http://stapcells.blogspot.jp/2014/03/blog-post_15.html
ここのコメント欄でもあるが,恐ろしい慣習がまかり通っている.
共通しているのは,
審査報告書については、差分が小さくても致し方ないかなと思う部分もあります。実態としては学位申請者たる学生本人が概要を書き、それを手直しして審査報告書を代筆し、最後に指導者に印鑑をもらうわけで。本当に審査委員が報告書を書いてるケースはあまりないんじゃないかな。もちろん、それはいけないことだと形式上言うことはできるけどね。全体からすると瑣末な問題だと思う。根本的な問題は学位論文以前の教育だと思います。
完全にクソPIと研究機関に洗脳されている.一方まともな意見も.
そんなことはありませんよ。我々のところでは、報告書はきちんと指導教員が書きます。そんなことあたりまえじゃないですか。忙しいなんていうのは何の理由にもなりません。
このような居員は忙しいから十分な指導ができないのでしょうね。グローバルスタンダードからすると明らかに学位審査員としては失格です。
ちなみにどこの研究科ですか?
この人も被洗脳者っぽい
グローバルスタンダードですか...単にそれぞれが狭い経験を語っているだけにみえますが。他にも2、3指摘があったことからも分かる通り、あり得ないというほど、現状で非常識なことではないと思いますよ。学生の書いた報告書に問題があるのであれば、承認せずに直させるか、あるいは教員自身が修正すればよいだけです。忙しいかどうかは別に問題にしていません。
もちろん、今回の審査報告書が杜撰でないとは言いませんし、審査委員が学位論文を読んでいないことは明らかで、責任重大であることは疑いの余地はありません。
そもそも審査委員の報告書を被審査者が書くなんてアカデミア以外の世界でありえるだろうか?
私の周りにもこういう事例はたくさんいて,最も多いのは
学振 (またはそれに類する奨学金) の推薦書を学生が下書きする
というものである.学生にとって学振の推薦書だのを書いてもらう権利は当然あるものであるし,書くのは指導教官の当然の義務である.ひどい研究室になると教授の発表パワーポイントスライドを作らされたりもするらしい.(論外)
私は某大学の院生であるが,「推薦書の下書きってしたほうがいいですか?」とM1の時言った時には,上記のように「教授の当然の義務である」云々としてかなり叱責された.推薦書を学生に書かせるような指導教官の推薦書は自然と効力が無くなってくる.これから研究室を決める若い学生の皆様に際しては教授のそうした面も見ることをアドバイスする次第である.