はてなキーワード: 管理職とは
恋愛をしないまま、仕事ばかりしているとこの歳になってしまった。
三十代にもなると、地方ということもあり結婚の流れが早いのだろう、脚色抜きで自分以外の同年代はみな結婚をしている。
職場での人間関係は良好だと思うが、周囲から度々「最近ソッチはどうなのよ?」というピンク色を帯びたジャブをもらうこともあり、未だに独身を貫いている俺が奇異の視線で見られていることは明らかだ。
もはや俺は彼らにとって、空想上の生物と言って差し支えないだろう。
ヒトは三十にもなって女性器に自らの男根を挿入し腰を振る儀式を終えていないホモサピエンスをヒトだと認識できない。仕方の無いことだ。俺には性欲がない。これも仕方の無いことだ。
全く以て、どうしようもない。
自分には性欲がないのだと打ち明けると、周囲からはよく「俺には感情が無い」と額に手を当て嘯く中学生のようだと笑われたが、事実ないのだからどうしようもない。うんこは臭くて厄介だが、かと言って「明日からはフローラルに頑張ります」とはならないのと同じである。先天的に性欲がないのか、あるいは非モテとして過ごしてきた惨めな三十年間を説明するため、無意識のうちに「無かった」ことにしたのかは明らかではない。ただ、少なくとも今の俺に性欲がない以上、恋愛も結婚も何処までも遠くままならない。誰かが言った。すべての恋愛はセックスに通ずる。そうかもしれない。専らのトレンドは不純異性交遊だ。性器結合主義を信奉する若者にとって、セックスとは性器を通した精神交流である。
コンニチワ、とちんこが言う。
これでfinishだ。あとは腰を振るだけでいい。俺は童貞なので分からないが、きっと挿入とは麻雀で立直をした感覚に近いのだろう。責任や思考を放棄して快楽を待ち続ける時間はさぞかし幸福に違いない。もっとも、放銃による快楽の機会均等の観点からすると、セックスの方が麻雀よりよっぽど平等に思えるが。
ともかく、俺はそのいずれにも参加できない。俺のちんこはコンニチワが言えない。挨拶をしないちんこは非常識だ。それが分かっているので俺はちんこを表に出さないし、これまで鍵っ子のように下着のなかに閉じ込めていた。
けれども、そうこう言えない状況になってきている。地方は恐ろしい。結婚していることが出世の条件だとは思いもよらなかった。少なくとも俺の職場では、婚姻がその人の信頼性を担保しているようだった。そろそろしっかりしたらどうだと上司に言われ、同じ文脈で家庭の話になる。守りたい人がいるから仕事にも一層気持ちが入るのだと精神論が語られる。恐らく正しいのだろう、大多数の人々にとっては。しかし俺はそうではない。俺のちんこはあなたのちんこと違ってコンニチワが言えない。挨拶する相手もいないし、いても挨拶ができない。俺には性欲がないからだ。
おい、このフレーズ何回目だ? この問答を繰り返すことに何の意味がある?
俺は選択を迫られている。婚姻か転職かの二択だ。どちらを選んでも環境は変わるし、どちらも選ばないのもまた選択の一つだ。なかなか難しい状況だと思う。あなたにはきっと理解できない。俺にも理解できないのだから。
あるいは、俺たちの断絶はこういう風にも表せる。
あなたは左折を提案する。それが最短距離だからだ。俺は曲がらない。あなたは次の角で左折を指示する。俺は曲がらない。あなたは徐々に苛立ち、声を荒げる。俺は曲がらない。あなたは呆れて「理解できません」と言う。俺もまったくの同意見だ。こっちが曲がれないと言っているのに、曲がれと指示するカーナビが何処にある?
そうして車内は静かになり、俺は助手席に誰も乗せていない気楽な軽を走らせて、どこまでも真っ直ぐ走り抜けていく。
恐らくもうブレーキは利かないのだろう。壁は目の前に迫っている。
今年度、畑違いの部門の管理職になって、上司はパワハラ気質なのもあり、
仕事は早々に行き詰まりを感じ、さらに上司が感情的に怒るの繰り返し。
半年くらいは耐えていたが、だんだん辛くなってきて、不眠に加えて、
精神的な落ち込みがひどくなり、休みたい、会社辞めたい、なにもしたくない
とうつ状態が強くなってきたので、このままだと本当に動けなくなると感じて、
自宅からさほど遠くなくていける範囲のクリニックを探して電話をしたのが土曜日。
予約が2週間先とかがざらっていわれてたり新患受付してないとかあるとかも
ネットで調べてた時に目にしたけど、運良く日曜日を挟んで今日受診することができた。
電話では体調や精神状態がどんな感じかとか今どんなことに困ってるかとかを
すごい親身に話を聞いてくれた。
■受診当日
クリニックの入り口に消火設備がどうのとか非常口がどうのとか貼り紙がしてあって、
そういう追い詰められた人が来るところでもあるんだなとも感じた。
診察では、先日の予約電話で話したことの他に、今の生活の状況とか症状、
心理テストみたいなのもやって、中等度のうつ状態っていうことで、
なんとなく実感とあってる感じだった。
で、そのあとはカウンセリングとは違うんだろうけど、
仕事の話とか仕事でどんなことがしんどいかとかをじっくり話を聞いてくれた。
途中で長いなぁとも思った(学歴とかキャリアのことって関係あるのって気がして)けど、
自分のつらい症状とか困ってることを親身に聞いてくれたことはとてもありがたかった。
ひとまずは生活を整えること、とりわけ睡眠をちゃんととるように(とれるように)とのことで、
うつの薬の処方はなく、睡眠のお薬を1週間分処方してもらった。
1週間薬を飲んで、薬が合うかどうかとまたお話を聞かせてくださいとのことで、
お薬が無くなる前の日程で週末に次回の予約をした。
今日から睡眠の薬を飲んでみるけど、劇的な変化があるとは思えないけど、
そして、来年度は異動願いをきちんとしたためよう。
多くのブクマカが「育休後復帰が前提だから退職はおかしい、給付金を返せ」という本音をブコメで炸裂させていますが、なぜ彼らはそんなにも「ズルい女」にブチ切れずにいられないのでしょうか?
そこには、生活保護叩きのように、単に他人が楽しているのが許せないという感情を超えたものがあると思われます。
最も大きいのは、「育休後復帰の枠を空けているせいで自分の仕事が増える/人員補充がされない」という、よくある苦労話との結びつきでしょう。これは即座に類似事象である「時短や子供の突発的ケアで職場を空ける女性へのいらだち」にリンクし、彼らの怒りを増幅させます。
これに対してよくコメントで書かれるのが「個人が悪いんじゃない、会社が悪い」というものです。確かに、育休で空いた穴に即座に人員を埋めてくれない経営者、職場を空けがちな女性をカバーする他の社員の負荷を認識できない上司はまったくもって無能であり唾棄すべき存在でしょう。
……本当でしょうか?
hamachanこと濱口桂一郎氏の「新しい労働社会」および彼の類書では、日本企業に特有のメンバーシップ型雇用システムの本質を「空白の石版としての雇用契約」であることだと説明しています。やや端折った説明をすると、「空白」とはあらゆる制約が書き込まれていないことを指します。つまり、職務内容、勤務地、そして労働時間でさえ無制約なのです。昭和のモーレツサラリーマンにとって「ワークライフバランス」の「ライフ」とは「生活」ではなく「生命」を指していました。メンバーシップ型雇用システムの中で全員が管理職候補、社長候補とハッパをかけられ、命を落とすギリギリまで働くのが美徳とされていたわけです。
とはいえ、この「労働時間の無制約性」は、2018年に法律で罰則のある上限規制が設けられついに法的にも規制されることになったわけです(それまでの月80時間の過労死要件はあくまでも裁判になったときに使われるもので、行政…労働基準監督署の指導根拠ではありませんでした)。この労働時間の法的規制ができた今となっては、経営者は従業員に無制限な残業を命じて育休の穴を埋めさせることはできないはずです。しかし、実際には部署のデキるメンバーや管理職が分担して肩代わりすることで、補充なしで職場を回している現実があります。
ふたたび、濱口氏の説明を引用します。多くの従業員が恒常的に残業しなくても済むような状態、家庭では父母としての役目を果たせる状態、これを「第1次ワーク・ライフ・バランス」と定義します。
https://toyokeizai.net/articles/-/163073?page=3
濱口氏の説明によれば、日本では「第1次ワークライフバランス」を確保するための規制や制度が薄すぎる、あるいはこれを実現しようという労使双方の意識がなすぎることが問題です。労働時間が無制約だった時代が長すぎ、残業することが経営者にとっても従業員にとってもデフォルトになっているため、これを根こそぎ変えるには相当な苦労が必要です。
一方で、「育休」や「時短」、「子供の看護で早退」は「第2次ワークライフバランス」と定義できます。この2つの違いは、第1次が一般的な従業員に対して受動的に与えられるシステムであるのに対し、、第2次はそれでは不足している労働者がみずからフレキシブルに労働時間を短くできるシステムであるということです。日本特有のアンバランスさは、この第2次ワークライフバランスへの規制が比較的強く(1年の育児休業を男女ともに法的に保障しているのは先進国でも日本くらいです)、それに比して第1次ワークライフバランスへの規制・意識が弱い点にあります。
この第1次ワークライフバランスへの規制・意識が労使ともに弱いことが、経営者の付け入る隙を与えています。育休で抜けた穴に一時的な人員を配置するのが容易なジョブ型雇用制度とは異なり、メンバーシップ型雇用制度では、「育休で1人2人が一時的に抜けたくらいなら既存の社員を残業でがんばらせる」ほうが意思決定として合理的なのです。
結論です。
俺たちが育休後退職女にブチ切れずにいられないのは、企業が無能でも悪意があるせいでも、ましてや「フェミニスト」が女性優遇のシステムを作ろうとしているからでもなく、日本の社会全体に「第1次ワークライフバランスへの規制・意識」が不足していることが問題です。これを解決するためには、労働組合を中心にインターバル規制や「残業のオプトアウト化」を行っていく必要があります。そのために一人一人が声を上げていきましょう。
https://career.y-aoyama.jp/article/childcare-leave-retirement
ようやくして管理職になれて、年収は世間の平均かそれよりちょっとマシなレベルになり
上からのプレッシャーがきつくて毎日パワハラ上司に吊るし上げを食らって精神的にきつい思いをしてる。
ついこの間もメンタルが病む寸前までいって、自殺衝動に駆られた。
しんどくて、いのちの電話につながったときは泣きながら辛い思いをただただ聞いてもらってなんとか今も生きてる。
ただ、自殺念慮はしばしばでるのでいまも自分のメンタルは危ない状態だなと感じてる。
そんな状況だから、厭世観が満ち満ちてくるようになり、核戦争なんてワードをニュースで聞くと、
いっそ核戦争に突入して核の冬になってガチの氷河期になって人類滅亡してしまえと思うようになってきた。
ロシアの大統領がやらかしそうな勢いになってきてるのに、終末時計は100秒から全然進まない。
結局、ハッタリじゃねえかよ
https://www.code-lab.net/?p=22058
マクロやRPAなどを使って業務を自動化して何十時間も節約しているのに給与は…みたいな話しを時折見かけるので、何故給与が増えないのか考察したいと思う。
マクロやRPAなどの活用による業務の効率化は二つの段階に分けられる。
・1stステージ
マクロやRPAを利用した自動化により、事務作業にかかる時間が削減されている状況。この段階は従業員個人の能力により業務時間の削減がなされている。作業負担の軽減により同僚からは感謝されたりはする。だがこの段階では会社の利益には繋がっていない。
・2ndステージ
自動化により削減された時間をより付加価値の高い業務に割り当てたり、あるいは余剰人員を人手の足りない部署に異動したり、従業員の解雇を行っている状態。
マクロやRPAの開発と維持には費用が発生している。作業時間の短縮により不要になった労働力を異動あるいは解雇するなり、短縮された時間を用いてより付加価値の高い作業を行うので無ければ、会社としては開発と維持にかかる費用分を損した状態になってしまう。
「マクロを勉強して自動化しました」という話しをしているとき、殆どの場合は1stステージの状態にあり、まだ会社に利益を生み出せていない。故に給与が増えることを望むなら、1stステージ→2ndステージへの移行が重要になるのだが、ここが難しい。
余剰人員異動や解雇には人事権が必要になるし、より付加価値の高い業務を生み出せる人材は自動化人材よりも貴重だ。2ndステージの実現には管理職の協力が必要不可欠になる。管理職者に1stステージで自動化の恩恵を見せて、2ndステージに移るための協力を得なければならない。
…が、そこで自動化を進められる素養を持つ上司なら、従業員に言われるまでもなくIT化を進めているはずだよね…的な達観があったり無かったり。
と言う訳でマクロを使えたり、RPAを使いこなせたからと行って突然に給与が増えることは無い。でも使える手札が増えれば、選択肢も増えるわけで、今後にチャンスをものに出来る可能性が増えるわけで、無駄では無い。