はてなキーワード: お土産とは
ミュージカルは帝国劇場で行われるものを中心に、1公演平均3回程度の「にわか」です。
ミュージカル女優を夢見て上京したのにコロナに巻き込まれ、機会を損失してしまった
いいえ、私はあなたではないので「あなたの」気持ちをあなた同様にわかろう筈もないのですけれど。
私はミュージカルが好きです。
「レ・ミゼラブル」が「ミス・サイゴン」が「キャッツ」が「ウエスト・サイド・ストーリー」が「コーラスライン」が好きです。
舞台にあがる役者さんが、役者さんを照らす照明が、舞台転換のたびに目まぐるしく変化する大道具が、舞台を飾るオーケストラの演奏が、劇場が、案内をする人が、お土産を売る人が、劇場をメンテナンスする人が大好きです。
様々な人が登場し、恋にときめき、人生を呪い、笑い、そして時には運命に翻弄され命を落とします。
何が運命を分け隔てるのでしょう。
皆必至に生きていると言うのに。
『コーラスライン』という「線」を越えることが出来る人と、越えることが出来ないのは一体何故なのでしょう。
みんながスポットライトを、称賛を、磨いた技術と共に浴びたいと願っているのに。
どんなに望んでも、手に入らないものがそこにある。
どんなに悲しんでも、手の中に「あった」筈のものが失われることもある。
離したくない手が振りほどかれ、愛しい人の命が奪われる。
ミュージカルは何度もそのことを伝え、それでも「生きてゆくこと」の大切さ「生きてゆくこと」の尊さを、ミュージカルは伝えてくれるのです。
人生は思い通りにはなりません。
あなたがミュージカル女優の道を目指しているのなら、この苦難を是非「糧」にしてください。
若干炎上するような書き方になるかもしれませんし、受け入れ難いかもしれませんけれど、あなたは今まさに人生という名の劇場で、ミュージカルの舞台で起きているような波乱をその身で体験しているのです。
いつの日か舞台でスポットを浴びたとき、今、あなたが体験している苦しみや悲しみ、底なしの絶望が、あなたの演技に「深み」を与えてくれますように。
そしてこの苦難が1日も早く過ぎ去りますように。
あなたの「機会」を少しでも損失させないよう、私もまた協力します。
”
悔やまない 選んだ道が どんなにつらく
この日々が 報われず過ぎ去ろうと
泣かないわ 好きだからこそ 命燃やした
この日々に口づけして別れよう
ああ この愛を胸にいだき
明日を生きよう
躊躇わず思いのままに
すべてを捨てて
生きた日々に悔いはない
この道をひたすら
ああ この想い胸にいだき
別れ告げよう
(悔やまない)好きだからこそ
(命燃やし)すべてを捨てて
生きた日々に悔いはない
ひたすらに この道を
”
いやそれぐらい知ってるから大丈夫だよwいちいちありがとうだけどw税務調査が万一あった時はもちろんお土産(数十万程度の手柄)持って帰ってもらうぐらいは用意ありますよ、そこのお土産を数百万にしないのが腕の見せ所って当たり前でしょ言わせんなw
いつもは、
どこに行くにもだいたい愛車のデ・トマソ・パンテーラかでお出かけするんだけど、
もちろんの如く車でおでかけかと思ってたけど、
出先が雪どっさり積もってるみたいで、
新幹線に乗ったってわけなのよ。
久しぶりの新幹線は
いつものデ・トマソ・パンテーラでの道のりだと20時間ぐらいかかる本当に優雅な移動時間なんだけど、
気持ち的には3秒で到着する感じよ。
一応にしい向かっていて途中までは雪が全然降ってなかったので、
本気出したら車でもこれたんじゃね?って思ってたんだけど
ある県境のトンネルを抜けたら雪国だったっていうこすり使い倒された表現を地で行くような、
私流に言うなら、
まあ雪国まいたけだけでも覚えてもらいたいなぁって、やっとりますけど。
いきなり本当に雪が積もっていて、
積もっているという表現より、
雪の壁!
レミオロメンの粉雪の出だしがどこで入ったらいいのかわからないぐらいの調子で、
私もこれほんとうに県境を越えたら、
でも目の前の雪国まいたけは本当だし、
しっかり雪積もってるわ。
私はその新幹線駅からまた目的地までバスか何かで行こうと思ってたけど、
でも大丈夫、
滑り知らずってことは雪に対しては対して平気みたい。
だけどうかうかしている間に新幹線内のWi-Fiが30分以内で切れちゃうから
すみません!もう30分のWi-Fiチケットください!って購入しなければならないわ。
だから私はこの増田をもうあと30分以内で書き上げなければならない季節なの。
だから雪!雪!ってワンコロみたいにはしゃいでなんかいられない少女時代でもあるわ。
今はもう帰りだけど、
そのすっかり車内Wi-Fi券買うのを忘れていたんだけど、
お土産の雪国まいたけはしっかりと買って変えるから安心してね。
いやね!雪国まいたけって言っても本当に生雪国まいたけなわけないじゃない!
だからついついつも雪国まいたけって連呼しちゃうのはこのせいよ。
でもね、
雪もめちゃ積もっていたんだけど、
もうよく分からなくなってきたわ。
そんなこんなで、
やっぱりこの頃中野仲成、
移動する人の数は少ないみたいね。
いつもとは違う新幹線の車内のイキフンもこの際楽しんでおこうと私の中の心の写真機がそう写せってガイアが囁いているようでもあるし、
それはそれで面白いなって思わなくっちゃ!
でも私は少なくとも、
髪を染めてみたり、
それはあくまでも結果であり過程ではないことを歩みたいと思ったし、
そうやって見ている地方のちょっとやんちゃな成人式のニュースを傍から見てると
ちょっと絶滅危惧種を愛らしく自然保護の心を持って優しく保全活動をしたくなる、
そう胸がキュンとなる感じがしてたまらないわ。
サミットに行きながら考えたわけなのよ。
うふふ。
新幹線乗る前の適当な駅前喫茶店でのトーストモーニング茹で卵付きよ。
茹で卵をうまくいかに剥くかってところがここのモーニングの勝負どころよ。
私は手慣れた感じで、
おでこにカチンと茹で卵にヒビを入れさせしすせそさそ、
いい勢いでパチンとおでこにぶつけたら、
な!なんと生卵!
ここのモーニングのトーストモーニングの茹で卵と思っていた卵は生玉子だったっていうオチ。
納豆でもついていたらパーフェクトだったのに!ってやかましーわいって
もうおしぼりでおでこについた生卵の破片を拭き取った後の祭りね。
そういった感じの、
これで引っかかるの2回目よ!
やれやれだわ。
ボトルに入れておいてお水なりお湯なり入れておくと
いつの間にやらティーパックほうじ茶ウォーラーの出来上がりってわけ!
ほら!簡単でしょ?
簡単なのよ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
重い過去がある人に対して、どんな反応すればいいか分からない。
昔仲良くしてた女の子の母親が事故で亡くなった。その年の夏休みに二人で彼女のおばあちゃん家にお泊まりすることになった。気晴らし旅行みたいなものだったと思う。とにかく悲しいことは忘れて、ぱーっと遊ぼう!みたいな。(実際めっちゃ遊んだ。映画にプールに遊園地など) 私はなんとか彼女に安らぎを与えたくて(そんなの無理かもしれないけど)、とにかく無邪気に振る舞った。空回りしてたかもしれないけど、重い空気にしたらせっかくの精神回復旅行が台無しになってしまう。私は彼女の心の安寧であり、家族以外のなにか悲しいことを忘れられる場所でもあるのだ。そんな自負をもって旅を楽しんでいたのだが、やはり時折お母さんの話題がちょろっと出る。そのたびになるべく感情を下げないように「ふーん」「そっかあ」「そうだったんだね」と差し障りのない返答をしていた(じゃないと私のほうが悲しくて涙が出てしまいそうだった。彼女のお母さんによくしてもらってた)しかし帰りのお土産コーナーで「これね、お母さんが好きだったお菓子なの」とスフレを差し出されて、いつもの通り「そうなんだね、そっかあ……」と返答したら、ちょっと怒ったように言われた「なんでお母さんの話題を出すと急に冷たくなるの。別にわたしはお母さんのこと、悲しかっただけじゃないから」そこでハッとした。気を使いすぎていたのかもしれない。話すことで思い出す優しい記憶もあるのに、私は全て彼女の母=死んでしまったという事実でしか捉えられていなかったのだ。小学五年生の夏だった。小説にかじりつく本の虫である私は、親のいない主人公や登場人物が出てくる本をいくつも読んできたはずだった。そんな彼らに共感し(ちなみに私の両親は生きている)、そんな彼らが一番嫌がるのは「同情」だということも知っているつもりになっていた。しかし人間って複雑だし、小説みたいに上手くいかない。あのときは「ごめん」と謝ることしかできなかった。
彼女の母の葬式のとき、本当は身内しか入れない控え室みたいなところに入れてもらってボードゲームをしてた。私だけじゃなくてクラスの女の子も7.8人呼んで皆でワイワイやっていた。内心(葬式って悲しむべき悼むべき静かなところであって、こんなに馬鹿騒ぎするのはおかしいんじゃないの)って同級生に引いてたんだけど、彼女にとってはそんな馬鹿騒ぎでもしてないとやってられなかったのかもしれない。一歩引きすぎてたのかもしれない。そこで私がいの一番に盛り上げて彼女の不安をどうにかして紛らわせることができたら一生の友になってたかもしれないが、正直彼女を見るとお母さんを思い出してテンションがぶち上がれない。
葬式で配られたハンカチがあった。ご丁寧に葬式に出席した同級生全員に配られた。しかし私はそれを使うことはできなかった。ある日、学校の給食の時間に馬鹿男子が牛乳か何かをこぼしてハンカチを取り出した。例の葬式の引き出物だった。しかも彼女の目の前で。でも意外なことに彼女は笑った。「あ、それうちのお母さんのだ」「……悪かった?」「いや、使ってもらったほうが嬉しい。棚の奥にしまわれるより」私は完全に引き出しの奥に詰めていた。なんか、こういう考えないクラスメイトの行動のほうが、彼女にとっては嬉しいんだな──と、彼女と一番心の距離が近いと思っていた私は嫉妬のような不思議な感覚を持った。だってあの旅行に誘われたのは私だけだったのだから。そして、「あぁ、これが『いつも通り接して欲しい』ってことなんだなあ」って思った。私は考えすぎていた。今まで読んだ小説をサンプルになんとか状況を整理して、一番適切な行動、役割を全うしたいと思っていた。なぜなら彼女と私は親友で、親友がなにか危機的状況にいるときは相棒が助けなければならないからだ。しかしそれは、「同情」にも似た、そして、同情よりもたちのわるい「計算」をして彼女を支えたつもりだったのだ。
葬式で馬鹿騒ぎしたクラスメイトも、葬式のハンカチを日常で使う馬鹿男子も、「計算」なんてこれっぽっちもしてなかった。「いつも通り」だった。むしろ私はその場の空気を冷やしてしまっていたんじゃないか。私は感動しいである。感動ものの小説やドラマや映画は大体感動ポイントで泣く。感情豊かだと自負していた。だから相手の気持ちも分かる気がしていたのだ。今年お互いに成人の日を迎え、年賀状も届いた。しかし、毎年返せずにいる。
重い過去がある人に対して、どう接するのがいいのだろう。よく小説や漫画にあるのは、聞き手がはてなを浮かべて「だからなに? おまえがおまえであることに変わりはねえよ」ってさも当たり前みたいな雰囲気を醸し出すやつだけど、あれを柔らかく伝える瞬発能力はない。お家に帰って反省会すれば出てくるかもだけど。人の死に構えすぎなのか。でも人が死ぬのは悲しいことだし……実際に身内が死んだ経験がないから分からない。自分の親が死んだときどんな反応をされたら心が逆立たないのか考えても、今の時点では「……そっかあ」という差し障りのない返答が精神衛生上いいんじゃないかと思う。分からない。
ただそのような出来事があった、というだけの話なんだけど。あまり気軽に友達に話せるようなことでもないのでここに置いてく。
発端は先月末、隣の市に住む親戚のおばさん(従姉妹の母親)が入院したことから。
おばさんは私の伯父の奥さんで伯父は20年ぐらい前に癌で亡くなっている。
伯父夫婦には2人子供がいる。兄には生まれつき知的障害があるが大人しい性格で普段は施設で暮らしている。
3歳ぐらい下の妹、つまり今回久しぶりに会った従姉妹は高校受験で地元で一番の進学校へ入ったが中退し、アニメかなんかの専門学校へ行ったらしい。
だけど就職もできずどのバイトも続かずそのまま引きこもるようになったときいてた。
伯父の葬儀でも見た目は普通の女の子だったがずっと無表情で完全に心を閉ざしている感じで、誰かが話しかけても無視か必要なら頷く程度だった。
おばさんは生前「あの子はずっと私を憎んでいたの。」と言っていた。
伯父は癌になるまで大企業の役員クラスの仕事をしていて激務だった為、家庭はほぼ妻に任せていたと思われる。
そして従姉妹は中学生ごろから両親に「どうせ兄の世話を押し付けるつもりで私を産んだのだろう。」みたいなことを頻繁に言っていたらしい。
ただその兄はもう長いこと施設で暮らしていて年末年始などたまに実家へ帰っていたが、今ではもうその施設での規則正しい生活のほうが本人は楽なようで、両親の死後もそこで暮らせるような手筈にはなっている。
伯父夫婦と私は冠婚葬祭やたまに外でごはんを食べたりお土産のやりとりなどそこそこの親戚付き合いはあった。が、どれぐらい従姉妹を立ち直らせようというような働きかけをしていたかは知らない。
おばさんは洋裁が得意で、多趣味で油絵や音楽を習ったりしていて、いつも忙しくしていた。自分の娘のことは「なるようにしかならないから悩んでもしょうがない」と諦めていた感じだ。
あまりクヨクヨしない、楽天的な性格といえばそういう性格の人だった。
おそらく従姉妹とは性格が合わなかったのだと思う。母娘でも合わないなんていくらでもあるし、本来なら相性の悪い親と一緒に暮らすのは苦痛で仕方ないだろう。
しかし従姉妹には独立できるほどの能力も気力もなかった為に親元にいるしかなく、同時に激しく憎むという生活を長年送ってきたのかもしれない。
しかし今回おばさんが急に入院、容体悪化で危篤ということになり、色々あって私が従姉妹を連れて病院へ行くことになった。
まずおばさんの家の中を見たのはたぶん5年ぶりぐらいだけど、ほぼゴミ屋敷になっていた。前から物が多いなとは思ってたんだけど、足の踏み場はかろうじてあるという感じ。
そして20年ぶりの従姉妹はかなり見た目が変わっていた。かなり太ってたのもあるし、もちろん中年になれば変わって当然なのだが、とにかく外に出ず他人との交流がない生活をしている人間だというのがひとめでわかるような風貌だ。最初はちょっと正視できなかった。そして、何を話しかけても言葉を発しない。
従姉妹に、お母さん入院したことは知ってるの?ときくと、僅かに首を横に振った。知らないしそもそも興味もないという顔だ。それで彼女に説明して
「お母さん危ないみたい。明日の朝、迎えに来るから、お母さんに会いに行こう。」と言うと彼女は小さく頷いた。
冷蔵庫の中を見ると生鮮品は古くなっていたが米はあるしインスタントやレトルト食品も山ほどあったのでしばらくは大丈夫だろうと思ったけど、もし足りないものがあれば近くのコンビニに行きなさいと従姉妹に少し現金を渡してからその日はいったん帰宅。
相変わらず何も喋らないが、もしかしたら行くのを嫌がるかと思っていたので素直に車に乗り込んだのを見て少しほっとした。
今は面会の制限が厳しいから、私だけだと入れて貰えなかっただろう。
病院につくとおばさんはICUの中で人工呼吸器をつけ意識もなく寝ていた。
医師によると最初は違う病気で元の病院に入院していて意識もあったが、そこで突然くも膜下出血を起こして手術可能なこちらへ運ばれてきたとのこと。脳内の出血がひどく完全に瞳孔が開いており、手術せずこのままだと年内もたないとのことだった。そして手術して命は助かっても植物状態で寝たきりになるという。
手術するかどうかはおばさん側の実家の親戚に電話をして経緯を話し、「しない」ということになった。
で、面会はこういう時期なので身内に限りひとりだけと言われ、従姉妹に入るよう促した。が、動こうとしない。
彼女の様子を見た看護師さんが状況を察したのか、私に「付き添いということなら、一緒に入っていいです。」と言ってくれ、従姉妹を連れて一緒に中へ入った。彼女は手を引くとようやく足を動かした。そして看護師さんが寝ている母親の手を布団から出して「もう最後ですよ。手を握ってあげて。」と言われると一瞬だけ母親の手に自分の手を重ねた。でもそれは言われたからした、という感じで、すぐに手は引っ込められ、彼女の様子からは何の感情も読み取れなかった。
もしこれがドラマとかだとそこで急に従姉妹が後悔して泣いたりするような展開なのかもしれないけど。
わかったのは、従姉妹は本当に自分の母親が嫌いだったんだろうなと。悲しい気はしたけどそれはそれで仕方ないとも思った。
彼女にとって赤の他人に等しい私には彼女の事情や内面は計り知れないし、実親が死にそうだから泣いて手を握らないといけないということはない。
自分はなんか余計なことしたのかな、という気分にはなった。
それより彼女にとってはこれからの自分のことのほうが、重要なのだろう。今までと同じ生活がもう出来ないことはちゃんとわかっているはずだし。
翌日、連絡した従姉妹の母方の親戚(おばさんの甥・姪にあたる人)がこちらへ出てきた。なんでも甥はおばさんから自分にもしものことがあったらと従姉妹の後見人を頼まれていたらしい。
そして私と一緒に従姉妹の様子を見たいということでまた会いに行ったのだけど。
彼女に僅かな変化を感じた。
相変わらず喋らないし反応も薄いけど、前日はほったらかしだった伸ばしっぱなしの長い髪は後ろで一つにきっちりとまとめられていた。たったそれだけのことでも、なんかだいぶまともに見えた。
おばさんはその数日後に亡くなり、こんな時なので葬儀も僅かな身内だけで済ませて葬儀後の会食などもせず終わり。
今後、従姉妹のことは(彼女の兄のことも含め)そちらの親戚に任せることになった。近々市の福祉課にも相談に行くとか言っていたし、ちゃんとしたしっかりした人たちなので大丈夫だろう。彼女が長年暮らしたあの大きな家も処分するのだろうな。
そして彼女がこれからどう生きてくのかはわからないし、もしかしたら私はこの先彼女と会うことは二度とないかもしれないけど。
彼女の様子を見て、自分の母親の死に対してある意味ホッとしてるのかもなって思った。
従姉妹は精神的に問題あるだろうし引きこもりだけど、8050問題になって親に刺し殺されたりするような人もいる世の中でだいぶラッキーな人だなって感想でした。
最初に言っとくけど俺はGoToトラベル続けろって言いたいわけじゃないよ
ただ観光業とその周辺産業を守るために他にどんな方法があったのかなあってよく考えるんだよね
観光業、特に地方の温泉街なんてのはこの状況においては絶対的な弱者なわけだけど
コロナ禍という緊急事態なので弱者は助けられません、死んで下さい
ってのは絶対間違ってると思うんだよね
ましてや地方の温泉街で働く人たちって決して裕福とは言えないシングルマザーみたいなただでさえ福祉の助けが必要な人たちが結構いるわけだしさ
でもやっぱ旅行ガンガンして下さいっては感染拡大防止のためには真逆の方針だし
かといって苦しんでる観光関連の事業者や従業員全てに充分な金ばらまくってのも現実的じゃない
(例えば観光地で売ってるお土産の箱を製造している会社が観光関連業かというと俺にはわからない)
そういう意味でGoToトラベルってまあまあ悪くない案だと思うんだよね
一緒に旅行する関係ってもともと日常的に濃厚接触する関係の場合が多いと思うし
事業者としてもばら撒きじゃなくて、通常業務の中で金が入ってくるわけだしさ
でも結果的にGoToトラベルキャンペーンは一時停止になるわけだからやっぱ良くなかったってことだよなあ
俺にはこれ以上いい案が浮かばないんだけど、このコロナ禍の中観光関連業とその従業員という弱者を救うためには何が正解だったのかな
わからない
父
田舎の農家から上京してきて、30くらいでレストラン初めてチェーン15店くらいできた社長 ← この後半らへんが私の物心ついた時
20年くらいたったあと、業績がひどい事になり倒産 ← ここらへんが私の思春期
とにかく頭が悪くてブサイクだったけど、社長の時期はとても謙虚で腰の低くて毎日遅くまで仕事してる人だった。
それが倒産してからひどくなった。癇癪持ちになって人に肩をぶつけまくったり近所迷惑なのに騒音をながしまくったり、
よく独り言で「なんなんだよっ!くそっ!」とかどこでも叫び始める、よく電車にいるやばい人になってた。
「育ててもらった縁はあるけど、人間としては無理」な典型的な親になっていった。
今思えば昔から上昇志向とプライドは高いけど、自分に自信がない人だったのかもしれない。
会社がうまくいってる時はプライドが保ててたから腰が低かったけど、倒産して人が離れてってブサイクな自分しか残らなかったから本性が出たのだろう。
自分自身非常に迷惑というか痛み分けを被ってきたので、施設の人と相談して、学校を中退して離れて住むこととなった。
そこから先の父とは2回しか会わなかったのだが(絶縁あるあるで、やはり10年くらい経つと滅茶苦茶心配になるときが来るのである)、
そのときもやはりプライドの高いのと癇癪持ちは治ってないのが見え透いていたので、関係が修復する事はなかった。
葬式行く気がなかったけど今の夫が「まぁお父さんいなかったら僕たち出会わなかったし、気が向いたら行ってきたら?」と煽ってきて、
「おーじゃあ行ってきてやるよ!怖いもんなんてねぇしな!なんかお土産買ってくるわ」くらいの感じで行ってきた。
行ってみたら、式を開いた母と、父が死んだことを連絡してきた兄以外、誰もいなかった。
母いわく結構な人を誘ったらしいが誰も来なかったらしい。
それを聞いて私が思わず「まぁ自分ももし赤の他人だったらこんな奴のために来ないよなーw」と少し笑って言ってしまった。
(さすがに怒るかな?)と思ったら、母も「まぁね〜」ってなんかツボにハマったらしく、5秒くらい笑いが止まらなくなって、20年ぶりにあった兄も「ふふっ」って笑い出した。
思えば、今この場にいるのは父の死体と母と兄と私だけなのだが、家族水いらずでこうして集まったのは実に30年ぶりなのである。
そして家族から笑顔が消えたのも自分が小6の時以来で、なんというか、こうして自分と母と兄が笑いあっている今この瞬間がとてもエモく思えた。
まぁ父の顔は見たくないので、母にお金だけ渡してサッとそのあと帰ってきたのだが、「なんだかんだ行ってきてよかったわ」と夫に言ってちょっぴりホッコリした。
なんだかんだ父が死ななかったらこういう事もなかったので、
最後の最後に父に、30年ぶりくらいにありがとう的な気持ちが芽生えて、心がじんわり温かくなって「あー仲いい親子って毎日こういう気持ちを感じてるんだろなー」とかふと思った。
おわり