はてなキーワード: 白旗とは
はじめに言っとくが私は言葉を使い、会話することで戦争を無くすことをとても強く願っている。
そんな私だが、今のイラクの空爆や、シリアの紛争、ガザの戦争、もう多くの人の死が起きていて、どうすればそれを無くせるのかということを考えている。
ひとつは、戦争すること自体を無駄だと思うこと、音楽に熱中してたら、誰かと喧嘩なんてバカらしいよね?
音楽を聴くのも良いし、楽器を弾くのもいい。人がクリエイティブになってたら、そこが土俵になって、あの人よりもいい音楽を作ろうとか思うわけじゃん。
銃を使って殺しあうというのは、ゲームだったら楽しいかもしれないけど、リアルでやったらダメってことは誰でも分かるよね?
そしてまず上で上げた例のように、戦う土俵を変えることがひとつ、もうひとつは圧倒的な戦力。
例えば、小さい国とアメリカが戦うなんてことになったら、その小さい国はすぐに白旗を上げるはずだ。
答えは無理だと分かっているから、だからといって、アメリカの属国になる必要はない。小さい国だからこそ、独特な文化が発展しているのだから、アメリカと強調することもできる。
アメリカばっかり例にあげているけど他の国も同じはず、一番やっちゃいけないのは力の互角の者同士の戦い。殴り合いでも想像してもらうと分かりやすいかもしれないけど、互角の人同士が殴り合いをすると、一発ノックアウトなんてことはまずない。
じわじわ、お互いを痛めつけて、どっちも傷ついて、どっちかが立ってたほうが勝ちなんてことはザラだ。
これを戦争で表すと、互いの国で死者や負傷者を沢山出す。
タダの紋所ならいいだろう。しかし今の日本はそれだけじゃ終わらないような気がしてならない。
国民にとっては悪いことばっかりで、もう何がなにやらで混乱を招いている。もっとしっかり、国民目線に立ってしゃべろといいたい。
ここのブログで長々とした言い訳と屁理屈が並べ立てられていた。
「吉田証言はデマ=慰安婦はデマ、になりません」 http://d.hatena.ne.jp/vanacoral/20140805
シンプルに言っておく。
なぜか。
ここ( http://anond.hatelabo.jp/20140806202223 )にかいていたがわかりやすいので引用する。
昨日で議論のポイントは大きく変わった。
一昨日まで:
1) 奴隷狩りのような「慰安婦」徴発があったか、それとも彼女達は売春婦だったか?
昨日から:
1) 奴隷狩りのような「慰安婦」徴発があったか、それとも彼女達は売春婦だったか?
そして、そもそも2)は、1)がどうも胡散臭い話らしいと見るや、朝日がへどもどと「だって『広義の強制性』があったじゃん!」などと涙目で食い下がった屁理屈にすぎないのだ。(要するに論点のすり替え)
大体、21世紀の今に至っても「戦場の性」をどうするか?どうあるべきかという問題に決着はついていない。
読売も社説で書いていたが、「強制連行があったかなかったかが『慰安婦』問題の本質」というのは、まさしくその通り。
なぜか?
2)は日本軍に固有の話ではなく、すべての国の軍隊、過去から21世紀の現在に至るまでが未だに解けていない問題だからだ。
現代でも解けていない問題を時間を遡って、「日本軍の戦時売春婦の待遇は良かった・悪かった」などという議論に意味はあるか?いや、ない。つまり2)は最初から意味のない議論なのだ。
つまり、
ところで、2) = 無意味。そして今回、朝日は1)がデマだと認めた。
そうするとこうなる。
今後は、「慰安婦」問題ではなく、「戦時売春婦待遇問題」とよぶべき。
そして議論をまともに進めるにはまず「戦時売春婦」の待遇がどうあるべきか議論する必要がある。給与の水準は?外出の機会は保証されているか?コンドームの費用負担は客か?本人か?業者か?性病の検査の頻度はどのくらいであるべきか?行儀の悪い客を「出禁」にする段取りは適正か?等々。
俺はこの手のことに詳しくないので、こうした議論は無理だが、vanacoralって人は詳しいのだろう。これだけ自信満々に書くということは。
せいぜい、頑張ってくれたまえ。
朝日はまだ「慰安婦問題の本質 直視を」などと屁理屈をこねているが、
http://www.asahi.com/articles/ASG7X6753G7XUTIL053.html
とにもかくにも昨日で議論のポイントは大きく変わった。
一昨日まで:
1) 奴隷狩りのような「慰安婦」徴発があったか、それとも彼女達は売春婦だったか?
昨日から:
1) 奴隷狩りのような「慰安婦」徴発があったか、それとも彼女達は売春婦だったか?
この部分が朝日にとっての「本質」。これはまだ白旗をあげてないので未決着。
そう考えてるおまえの世界ではおまえが雑魚中の雑魚っていう自己紹介? あ、わたしはその理屈は違うと思ってるんで当てはまらないわー
バカに反論するのに一覧が汚れていくのが嫌いなだけだよ 「俺は元ブログも議論も知らないけどさ、お前は元ブログの主と議論した当事者だったの? そんで増田にグチグチ書き込んでん...
うわ、プリントアウト案件だな笑 あんたの中では叩くときにアカウント取るのが当たり前なの?
単なる妄想に留まらずそういう陰湿な誰かが陰湿に叩くために違いない!という発想が出ること自体が怖いわ笑
俺ですら理屈に突っ込める
言ってない!というだろうと予想して合わせてやったんだよ 言ってないけど前提がそもそもそれだという事実には変わりないしね
考えたつもりのバカってのはわかる。考えるってのはパソコンカタカタうって適当に見返してアップすることじゃないんだよなぁ 持論をきちんと見直すことがだいじ。 バカが難しい語彙...
理屈にidがあるかどうかで評価が変わる人って、理屈じゃなく誰が言ってるかで態度を変えるキチガイだよね ↑これ読めないらしいな笑 http://anond.hatelabo.jp/20140614174609 現に本論には一ミリ...
ちゃんと自分では保存してるしいざとなればあとから貼ってもトラバ追える状態になるんでどっちがおかしなこと言って白旗上げてたのかまるわかりだよ
http://anond.hatelabo.jp/20140615005425
いやどう見ても相手がお薬だろ。。。わざわざ必死になるとこ見るとお前もなんだろうけど
http://anond.hatelabo.jp/20140614172821
http://anond.hatelabo.jp/20140614213355
http://anond.hatelabo.jp/20140615093045
マジで頭おかしいんじゃね?笑批判する奴は恨みを持っているに違いない! 粘着も何もおかしなことを言うやつを批判したら書いてもないことを空想補完されて更におかしなこと言いだ...
http://anond.hatelabo.jp/20140615182247
http://anond.hatelabo.jp/20140615180944
既に済んでる話だね笑↓ http://anond.hatelabo.jp/20140614183053  バカに反論するのに一覧が汚れていくのが嫌いなだけだよ 「俺は元ブログも議論も知らないけどさ、お前は元ブログの主と議...
http://anond.hatelabo.jp/20140615180944
「俺は元ブログも議論も知らないけどさ、お前は元ブログの主と議論した当事者だったの?そんで増田にグチグチ書き込んでんの?ダサくね?」これ自分で読み直して脳内空想しすぎだ...
いつだったかなぁ?クラブのウエイターやってた18くらいの時だったかなぁ?
その筋のあるお客さんに、何故か気にいられた。
と誘われて、サウナに行くことに。
そこは珍しく入れ墨OKの店なので、いつも繁盛している処。
「オウ、マッサージしてもらおか?」とお兄さん。
「ハイ」と僕。
「あー。エエ女に揉んでもらいたいのォ!」とがニヤけるその人。
「いらっしゃいませン♫どこ凝ってはるのン♫」
と、
語尾が 「ン♫」という感じで小娘チックさをアピールしてる。
「ヲイ!もっと若い女はおらんのんかい!オバハンやないかい!」と先輩。
「マァそー言わんとン♫」
そして渋々いいながらも結局揉んでもらってたら、
「あーソコソコ。オバちゃんウマイわぁ。あー気持ちええわぁ♫」
白旗を上げるお兄さん。
すると、小刻みにサササと「ハーーーーーイ♫」
と跪いて、「おビール どうぞン♫」お尺。
「やっぱりテクニックがうまいのう。また指名したるわな。ネエチャン♫」
ヤクザのお兄さんニッコリご満悦。
ブスでも愛らしさを忘れない。
気持よくしてあげてるのかと思ったら、
人生の場数踏んでるんだろうな凄いわぁとその時思った。
もう猛獣使いの域だね。
この「ン♪」がポイントww
727 :ソーゾー君:2013/12/07(土) 00:00:11 ID:ayx8jkQ6
http://blog.goo.ne.jp/oribeizum/e/b0f7eba37cc7e8013c2aa2d4bc18117e
何故それを阻止しようとしていた俺を妨害したのかね?
これを後の祭と言うんだアホ・・約二年は強行採決で悪法可決しまくるんだろ?
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/movie/10043/1378650618/l50
なんで多重ポストしているのかわからんが、その内容通りなら確かに俺も増田をA評価する。「時間内できちんと終わらせて成果も出している」んだろ?
増田の精神衛生のために、増田が上げてる「ガンバッテルヤツ」の真相をぶった斬ってみる。
ほとんど毎日12時近くまでサービス残業して、さらに土日も出てきて働いている人。
それは仕事のやり方に致命的な問題があって異常に遅いか、仕事量を減らす努力をしていないため仕事に追われる状態になっているかのどちらか。
そして後者は前者と同義なので、はっきり言って「ただの無能」。
平気な顔してサービス残業なんぞしている点からも、原価管理って考え方がないのが透けて見える。
やりたくない仕事を我慢しながら、いつも嫌な顔をしてこなしている人。
そんな印象の悪い奴は人事の覚えも悪くなるなあ。
仕事内容に問題があるならきちんと問題提起しろって話でしかない。
内臓をやられて黄色い顔に臭い息の人や、不眠になって精神科に通いながら働いている人もいる。
病人はご愁傷様としか言いようがないが、働けないなら働けないときちんと白旗上げるべき。
50%以下の能率しか出ない状態で延々とと続けるくらいなら、きっちり治して100%の能率で動けるようになってから出てきなさいと。
で、
ほかの人ぐらい自分が頑張れる人だったら、もっとすごい結果が出ているはずなので、やっぱり自分は社会人になってもサボっているんだと思うと、少し悲しくなってしまう。
それは全く違う。はっきり言うが仕事は楽して稼げる状態を目指すべきなんだよ。
上で書いたガンバッテルヤツラみたいなのは、何故か日本企業では重宝されるが、仕事のやり方って面から見ると本末転倒も甚だしい。
本当にその通りなんだけど、修士まで行ってながらそれに気付かないという元増田は可哀想すぎる。
何のために大学院に進学したのだろう。"修士号"目当てだとしたらロンダと発想が何も変わらない。
研究の世界とは無縁の出来損ない学生なのか、よほど世界レベルとは程遠い日本ローカルな分野の院なのか。
他の学生が気になって仕方ないところを見ると前者の可能性が高いと思うけど。
院に入ればそれまでとは違った競争基準があって、東大がどうのと言ってたらプロパーだろうがロンダだろうが落ちこぼれの証拠みたいなもの。
もっとも敵愾心がロンダ全てではない(落ちこぼれではないペーパーで勝負できそうなロンダにはきちんと白旗をあげている)ところを見ると、
同じ落ちこぼれ同士の中で、「俺はプロパーだぞ、世間よちゃんと差をつけて優遇してくれ」ということだろうし、そう思いたくなるのは分からなくもないが。
なるほど、そういった関西電力の企業努力の不透明感が元に原発反対へとつながったのですね。
今後はデモなどで、こうした電力会社の隠蔽体質にメスを入れることも課題となるでしょう。
しかし、市場原理によって本当に埋蔵電力が引き出されるのでしょうか?
高い金額を提示すれば、企業側に
「電力会社がこれだけ高い金額を提示するということは、停電が起こりうるのではないか」
という懸念を抱かせることにつながります。
そもそも、埋蔵電力をあてにしている時点で、電力会社は社会の需要に対して、自社の設備だけでは供給できないという白旗をあげているようなものですから、企業は売電により慎重になるのではないでしょうか?
そのような状況では
のうち、どれくらいの量があてにできるのか疑問です。
そして、そんな疑問に対して「分からないなら、やってみりゃいいじゃん」とばかりに社会を実験場にする主張に対し、私は反対です。
先輩に久しぶりに会った。
学生時代には体重0.1トンだった先輩が、すらっとスマートになっていて、誰だかわからないくらいだった。
先輩に夕食に誘われたので、話に乗った。
奥さんも知りあいなので、本当に行っていいのか確認と、お土産の希望を聞いたり、いつ行くか打ち合わせをした。
「腕をふるうから楽しみにしててね♪」と言われたので、そのつもりでいた。
当日、デパ地下のケーキをお土産に持っていくと、幼稚園児のお子さんが狂喜乱舞。
泡吹くんじゃないかと思うほどの喜びっぷりにうれしくなる。
ダイニングテーブルに並ぶ、おされな食器におされな料理。料理にはハーブを飾ってカフェ風か。
……でもこのにおいはなんだ?
夏場に生ゴミを半月放置したような腐敗臭。公園の公衆トイレのようなアンモニア臭。
ほかにもにおいがしていたのかもしれないが強烈でわからない。
奥さんは自信満々ですすめてくる。
さっきまではしゃいでいたお子さんが、一転してお通夜のよう。先輩も心なしか言葉少な。
きっとそういうにおいの料理なんだ。くさやとかチーズとか、におうけどおいしいじゃないか。
結果、2口で白旗あげた。(そのうち一口は白ごはんと思われる何か)
奥さんの怒りの嵐が巻き起こる。まあね、自信作を2口食べて無理って言われたらね。
先輩は「だから言っただろ!俺だけが食えないんじゃないって!」と高笑い。お子さん涙目。
リトマス試験紙役なのね……
ムカムカしてヤバくなってきたので、ケーキも食べずに帰宅。帰り着くまでにカナリヤバイに進化した。
アクエリアス2Lが5本ほど消費されたころ、ようやくトイレから離れられた。
36時間の戦いでございました。
お子さんの将来の夢は、給食の先生かファミレスのコックさん。泣ける。
追記:
すでに忘れたい料理の数々。(かっこの中は奥さんの言葉:実際の状態)
★ローストポーク(豚を塩漬けにするとうまみが凝縮されるのよ:3ヶ月前から塩漬冷蔵していた豚肉を塩抜きなしで調理)
★サメの洋風煮付け香草風味(実家から送ってきた新鮮なサメなの:ただし1週間前に到着)
★アサリとキャベツの蒸し物(見た目地味だけどいい仕事してるから:蒸しあがってもアサリが開かなかったので手開き)
★コシヒカリの白ごはん(一味違うよ:カキ(加熱用)の入っていたパッケージの水を混入して炊飯)
奥さんから「あなた(先輩)の舌がおかしい」と決め付けられて、
同僚をつれてきて反応を見せるも「あなたに遠慮して同じ反応するのよ」と言われて、
これを書くと「情弱」「ヘタレ」「デマを流すな」といろいろ書かれそうだが、備忘録の意味で書いておく。
23区でも割と都心寄りに住んでいるので計画停電の影響は殆どないし、
にもかかわらず疎開させたのは、ひとえに「放射能対策」、それ以外に理由はない。
文系ではあるが、もともと原子力についてはいくつか本は読んでいる。(推進派・反対派いずれも)
なので多少の予備知識はあるつもりなのだが、
結局「ワーストシナリオの場合でも、23区内は(乳幼児にとっても)大丈夫」という確たるクレジットが、
自分が探した範囲内で得られなかったから、疎開の理由はそれに尽きる。
恐らく、「ワーストシナリオで、23区内に放射性物質が飛来し、健康被害が生じる」確率は、
1%あるかないかだろう。
なので、通常であれば、99%の確率を信じて、都内に留まるということになるだろう。
それは「99%に掛ける責任を、自己責任で負ってもいい」と自己判断したからである。
(自分もいわば「中年メタボ」なので、「ガンで死ぬ前に、脳卒中とか心臓病で死ぬワイ」という
開き直りの気持ちもある)
親が判断を代理行使しなければいけないのだが、不幸にして「1%」の事態に陥ったときに、
自分は、自己決定できない子供に成り代わって、「1%であっても、回避できるのであれば、回避する」
のが親の務めと思って、回避させた。
もともと13日の水素爆発の時点で、「事態の収拾が難航しそうだ、最悪の場合は避難しなければ・・・」と
妻と話していて、妻の実家にも下話はしていた。
その後様子を見ていたのだが、
「2号機の圧力容器破損」
「4号機で火災」などのトラブルが相次ぎ、「どうも事態収拾ができなさそうだ」と判断した。
特に「高レベルの放射線量が計測された」というニュースが決定打になった。
※その日、新宿でも低レベルの放射線量が計測されたが、それは疎開の理由ではない。
医学的知識が少ない人の場合、少量の放射線に怯えて疎開している向きもあるようだが、自分の場合は
「自然放射能」とかも知っているので、低レベル放射線自身はこわく無かった。
「(放射線防護しながらの)現地作業員の回復作業が困難、というより不可能になる」と判断したからである。
単機のトラブルだと兎も角、複数機のトラブルなので、現地作業員による事態収拾は「まず絶望的」と思ったのである。
恐らく、このあと数日は、「放射能を避けながらの最大限」の作業が行われるだろう。
しかし、それは通常の「放射線を気にしないで行う作業」の、10分の1、100分の1の作業効率しか上がらないと予想された。
(実際、15日以降、今日までの事態はそのように推移している)
となると、遅かれ早かれ、「事態収拾困難」で白旗を上げる時期が来る。
その後はメルトダウンなのか再臨界なのか「神のみぞ知る」状態になる。
そういうワーストシナリオであっても、風向きが南風だったり北西風であれば、
しかし自分は「関東は、時々北東~北北東の風が吹いて、天気がぐづつく」という気象現象があるのも知っていた。
恐らく1年365日のうち20日程度だろうか、全国的に晴天なのに、関東だけ曇りや小雨という気象条件の時があり、
そういう場合は関東東側に小さな低気圧があって北北東の風が吹いているのである。
※茨城福島沖の湿気を含んだ空気が、北北東の風に乗って関東山地(箱根など)にぶつかり、弱い雨が降る。
冬型気圧配置で、日本海側、それも日本海側の内陸で降雪があるのと同じ理屈
となると、折悪しくこういう気象条件の場合にワーストシナリオが発生した場合、
汚染された気流が関東に流れ込む形になり、しかも悪いことに「降水」する危険性が高い。
今回の原発事故以降、毎日数時間は原発関連テレビを見て、かつ「はてな」で情報収集しているのだが、
この関東特有の気象条件について言及している学者が一人もいないのが不思議である。
※希望的観測を言えば、福島茨城県境に山地(八溝山など)があるので、そこである程度放射性物質が
落下してくれるかもしれないが・・・
で、「ワーストシナリオ」発生時に「あわてて家族一緒に避難する」という選択肢もある。
15日の放射線量データを見てもわかるように、関東山地以西、山梨や静岡は、
北北東気流が遮られるので、格段と影響が小さくなる。
関東4,000万人が一斉に避難行動を開始した場合、様々なパニックが予想される。
実際に避難できる方向は静岡方面と山梨方面だと思うが、自分がラフに計算したところ、
「東名高速と中央道が徒歩避難者に開放されたとしても、両高速道路で関東脱出できる人数は32万人/時、
関東全員が県境を越えるのに125時間かかる」という結果になった。
要は東京マラソン状態になって、「125時間の大渋滞」が県境で発生するのである。
「徒歩」という前提で計算したが、自家用車とかだともっと悲惨な結果になる。
要は「ワーストシナリオ発生後に関東脱出できる」人は「関東全人口のせいぜい10%もいない」のである。
事実上、ワーストシナリオ発生後の脱出は「不可能」と言ってよい。
「ワーストシナリオ発生する前に、事前に疎開させる」というのが親として取るべき行動、という結論になった。
勿論、個々の事情はあって、自分の場合は「妻の実家が関西」という有利な条件がある。
※親類が西日本に居なければ、「1%のリスクを甘受して、東京に留まる」という選択肢を取ったと思う。
唯一のネックは「上の子が小学1年生で、まだ終業式を迎えていない」ことである。
春休みまでの数日間、学校を「ズル休みする」格好になり、この点を妻はさんざん抵抗した。
「終業式以降じゃダメなの?」
「A=今避難して、その後何もなくて、「取り越し苦労だった」と嘆く。
B=今避難せずに、その後万一のことが起こって、「あの時避難しておけば・・」と後悔する。
Aの嘆きなんて、所詮「後になれば笑い話」だし、子供の長い人生の中で、1週間の休みなんて、どうということはない。
「Aの嘆き」と「Bの後悔」では、全然質が違う」
それでも渋る妻に、奥の手も使った。
大学時代の友人で、今は某私大の准教授(専門は化学)に、「疎開を考えているがどうだろう?」と
で、その准教授の肩書きとともにメールを見せて、いわば「権威付け」して、妻も納得した。
(後日その准教授は自身のツイッターで「西日本へ疎開できる家庭環境の人は、疎開していいのでは?」と書き込んだようだ)
「今ワーストシナリオになってないだろうか?子供は大丈夫だろうか?」と
15日以前は、常に原発が気になり、正直仕事が手につかなかった。
その点、16日以降は「後方の憂えがない」状態なので、仕事がはかどる、はかどる。
「自分はワーストシナリオでも、まあガン化確率がちょっと上がるだけじゃん、んなもん気にしてられっか!」と
自分なりに「事態が収拾され、ワーストシナリオが回避される」時点を見極める必要があるから。
早期に事態収拾されるなら、終業式くらいは出席させよう、というハラである。
私見だが、冷却電源が確保され冷却(原子炉&使用済み燃料プール)に成功すれば、
事態収拾と判断していいと思うのだが・・
東京大学ご入学、おめでとう。
これからは残された青春時代を謳歌しながら、自分のやりたい勉強にむかって突き進んでいくことができます。勉強したいことがない人も、友達と酒を飲めばそのうち見つかるので気にせずにキャンパスライフをエンジョイしよう。
それぞれの興味関心が違うので、絶対に受けるべき授業ってのはホントはないと思う。
どういう授業に感動するか、好奇心をくすぐられるかはひとによってまちまちだろうから。
それでも、大学人になるにあたって、大学の空気に慣れることも必要なように感じる。
その点で僕は、総合科目Aの「科学史」、小松美彦教官の講義をおすすめする。
東大の先生ではないのだけれど、毎年夏学期に行われているから、彼の定年まで続くのだと思われる。この授業にぜひ潜ってほしい理由は、次の3点である。
まず、この授業は「科学史」ではない。まごうことなき「生命倫理」の講義である。
彼の専門領域である「臓器移植」の問題をてがかりに、「死」についての見識を深めていく。
『高校教師』という昔のテレビドラマを見せられ、最後に愛の逃避行をしたふたりは「死んで」いるのかどうかを問う。
「帝銀事件」という日本を騒がせた事件を取り上げ、人体実験のありかたを問う。
最後の授業では『あしたのジョー』がどういうマンガかを語り、1時間以上延長する。
それらはすべて「生命」というタームで結びついているのだが、高校まで単調な座学を受けてきた人間には意味不明に感じると思う。
そしてこれらは、基本的に教官の意図を強要される。教官の意図と異なることを言えば、なぜかキレられる。寝てたらチョークを投げられる。なんとも理不尽な授業である。
しかしそうした教官の高圧的な態度に、反逆できる機会が与えられている。
教官ははじめにこう言うのである。「テストは『授業受けた人用』と『授業受けなかった人用』の2種類を用意する」と。
つまり授業に一切出なくても、初回とテストさえ行けば、単位は取得できるのである。ここに、大学という組織がどういうものなのかが凝縮されているように感じる。授業はすべて、「教官のターン」なのである。「教官のターン」を不快に思うなら、授業に出なくてよいとあらかじめ公言しているのである。
その代わり、「受講者のターン」である「期末テスト」には出席を求められる。「受講者」は、授業や教官の著書に対して、反論を記すことが認められる。見事教官をうならせたら「優」、とりあえず書いたら「可」である。明瞭である。
テストは、教官と受講者の勝負なのだ。教官が下す「優」は、「お前の解答には納得させられた」という白旗とほぼ同義なのである。
授業に出なくてもよいという教官のスタンスは、彼が全共闘世代であることにも関わっているように感じる。いまや大学教官の下す「優」「良」「可」「不可」に振り回される学生が、支配に対し反逆した時期が45年ほど前にあったのである。彼の授業は、その時代を追体験させてくれるようでもある。
大学に反逆したものの多くは、今や予備校に流れている者が多い。小松教官が、東京大学出身であるのに東京海洋大学教授であるという肩書にも、何かあるのではないかと勘繰ってしまう。
大学というところは、授業だけ考えたらぬるいものである。だから「意識の高い学生」は、やれ学生団体だの、サークルだのバイトだのに力を入れ、大学という組織の無力さを呪う。
しかしそうではない。大学の授業(講義)ひとつ取ってみても、議論を活性化させるタネが転がっているのだ。ゼミのアットホーム(優しい・厳しいを備えた)な雰囲気も大学の醍醐味であるが、マス授業の緊張感も味わってもらえればと思う。
東京大学ご入学、おめでとう。
これからは残された青春時代を謳歌しながら、自分のやりたい勉強にむかって突き進んでいくことができます。勉強したいことがない人も、友達と酒を飲めばそのうち見つかるので気にせずにキャンパスライフをエンジョイしよう。
それぞれの興味関心が違うので、絶対に受けるべき授業ってのはホントはないと思う。
どういう授業に感動するか、好奇心をくすぐられるかはひとによってまちまちだろうから。
それでも、大学人になるにあたって、大学の空気に慣れなけれないけないように感じる。
その点で僕は、総合科目Aの「科学史」、小松美彦教官の講義をおすすめする。
東大の先生ではないのだけれど、毎年夏学期に行われているから、彼の定年まで続くのだと思われる。この授業にぜひ潜ってほしい理由は、次の3点である。
まず、この授業は「科学史」ではない。まごうことなき「生命倫理」の講義である。
彼の専門領域である「臓器移植」の問題をてがかりに、「死」についての見識を深めていく。
『高校教師』という昔のテレビドラマを見せられ、最後に愛の逃避行をしたふたりは「死んで」いるのかどうかを問う。
「帝銀事件」という日本を騒がせた事件を取り上げ、人体実験のありかたを問う。
最後の授業では『あしたのジョー』がどういうマンガかを語り、1時間以上延長する。
それらはすべて「生命」というタームで結びついているのだが、高校まで単調な座学を受けてきた人間には意味不明に感じると思う。
そしてこれらは、基本的に教官の意図を強要される。教官の意図と異なることを言えば、なぜかキレられる。寝てたらチョークを投げられる。なんとも理不尽な授業である。
しかしそうした教官の高圧的な態度に、反逆できる機会が与えられている。
教官ははじめにこう言うのである。「テストは『授業受けた人用』と『授業受けなった人用』の2種類を用意する」と。
つまり授業に一切出なくても、初回とテストさえ行けば、単位は取得できるのである。ここに、大学という組織がどういうものなのかが凝縮されているように感じる。授業はすべて、「教官のターン」なのである。「教官のターン」を不快に思うなら、授業に出なくてよいとあらかじめ公言しているのである。
その代わり、「受講者のターン」である「期末テスト」には出席を求められる。「受講者」は、授業や教官の著書に対して、反論を記すことが認められる。見事教官をうならせたら「優」、とりあえず書いたら「可」である。明瞭である。
テストは、教官と受講者の勝負なのだ。教官が下す「優」は、「お前の解答には納得させられた」という白旗とほぼ同義なのである。
授業に出なくてもよいという教官のスタンスは、彼が全共闘世代であることにも関わっているように感じる。いまや大学教官の下す「優」「良」「可」「不可」に振り回される学生が、支配に対し反逆した時期が45年ほど前にあったのである。彼の授業は、その時代を追体験させてくれるようでもある。
大学に反逆したものの多くは、今や予備校に流れている者が多い。小松教官が、東京大学出身であるのに東京海洋大学教授であるという肩書にも、何かあるのではないかと勘繰ってしまう。
大学というところは、授業だけ考えたらぬるいものである。だから「意識の高い学生」は、やれ学生団体だの、サークルだのバイトだのに力を入れ、大学という組織の無力さを呪う。
しかしそうではない。大学の授業(講義)ひとつ取ってみても、議論を活性化させるタネが転がっているのだ。ゼミのアットホーム(優しい・厳しいを備えた)な雰囲気も大学の醍醐味であるが、マス授業の緊張感も味わってもらえればと思う。
http://anond.hatelabo.jp/20110107160526
ここによれば、一字一句違わず「個人のさじ加減」と書いてあるしなあ、まあ仮にそうでなかったとしても、
個人間の合意のもと責任をどう扱うか取り決めたところで、それも結局は決定的なわけで。
「ここまでやってできなかったんだから、これはそういう結果になるべくしてなったのだな」と運命論よろしく勝手に納得されたら、たまらんのよ。
今後に向けての結果の原因分析なり将来に向けて展望を垂れるなり好きにすればいいんじゃないの?僕は運命論だとか勝手に納得だとかいう文脈で決定論を使った覚えなどないんだが。
把握しようのない真実などどうでもいいのだよ。
責任が存在する、という前提がフィクションであったとしても、その前提でしか現実がドライブしないということだけ言っているわけだ。
としても、
すなわち、君は「前提の真偽に拘らず、その前提こそが現実に作用する『ただひとつの』前提であり、例外はない」とおっしゃるわけだ。