2018-10-13

ふと昔を思い出して

今は全然関係ないことに従事していて、それが大して面白くもないのだが。

たまにはラズベリーパイを弄ったり組版ソフト面白ものを見つけて弄っている。

そんな私が何年か前に30日でできるOS本とDIrectX9入門の本を買って触っていた。昔話だ。

こういうのは、いわゆる御呪いオンパレードだ。

Cを最初にやるときののヘッダーファイル、あるいはwindowsプログラミングウィンドウを表示するときの様な「おまじない」だ。

ロクな説明もされないまま、写経しているうちにコードが増えて行き、なんかサンプルに毛が生えた様なものができて満足するが釈然としない。

分かった気がしない。

OpenGL/GLUTを後年マニュアルを参照しながら一生懸命やったときの方が理解できた気がしたし、オリジナリティのあるコードとなった。

やはりこういう根幹部分の知識悪戦苦闘しなければ、身につけないのだろうかと少し思う。

昨今大量に溢れるラッパーやフックを見て様々な機能が便利になったと感心する。

プログラマとして働いたことはないが、車輪の再発明学習以外においては悪だと学んできたので、それは大変結構だと思う。

ライブラリ再利用は良い。だが、その便利さがかえって学習者の成長を妨げるのではないか

OS本やDirectXを訳も分からず触っていた私の様なコピペキディ(又は写経坊主)が増えないことを願う。

(もう少し時間があれば、pychamかnvimのhaskell pluginが書きたい。)

  • あるとき一つのことについてわかると、何について勉強しても大体わかるようになった 壁があったような気がする

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん