はてなキーワード: 教養とは
コロナ自粛ってただのわがままだろ。なんで僕がそのわがままに振り回されなければいけないんだ。
前らは鎖国だの攘夷だの大義名分を振りかざしているけれども、徳川幕府になろうが明治政府になろうがどのみち地方の貧農でしかないような人が、なんで幕府や政府のために命がけで戦ってくれると思ってるの?
コロナなのに遊び回ってる人たちを見てみんなこう思っているはずだ。
『誰の目にも今は自粛するべき時だと分かりきっているのに、遊びに行く奴はよほど頭が悪いのだろう』と。
でも、それ以前に『そもそもコロナ自粛自体に承服していない人』もいると言うことをわかってほしい。
今、自粛によって僕から当たり前の日常が奪われたのだ。これは重大な問題だ。僕はカラオケに行きたいし、プロ野球を観たい。簡単に言わないでほしい。
今ここで僕が野球を見たいという気持ちとお前が生き残りたいという気持ちがぶつかっている。この対立軸を整理して考えていきたい。
コロナなのに遊びにいきたいというのはわがままだということは認める。でもコロナだから自粛してほしいというのも、もう一方のわがままだ。なんでこっちだけわがまま扱いされてそっちは社会正義扱いされてるか。そこが不満である。
まるで文化祭の合唱コンクールや体育祭の応援合戦で絶対優勝したいクラスの中心人物たちと、クラスの辺境にいる帰ってゲームしたいオタクの構図だ。
僕はわがままが悪いことだと思っていない。言いたいことは言ったほうがいいし、その上でお互いの利害を調整して、譲れるところと譲れないところの落とし所を探っていくのが社会ではないだろうか。
ところが、一方がたまたま『正義』を名乗ることに成功してしまったら、際限なく一方のわがままだけが増長することになる。
これは良くない。
だから僕は、『どっちもただのわがままでしょ』と言い張っていくスタンスである。
これはただのわがままである。僕が自粛したくないというわがままと同列に扱われるべきわがままだ。
確かに、もしかしたら僕がコロナを持っているかもしれない。僕が遊び回った結果誰かが死んでしまう可能性が僅かにある。でも、はっきりいうが僕とお前は完全に他人だ。知らない誰かだ。お前が死なないために僕がそこまでしないといけないのは全く納得いかない。
『自分の大切な人が死んでほしくない』はより自分勝手なわがままである。高齢の両親が心配なんだろう。でも、それはみんなが当たり前の日常を送ったら死んでいたはずの人ということである。放って置いたら死んでた人を救うためになんで周りが気を使わんといかんのだ。お前は自分の力で守れない命を守るために他人に責任をなすりつけている。ヒーローになりたいなら一人でやってほしい。
ちなみに僕は家族が嫌いでとっくに絶縁しているので、特に死んでほしくない人とかいない。友達もいない。子供もいない。結婚もしていない。彼女ができたこともない。少々知らない誰かが死んだって困らないのさ。
コロナ自粛派は様々な理由をつけて「これはただのわがままではない。より上級の命題だ。よってお前の遊びに行きたいというわがままに優先するべき事案だ」と言い張るだろう。
その主張の問題点を指摘して、やっぱりコロナ自粛はただのわがままに過ぎないことを明らかにする。
医療崩壊なんてしない。お医者さんも看護師さんも定時になったら帰ればいいのだ。それで何人死のうがお医者さんも看護師さんも悪くない。
例えば、電車に轢かれて四肢がバラバラになった死体を、お医者さんが直せなかったとして、誰も文句言わないはずである。それは医者の怠慢ではなく『現代医療の限界』である。
そうであれば、お医者さんが定時で帰ってしまったがために誰かが死んだとして、なぜそれを『現代医療の限界』と割り切れないのか。
『お医者さんが残業で診療してくれれば死ななかったかもしれないのに!』なんて、都合が良すぎである。他人に何を期待しているんだ。それこそただのわがままである。
医療関係者は普通の3交代制を引いて、定時になったら病人が何人いようとさっさと帰るべきだ。それで誰かが死んでもしょうがないで済ますべきだ。
確かにそれはそうかもしれない。僕はそう思う。でもおそらくお前は本当はそんなこと思ってない。
僕は昔から8時間寝ている。野菜と肉と魚をちゃんと食べている。毎日運動している。お酒は飲まない。タバコ吸わない。嫌いな人との関係はバンバン切っている。会社に歩いて行ける距離に住むことで満員電車を回避している。
絶対お前の方が健康を粗末にして生きている。これをしていない奴が健康を持ち出して僕を批判するのはおかしくないだろうか。
突然だが、救急車に道を譲らない車が多すぎると思う。僕は運転中であろうと歩行中であろうと絶対に緊急車両に道を譲っている。でも譲らない人が大半である。多分この投稿を見てキレてるお前も普段は救急車に道譲ってない。お前は本当は人命を軽視しているんだ。
救急車のためにたった30秒待たない奴のために、なんで僕が一ヶ月もカラオケを我慢しなきゃいけないのか。
だから、人命や健康に関することはわがままと一括りにせず例外に扱うべきだという主張は納得するが、この件にそれを持ち出してくるのはお前の自己欺瞞だろとも思う。
コロナ自粛派はみんなのために言っている。コロナ自粛反対派は自分のことだけを考えている。そう思ったはずだ。
そもそも、みんなのためという理由で人の自由を奪っていいのであれば、では年金暮らしのジジババや介護が必要な方にはさっさとお隠れになっていただいたほうがみんなのためではなかろうか。お前が腎臓をもっと優秀な人に分け与えたほうがみんなのためになるのであればお前は肝臓を差し出すんだろうな。
年金ぐらしのおじいさんおばあさんも、生きていれば様々なことでみんなのためになっている、などと軽薄な功利主義を唱えるのはやめてほしい。教養がない。一番大事なことはそこではない。みんなのためだからといって個人に我慢を強いるのは限度があり、絶対に超えてはいけない一線があり、その先のことをどうするかについては本人の意思決定を尊重するべきだ。それがこの社会の約束である。
そもそも、僕がカラオケに行きたいというのは『みんな』に含めてもらえないのだろうか。野球を見たい人が野球を見れないのは『みんな』の問題ではないのだろうか。
僕は大変優しい人なので、みんなのために自分が犠牲になることはやぶさかでない。しかし、だからこそ「みんなのため」を誰かが勝手に決めていることに対して腹が立つ。
先に断っておくが、僕は大変な紳士であり善人だ。
定食屋さんでは必ず『いただきます』『ごちそうさまでした』という。
スーパーの店員さんにも必ず敬語だ。怒鳴ったりクレームをつけたことは一度もない。レジでは必ず『お願いします』『ありがとうございました』という。
職場でも全員に敬語だし、いわんや誰かをいじめたりいびったり口撃したことなんて一度もない。いつもニコニコしている。
読みたい本は必ずお金を出して買っているし、聴きたい曲は必ず各種有料サービスを使って作者にお金が回るようにしている。
あくまで、これはこの問題の構図が完全に不公平であるという点を主張しているのであって、僕の人格がおかしいからだとかいって済ますのはやめてほしい。
あいつらの普段の口ぶり見てても教養も感じられないし、なんかスキルがあるわけでも無さそうだし。
就職氷河期、そのあとのリーマンショック~東日本大震災の就活組(ゆとり初期組)は人にもよるがパーセンテージとして仕事への取り組み方が違う場合が多い。
伊達に世間的にやべぇと毎日報道されたり、百社お祈り世代と言われてない。
それ以外のバブル世代と、氷河期からしばらくたったところ。三十代中頃か?
しかも仕事より自分の生き方が大事だと思ってる。分かるけど金無いと生きれないのですが?
確かに氷河期組はふるいにかけられて来たので有能しかしっかりした会社に入れなかった…というのもあるが(一番仕事できるやつ以外クビ時代)
にしたって、仕事をなめすぎている。もちろんセクハラやパワハラには断固として立ち向かうべきだ。だが、そうではない。
「会社に入る前に一般的な社会の教養を身に着ける」という作業ができていないし、
「自ら勉強をする」ということもできないし、
最後のやつは「紙と鉛筆でいいんだよ」という老害だけではなく、ゆとり後半組の「スマホはするけどパソコンは…」層も含まれる。
勿論、勿論その中にも有能は居る。有能、お前の話をしているんじゃないぞ。周りの無能の話をしているんだ。
高校の古文を選択科目にしよう、なんて議論にもつながってくるわけですな。
しかし専門家の翻訳だけで、海外から客を集められるような日本的な雰囲気を維持できるものなんだろうか。末端にもそういう最低限の教養がないとにじみ出るものが違うと思うんだけど。
何を支持しているのかわからない。
他に適当な党がないというが、今の政権よりはマシとしか思えないが。
数年前までは正直どこが政権取ろうが、民主主義の国だし、参院衆院あるし、三権分立だしとか変なことにはならないだろうという気持ちがあった。政治へ無関心でもあった。ごめんなさい。
が、記録を取らないあたりからもう駄目だった。
(それ以前に知性や教養に対する敬意がなさそうな現首相が無理だったが、政策とは切り離そうと思っていた)
その他諸々あるけど、記録に関しては国の根底に関わると思っている。
やりたい放題言いたい放題その都度グレーゾーンをすり抜けて、責任取らずじゃん!!
後世に恥ずかしくないのか。
ただこれも、記録ない方が都合いい人達には支持されるんだろうな。はー。
お茶汲みやってる事務員とかの方がよっぽど人を動かす力があります
あっても門をくぐり抜ける一過性のもの、働く頃にはそんなもの使ってないでしょうよ
彼らが国政を動かし、金を握り、国防隊を作って国民を徴兵に導く浅ましさ!!国の最高法規を虐げる残酷さ!!
本当にぞっとしますよ
コロナですら総理がいなくたって平均的な日本人の判断力と知恵教養を持っていれば現状況に持っていけました
条文作ってるような官僚と高卒を比べたら、悪いけど官僚の方がコンピテンシーがあると思うよ。
大学は何も教えない!官僚は勉強ばかりで社会経験がない!だから高卒と同レベルだ!……これはナンセンスだ。気持ちは分かるが、実際行った身からすれば、大学が能力を高めるのに完全に無意味だとは信じがたい。特に、官僚なんてオールラウンダーと言えど、社会一般から見れば特殊な知識が必要な職業だろう。大学で専門知識を学ぶ必要があるように見えるが。
言いたいことは「教養さえあれば上に行けるシステムと謳っている社会のはずなのに、金がなきゃ教養を得られず上にいけない矛盾が生じているから、出てくる政策に民意が反映されていない」あたりかな?
(その下にいる15%は自民党支援者とか、そこら辺の公園に住み着いてる人とか風俗嬢とか)
正直その辺を歩いてるOLとか専業主婦に国政任せたり事務次官やらせた方が10倍うまく行くと思う
逆に言えば日本は家柄や金を積めば誰でも官僚・自民党議員になれるシステムをやめてほしい
それぞれ手綱を握ってるのは優秀なエリートなの、見て分かりません?
そういった国々と比べて右往左往するばかりの高卒内閣、もうね、見ていて震えが止まりません
国がぐちゃぐちゃにされる前に早いところ官僚も内閣も変えましょうよ
国民偏差値の高い、能力が高く愛国心に優れた、本当の"日本人"に指揮をとってもらいましょうよ
そうなることを切に望んでいます
コロナ禍に伴う外出自粛で持て余した時間を有益に費やそうと、学生時代ぶりに読書をしようと思い至る。
以前からゲームに時間を奪われてばかりだが、「良質な人生」やら「スキルアップ」やらのため読書をすべきと思ってはいた。
そうした気分と、今回のコロナ禍という状況を鑑みて、前々から気になっていたジャレド・ダイアモンドの「銃・病原菌・鉄」を読むことにした。
学生時代に同著者の「世界史」を読もうとしてギブアップした苦い記憶があり、今回はしっかりと読み込みたいと思っていたので、こうして読んだあとのことをアウトプットしておきたいと思った。
しかし、数多の名だたる知性人たちが読み漁り語り尽くされた名著を、今更に教養のない者がまとめても誰も得しないので、ただ個人的に気になったところをいくつか己の言葉にする程度にとどめておきたい。
今回は、特に気になった「病原菌」がどのように世界において役割を果たしていたのかという所である。
「病原菌」とは他の生き物の構造に感染し、伝播することによって己を増殖し存在を拡散していくものと大雑把に理解した。
時に細菌は突然変異によってその性質を変えることがある。ネコにだけ感染する菌が、ネコからヒトへ感染するようになり、さらにヒトからヒトへ、という具合である。
しかし、この問題は前提に「異種」が接触する範囲に存在し、更に突然変異を発生させるだけの試行回数を重ねる環境を要する。
世界では、先んじて家畜と共に暮らす人びとが家畜からの細菌と接触し、そして(結果的に)その耐性を得て、遺伝子に刻み込んでいった。
逆に、家畜を持たず生きてきた人びとは、こうした機会を得ることはなかった。それだけの理由で、家畜を持った人びとと比べて、免疫という力において圧倒的に不利になる。
その「家畜化の条件」から「栽培可能な植物」、果ては「大陸の形」に至るまで様々な要件を読み解き、現在の世界情勢に至る起源を多面的に語り尽くそうとしたのが本書だった。
私は「人やイベントの名前を覚えるのが致命的に苦手」で、歴史という学問にあまり興味が沸かない。
それでも、今に至る歴史の流れの中に、ただ条件が悪かったと言うだけで死んでいった者たちで溢れていると思うと、今生きている私が明日を迎えるかどうかすら約束されてはいないという事実に思い当たり、陰鬱とまでは行かなくとも、逃れがたい何かに流されているような、言いようのない浮遊感を覚えてしまう。
Eテレの高校講座とかの話だけど視聴率を気にしてるせいか「みんなが観るよう」に芸人に司会させてバラエティー色を強くし過ぎてる。
教養系の番組なんて興味ある人しか観ないんだから視聴率をあまり気にせず質を高くしてもらいたいもんだ。
なんのための公共放送なのか
モノホンはスゴイ
演劇人や音楽家の言葉尻をとらえて冷笑することがそんなに愉快なのかな。
演劇も音楽もなしで大切な経済や電気と生きてくれ、と言いたくなるわ。— naoko (@konahiyo) May 1, 2020
演劇や音楽の大切さを説くためには、みなさまに頭下げないといけないのか。
人間にとっての文化や芸術の大切さを主張したら、居丈高に威張っていると思うのか。
橋下徹がいかにもいいそうな意見だけど、インテリとか芸術家とかのなにがこういう人達の癪に障るのだろうね。— naoko (@konahiyo) May 1, 2020
どうも、平田オリザさんが星野源と「コラボ」する安倍さんを醜悪で無教養だと批判したことが、みなさまの逆鱗に触れたらしい。
演劇人の分際で偉そうに、と。
いや、演劇・文化人なら当然いうべき的確な論評でしょう。
ほかが言わなすぎるから。平田さん偉いわ。— naoko (@konahiyo) May 1, 2020
@konahiyo
逆を言えば大卒者としては
「自分は大学で4年(又は6年等)も学んで授業料もたくさん払ってきたんだー!」
みたいなプライドがあって、その自分より優秀で稼ぐ高卒者は目のかたきそのものなんだよね
そういう"逆"学歴コンプレックスに苦しんでいるみじめな気持ちになっている大卒者も現代はいくらでも居るのが実情
しかし、ただ単にそこそこ経済的に余裕のある親のおかげで塾通いでき
親の経済的な余裕から奨学金制度を受けるに必要な成績フィルターからも逃げられただけの人も多かろう
特に学費が比較的安い国立と比べて、私立は勉強量が少なくて済み、そのかわり学費が高額というとこも多い
自分じゃなくて親のおかげというものの要素がどれだけ大きかったか振り返ってみるといい
「あまりにも思いやりも恩もない視野の狭い無教養な家庭で自分は育ったのだ」
と自ら白状しているようなものだ
https://pbs.twimg.com/media/EW4oeYhUcAE3ob6?format=jpg
差別主義者は尊敬されないどころか叩かれて信用を失う末路が待っている
これは覚えておいたほうが良い教訓
有益な人を区別して守るように言ってるのは、ネット上の斜に構えた子だけで、
国にとってはすべての国民が、いや国籍すら関係なくすべての人間が守られるべきものだよ
ネットのゴロツキにはそれがお為ごかしの綺麗事に聞こえる人がいるかもしれないけども、
少なくとも国家や公的組織の要職にいるような一定以上の教養のある人は当たり前に共有している感覚だから、自分が世の中から疎外されているかのような感覚は持つ必要がない。
どんなに落ちぶれた状況になってしまった人だって、そんな状況に陥る市民を生んでしまった責任の一端は国家や社会がもつもので、だからセーフティネットのような制度が現代社会にはあるわけで。
だから拗ねる必要はまったくなく、拗ねることで「可哀想な自分」であり続けることは個人の自由ではあるが、その立場に囚われ続ける必要はなく、囚われるような圧力も存在していないんだよ。