母親はある時を境に、怪しい水晶とか絵みたいなものを良く買って帰ってくるようになった。
スピリチュアルやカルトの類ではあるようだが、統一教会ではない。
とても「気」に良い水やら幸せになれる塩やらは家庭の料理に混ざっていたこともあった。
ヒーリングとやらの実験台にされた事も日常茶飯事だった。何が効いてるのかさっぱりだったが、プラセボに騙されやすい兄弟は引っかかっていた。
「西洋医学なんて悪魔!ヒーリングこそ正義」という母の思想の元、幼少期は病院に行くことが出来なかった。唯一許可されていたのもいかにも自然派()の医者だった。
末の弟の受験期には合格祈祷だとかいって、怪しげなお札に弟の名前を書いていた。横目で見ていて気持ちが悪いと思った。
ちなみにその後弟は受験に落ちている。そのことはすっかり無かった事にしている。クソすぎ。
専業主婦なので父の稼ぎからスピリチュアルに課金してたと思うと本当にクソだが、それでも生活の苦しみに反映されるほどではなかった。
振り返ってみれば具体的な被害が多かった訳でもない。ある程度精神的DVに相当する事はあっても、ほとんどは気持ちの悪い事を言うおばさんとして処理できる範囲だ。
昔の優しかった母はいなくなってしまった。呆れて何も言わない父との家庭は冷めきっている。増田は大人になって自立し、生みの母と口を利かなくなった。
それだけだ。
それでも自分は、誰かも知らぬ「最初に母親を唆した人間」をひどく恨んでいる。
母親に色々吹き込んだ人間も、そいつに繋いだかもしれない人間も、何かを売った人間、それを作った人間…………辿って恨んでいたらキリがない。
では、もっと自分の人生が直接破壊されるような状態だったら?と思うと、つい考えてしまう。その恨みがどれだけ膨れ上がるかを。
安倍さんが撃たれたこの事件は絶対的な悪で許してはならない思うし、ニュースを最初に見た時は思わず涙してしまいそうなぐらい心が苦しかった。
助かってくれ、助かってくれ……と祈り、死去の速報。「悲しい」では表現できない喪失感があった。
安倍さんの知り合いでもない一国民ですらこうだ。家族や密接な関係にあった人達の心情は計り知れない。
でもこれを機にカルトの規制や政教分離が進んだりと事態が好転したりしたら、自分は安倍さんが撃たれたことをどこか内心結果論としては喜んでしまうかもしれない。
人としてどうかしている、自分が。
初報でアベガーが因果応報だって喜んでるのを見て反吐が出ると思ったのに、これでは自分も同じではないか。
さらに言えばこれが撃たれたのが安倍さんじゃなくて統一教会の会長だったら手放しで喜んでたかもしれない自分が悲しい。人一人の命、人殺しなのは同じなのに。