、「この人賢い」と思わせるような中学生っぽい見た目の人達が、ニコニコ動画のイベントのオフ会で乱交パーティーをしていて、その費用はアフィリエイトだ株だというような単語を口走る大人が全額費用を負担しているんですね!! スーパーフリーと同じようでいて、 あなたから見るとスーパーフリーよりも秩序がある、とのこと。 私はスーパーフリーの実態を知らないのでよくわかりませんが、 ニコニコ超会議のオフ会の貴重なレポート、ありがとうございました!!!
まあでも 普段からのオタ業界のロビー活動不足とか、変態が調子乗って表通りに出すぎたってのもあるよなあ。
でも、「変態が表通りに出すぎた」というよりは、もともと変態通りだった日陰のインターネットやらアキバに、ハードルが下がって押し寄せてきた一般人やらリア充が「今日からここは表通りだから」って勝手に看板つけかえただけな感じ。
そんで結果的に「変態が表通りを歩く」状態になって、けしからん。とヒステリー層がやってきて目をつけられた、みたいなシナリオ。
ドワンゴの会長がニコニコ超会議2を「リア充とネットに篭ってるオタクとの戦い」とか「和解」とか表現してたけどなんかそれも関連してて、
ちゃんとゾーニングしてたらこんな結末にはならなかったよね。
http://anond.hatelabo.jp/20130509003912
ニコニコ超会議は参加したことないけど、コミティアで思いっきり似たようなの経験した。
知人は兼業漫画家でコミティアに出して長いのだけど、売り子として参加させてもらったことがある。
売り子としてコミティアに来て思ったのが、
ことだった。
一日で200部だから割と頻繁に人が来てた。
二人で回していたんだけど、色んな局面で苦い思いをした。
ブースに一人残された時。
タイミングを見計らったように
画材を何ペンで書いてる?みたいなことをお客さんは聞いてくる。
すみません、作者は今席を外しておりまして……と
逐一言うのが辛かった。
逆に席を立って物見遊山を決め込もうと思った時。
いいなぁと思った作家と話せる共通点がないのが辛い(´・_・`)
ただ黙って見本紙をめくって去って……二、三回やって
ただの消費者として創りもしないのに
作者の前にいることに耐えられなくなったんだと思う。
お客さんと友人は始めて、しかもそのお客さんも作り手らしい、
話終わった後で同人誌交換してるし。
自分が見たことのない顔でしたよ、ええ。
ブースの常連さんなのか、周りも知り合いだらけで
そんな次第で、全然楽しめなかったよ。
人が足りてないというので二回参加したけど、
それ以上は無理だった。
ただコンテンツを消費するためだけに参加すると、
作者と対面したときにその人をよく知らない限りは何も言えないもの。
ただ、作り手なら話は別なのだろう。
買ってきた同人誌を広げた後、楽しそうに
作者と会話した内容、作品の構成で見習いたいところ、
好きなところなど話す友達が眩しい。
作れない俺はあの場所で作り手と何を語れるっていうんだ。
ニコニコ超会議2が開催されて10日たち、ようやく感想…というか自分が楽しめなかった理由がまとまった。
思ったより長くなってしまい、140文字以内に削るのも分割してトゥイート()するのも面倒なのでここで書いてみる。
俺が会場で行ったのは主に物販のブースだった。
買い物が終わったあとは、適当に学会やらの発表を見てまわっていた。
会場内の移動の際、目的ではないブースの前を通るたび、ある錯覚におちいった。
何かを作れる、表現できる側の人達が楽しそうにしてるのを、対岸から一方的に無理矢理見せつけられているような錯覚。
超会議という、世間から隔離された、表現するためのハードルが低いはずの世界。
そこですら、自分はどこまでいっても消費する側の人間であり、一緒には楽しめないんだな、という壁を感じた。
同時に、自分の中には何かを作りたい、表現したい、という感情が一切ないんだ、という事を突き付けられた気がした。
ふとパンフレットに目をやると「つくるのは、あなたです。」と書かてれいた。
ここに答えが載っていた。
何にもつくれない中身からっぽの人間が、消費をしに行っただけの体験なんだから、つまらないのは当然。
超会議3の開催が決定したらしいが、きっともうあの会場に僕が行くことはないだろう。
私には彼らが眩しすぎるから。
どうやら、先のニコニコ超会議でゲリラ的にサイン会を行い、警告を受けた実況主とファンがいたようだ。
本人が謝罪放送をしていて知ったのだが(私は行ってない)、その数どうやら400人ほどまでにのぼったようである。
超会議の傾向として「素人のスター化」が明らかに見て取れるが、だからといって400人、尾ひれついているとはいえ多すぎである。
http://blog.livedoor.jp/insidears/archives/52604081.html
ニコニコ超会議はドワンゴ主催の「お祭り」であって、それ以上でもそれ以下でもないのだ。
お祭りに行って、真面目に政策を議論しようと思う奴はあんまりいない。
民主党、共産党、維新の会が普段の集会みたいに演壇を仕立ててパイプ椅子並べてただけなのに対し、
自民党は「街宣車に乗れるよー」「総裁の椅子に座れるよー」と客集めしてた。
自民党を支持してない人でも「ちょっと行ってみようか」という気にさせるブース作り。
結局、真面目にニコニコ超会議というお祭りに求められるものを持ってきたのは自民党だけだった。
おっさんだけどニコニコ超会議にいってきた。面白かったんだけど反面、なんかとっても置いてけぼりにされたさみしさにとらわれてる。どんなコミュニティもやっぱり人と人とのつながりなんだなと、ぼっちのおっさんは思ったわけで。
もともとニコニコ初期からのメンバー。往年のネタをウルトラマーン!とかを会場で聴いちゃうとうれしくなるそんなおっさん。プレミアム会員ですしなんとなくニコニコを支えてきたよって意味のない自負を持ってる老害です。
お仕事は個人作業が多くてチームワークあんまりな環境で、深夜の帰宅繰り返しながら社内引きこもりに育つ。さいわいにも妻と子にも恵まれるも帰宅も遅く、土日も仕事な時期が長かったためか家族の枠の中で引きこもる。地元のコミュニティにも属してなく、誰かと会話できるような趣味もやらずに今に至ってる。そんな社会的になんとなく、ぼっちのおっさん。
ニコニコに飛びついたのは、時間と場所を超えてつながれるとこに目を輝かせたから。おんなじMADをみて、その時に思ったツッコミやよろこびなんかを(ホントはずっと遠くのずっと昔なんたろうけど)共有できて、ああ、おもしろねぇ!なぁみんな( ゚д゚ )!ってたぶんドヤ顔で楽しんでたんだと思う。
そんな気持ちでリアルの場所にニコニコ動画をほぼ再現するというニコニコ超会議へ。そこで思ったのが冒頭の置いてけぼり感。ああ、俺ってぼっちだったんだなという思いをさらに強くしたり。
だってさ、どのコンテンツだって、なんだかんだいって誰かと作ってるものだよなって。ひとりで最初は作りはじめたのかもだけど、そこからなんだかんだでつながってこの場にきてる。すげえと思いつつ、ああ、俺ってなんにもやってないなという思いに。そしてそれをリアルで楽しんでる、ニコニコしてるふたり連れや三人、四人連れなどなど、誰かといっしょに楽しんでるのも目の当たりにしてもうね。
MAD流行りだした頃になんでもっとハマって作る側にいかなかったんだろ。ミクがでてきた頃になんでボカロ買わなかったんだろ。演奏してみた流行りだした頃になんでギターを実家から取り寄せなかったんだろ。踊ってみた流行りだした頃になんでおっさんでもナイトフィーバーって踊ってみなかったんだろ。こんなに大きくなったニコニコに後悔の念も抱いたり。
とはいえそこで飛びこむ勇気も、もっと拡大してくコミュ力もない自分には、コンテンツを楽しむぐらいしかないわけ。それもさびしくぼっちでね、と、さらに凹んで。
ああ、おっさんから、じいさんにジョブチェンジしても、必要になってくのは結局はコミュ力なのかもなって。ちゃんと育ててかないとダメだって。ネットがあればコミュ力なくても大丈夫なわけないじゃんね。それを時と場所を超えて加速させてくれるのがネットの力なんだろなって、なんだかまとまらない思いのままニコニコしてます。
http://b.hatena.ne.jp/entry/blog.nicovideo.jp/niconews/ni039279.html
これは自民党だけでなく共産党や民主党も参加する一大イベントなのだが
自民党だけしか参加しないと勘違いしたはてサアンテナに引っかかり面白いコメントが大量に投下される
id:Cunliffe バカ取り込むのはちょろいなあ。
id:kowyoshi また選挙の時の秋葉原みたく日の丸ぱたぱたさせるんだろうね…(ため息)
id:Yoshitada 米国からきりきり締め上げられた分、ホームで癒されるといいよ。/まぁ、それで調子に乗って、また失言しなきゃいいが。
id:mekurayanagi 美しい下痢ビジネス そりゃニコ動は自民党の豚小屋みたいなものだからな。
id:sandayuu 肉屋を歓迎する豚の祭典に肉屋の頭領が登場ってか。
id:miruna 中立とはなんだったのか
id:mkskills 自民党はもちろん、民主党の細野、菅、共産党の志位委員長も来るし、いいじゃんこういう政党を身近に感じられる催しで。
id:kingate はてサが発狂の理由を理解。自分たちが「バカ」とラベリングした奴が主流として承認されるのが嫌なんだ。ほんと他者下位承認による相対的自己上位承認ぐらいうんこは無い。承認そのものがうんこと気付こう!
id:parkona ほかのブコメにもあるけど、超会議出展政党は自民党だけじゃないんだよね。ほかに民主党・日本維新の会・共産党が出展 http://blog.nicovideo.jp/niconews/ni039244.html
id:vhthlh 普通に他政党の大物も来るじゃん。ブコメで批判してる奴らは何なの?俺も安倍総理のことは経済政策を除いて受け入れ難いけど、本件でごちゃごちゃ言うのは筋違いだろ。
当初あまり興味はなくて、目当てのものを買えたら潮風に当たりながら散歩して帰ろうと思っていたのに、気がついたら終了時間までいた。
楽しかったしいろいろ考えた。ツイッターでの連投は気が引けるけどブログも持ってないので、ここに書いとく。
感じたこと。
リアルの反映のはずなんだけど独自に発達して乖離しつつもあるネット内の文化を、リアルに反映させること。
最近テレビも見なくなって、世間で何が話題なのか知るのにネット経由というのが自分の中でも当たり前になってる。
リアルで感じるものよりネットの方が楽で有意義に感じがちで、現実って面倒くさいなあって思ってた、ここ一年くらい。
なんで、超会議も期待してなかったけど、意外に面白くて、誰かが大人の文化祭って言ってたけど、同じ事を感じた。
すっかりネットの世界のほうが日常的になってきた生活は、おそらくこの先、その傾向をもっと強めると思う。それによって有益なこともあれば弊害もある。
その中で、ネットの抑制でなく、より完璧なバーチャル世界の構築でもなく、ネットとリアルをつなぐようなイベントって実は重要なんじゃないかと思った。
普段、ネット内で深めてきた文化や文脈を現実へ反映させていく作業。
やっぱりリアルが楽しいのはいいなと思った。どうやっても人はリアルに属するのだし、体で感じるということは、人を前向きにさせる気がする。
それぞれ多彩で濃いイベントなのに、はっきりした仕切りがなくて、すごく雑多な感じがした。
けれどあの雑多な感じがよかったんだろうなあと思う。
踊ってみたやのど自慢の異様な盛り上がりをよそに、ニコニコ学会、JAXA展、超鉄道、と散策を楽しんでると小室ライブに行き当たる。
しばらく眺めてたら、後ろを兄貴とその取り巻き達が押し潰さんばかりの勢いで通り、人波からなんとか離脱したその先で、囲碁のフリー対戦と将棋のコンピューター対戦やってた。
なんだか茫然として、さらに先へ行くと言論コロシアムで東浩紀・ひろゆき対談やってる。壁にはニコ生を見てる人のコメントがずっと流れてる。
小さな祭りが幾多にも重なって大きな祭りになっている。その間をゆるゆる歩いて、気がつくと別の祭りの空間に迷い込んでいる。その感じがすごく日本的な気がした。
西洋の空間感覚は、私的空間と公的空間の区切りがはっきりしていて、「私」=「個」だし、「公」はオープンなものである。また、空間の内側にランドマークを有し、自分の位置がいつでも分かる。
一方、日本の空間感覚は、「私」と「公」の隔てが緩やかである。「私」は完全な「個」ではなく、他者との結びつきを許容している。
例えば、昔ながらの家屋の部屋の区切りは障子で家族がどこにいても気配を感じられる造りだし、一人部屋ができたのも近年のことだ。
「私」の集合体もまた半分閉じられながら半分は開かれて繋がって、それらが寄り集まる場が「公」である。縁側、路地などは、その「私」の集合体どうしを緩やかにつなぐ機能をもつ。
その閉じられつつも開かれた空間を遷移する楽しさが日本的空間の面白みでもある。
これって海外の人が来ても、あの独特な雰囲気は新鮮さをもって楽しめるんじゃないだろうか。
私的空間...各コミュニティ、コンテンツ、があり、個々はすごく濃い。それらを渡り歩く感覚。
その空間に何があってどうなってるのか知るのに俯瞰的な手段はとれなくて、自ら内側に入らないと分からない。
これから先、超会議が開催されるのか、だとしたらどういう方向にいくのか分からないけれど、こういう特性は感じられるようなつくりであってほしいと思う。
ただぼんやり歩いてても人だかりがあって、立ち止まって賑わっているのを見る。それだけでも楽しい。
それゆえに願わくば各エリアをもう少しゆとりを持って設けてほしいなあと思った。
あ、あとニコニコ学会や超鉄道みたいなのを引き続き充実させて大人の文化祭であり続けてほしい。
初日も行けばよかったなあ。