はてなキーワード: 因果応報とは
そのカルト宗教は億単位の献金をさせて山上を破滅させたのだが?山上は優秀で進学校だったのに高卒で社会に叩き出されることになった。
子供は親を選べないし、親が狂ったらどうしようもない。
安倍はともかく、カルト宗教たたきになってるのはカルト宗教の因果応報。安倍もカルト宗教の広告塔にならなければこんな事にならなかったのにな。
生い立ちに同情したり、統一協会のこと批判することは別に山上さんの殺人を正当化したり肯定するってこととは違う
殺人罪で裁かれることを分かってるだろうし、情状酌量なしでいいから安倍さんも統一協会も一切の情状酌量無しでは裁いてよ
今回の事件で私は安倍さんと統一協会のほうが悪だと思った。世の中から消えてほしいと思った。
山上さんについては可哀想、残念って思う。安倍さんを殺害しなくても、もともとの人生が破壊されてるから失うもの無かったよね。山上さんにとっての加害者である統一協会に最後に一泡ふかせるつもりだったんじゃない?成功して良かったね。他の民間人に被害が無かったのもよかった。
以前なら奈良市内にもERがあってそこに救急搬送すれば十数分で治療が開始できた。
しかし自民党政権の医療費削減政策により奈良県の高度医療センターは橿原市の一か所に集約されてしまった。
大和西大寺駅から数分の位置にERがあったのを安倍も含めた自民党政権が22km先、ドクターヘリを使っても30分かかるところまで遠ざけてしまったのだ。
そして奈良県立医大付属病院は自民党政権の締め付けて人員と予算を減らされてきた「公教育」「医療」の結節点。
安倍は現時点では最高の救命措置を受けたのだろうが、それでももし彼(を含めた歴代自民党総理)が公教育と医療の予算を増やしていたら命は取り留められたかもしれない。
安倍は「自分は上級国民だから東京でいつでも高度な医療を受けられる」と思っていたのだろうが、地方でこのような被害に遭い「最も必要な瞬間に必要な医療がない」という状況に陥ってしまった。
彼が国民にしていた地方・弱者切り捨てという行為を自分自身の身で受けるという絵に描いたような因果応報である。
もし学費が無料だったり、公的な奨学金が十分に利用できれば彼は大学をやめず、順当に生活を営めていたことだろう。
しかしそうはならなかった。大卒の新卒就職機会を逃したら正社員になれないという歪みを放置した自民党政権は犯人を救わなかった。
再チャレンジも自民党の大物政治家三世には適用されても下級国民には適用されない。自助を求める政治家に見捨てられた国民は銃でもって応じた。
同意。
IT化とスマホの普及で情報がオープンになったことが大きいと思う。
いわゆる料亭政治のような密室の談合が、忌避される時代になった。
それと同時に、正義とはなにか、民主主義とはなにか、を、親兄弟からの言葉ではなく自分の目とインターネットで確認できるようになったので、
とくに若者にとってはもう昭和の方法は受け付けられないと思う。
2022-07-13
安倍氏の痛ましい死によって、彼個人の死を超える、何か非常に大きなものが失われたような感覚に襲われた。もちろん、元首相の選挙演説中の銃撃である以上、単なる殺人事件ではなく「民主主義の危機」でもあるのだが、そんな表現さえ生易しく感じられた。その喪失感は何とも言えないもので、ふんわりとした不安とでも形容せざるを得ないものだった。
以下の記事で自民党と統一教会の歴史的関係を知り、この正体が分かったような気がした。
「勝共連合」から続く歴史、自民党は今すぐ旧統一教会(家庭連合)と手を切れ
この喪失感は昭和の完全終了によるものだ。昭和的ないかがわしさ、清濁併せ吞むというあの狡さが完全に終わったのだ。
上記の記事を読むと、何というか、次のような情景が浮かぶ。戦後の共産党勢力の暴力に対抗するために、岸信介氏など自民党の右派は反共の実力行使の手駒として統一教会を支援したのだろう。旧ソ連の崩壊や中国の資本主義化、近年ではベネズエラの惨状を見るにつけ、反共「政策」は確かに正しかったように思える。しかしそれは同時にカルト被害者をも産むものであった。まさに清濁併せ吞む昭和の一コマである。
時代は下り、安倍氏の代でも関係は続いた。安倍氏はそれほど積極的には統一教会と関わっているようには見えないが、しかしそれでもビデオ演説を送るなどしていた。
銃撃事件の本質は逆恨みである。これは種々の報道が出た後も揺るがない。安倍氏が統一教会に行ったことは、民事上も刑事上も何ら責任が問われるものではないからだ。
しかし一方で、安倍氏の振る舞いは国会議員としては無責任に極まりない。例えば彼が統一教会に演説ビデオを送ったことで、少なくとも信者には、統一教会には社会的信用があるという印象を与えてしまった。あまつさえ、上記の記事によると安倍氏に近い議員の中には統一教会に選挙支援を受けていた者もいるという。件の容疑者がこの状況を見て、どう考えるか。
正直、逆恨みする気持ちも分かる。こんなことは言いたくないが、どうしても因果応報という言葉が頭をよぎる。
繰り返すが安倍氏と彼に近い人たちの振る舞いには全く違法性がなく、今回の銃撃事件の裁判で情状酌量の余地としても一切考慮されないだろう(左派系の弁護士達がアベンジャーズみたな弁護団を結成し、安倍氏と統一教会との関係を執拗に指摘して死刑回避に全身全霊を傾けると思うが)。しかし安倍氏の政治的業績は、統一教会との関わりによって大きく割り引かれることは避けられまい。
昭和的な清濁併せ吞みは、もはや存在が許されない。振り返ってみるとここ十数年の種々の動きは、昭和を完全にお役御免にしようとしていたのではないか。例えば暴排条例による暴力団の無差別な排除、憲法9条改正による自衛隊明記。暴力団は古くは警察が使い、高度経済成長後は企業や民間人が使っていた「濁」であった。それは、治安維持や民事問題の迅速な解決という「清」のための必要悪であった。憲法9条第2項の文言を普通に解釈すれば自衛隊は違憲という「濁」になるのに、安全保障という「清」のためにスルーされた。
でもそれはおかしいでしょう。暴力団という「濁」は単に「悪」でしょ。東日本大震災で命を張っていた自衛隊を「濁」扱いするのは流石に申し訳なく、正々堂々と「清」の側に立たせるべきでしょ。そのような感覚が暴排条例や自衛隊憲法明記、そして今回の事件につながったのではないか。
昭和が完全に終わる。今後、昭和的な清濁併せ吞みに実は支えられていたアレやコレやが、突然崩壊するのを我々は目撃することになるだろう。
安倍氏の痛ましい死によって、彼個人の死を超える、何か非常に大きなものが失われたような感覚に襲われた。もちろん、元首相の選挙演説中の銃撃である以上、単なる殺人事件ではなく「民主主義の危機」でもあるのだが、そんな表現さえ生易しく感じられた。その喪失感は何とも言えないもので、ふんわりとした不安とでも形容せざるを得ないものだった。
以下の記事で自民党と統一教会の歴史的関係を知り、この正体が分かったような気がした。
「勝共連合」から続く歴史、自民党は今すぐ旧統一教会(家庭連合)と手を切れ
この喪失感は昭和の完全終了によるものだ。昭和的ないかがわしさ、清濁併せ吞むというあの狡さが完全に終わったのだ。
上記の記事を読むと、何というか、次のような情景が浮かぶ。戦後の共産党勢力の暴力に対抗するために、岸信介氏など自民党の右派は反共の実力行使の手駒として統一教会を支援したのだろう。旧ソ連の崩壊や中国の資本主義化、近年ではベネズエラの惨状を見るにつけ、反共「政策」は確かに正しかったように思える。しかしそれは同時にカルト被害者をも産むものであった。まさに清濁併せ吞む昭和の一コマである。
時代は下り、安倍氏の代でも関係は続いた。安倍氏はそれほど積極的には統一教会と関わっているようには見えないが、しかしそれでもビデオ演説を送るなどしていた。
銃撃事件の本質は逆恨みである。これは種々の報道が出た後も揺るがない。安倍氏が統一教会に行ったことは、民事上も刑事上も何ら責任が問われるものではないからだ。
しかし一方で、安倍氏の振る舞いは国会議員としては無責任に極まりない。例えば彼が統一教会に演説ビデオを送ったことで、少なくとも信者には、統一教会には社会的信用があるという印象を与えてしまった。あまつさえ、上記の記事によると安倍氏に近い議員の中には統一教会に選挙支援を受けていた者もいるという。件の容疑者がこの状況を見て、どう考えるか。
正直、逆恨みする気持ちも分かる。こんなことは言いたくないが、どうしても因果応報という言葉が頭をよぎる。
繰り返すが安倍氏と彼に近い人たちの振る舞いには全く違法性がなく、今回の銃撃事件の裁判で情状酌量の余地としても一切考慮されないだろう(左派系の弁護士達がアベンジャーズみたな弁護団を結成し、安倍氏と統一教会との関係を執拗に指摘して死刑回避に全身全霊を傾けると思うが)。しかし安倍氏の政治的業績は、統一教会との関わりによって大きく割り引かれることは避けられまい。
昭和的な清濁併せ吞みは、もはや存在が許されない。振り返ってみるとここ十数年の種々の動きは、昭和を完全にお役御免にしようとしていたのではないか。例えば暴排条例による暴力団の無差別な排除、憲法9条改正による自衛隊明記。暴力団は古くは警察が使い、高度経済成長後は企業や民間人が使っていた「濁」であった。それは、治安維持や民事問題の迅速な解決という「清」のための必要悪であった。憲法9条第2項の文言を普通に解釈すれば自衛隊は違憲という「濁」になるのに、安全保障という「清」のためにスルーされた。
でもそれはおかしいでしょう。暴力団という「濁」は単に「悪」でしょ。東日本大震災で命を張っていた自衛隊を「濁」扱いするのは流石に申し訳なく、正々堂々と「清」の側に立たせるべきでしょ。そのような感覚が暴排条例や自衛隊憲法明記、そして今回の事件につながったのではないか。
昭和が完全に終わる。今後、昭和的な清濁併せ吞みに実は支えられていたアレやコレやが、突然崩壊するのを我々は目撃することになるだろう。
「安倍晋三が殺されたのは因果応報」でもセックスだけど、それだと悪いことしたから殺されたみたいに聞こえて語弊があるんだよね。悪い事したから殺されたわけだけど。
「安倍晋三が殺されたのはブーメラン」ってのも皮肉が聞いてるけど、「いやブーメランじゃなくて銃だろ」ってなっちゃうし
でもこれだとid:baikoku_senseiが撒いた種のせいで安倍晋三が殺された感あるな。やどりぎのタネかな?
んで、今回アベちゃんが殺された直接の原因は何?ったら統一教会の広告塔になったことなんよね。で、宗教被害者に恨まれた。
他の奴もやってたじゃん、ってスピード違反で捕まったみたいな擁護もされてるけど。
じゃあ、なんでアベちゃんとか他の奴らもが統一教会とツルんでたかってーと、それでお金とか人が付いてくるからで。
いや、その金って信者騙してぼったくった金じゃん。教えはどうなってんだ教えは!なんて思っちゃうけど、
でもさー、そういうキレイごとじゃ儲からないし、不幸になるヤツは自己責任だろってことで
カルトもマルチもヘンな学校法人もウェルカムして、清濁併せ飲むっつーかこれほぼ濁濁じゃんって感じで
でもそれで選挙も勝って、みんな許容してたわけじゃないっすか
やってることは許せないけど他に選択肢がないから消極的支持みたいなのもだけど
結局は不法行為を許容してんだよね。その方が自分にとって都合がいいからって
そういうのを見ないふりしてるうちに、アベちゃんはそのツケを払わされることになったわけで。
ある意味象徴的なんだよね。そっちの人からしたら「逆恨み」なんだろうけど。
あと、公文書改竄とか、これは維新だけど偽造リコールとか、完全にAUTOな違法行為にも
そうやって制度が破壊されたら自分も含めて皆に影響があるんだけども、それより自分たちの利益の方を優先する感じ。
一方で、困った人を助けたいなら自分の金使ってやれとか、福祉とかルールを軽視するところがあったり、
新自由主義的の悪いトコロが目に付く。
表現の自由界隈でも、山田太郎が表現の自由のために何故か平井への支持呼びかけて
平井は嫌いだけど表現の自由のためならしょうがないか~みたいな事あったじゃん。
こういう、大義名分があるから多少の無茶は許容されるみたいなトコが個人的に信用ならんのよな。
母親はある時を境に、怪しい水晶とか絵みたいなものを良く買って帰ってくるようになった。
スピリチュアルやカルトの類ではあるようだが、統一教会ではない。
とても「気」に良い水やら幸せになれる塩やらは家庭の料理に混ざっていたこともあった。
ヒーリングとやらの実験台にされた事も日常茶飯事だった。何が効いてるのかさっぱりだったが、プラセボに騙されやすい兄弟は引っかかっていた。
「西洋医学なんて悪魔!ヒーリングこそ正義」という母の思想の元、幼少期は病院に行くことが出来なかった。唯一許可されていたのもいかにも自然派()の医者だった。
末の弟の受験期には合格祈祷だとかいって、怪しげなお札に弟の名前を書いていた。横目で見ていて気持ちが悪いと思った。
ちなみにその後弟は受験に落ちている。そのことはすっかり無かった事にしている。クソすぎ。
専業主婦なので父の稼ぎからスピリチュアルに課金してたと思うと本当にクソだが、それでも生活の苦しみに反映されるほどではなかった。
振り返ってみれば具体的な被害が多かった訳でもない。ある程度精神的DVに相当する事はあっても、ほとんどは気持ちの悪い事を言うおばさんとして処理できる範囲だ。
昔の優しかった母はいなくなってしまった。呆れて何も言わない父との家庭は冷めきっている。増田は大人になって自立し、生みの母と口を利かなくなった。
それだけだ。
それでも自分は、誰かも知らぬ「最初に母親を唆した人間」をひどく恨んでいる。
母親に色々吹き込んだ人間も、そいつに繋いだかもしれない人間も、何かを売った人間、それを作った人間…………辿って恨んでいたらキリがない。
では、もっと自分の人生が直接破壊されるような状態だったら?と思うと、つい考えてしまう。その恨みがどれだけ膨れ上がるかを。
安倍さんが撃たれたこの事件は絶対的な悪で許してはならない思うし、ニュースを最初に見た時は思わず涙してしまいそうなぐらい心が苦しかった。
助かってくれ、助かってくれ……と祈り、死去の速報。「悲しい」では表現できない喪失感があった。
安倍さんの知り合いでもない一国民ですらこうだ。家族や密接な関係にあった人達の心情は計り知れない。
でもこれを機にカルトの規制や政教分離が進んだりと事態が好転したりしたら、自分は安倍さんが撃たれたことをどこか内心結果論としては喜んでしまうかもしれない。
人としてどうかしている、自分が。
初報でアベガーが因果応報だって喜んでるのを見て反吐が出ると思ったのに、これでは自分も同じではないか。
さらに言えばこれが撃たれたのが安倍さんじゃなくて統一教会の会長だったら手放しで喜んでたかもしれない自分が悲しい。人一人の命、人殺しなのは同じなのに。
それだけだろ
自分からカルトに関わっておいて恩恵も受けておいてそれはバラさないでくれってのは
いくら何でも都合が良すぎる
自業自得、因果応報、自己責任、天網恢恢疎にして漏らさずってやつだそりゃ
なんか統一教会叩きの流れになってるけども
統一教会がひどいカルト宗教で根こそぎ金を持っていかれる上に家族関係も親戚関係も知人関係も破壊していくのは既知の話じゃん
あらゆるメディアにも政治にもなんなら大きめの企業にもかならず足がかりを作って叩きにくい立場にいるのも既知の話じゃん
で
これ納得するストーリーとして腑に落ちちゃっていいのかみんな
とんでもないとばっちりよコレ
幸福実現党に投票した人、カルト宗教のお友達だったのでぶっ殺しました
公明党に投票した人、カルト宗教のお友達だったのでぶっ殺しました
れいわ新選組に投票した人、カルトのお友達だったのでぶっ殺しました
どこまで納得できんの君たち
自民党に投票した人、日本を長年悪い方に導いてきた悪党どものお友達だったのでぶっ殺しました
共産党に投票した人、武力革命を目指したテロリストのお友達だったのでぶっ殺しました
立憲民主党に投票した人、東北大震災からこっち対応を誤って日本を弱くしたやつらのお友達だったのでぶっ殺しました
国民民主党に投票した人、民主党から逃げ出したずるいやつらのお友達だったのでぶっ殺しました
N党に投票した人、選挙制度にいたずらする質の悪いやつらのお友達だったのでぶっ殺しました
まあどこでもいいけど敵のいない完全無欠な団体も人もいないじゃん
こんな話に因果応報ですねえって納得しちゃっていいのかよ
ひどい目にあってるやつも親が頭おかしいやつもカルト宗教にはまってるやつも自作の武器を作ってるやつもたくさんいるのに
わざわざ目立つところに人をぶっ殺しにいったやつ一億人に一人しかいねえんだぞ
そんぐらい変な奴の言うことを真に受けてなるほどなあ悪いやつはぶっ殺されても仕方ないなあって思っちゃっていいのかよ
安倍晋三が死んだ。自業自得という事が言われて批判を浴びているが、これは「因果応報」なのではないか。
悪い意味ではない。
安倍晋三は現役総理大臣時代 「総理だから森羅万象すべて担当している」と発言している
https://www.youtube.com/watch?v=PHczw_TajMk
これ、当時は批判を浴びたが、一国の総理大臣というのはこう言う決意でやるものではないだろうか?
政治は結果責任であると言う事も含めて考えると、アレは俺関係ねえし、って逃げる総理大臣よりは相当にマシな態度だったと思う。
そう考えると、この件は、安倍晋三自身は「因果応報」だと思って死んだのでは無いかと思っている。
今頃、神の御許にて、捌きを与える統一神の前で、全ての責任は自分にある、と答弁している事だろう。
もっとも、彼らの神は結婚して血統を残すことを重視するので、霊的救いはしてくれるだろうが、それ以上はなにもないかもしれないが。ああ、でもキリストと同じポジだと言うことにもなるのかな。まぁそれは分からん。
ともかく、残された我々は、これを教訓に進むしかない。今の総理大臣である岸田文雄は、政治の方向性はともかく、自らが森羅万象を背負うつもりで頑張っていただきたい。
理性的な自分は「どんな人だろうと、どんな動機だろうと、相手がどんな悪者だろうと暴力では何も解決しない。世の中に憎しみしか産まない、悪き行為だ。」と眉間に皺を寄せて思った。
同時に、反自民的な自分は「安倍さんはおそらく犯しただろう罪を償わなかった。司法が裁くことができないなら、誰かが裁かなくてはいけなかった。これは因果応報だ。」とちょっとスッキリした気持ちもあった。
さらに「9.11の時と同じだ。あの時は夜のニュースにかぶりついて、何かこれから世界が少し変わるような高揚感があった。この高揚感は、歴史の教科書に載る瞬間を目にした、というリアルタイム性の喜びだ。巨大な情報の餌が目の前に転がっている。」と思ってすぐにはてブを開いた。
そして、つまらないサラリーマンの自分は、カチカチとteamsのメッセージを打って、意味のない上司の要望に応えるフリをしていた。
Twitter上(表)では多数側の意見に立ち、一緒に反安倍や野党、不謹慎なこと書き込んだやつをみんなといっしょに叩いているが
某掲示板(裏)では山上烈士賛美とか安倍のことを天罰や因果応報ざまあとかくっそ書き込んでる
けっこうおすすめ
コツは両方馬鹿みたいに行き過ぎた感じを出すこと
親愛なる君に。
自分が実行する場合の方法を考えたこともあったし、誰かに手を下してほしいと思っていたこともあった。
私は驚かなかった。「ああ、そうか。」と感じた。
彼が犯してきた罪は、その命を持ってしても贖いきれないと私は信じている。その音は、彼に殺された者たちの声なき声の響きだったに違いない。
彼は人間を人間たらしめるかけがえのない心のはたらきを雑草か何かのように踏み躙り歩んでいた。それで彼はまるで輝いていた。私たちは彼のようであるべきで、彼のようであって良いのだと思い始めていた。それは確かに、なにか呪詛のようなものではなく、いわば脱色された暴力によって木っ端微塵にされるに相応しい在り方に違いなかったのだろう。私は自分が安堵していることに気づいた。
しかし見聞する限りの世の中の反応は趣を事にしていた。曰く暴力は許されないと。
勿論それは、私達は私達がもつ、もう一つの人間性、即ち自らのもつ暴力性については全く知らぬ事にしなければその社会に所属して生きて行かれなくなる故の建前である。暴力に同意する言葉を吐いた情報が拡散した瞬間炎上し、見える範囲からは丁寧に除去されるだろう。実行すれば血祭り、現代の仕組みとしては死刑に処せられる様になっている。それを私は承知しているつもりだった。けれど状況を前にしてはやはり戸惑った。私達はこんなにも取り繕わなければならないものなのだ。
私達は、内なる暴力を正当化する仕組みこそ多数決であり、選挙とはまさに具体的な暴力装置を手中に収めるための闘争であることを、その渦中にあってまるで自覚することが無くなっている。
物理的な暴力でさえ無ければ、それは暴力では無いと認識されている。しかし他者に対したときに立ち現れる欲のうち、その片方の根本は一つであることを、十分に知覚しておく必要がある。
彼らの掲げる民主主義とは数の暴力でしかなく、その自由とはそれを恣にして良いのだという意味でしかなかった。
数の暴力が恣にされ、ある人、ある人たちの尊厳が脅かされるとき、私達はたとえ強者の側にいても、無論無差別にでなく、明確な目標を持って、的確に、闘わざるを得ない。
今回の参議院選挙に関して、私は選挙区比例ともに自民党候補に投票する。
私は一家揃って反自民な家庭で育ち最近では民主党→民進党→共産党→立憲民主党と投票してきた。
脱原発テントや反TPPデモはもちろん反安保集会にも何度も参加した。私はアベ死ねアベ辞めろと散々繰り返し言ってきた人間だ。
昨日、安倍晋三氏は民主主義の根幹たる選挙の遊説中に、明確な悪意を持った人物が起こした政治テロの凶弾に倒れた。
いや、倒れたのではない殺されたのだ。
散々アベ死ねといった奴が何を言うのかと思われるかもしれない。しかし、私は現実のおぞましさに吐きそうになった。
デモで出会った仲間たちのTwitterを見ると天誅 因果応報 挙句テロ実行犯を英雄だと讃えていた。
もう無理だ。この連中を彼らも同じ人間なんだと捉えることはもうできない。
この政治テロを受けても私の政治信条は変わらないし、デモ参加も後悔していない。
しかし、実際に亡くなることなど微塵も考えず、浅慮で愚劣な言葉を吐き続けたことを心から恥じる。
テロ実行犯の供述もでてきているが、私は信じるに値しないと考える。
そもそもニュージーランド首相に倣い名前すら口にしたいと思わない。
先日、安倍さんが撃たれた事に対して因果応報だ自業自得だと言っている輩が居た。
一般人は基本的に悪意の塊が目立つようになってるので仕方ないにしても
それなりに発言力がある政治家だったり、昔は多少人気があったような芸能関係の老害が死者に蹴りを入れるような真似をしてるのを見ると
こいつらが撃たれたほうがよっぽど良かったんじゃないかって思ってしまう。
自民党も安倍さんも好きじゃないが、死者を貶すような事は考えたこともない。
だが、そういう事を平気で考えるのがそれなりの地位にいる人間だったり、有名な人にいるというのがね。
しかもそいつらが一般的な常識も持ち合わせずSNSで躊躇うこと無く発信してるのが、ホント狂ってる。
暑さでいかれちまったのかね?