はてなキーワード: スイッチとは
○ご飯
朝食:サンドイッチ。ヨーグルト。昼食:おにぎり。夕食:人参と玉ねぎとプチトマトと舞茸とレタスのスープ。納豆とたまご。間食:ぜんざい
○調子
ネットで流行りのパチンコ怖い怖いマンガを読んだのだけど、怖すぎて夜寝れない。メチャメチャ怖くて自分がもしと想像してしまう。一度もやったことないから、やらないまま人生を終えたいなあ。
それと金稼ぎも少し。
そろそろムゲンダイナとザマゼンタの二匹だけじゃ面白くないのでレイド用の育成をしようと思う。
うーん、まずは期間限定のキョダイマックスピカチュウを気持ちよく狩れる子かなあ。ドサイドンかしら。通信交換環境がまだないので、3DSで性格と個体値だけ粘ってから送信かなあ。いやレイドバトルで個体値は気にしすぎかAかCかにVだけありゃ良いか。
うーむ、スイッチもう一台買っておけばよかったな。
https://nyakapoko.github.io/post/10_engeki/
この記事、読み飛ばしてしまっているひとも多いと思うので、私の解釈で完結にまとめると、
2 演劇は他業種よりもクリティカルなダメージを負っている。他よりも援助が必要である。
3 専門分野ではないことについての言及を正確にするのはコストがかかる。
4 そのコストをケチって発言してもいいよね。だって困ってるんだし。
ということです。
だったら専門分野外のことについてワザワザ語らなければよいのではないか?
4を是とすれば、そのコストを聞き手、もしくは放言された当事者が負わなければいけないことがわからないのか。
そして、まさに現状がそれである、ということがわからないのか。
と思うところはたくさんですが、それより書きたいことがあります。
ただ酔っぱらっているのでしっかり書ききることができるのか少し不安です。
また、わたし自身、演劇についてたいして詳しくありません。なにぶん映像畑の分野なのでご了承ください。
まあ、そのコストをケチって発言してもいいよね。だってもやもやしてるんだし。
まず上のブログにある、演劇のコアの部分とは何かというと、観客との共犯関係なのですが、
これがライブで、そして観客の息遣いを感じられる距離でないと不可能であるという意見です。
これには一理あります。が、これが実際に“演劇”のコアなのか。
映画というのは、映像をつかってナラティブ(わかりやすく「物語る」と言い換えましょう)をすることと定義できますが映画狂から見れば、そうではありません。
(「いや映画は光と影で構成される芸術だ」という方もいらっしゃるでしょうが、今回はその定義を映像に渡してやって、映画の定義は狭くとらえます)
映画を観るというのは映画館で観る、もしくは”複数の観客がいる映像を主体とする場”で映画を観ることを、『映画を観る』と言います。
なぜなら、映画というのは観客と製作者との共犯関係にある芸術だからです。
例えば時代劇で、主人公と敵が刀に手を伸ばします。この画を1分間続けるとどうでしょうか、
映画館であれば観客は緊迫します。きっと固唾をのむことでしょう。
しかし、これスマートフォンのストリームだったらどうでしょうか。ダブルタップの15秒スキップかもしれません。
一緒に固唾をのむ観客がいない分、気持ち半分かもしれません。
映画と演劇は記録されたもの記憶されるものの違いがありますが、
観客との共犯関係で表現を強固にするのは、映画も演劇も変わりありません。
ブログではとても卑怯にも演劇とビデオという比較で書いていますが、
また映像芸術の中には特殊な上映形態をもって作品とするものもあります。
劇場でないと成り立たないのが演劇の特殊性とか馬鹿みたいなこと言っていますが。
むしろ、ライブで修正の効かない分、映画はどのように共犯関係を生み出すか、研究に研究を重ねております。
高級な映画(半分皮肉ですが)においては、視線誘導のため、まばたき一つ計算して撮影、編集しているわけです。
私は普段、何かの映画について話すとき、『映画そのもの』と、観客と生み出す共犯関係=『映画体験』をそれぞれ分けて話します。
演劇についても同じことが言えるのではないでしょうか。
上のブログの筆者が語るのは演劇体験についてです、これは確かに演劇を構成する一要素ですが、演劇そのものを単体としてみた場合に、
つまり、戯曲を演者がその身体性をもって物語るという行為についてですが、これはいったいそんなにも弱いものなのでしょうか?
身体というものには限界がありますが、その身体によって生み出される力強さというのは確かにあります。
現代舞踏なんてものはその身体という籠を生かした表現なわけでしょう。これは弱いものですか?
それを使って物語る。素晴らしいことじゃないですか。
演劇をライブで配信する。そこにはカメラがありスイッチャーがある。
ということは、それでもって映画体験の応用で演劇体験を、十分でなくても再現することはできませんか?
例えばブロードウェイの映像化なんてのは、セットを映像用に用意しカメラをかなり寄せて撮っているわけですが、
それでもあれを映画という人はいないでしょう、演劇であるという認識はしっかり与えることはできるわけです。
また演劇体験的なるものが本質になっているというので言えば、お笑いはどうでしょうか?
スポーツ選手のインタビューではよく魅せる試合なんてことが言われます。
それでも彼らは中継を行います。過去の試合の映像を販売します。
そういったことがもう何十年も前から行われている現代で、演劇は演劇体験なくして存在しないなんて本気でいってますか?
また演劇は映像にすると映画に食われてしまうなんて言ってますが、馬鹿じゃないのとしか思えません。
演劇はその身体に物語を預けていますが、映画は光と影に預けています。
映画の根本は影絵芝居といってもいいでしょう、影絵芝居は演劇に似ていますが、
影絵は物理的なものでなく、その像をうまく使えば、表現に限界はありません。
映画はその売れ筋として、マーケティング的に役者に頼ってることはあっても、大本の表現のベースとして役者や演技があるわけではありません。
勘違いしないでください。役者はあくまで影と光をフィルムに焼き付けるための遮蔽物にしかすぎません。
例えば先ほどのブロードウェイは演劇としましたが、ドッグヴィルはどうでしょうか?やはりドッグヴィル映画でしょう。
それはそれぞれ、映画として作られ、アニメとして作られたからに違いありません。
演劇として作られた映像が、映画に負けるだとか、勝つだとか、そういうことは絶対にありません。
演劇というのは、映画というより、むしろスポーツや音楽ライブの側なんですよ。
マシューボーンのなんちゃらと、タイガースの試合をまとめた奴と、ラッドピローズのライブ映像は一般の人からみたら同じ枠なんです。
で、それが映画と競り合ってるなんて印象はないです。初めから勝負なんて存在しないんです。
はっきりいってしまえばスポーツが無観客配信でなりたつというなら、演劇だって成り立ちます。
それが成り立たないというのは、おそらく上の文書にもある、演劇体験こそ演劇の本質であるという転換が原因じゃないでしょうか?
iPhoneでGoogleマップ使えば良いのではー。私つかってるよ。
iPhoneやiPadでタイムラインを利用するには、位置情報を常にONにしておきましょう。
iPhoneやiPadでGoogleマップのアプリを起動します
「位置情報の設定」をタップします(設定アプリに自動で切り替わります)
Googleマップの位置情報サービスを「常に許可」に設定します
Googleマップのアプリに戻って「ロケーション履歴がオン」になっているか?を確認します(オフの場合は、スイッチをタップしてオンへ切り替えてくだだい)
やっぱり手洗いが大事なんじゃねえの?
実際の所飛沫感染よりも、手について伝染する方が多いらしいじゃん?>コロナとか
だからさ、簡易的な洗面台を店の入り口に置いて、出入りする人は絶対に30秒手を洗って入ってくださいって設備を義務づければ相当感染防げる気がするんだよ。
当面はアルコール消毒義務化でもいいけどそれはあくまでも一時的なもの。アルコール消毒は
から、普遍的な基準にするなら、一般人はあくまでも手を洗う方が良いらしいじゃん?
スーパーとかレストランとかの設置基準で義務化しちゃったらいいと思うの。もう防火設備みたいに義務化。駐車場から店に入る途中に、店の規模に合わせてプールの目洗い場みたいなノリで手洗い場所をつけるの。
今でも牛丼屋とか回転寿司とかチェーン店によっては入り口に必ず手洗い場がある店あるじゃん?
そうすれば防火設備みたいにあって当たり前になるし、これから設計するところは入り口に手を洗える設備を設置するのが当たり前になるだろうし。
町中にも消火栓みたいなノリで、とにかく手を洗うところを作りまくったらいいと思うんだよ。洗剤なくても流水だけでもかなりウイルスは落とせるから。
手を通じて感染することが多いって前提で行くと、さらに自動ドアとかも一定規模以上は義務化していく方向じゃないかな。
既にほとんどそうなってるはずだけど、中には押しボタン式スイッチとかになってて衛生的には結局触るんじゃ意味ねーみたいなのもあるじゃん?
そういう所は非接触スイッチに切り替えていくとかやりようはいろいろあるよね。当面は1時間に1回は消毒せよみたいな運用にせざるを得ないだろうけど。
後は換気設備とかもより厳重になるのかなと思うけど、正面に座られて至近距離でくしゃみ喰らったら、備長炭で喰わせる七輪炭火焼き焼き肉屋のごっつい換気システムがあっても無駄だと思うので、コスパは悪いと思う。
(だから、映画館やパチンコの換気がしっかりしているから大丈夫と言う抗弁は採用されなかった)
あり得るとしたら、監視カメラによる体温検知システムとかかな。でもこれはコストがかかりすぎる上に、すり抜けも多いだろうからなー。
転売というのは手に入りにくい海外の製品などをそれぞれのルートで仕入れて販売する、いわゆる代理店的な役割が本来のあり方だと個人的には思うんですよね。
そりゃ世の中の販売業のほとんどは転売による中間マージンによって成り立っているわけだから、転売そのものが悪だと言うつもりは全くありません。
しかし最近よく見るのは、早い者勝ちという原則を悪用して在庫を枯渇させ、希少性を恣意的に高めることによって法外な利益を生み出す行為、これはただのマッチポンプです。極めて低能で、生産性の無い行い。
「これはビジネスだ」とかのたまっている底辺さんがいますが、こんなことでしかお金を稼ぐことができないなら商売の才能無いのでやめたら?(どこかの芸能人も言ってましたね)
消費者への流通を停滞させる事態を無理やり引き起こすのはビジネスでもなんでもなくて、ただの迷惑行為です。
底辺さん達のほとんどが知らないと思うんですが、転売目的で商品を売る場合は古物商の許可が必要になります。古物商というのは古物営業法に規定される古物を取り扱う業のことを指しますが、消費者の手に渡った時点でそれは新古品とみなされるため、例えば量販店から商品を仕入れてそれを第三者に販売するときは当然古物商の許可が必要です。
業というのは利益を得る目的で繰り返すことを指すので、複数個仕入れて転売している人はもちろん古物商の営業許可は得ているんでしょう。無許可営業は摘発・逮捕されるリスクがあるわけですからね。
加えて今は新型コロナウイルスという、世界的にも未曾有の事態に直面しています。多くの人が協力して接触率を下げようと努力しているにも関わらず、販売店に足繁く通っては仕入れることを繰り返すことは、止むを得ず外出している他の人の感染確率を上げることに他なりません。
死亡例も数多く報告されているウイルスの危険性がある中でのこのような行為は、街の中で目を瞑ってナイフを振り回しているのと同じです。いつ誰に刺さってもおかしくない殺人行為なわけです。まずそのことを自覚してください。その頭じゃ無理だろうけど。
任天堂スイッチを始めとするゲーム機だけでなく、在宅ワークに必要な機材や給付金のオンライン申請に必要なICカードリーダとかもすぐ売り切れて、直後に底辺さん達から意味不明な額で出品されているのを見て流石に目眩がしたね。人の迷惑の上にあぐらをかいて稼いだ金を見てどう思う?何も思わないか。
○ご飯
朝食:なし。昼食:人参と玉ねぎと里芋とウインナーを牛乳とシチューの素で煮たもの。夕食:カップヌードル、フライドポテト、ハイボール。納豆。間食:飴。
○調子
ジャッジメント7の余韻が心地よすぎて、GWは全部家に篭ろう計画をすっかり忘れてコンビニに行ってしまった。まあ四日ぶりぐらいに外出ただけなので許して欲しいな。
○グラブル
シナリオイベントのプラウドを攻略した。カオルジータ、リミテッドカタリナ、沼津の方の二年生、ランスロットでクリア。リミカタリナ強いなあ。
クッパ倒してスペシャルコースもクリアして満足。マリオって面白いね。
5-1までプレイ。うーん色々勝手が違ってて難儀するなあ。特にライフを回復するやつがノーヒントなのかな? 仕様がいまいちわからなくてあんまり楽しめないや。
○ご飯
朝食:チャーハン。(玉ねぎ、ウインナー、たまご)昼食:冷やしラーメン。夕食:人参と玉ねぎとカニカマのスープ。納豆。間食:チーズ、チョコ。飴。
○調子
むきゅーはややー。仕事はおやすみん。ジャッジメント7しかしてない。ようやくクリアしたので感想を書きます。
○JUDGEMENT 7 俺達の世界わ終っている。(スイッチ)
愛すべきバカ達の集団ものってジャンルがあると思うんですよね。
「愛すべきバカ達を好きになる物語」とでもいうんでしょうか、これって物語のベタ、王道も王道ですよね。
同じADVってジャンルだけでも、ひぐらしの部活とか、リトルバスターズのリトルバスターズとか、シュタインズゲートのラボメンとか、クロスチャンネルの放送部とか。
(挙げた作品にその構造だけじゃないある共通項があるけど、たまたまです)
このジャッジメント7も、作品名と同名のジャッジメント7というゲーム会社が登場して、その構成員の面々の愛すべきバカさが表現されたのちに、シリアスになっていく展開です。
ただ、ちょっとこの作品は先に挙げた作品達とはちょっと違うなと思ったのが、作品の中盤物語の転となるタイミングから、このジャッジメント7のメンバーじゃないキャラクタが話の軸になっていくんですね。
ジャッジメント7を好きだからこその自己犠牲であるとか、彼らにかける言葉の一つ一つがおもくて、だけどその好きがとても伝わってくるものばかりで。
そのキャラの好きを好きになるんです。
声優の黒沢ともよさんの熱演と相待って、そのキャラのシーンはどこを切り取っても名シーンばかりの、この作品を加点方式で採点していくと、きっとそのキャラにまつわる点数だけで百点満点になってしまう。
それぐらい魅力的なんですが、そのキャラは、ジャッジメント7のメンバーのみんなが大好きなのに、ジャッジメント7ではくて、作品の一番滾ると思われる「名乗り」シーンにもそのキャラはいないし、最後の最後でもそのキャラはジャッジメント7にはいないんです。
バカたちを「バカだなあ」とプレイヤーが愛して好きになる作品はたくさんありましたけど、
そこから一つ階を上って「バカたちを『バカだなあ』とあるキャラが愛して好きになるさま」をプレイヤーが愛して好きになる作品なんですよ、このジャッジメント7は。
こうやって、一つフィルターを挟んでいることで、より一層ジャッジメント7が、これは作中のその集団のことでもあり、その作品そのもののことでもあり、をますます好きになっていく。
人の好きを好きになれる、そんな素敵な作品でした。
○ご飯
朝食:チャーハン。(お米、人参、玉ねぎ、ベーコン、たまご)昼食:冷やしラーメン。夕食:竹輪、アーモンド。間食:チーズ、アーモンド。飴。
○調子
○JUDGEMENT 7 俺達の世界わ終っている。(スイッチ)
移植前の分は全部クリア。移植版での追加要素をほんの少しだけプレイ。
「オタクが題材のADVに名作あり」の法則があると思うのだけど、らくえんとかネットハイとかシュタゲは少し違うけどロボノとか。
そういう過去の名作たちに負けないパワーがあった。
まだ追加要素が残っているので、感想を書くのは明日か明後日かなあ。
ただ、いいゲームを遊んでいるとき特有の「まだこの作品と離れたくない欲」がめちゃめちゃあるので、読む速度が少し落ちそうです。