はてなキーワード: エントリーとは
http://anond.hatelabo.jp/20140326001403 の増田です。
もう見ていないかもしれませんが。
http://anond.hatelabo.jp/20140326192515
それでもおれが言いたいのは、一部の男性(女性も)は高身長女子が大好きなんだ。間違いなく。心の底から。
だから自分にすぐわかるマイナスだけを受け止めるんじゃなく、あなたに向けられる広い意味での好意がそこかしこにあることを知ってほしい。身長をマイナスに考える癖はもう身から離れないと思うけど、せめて知っておいて欲しい。駅のホームですれ違って「ああ、今の女の人、身長高くてすごい良かったなあ」くらいのふんわりした、とくに見返りをもとめるわけではない好意や羨望がそこかしこに存在していることを。
実世界では、身長のことで好きだと言ってくれる人はあまりいませんし、いたとしても、私のようにここまで高いのはちょっと・・・という人の方が多いような気がしているので。
匿名のダイアリーだとしても、あなたの言葉に救われた気がします。
男性から「男性の“本能”として自分より背の高い女は、女性として見れない」等々言われることもありましたし、
女性からも「そんなに背が高くてかわいそう」と言われることも、一度や二度ではありませんでした。
加えて、恋仲かどうかに関係なく、私と一緒にいる男性を比較して「男性が女性より低いのはみっともない」という人や、
その人と立って並んでいる際に、こちらを見てくすくす笑う人も、老若男女関係なく存在します。
男性のプライドを傷つけるような言葉も、「私という比較対象」が横にいると、投げかけられることも多々あるようでした。
私の体の大きさは、どうあがいても変えることはできませんし、同じように、他人の言葉や考えも変えることは不可能です。
できることは、自分の心の持ちようと、自分の考え方を変えることだけかと思っています。
ですから、私はこの身長を受け入れていますし、何か言われたとしても、「ああ、またね。」と思って流すようにしています。
(いつもは受け流せているのですが、今回のエントリーは(文章中にも書きましたが)塵も積もれば山となったので、どこかに吐き出したくてはてなに書きました。
また、「この長身を受け入れていること」は、「身長が低くなくてよかった」とか、小柄な人を否定するものではありません。
小柄な方は、男性でも女性でも素敵な方はたくさんいらっしゃると思いますし、実際にそのような方も多くいます。
私への慰めの言葉として「身長が低い人よりは…」といった言葉を書いて下さる方がいましたが、それは、見知らぬ小柄な誰かを傷つける言葉でもあるのです。
かつて私が、身長の低い女の子が男性に「身長が小さくて悩んでいるの。」と相談した際、「身長がでっかいのよりはましだよ!女の子らしくてかわいいじゃん。」と隣で聞いていて悲しい気分になったことがあるように。)
そして、他人の考えや心無い言葉は(これらの言葉は考えなしに発せられる事も多いのでしょうけど)変えることができませんから、私は「私の人生には、恐らく「好きな男性の方と一緒になる」ということは含まれていないんだな」と考えを変えたのです。
トラバやコメントに「そんなことを言う人がいるの!?」という意見があったように、普通の人だったら、私が投げかけられる言葉を聞く機会はないと思いますし、想像すらしない人もいるかと思います。(それを責めている訳でも、批判する訳でもありません。念のため。)
もし、私とお付き合いする人がいたとしたら、きっと普通だったら聞くことのない心無い言葉や、男性だったら聞きたくないプライドを傷つける言葉をたくさん聞いてしまうだろうな、と思っています。
好きになる人というのは、大切な人です。
私は自分の大切な人に、これらの言葉を聞いて欲しくありませんし、聞かせたくもありませんでした。
少なくとも、普通の女性と一緒になれば、その人はこれらの言葉を聞くことはありませんから、その方が幸せなのかと思います。
好きな人には幸せでいてほしいのです。知らなくていい痛みなら、知らない方が、きっと幸せなのです。
でも、もしあなたのような、お相手の女性の身長も全て受け入れてくれるうような人に現実で出会えていたら、私の人生も少しは変わっていたのかな、とも思いますが、考え方を変えるには、私は少し歳を取りすぎてしまったような気がします。
夢を壊すようで大変申し訳ありませんが、私は長身ではありますが、皆さんが思っているようなモデル体型でもありませんし、顔もお世辞にも綺麗とは言えないと思います(笑)。
バレーもバスケも、スポーツもやっていないし、モデルにもなれなかった、ただのでかい女です。
私の分まで、という訳ではありませんが、どうぞ、奥様を、周りにいる背の高い女性を、大切にして差し上げてくださいね。
それで救われる方が、きっとたくさんいると思います。
自分で「次何か言っても反応しません」と宣言したくせにこれ。やはり溶けた鉄を飲んだ方が良いように思われますがいかがですか。
ちなみに元ネタでは正確には溶けた銅でした。銅の方が融点が低いので用意し易いですね。どちらも二千度オーバーなので効果は大して変わりませんが。
ランキング化をしないことが必要という点。私は心の内で思うこととそれを外部に表明することの是非を分けて考えます。美醜判断の話と同様で、「ランキング化も心の内でするのは醜いが自他に許容する/それを言葉にして他者と共有することは個人でも社会レベルでも許されて欲しくない」と思っています。貴方の主張は内心のランキング化も捨てよ(「根性が腐ってる」)と解釈しましたが、もしそう主張されているのであれば、確かにどうしようもなく腐っているが不可能な事に感じます。
「美人は一握り」云々のランキング化は、心の内の行動か他者との共有かと言えば後者。まさにエントリーで批判したような「露悪的」な禁じ手で、憎悪の反応があるのは正当だし申し訳ないと思います。それをあえてした意図は、こうした問題に付き物の「美醜差別ってブスの僻みでしょ。美人は得してる」という単純な構図化と、それによる問題の無効化(現状肯定)を避けるためです。「得をすると根拠に出されるな人も含め、ほぼ誰もが損をする構造。男性も例外ではない」という説明をし、その上で気軽に美醜判断を(内心では思っても)口にする危険性と現状を伝えたかった、というのがエントリーを書いた目的です。ランキング化せず伝えられればベストでしたが、他人事な人に訴えるには何割という単純な数字が要ると思いました。
「とことん残酷さに無自覚だからこんな事が言える。当事者意識もなく、どれだけ困難か分かっていない」という批判ですね。
どれだけ残酷で困難なことを言っているか分かった上での提案であり、全ての人に通じる方法でないぶん、より醜悪であると承知しています。美醜判断をやめない大勢を変えたり期待することに絶望を感じるので、個人ができる事を探すほうがまだ救われる余地がある。自分で試し、複数人から聞いた楽になる方法が今のところこれくらいしか分かりません。どんな微々たることであれ楽になるきっかけを考えられる人がいればいいと思って提示しました。
矛盾していて意味がわかりません。「醜悪」「露悪的」という言葉に酔っ払うのはやめてください。臭いです。ゲロ以下の自己陶酔のにおいがプンプンするぜーッ。
「個人ができる事を探す方がまだ救われる余地がある」といっておきながら、心中の独自ランキングを捨てる事は「個人ができる事」の範疇に入らないわけですか。
心中のランキングを捨てられなければ、自分の評価軸を自分自身に移すということはできず、「かわいいorかわいくないゲー(以下クソゲーと略す)」からは降りる事も降ろす事もできません。心中に他者を比較するランキングがあるということは、人を外部目線から評価して順位付けする視線が完全に内在化されているという事だからです。
その視線がブーメランとなり自分自身に向かうことでクソゲーに振り回されるという悲惨な状況が生じてしまうわけです。
これを自分自身には向かわない形で存続させていると、傍目には「自分の事は棚に上げて他人の美醜を断じる人」に成り下がってしまって余計にまずいです。
捨てなきゃどうにもなりません、こんなもん。
腐っていることは事実ですが、私個人に関して言えば影口を我慢するという感覚ではありません。これだけ残酷なことを書くのだから日常でも平気で口外する/したがる、という前提があると予測しますが、そうではありません。罵倒と褒め言葉のどちらであれ、自分が美醜判断を言葉にされる事に過敏であり、同じような人が多い事も承知しています。なので、まだよく知らない相手に対して「可愛い」と思っても口にしない。容姿に触れてもいいか否か相手の価値観が掴めて、なおかつ褒められる事にプレッシャーを感じさせない関係になれば言います。当然ながら、より危険な言葉である「可愛くない」は口にしたくないので、適当にはぐらかして話題を変えます。よって、「本当は言いたいのを我慢している」ではなく「そもそも言いたくないので言わない」です。
「プレッシャーを感じさせない関係」になってたら言いたいんじゃないですか。
相手を傷つけないと確信が持てたら大いに言い散らしたいんじゃないですか。
どこが「言いたくないので言わない」なのか意味がわかりません。
「言ったら自分も相手もダメージを受ける、それを望んでいないので言わない」というのは「言いたいけど言わない」です。
根性とか性根の問題においては、「言いたくない」ってのは、自分の真意と決定的に矛盾する心にもない事だから言いたくない、ということであって、状況が許さないから言わないということではないです。
一貫してランキングの有無自体を隠し通して口に態度に出さなければいい、ということにしたいみたいですが隠すだけでは無効化されないので全く無意味です。
むしろその逆で、口においても態度においても「そんなランキングは持ってませんけど…」とか、せめて「は?ランキング?いや確かに彼女カワイイけど/彼イケメンだけど/あいつブサイクだけど、それとこれとは話が別でしょ」ということをはっきりとオープンに表明してランキングの効果自体を否定できなければクソゲーを降りた/降ろしたことにはなりません。
あなたの言う「自衛」というのは、周囲が全員ランキングを隠しつつも共有している状況で、ひとり「は?ランキング?いやそれとこれとは話が別でしょ」と自分で自分を弁護し抗弁し続けよということに過ぎません。しかもその提言者たるあなたは依然としてランキング保持者の「周囲」にして通り魔の立場、「自衛とかお前が言うな」なわけです。
言い方が強いとか繊細だとか、主張がすれ違ってるだの相違してるのとくだらない事を気にしたりあげつらったりする必要はありません。
丁寧な応答をありがとう。貴方の主張の大半は同意でき、自分もそうだと思っていることです。しかしそうは伝わっておらず、すれ違いと主張の相違があります。
同意する点は
「可愛い/そうでないと思う」に感性の相違はあるがそこは問題ではない。同意。
お前の目玉がくりぬかれ(中略)ショックですよね。美醜評価も同じことです。「お前は醜いから無価値で有害ですらある」「お前は美しいから俺の言う通りに振る舞って価値の高い人間でいてくれるよね?」というのは表明されただけで十二分に人を害します。
美醜判断がどれだけ残酷なものであるか。同意です。人の魅力の一側面に過ぎないはずの容姿によって、生きる希望を失うくらい強力な無価値観を叩きつけられる。また、美醜をつきつめるほど貧困や家庭環境、優生思想との関わりは強くなり、徹底して残酷な問題になります。
美醜評価において「覚悟」はより広範囲に、全方向に行わなくてはなりません。(中略)人生において視覚によって他人から把握されてしまうすべての場面で発生する可能性があるからです。はっきり言って自衛もクソもありません
個人の自衛など無力なほど美醜評価は強固であり、人生の全般において絶えずされる可能性がある。同意です。
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もちろん個々の感性を変える必要はありません。必要なのはそれを基準化しないことの方、「かわいさ」という、個々人の属性でありあなた自身が「自分の評価軸を自分自身に移して肯定する」べき要素として挙げているものを、一般化して比較しないことの方です。
ランキング化をしないことが必要という点。私は心の内で思うこととそれを外部に表明することの是非を分けて考えます。美醜判断の話と同様で、「ランキング化も心の内でするのは醜いが自他に許容する/それを言葉にして他者と共有することは個人でも社会レベルでも許されて欲しくない」と思っています。貴方の主張は内心のランキング化も捨てよ(「根性が腐ってる」)と解釈しましたが、もしそう主張されているのであれば、確かにどうしようもなく腐っているが不可能な事に感じます。
「美人は一握り」云々のランキング化は、心の内の行動か他者との共有かと言えば後者。まさにエントリーで批判したような「露悪的」な禁じ手で、憎悪の反応があるのは正当だし申し訳ないと思います。それをあえてした意図は、こうした問題に付き物の「美醜差別ってブスの僻みでしょ。美人は得してる」という単純な構図化と、それによる問題の無効化(現状肯定)を避けるためです。「得をすると根拠に出されるな人も含め、ほぼ誰もが損をする構造。男性も例外ではない」という説明をし、その上で気軽に美醜判断を(内心では思っても)口にする危険性と現状を伝えたかった、というのがエントリーを書いた目的です。ランキング化せず伝えられればベストでしたが、他人事な人に訴えるには何割という単純な数字が要ると思いました。
本人に「可愛いって言われてるけど貴方って普通だよね」て示すわけではない
というような行動は何の弁明にもならないです。単に陰口我慢してるだけであって他人を勝手にランキングするその根性が腐ってるという点は変わりないです。
ここですれ違っています。
腐っていることは事実ですが、私個人に関して言えば影口を我慢するという感覚ではありません。これだけ残酷なことを書くのだから日常でも平気で口外する/したがる、という前提があると予測しますが、そうではありません。罵倒と褒め言葉のどちらであれ、自分が美醜判断を言葉にされる事に過敏であり、同じような人が多い事も承知しています。なので、まだよく知らない相手に対して「可愛い」と思っても口にしない。容姿に触れてもいいか否か相手の価値観が掴めて、なおかつ褒められる事にプレッシャーを感じさせない関係になれば言います。当然ながら、より危険な言葉である「可愛くない」は口にしたくないので、適当にはぐらかして話題を変えます。よって、「本当は言いたいのを我慢している」ではなく「そもそも言いたくないので言わない」です。
目玉をくりぬかれて舌を抜かれろと言われようが「知るかよ」ぐらいの気持ちで無視した方が自衛にはいいですよ、と言われてみないと、自分で言っている事がどれだけお題目に過ぎないかがわからないですか?
「とことん残酷さに無自覚だからこんな事が言える。当事者意識もなく、どれだけ困難か分かっていない」という批判ですね。
どれだけ残酷で困難なことを言っているか分かった上での提案であり、全ての人に通じる方法でないぶん、より醜悪であると承知しています。美醜判断をやめない大勢を変えたり期待することに絶望を感じるので、個人ができる事を探すほうがまだ救われる余地がある。自分で試し、複数人から聞いた楽になる方法が今のところこれくらいしか分かりません。どんな微々たることであれ楽になるきっかけを考えられる人がいればいいと思って提示しました。
あなたは実質「自分はガンガンかわいいorかわいくないをわけるナイフで人をぶった切ってくけどみんな自分で自分に評価軸置いとくと傷つかないし自衛した方がいいよ!」と言ってるわけです。通り魔か。
ランキング化などのあえてゲスな言い方を選ぶ醜悪さが批判されるのは当然として、普通ならしない事と平素の行動/考え方を一緒にして批判されるとすれ違います。しかし、現状からの焦りで「こうするべき」という切り捨てた書き方をしてしまった後悔があります。困難さを承知の提案であり、全ての人が着地できない方法である以上、強い言い方でなくもっと繊細な言葉を使うべきだったと思っています。
悪気のない質問です。
自分が進学校、高学歴のため、高卒の人ってナンなんだろうと思っています。
何の仕事についてるんですか?
*釣りではありません。
私のスペックについて聞かれることが多かったので参考まで
「理想の夫、たった10の条件」 というエントリーがありますが、今20代後半なので若干年収が足りていないですが、30歳前半にはこの基準をすべて余裕で満たすと思います。
http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20140408134649
退職者が一方的にブログで批判してきてもそれに対して反論する機会が企業には与えられていない。
中の人が個人的にブログで反論しようとも、あるいは企業公式ブログで反論しようとも、ネット中から集中砲火を浴びるのは目に見えているから静観する以外に術は無い。
そしてこちらの方が重要な理由になるが、たいていの場合は退職エントリでは退職者は「正義」であって企業側は「悪者」という一方的な構図になっているけれども、それはあくまで退職者の一方的な視点でしかない。それが本当に正しいのかどうか外部の人間にはわからない。書かれている事が全て真実とは限らないからだ。あくまで退職者の一方的な考えでしかない。
この退職エントリでは上司が悪者で、その上の経営陣は善人と書いているけれど、結局その上司のやり方が覆らなかったという時点で経営陣は上司のやり方を否定してないのではないか。非効率的な側面はあるかもしれないが、それがマネジメント上やむをえないという判断をしたのではないだろうか。アスペ日記さんは自分のやり方が絶対的に正しいと信じきっているが、実はそうではないかもしれないという可能性は考えないのだろうか。世の中は全て正論で通るほど単純にできてない。
完璧な経営者や上司が存在しないように、完璧な従業員もまた存在しない。
企業側から見てアスペ日記さんにも悪い面が間違いなくあるだろう。
じゃあ、それをもし上司や経営陣がブログやtwitterやFacebookで世に公開していたら、いったい彼はどういう反応をするのだろう。
おそらくそうするのだろう。
やっていることは同じなのに、上司がやったら駄目で部下がやるのは許されるのだろうか?
上司がやったらアカハラで、部下がやったらネットの喝采を浴びる?
それ明らかにおかしいでしょう。
不公平だし非対称過ぎる。
長くて読みづらい文章だが、もし何かの間違いで読んでくれた方がいればアドバイスなど頂きたいと思う。
すでにいくつかの面接に臨んできたが、ことごとく1次面接で敗退している。
めちゃくちゃ頑張ってやってきたわけではなく、エントリーした企業も周りと比べて少なめだが
それなりにはやってきた。つもりだった。
私大の文系だけど、そこそこの学歴はある。(早・慶・上智のどれか。)
見た目も、決して悪い方ではなくフツメンだと思う。
特別なことはしてこなかったが、人並みにゼミやサークル活動にいそしんできた。
ゼミに入る前は英語の勉強に取り組み、TOEICでは800点を超える成果を出すことができた。
(特別良い点数ではないが、平均以上だとは思う)
我ながら平凡な学生だと思うが、それほどひどい学生でもないと思っていた。
面接に臨む前は企業研究や志望動機などもそれなりには準備していた。
話すぎないように、簡単に答えるなども心掛けてていた。
いくらか回数を重ねるなかで、自分なりには改善しながら面接に臨んでいた。つもりだった。
用意してきたこともほとんど聞かれないままに、よくわからないままに
次の選考への連絡がこなかったり、あるいはいわゆるお祈りメールが届いたりしている。
周りがどんどん選考の次ステップに進んだり、内定を獲得したりしている。
そのような中で、自分が内定どころか、1次面接すら全く通過できないことには内心焦りを禁じ得ない。
確かに、学歴があるからおいって、周りと同じ様に超有名な大企業ばかりにエントリーしてきたのは良くなかったかもしれない。
しかし、内定をもらえないと嘆いているのではない。何度もいうように1次面接を通過できないのだ。
……本当のところをいえば、自分はコミュ障だと思う。そしていわゆる真面目系クズに近い部類でもあると思う。
就職活動とは関係なく、社会不適合者なのではと思うこともあった。
決して明るい、ムードメーカーではない。愛想よく話す事が上手くなく、可愛げの無い人間だとも思う。
だが、今では随分と人見知りも軽減し、面接の待ち時間などでは隣の人と談笑するくらいにはなった。
自分が周りと違っていたことは何か、考えてみた。
一番は人に頼ってこなかったことだと思っている。
他人に自分の考えたことなど照れくさくて見せることができなかった。それは確かに周りと違っていたかもしれない。
しかし、こうも思う。
集団面接などで、明らかに自分の話す内容が他の学生と比べて劣っているとは思えないのだ。
先日、数少ない友人の1人に面接について尋ねてみた。そいつは就職活動もうまくいっている。
確かに心当たりはあるかもしれない。
これまでの経験から、顔の造詣や、表情、声で元気や熱意のある感じ、ガツガツした印象は全く持たれない。(いわゆる草食系ってやつ)
昔から落ち着いて見えると言われてきた。裏を返せば、淡々と話したり、可愛げのない感じがあるのだろう。
それも自覚していて、まだまだ改善の余地はあるものの少しずつ直していたつもりだった。
しかし少々の修正程度では選考は通してもらえないようだ。本当に就職活動のむずかしさを実感した。
こと私に関して言えば、不向き、なのだろう。
これから、おそらくもう少しランクを下げて企業を見ていくことになるだろう。
知らない企業で、まだ募集をしている企業を探すのは意外に難しい。はじめに受けていた企業より志望度が当然下がるため、志望動機をひねり出すのも難しくなるだろう。
中々苦しい状態が、これからも続くのは、喜ばしくはないな。これから次第に暑くなることだし。
三年くらい前、スティーブ・ジョブズが亡くなった時、
本当にとても大好きで、憧れてしまう。
ともかく僕は彼にずいぶん参ってしまっているのだ。
なので僕が彼の下で働きたいと思うとは、すごく自然なことなのだ。
単純に、すごく刺激的な日々を過ごせる気がするのだ。
しかしここで問題がある。
そういうスタンスではあるが、何が出来る訳でもない。
冷静に、客観的に考えてみたところ、
自分の売りは、美容師としての10年程のキャリアしかないという結論に達した。
自分を美容師としてドワンゴに雇うことを提案するという方法を思い付いた。
僕はそこまで給料が欲しい訳でも、バリバリ人の髪を切りたいわけじゃない。
ただ、自分が一番役に立つ方法を考えたらこれしかなかっただけなのだ。
自分に払う給料、設備投資などは、コストとして割り切って下さい。
ここまで会長に心酔して来てくれる人が居るってことを、
社外にアピールできるのは、ずいぶんとプラスになるでしょう。
そういうことを熱く書き連ねて、ドワンゴのエントリーフォームに書こうとしていた。
ちなみに職種はよくわからないので、プロモーションスタッフに応募する気だった。
ところが昨日のネットニュースだ。
おいおい、完全に先越されてますやん。
僕も目の付け所は悪くなかった、ただ遅かった。
しかも表参道の高級店。写真で見る限りすごくオシャレなサロンだ。
今後は著名人も招くらしい。
僕を雇うより完全にこっちの方が良い。本当にそう思う。
こんなところで野望は潰えてしまった。悔しい。
今回の件に関しては、僕の思い付きは実現可能だったということ。
ずっと好きだったんだぜ
君は今も綺麗だ
ずっと好きだったんだぜ
ついに言い出せなかったけど
言ってみたいです。言われてみたいです。
どうしてわたしたちは言わずに叶わなかった不完全燃焼の過去の恋を綺麗な想い出として残してしまうのでしょうね。
言ったところで叶ってなかったかもしれないのに。
二人きりで遊ぶような仲良しのお友だちになりました。
もちろん振られました。
私は「分かってたから気にしなくていいよ。でもこれからも今まで通り仲良くしてほしいよ」といった主旨のことをお願いしました。
お互いの性格もあってか、告白は無かった事になったのかな?というくらいに元通りの関係でした。友達も気がつかないほどに。
私はずっと諦めようと思っていました。
ともだちでいるほうが幸せだと。
けれど諦めることはできませんでした。
他に彼のことを好きだという女の子の噂を聞くたび、悲しい気持ちになっていました。
遠くなっていく気もしました。
けれど家に帰ってからはよくメールをしていました。
変わらない彼でした。
メールでした。嬉しすぎて携帯を握りしめて泣いたことは今でも覚えています。
まだまだ子供でした。
お金もありません。
私はなかなか会えない寂しさから、彼に嫉妬して欲しくて色々な事をいいました。
私は彼を嫌いにはなれませんでしたが、あまりに会えないことが耐えられなかったのです。
「もう冷めたの?」「そういう訳じゃないけれど色々と忙しくて、お互いのために別れたほうがいいのかなと思ってた」「そっか。じゃあ別れようか」
こんなやり取りだったような気がします。
仲良くしていてぶつかり合う事は無かったので結局彼の気持ちは分からないままでした。
その時の私は、絶対にこの人よりもいい人がいると思っていました。
すぐに忘れてしまうと。
けれどなかなか出会えません。
すこしいいなと思うひとがいても、どうしても彼と比べてしまいました。
彼が高校へ通う路線のバスを使うときには、いつもドキドキ彼の姿を探していました。
彼の近所へ用事がある時にも意味のない緊張をして、街でよく似た後ろ姿を見かけるだけで心臓がギュッとつかまれる感じがしました。
私が大学への進学が決まった頃、2年ぶりにバスで再会を果たしました。
心臓が止まるかと思いました。
髪の色が変わってだて眼鏡もしていましたがすぐにああ、彼だと分かりました。
目があった途端、昔と変わらない笑顔で久しぶり!!!と私の名前を呼ばれました。
冷静を装い、久々の再会をただ喜ぶ様子で、家まで隣に座って帰りました。
本当に変わっていませんでした。
当たり障りのない思い出話をして、あの子は何してるとか、あの人覚えてる?とか。
私たちが付き合っていた事にはお互いに触れませんでした。
わたしがふと携帯を取り出すと、そこにつけていたストラップをみて「まだこれ好きだったの!?」と笑う彼に、ずるい、と思いました。
どうしてそんなこと覚えているの、と。
わたしの好きな芸能人もまだ好きなの?と聞かれました。
覚えてくれてたんだ、と。ずるい。
その日から、1年くらいの間に4回ほど同じバスになることがありました。
こんどご飯でもいこうよ
悔やんでどうするのかもわかりません。
誘ったところで叶っていたとも思えません。
彼と別れてから2人の人と付き合いました。
きっと彼もわたしのあとに誰かと付き合った事でしょう。
今の彼氏と付き合った事で、彼に対する未練はようやく軽くなりました。
けれどあんなに純粋に、長く、ただただ大好きでいられたひとは彼が最初で最後です。
私は、大人になってしまいました。
彼は今、アイドル活動に近い事をやっているようです。
彼がこのエントリーを見ることは無いでしょう。
辛いとき、寂しいとき、ついついあなたのツイートを読んでしまいます。
有名になれるといいなぁ、がんばってほしいなぁと静かに応援しています。
売れても元カノだよなんて偉そうにはしません。安心してください。
ずっと好きでした。
あなたは変わらず格好いいです。
ずっと好きでした。
ついに言い出せなかったけど。
こういう会社は多いと思う
しかし、いきなり何でも出来る人ばかりではない
何度も聞いてると駄目
それで出来なくて辞めていく奴は多い
俺とかな
1から10までメモもるわけにもいかないし、実際に作業してみないと何が分からないかも分からない
出来ない奴を出来る人材に育てるような、そんな温かい世の中にならないだろうか
そんな余裕がないのは分かってる、でも少しでいいんだ、少しでいいから、もう少し長い温かい目で見てやって欲しい
会社1週間で首になりました
<追記>
他のエントリーとか読むと結構この手の話題って叩かれてることが多いから
叩かれるの覚悟で書いたんだけど、以外にも叩いてる人がいなくて驚いた
ブコメにもあるように、たしかに、1週間程度で判断しないと解雇が面倒くさくなるからというのもあったのかもしれませんね
<追記2>
派遣の契約社員というのは、派遣会社の契約社員として働くということで
クビと書いたけど、解雇ではなく、一筆書かされて依願退職でした
僕も新卒採用で55社位受けた。
就職活動をなめていた当時の僕は、なんとなく開かれている大学の就職セミナーに参加してなんとなくリクナビに登録してなんとなく合同説明会に参加してなんとなく志望業界の募集にたいして応募しまくった。
そして毎日のように説明会に足を運び、試験を解き、面接を受けた。
結果、50社見事に落ちた。
足切りを食らいそうなところは最初から捨てていたので大体は試験に呼ばれた。
試験は簡単なのでまず通った。
1次面接は人事がヤバイやつだけフィルタリングするものなので大体これも通った。
人間性を否定されているようで辛かった。悲しかった。死にたくなった。
夏に手持ちが尽きた。絶望だった。
良い子の僕は就活を続けた。
そこでの会話が僕を変えてくれた。
面接官(以下面)「僕君はなんでうちを受けたの?」
面「うん。そうだね。安定はしてるね。でも安定してる所っていっぱいあるよね。大手とか」
僕「はい。しかし僕は大きなところよりなんでもやれる所でいろんなことができるようになりたいのです(大手受からねぇから9月にてめぇんとこ受けてんだろ。わかってんだろ糞が)」
面「いろんなこと? 例えば?」
僕「プログラムだけではなくて提案とか事業を作るとかゴニョゴニョ……」
面「そっかー。でもそういうのやりたいならうちみたいな官公庁向けシステムやってるところよりベンチャーの方がよくない?」
僕「そ、そうですね……」
面「僕君、君は本当に安定してるうちに来たいのかな? なんかね。君はうちの上っ面だけ見てそれに合わせた志望動機を作っているように見えるんだ。私はね、君が本当にうちで長く働いて幸せになってくれる人材かどうかを見極めたいんだ。うちの文化で働くことが幸せにつながらない人を雇ってもきっと辞めてしまう。もっと自分のやりたいことや、どんな企業で働きたいかを素直に言うべきだ。それで採用されなければそれはきっと本当に『ご縁がなかった』ということなんだよ。」
僕はこの時目覚めたのだ。
あぁ、自分はなにをしていたのか。
お祈りメールを見て「なにがご縁がなかっただチクショー!!」とか思っていた自分こそチクショーだ。
就職してそれで終わりではないのだ。
嘘偽りなく分析した。
大手で歯車に成るのは嫌だ。しかし安定してないのも嫌だ。だがどちらかといえば少々の安定を欠いてもチャレンジングで色々やれる場所が良かった。
ただプログラムを書いてるのは嫌だ。企画自体も自分で上げたい。
同じことばかりやってるのも嫌だ。だから固定の技術、業界だけで勝負するところは嫌だ。
ここだと思える会社を探し続けた。
残業は嫌じゃない。でも毎日は嫌だ。映画とか見たいからさっさと帰っても良い方がいい。変な残業文化は嫌だ。とかね。
やりたいことも全部伝えた。
自分が良いと思ったものを作りたい。糞だと思ったら糞だと言うし作りたくないというぞ! と。
5社受けて3社受かった。
落ちた2社とはおそらく「ご縁がなかった」のだろうと自然に思えた。
何故君のような人材がまだ残っていたのか不思議だと言われた。嬉しかった。
ちゃんと自分と企業を分析してマッチしたところに売り込みに行くべきだ。
自分がどんな奴でどんなことしたくてどんなことは御免なのかを伝えられるように。
君がどんな奴でその企業で幸せになれるかどうかを面接官はちゃんと見ている。
上っ面でいいコト言ってそうな奴はどんなリスクを抱えてるかわからない。
正直に自分の嫌なことを教えてくれる奴なら、そのリスクをカバーできるかどうか判断できる。