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ドラマ版ゆるキャン△2期の制作が決定したので、記念に大垣城の思い出を書く。ドラマ版の大垣があまりにもアニメの大垣そのままだったことに感動して、大垣に関係するものを何かしてみようと思い、大垣を観光しようと大垣城へ行った。今年の3月のことだった。
岐阜県大垣市のJR大垣駅から歩いて10分で大垣城に到着した。当時は児童・生徒の入場はコロナ禍により制限されていたが、そうでない私は特に問題なく入場できた。大垣城は関ヶ原古戦場に近く、最上階の天守閣から西の方を眺めると、南北を山地で囲まれた関ヶ原が琵琶湖方面への通り道のように見える。もちろん大垣城内の展示では関ヶ原の戦いを売りにしており、戦いの様子を表現したジオラマの展示、当時用いられていた当世具足の展示、武器を手に取って体験できるコーナー、ビデオコーナーがあった。
私がその中でも気に入ったのはビデオコーナーであった。入口の立て札には「SEKIGAHARA」というタイトルと劇画調の石田三成と徳川家康の精悍な顔が描かれており、「関ヶ原の戦いはただの権力争いではなく、後世の武士の価値観を決定するイデオロギーの闘争であった」みたいな感じ(注:正確な文章は忘れた)の煽り文が異彩を放っていた。中を見ると、公立図書館の様な一人再生用の視聴ブースが5つほどあり、映像は全部で2時間と説明文にあった。大垣城以外にも「奥の細道むすびの地記念館」など市内をいくつか観光するつもりだったので、10分ほど軽く見るつもりでヘッドホンを装着してDVDの再生ボタンを押した。結論から言うととても面白くて、1時間ほど見てもまだ続きが見たかったけど、泣く泣く中断したほどだった。
私は高校で日本史を履修しておらず大河ドラマの類も見たことが無く、石田三成を見ても「誰だっけ?」と思ったほどである。関ヶ原の戦いは豊臣と徳川の争いであるとは漠然とは知っていたが、関ヶ原の戦いの時には豊臣秀吉がすでに故人だったことも知らなかった。そんな私でもDVDに夢中になった。
映像は豊臣秀吉の死から始まる。秀吉を豊臣財閥の筆頭株主兼社長に例えて、五大老は秀吉にM&Aで吸収合併された競合他社の社長としていた。五大老は自社の株式の全てを秀吉に売り、代わりに秀吉の会社から株式を譲り受けて豊臣財閥の取締役になったという設定である。五奉行は執行役員部長で秀吉生え抜きの社員だという。それぞれの大名の石高数は、豊臣財閥の持ち株数で表していた。
秀吉の跡を息子秀頼が継いだものの未成年で実権がないので、成人するまでは取締役である五大老が秀頼を補佐するようにというのが秀吉の遺言である。遺言に反して株式保有数第二位で副社長の徳川家康がクーデターを企て、それを社長室長兼企画部長の石田三成が阻止するというのが「SEKIGAHARA」の大きな流れだ。250万石もの大資本を持つ取締役副社長の家康に対して、わずか18万石の部長に過ぎない三成がどのように対抗するのか。この会社組織で例えた設定がナレーションや図表でわかりやすく解説されたので、歴史に詳しくない私でも現代ドラマを見るように楽しむことができた。
時間がなかったので飛ばしながら見たが、それでも全部見終わることはできなかった。この「SEKIGAHARA」は「原作:堺屋太一」とあったので、帰宅後に原作を読んで関ヶ原の戦いを調べることにした。原作小説の「大いなる企て」でも、五大老や五奉行を会社組織で例えており秀吉の死から物語が始まる。しかし、映像版と原作小説ではストーリー構成が大きく異なっていた。映像版では秀吉の死後に関ヶ原の戦いが始まり、合戦の様子を三成と家康のそれぞれの視点で描くのがメインであった。それに対して上下巻構成になっている原作小説では、朝鮮出兵の和平交渉と撤退に三成が中間管理職として苦労する描写に長尺が割かれている。朝鮮出兵から帰還した大名に対して三成が秀吉の葬儀を取り仕切り、それがようやく一段落ついたころには上巻が終わるという具合だった。関ヶ原の戦いはいつ始まるんだと思っていたが、残念ながら原作小説は関ヶ原の戦いが始まる前に完結してしまう。
原作小説は私の期待に反して関ヶ原の戦いは描かれなかったけれども面白かった。それにしても、原作では三成が中間管理職として苦労する地味なサラリーマン小説であるのに対して、映像ではドラマのようなエンタメに仕上がっているのはどういうことだろうか。気になって原作者を調べてみたが、堺屋太一がただの小説家ではないことが分かった。
堺屋太一は元通産省の官僚であり、大きな業績として大阪万博の企画立案に携わったことがある。通産省を退官後は、小説家・博覧会のプロデュース・ドラマなどテレビ番組のプロデュース・大臣・学者・政治運動とマルチに活躍しており、どれをとっても大きな功績といえるだろう。「SEKIGAHARA」のプロデュースも堺屋太一の活動の一つだ。「SEKIGAHARA」では単に原作のストーリーをなぞることにこだわらず、大垣城の展示作品としても、エンタメとしても楽しめる物を意識してプロデュースしてきたことだろう。
堺屋太一を知らない人でも、「団塊の世代」という言葉は知っているだろう。「団塊の世代」は元々堺屋太一の小説のタイトルで、当時「戦後っ子」と呼ばれた戦後生まれの世代が、将来社会でどのような役割を担わされるのかを予想した近未来小説である。この小説も私は最近読了したので感想を述べてみる。
1970年代中頃に連載した当作は80年代90年代のバブル景気とその崩壊を予測できなかったものの、団塊世代の出世が頭打ちになること、無駄に役職者が高い人ばかりになり組織のピラミッドが歪になること、人余りの団塊世代が関連企業へ出向されるなど、年功序列型の賃金上昇や終身雇用が維持できなくなる現在を予測している。
団塊世代は今でこそ巨悪と描かれることが多い。昨今話題になったドラマ半沢直樹もその一つだ。ドラマでは銀行マン無双というタイトルが似つかわしいほどの勧善懲悪痛快劇であるが、原作小説では「オレたちバブル入行組」のタイトルの通り、バブル世代である半沢直樹らが団塊世代に復讐をする世代間対立の物語である。ただ、原作でも世代間対立の色合いは作品を経る毎に薄くなり、三作目で「ロスジェネの逆襲」というタイトルで半沢らより下のロスジェネ世代の人物を多く登場させながら、ロスジェネ世代がバブル世代や団塊世代に逆襲をするというわけでもなくタイトルに反して半沢直樹無双となっている。四作目ではとうとう世代間対立は関係なく、その時話題になっていたJAL再生タスクフォースや民主党の事業仕分けをネタにして半沢直樹無双をやるだけになってしまった。ドラマ2期で過剰な演技や顔芸ばかりが取りざたされることに批判もあるが、原作もこの様なものである。
閑話休題。しかし、「団塊の世代」を連載した1970年代中頃では、団塊世代はまだ二十代の若造である。その頃から戦後っ子が老害へと変貌する未来を予測したのは流石としかいえない。「団塊の世代」の4話では1999年が舞台になっており作中では、団塊世代が既得権益をむさぼりレジャーにうつつを抜かして経済や技術の発展を妨げた、と批判がなされている。大阪万博など一大レジャーを築いた堺屋太一自らがこのように評するのは痛快にして皮肉でもある。
ちなみに、堺屋太一は1935年生まれで2019年に故人となっている。多くの業績を残したすごい人を亡くなって1年も経ってから私が知ることになるとは何て残念なことだろうと思ったが、それで堺屋太一の小説の面白さが色あせることもないので今も読んでいる。
ゆるキャン△ドラマ2期決定を機に大垣城の思い出を述べてきたが、関係ない話が長くなってしまったので、この辺で筆を折ることにする。
今度は日本モンキーセンターね…。
これも大統領選が関係しているのかしていないのか知らないけど、案の定と言うべきかこの時期にまたしでかす様な事をしたのね。
この様な気に入らないモノを何でも女性の権利や子供の権利と言う弱者の権利や人種等の人権問題を盾にして、難癖をつけるから世間から問題視され出しているのにね。
実際、赤十字やJAの一件から世間的にもフェミさんの方のおかしさが認知され始め、現にこのコロナ禍の時期においてもJRの一件や岡村氏の件に難癖をつける等をして、まさに自分達の思想や利益ばかりを優先して、他所や現状がどんな状況であろうがお構いなしと言う事を世間的にも露呈し続けたしね。
保守系、俗に彼等の言う所のネトウヨやネトサポは迷惑ではあるけど、選挙などで自身に有利な結果が出れば、ネットの関係ない所まで煽りに来る程度でリアルな意味では実害はほぼないけど、フェミさんや反差別等のリベラル左翼系に関しては少しでも有利な状況になるとチャンスと思い、すぐに増長しだして、自分の活動に利用しようとしたり、現に過去でも国連やら米国やら海外やらと言う風にまさに強権を元に自身の思惑を迫る虎の威を借る狐みたいな行動をしたり、世間に対してもその女性や子供の権利やら人権やらを盾に条例や法による規制や厳罰化、或いは自主規制の強要をすぐに行おうとしてくるのは事実なんだよね。
その上で今回のコロナ禍において、この手の人達は日本においても上記の様な行動を起こし、スペインではフェミさんのデモでコロナが拡大したと言う記事が出たり、米国においてはそれこそあの黒人デモをこの時期に起こし、尚且つ、人権を盾にディズニー等のアニメ会社等に自主規制を強要する様な行為すら迫ったりした上で、やっとコロナが鈍化傾向が出てきた時にまた事件が起こったと言い、黒人デモをする様な事を平然とする点を見てもまさに周りがどう思おうが知った事ではなく、自分本位の考えで行動に移すと言う点が如実に現れていたからね。
黒人デモに関しては当初はニュース記事でもデモとコロナの関係性が指摘されていたのに彼等に不利になり始めたからか知らないけど、突然、論文だの保険局だの出てきてデモとコロナの相関性はないと言う報道を必死で弁護をし始めるようになったからねぇ…。
こんな時期にデモと言うコロナを拡散させかねない行動こそ問題視されていたのに論点ずらしをしている点は当時読んでいてどうかと思った。
そしてその後も米国でコロナが少しはマシになりかけた頃にそのデモと言う行為こそが問題視されているのにまた同じような行動をする様な事をみてもこの人達自分が悪いとは一切思わないのかなと思う。
そして米国は今や1日10万規模で米国は出ているみたいだしね。
正直この辺のリベラル界隈の行動の習性が世間的にも認知され始めたから、保守系以外の人からも警戒されたのはある。
そしてその大統領選においても今回最低限の報道の中立性の観点や倫理面から見てもその辺の最低限のルールすら投げ捨てたかとしか思えない、余りにも露骨な偏向報道を朝日や毎日、NHKとかは行っていたけど、案の定、有利になるや否や有頂天になっている様も今回見ていて良く判った事だからね。
また今回米国や日本のマスメディアだけでなく、他国もこんな感じの所があったみたいな記事もちらほら見かけたしなぁ…。
その後の報道を見ていてもパリ協定やグレタ氏とか何故か突然話に出てき始めていたのを見ても大方国連関係に関係する人達も暗躍していたのだろうなぁ…と容易に想像ができるのもね。
環境問題についても国連やらこの手の人達が絡んでから本当の意味でおかしな方向に行っているのは事実だからなぁ…。
排出権とかレジ袋有料化とか一般人の利便性を損ね、逆にCO2を増やす等、役に立たないとか様々な問題点を指摘されているのは事実。
何にしても米国の選挙の事で平時でもないのに国内の事を蔑ろにして露骨なまでにマスメディアが世論操作ばかりしてきた事や現にフェミさんや反差別、ポリコレ等のリベラル方面の人々が世間がコロナ禍で大変なのにも関わらず、自分本位な権利等を盾にして、世間に対して抑圧するような行動ばかりしているから、逆にこの人達の行動こそが懸念されるような事になっているのだと思うよ。
今は特に平時ではなく、コロナ禍なのに空気すら読まずにこの様な世間に迷惑をかける行動ばかりしていたら、米国や世界はどうあれ、日本においては自身の信用を失い続ける結果を招く事でしょう。
嫌なことだけど日本は老人が多くなりすぎた
老人を切り捨てないといけない時が刻々と近づいてきてる
福祉や病院も人手不足で給料は安くその分野の人たちの大きな負担になるだろう
そうすると老人が減るような考え方・動きをしたほうが良くなる
生活保護の受給資格を厳しくする(シングルマザーなど若い人中心にする)
医療負担の年間上限を設ける(病院に行きまくる老人を減らし、死にやすくする)
老人向けの福祉を絞る(高級老人ホームで資産のある老人向けの福祉だけ充実させる、もちろんスタッフは高給)
それでも足りなければー
嫌なことだが老人の口減らしをやることになる
結婚しなかった、子どもも作らなかった老人が余りすぎてるとなったら
年金もそんなに貰えないし生きていけないという人向けへ志願制の安楽死体制を構築したほうがいいだろう
そのあたりまでに法整備できればいいだろう(もう少し早ければ社会の負担も軽くなるだろうが)
つまりこれを書いている自分もヨボヨボの老人になって若者の助けを借りないと生きていけないようなら安楽死に志願したほうがいいね…と諦めて死出の旅に出るかもしれない
もう既に老人や中年が需要のある労働階級に収まっていて、極々僅かに空いた新しく必要なブルーワークのポジションを地方の若者で分配してるだけだから
この傾向は日本だけじゃなくて欧州の地方でも同じ傾向があり閉塞感がある
人間は生きていくために労働して対価の金銭を享受する必要があるが、地方には対価が低い労働か労働の需要がないかまで落ち込んでいる
なぜこんなことが起きてるのかと言うとやはり団塊世代団塊Jr世代が多すぎたと言うのが一番の原因だと思う
彼らを食べさせるために既にポジションが埋まっている
若い労働力は要るが基本的には安くてよく働く労働力という駒でしかない(それ自体は地方でなくても東京や大阪でもそうだが)
日本全体で稼げる能力に対して人間が多すぎるので必要な労働力の枠も既に足りてしまってる
足りないところは急成長分野や開拓分野なので新しいことをやっているところに行くしかない
まぁほぼ東京のことです
地方が衰えているのは
・新しいことをやらないので人が必要な急成長分野や開拓分野がない
衰えていると言ったが地方は地方で労働力が十分足りてしまっているので若者がそれらを敏感に感じ取って地方には未来がないと新しいものがある東京に出てきているだけの話だ
もう十分な労働力はある、枠は埋まっている地方に対してできることは基本的にない(労働力の世代交代がうまくいかなくて衰退してる地方は多いが、枠に対して労働力が余ってて若者が流出してるので淘汰され収束するのは自然である)
やるならば人が必要な急成長分野や開拓分野を作る必要があるがこれをゼロから地方に作るのは相当な負担がかかる
結局東京や大阪でそういうのをやってるからそこに行けとするのが日本にとっては最適解になる
だから残酷な言い方をすると伝染病が流行って人が死ねば死ぬほど枠が空いて再建するために活動が活発になりやすくなるので老人や中年中心にどんどん死んでいったほうが実は日本のためになる
Twitterで盛り上がってるタモリ(森田一義)を月に移住させる署名運動の問題点について書き残したい。
ノーベル文学賞にカズオ・イシグロが選ばれたのは記憶に新しいが、それによって村上春樹は今後20年受賞の目は無くなったと言われている。何が言いたいのかと言うと、タモリが月の移住者に選ばれたら次の日本人移住者はだいぶ後になると言うことだ。75歳のタモリに月のアダムとイヴ(またはイザナギとイザナミ)の役割を担わせるのは、年齢的にかなり厳しいと思う。そうでなくても、タモリは長いことお昼の顔を務めていた事もあり、夜の象徴とも言える月の始祖にはイメージ的にもしっくりこない気がする。
「地球に優しく」というキャッチコピーがあるが、当然ながら月も同様に大事にしなければいけない。タモリは芸人になる前、ボウリング場の支配人をしていた事がある。ボウリングのボールはウレタン製が多いが、昔はプラスチック製のボールもよく使われていた。今レジ袋が今問題視されているが、レジ袋がダメでボウリングの球が良い道理はない。そういう観点からもタモリは月に相応しくないと思う。
タモリの祖父は満州で駅長をやっていたらしい。駅長というとJRや私鉄の駅長を想像しがちだが、満鉄の駅長はそれらとはまったく意味が違う。満鉄は鉄道を敷くだけでなく病院や学校や様々なインフラを整備し、駅の周辺の行政権を持っていた。企業が国家を運営するSF作品はよくあるが、あの時代の満州は既にそれを実現していたのだ。そしてタモリの祖父はその中で一定の職務を務めていた。もしタモリが祖父のその才覚を引き継いでいるとしたら、それはある視点では適任だと言えるだろう。しかしいつ何時タモリが月の裏側に軍事基地を建造し地球に侵攻して来ないとは言えない。