はてなキーワード: マル経とは
「搾取」がマル経で使われて定着する段階で悪い意味の言葉になって今使っている人々の中で定着してる過程はちょっと興味深くて
Ausbeutung(搾取)って語には、野を耕すとか、鉱山を掘りつくすとか自然に問いかけて(働きかけて)成果を得る/得ない、くらいの意味合いなのよね。
マル経の場合、生産要素(人とか資本とか)の中で人(労働力)を使用して生み出される価値(使用価値)から賃金(労働力の交換価値)の差である剰余価値部分を資本家が獲得する際に
搾取という言葉が使われていて、ロジック的には労働者の生み出した価値を奪っているように見えるけど、賃金を労働者の取り分、搾取部分を資本家の取り分ととらえれば、
過剰に搾取する、みたいに不当な関係性でさえなければさほど批判的に取られることはないはずなのよね>経済学の立場によると思うけど
と、いう風に理解していると
いや性的な価値が不当に奪われる、というニュアンスで皆の理解は共通でいいと思うし、それを批判はしないのだけど
批判的に使用している人たちが、「性的な価値」をどうみているのかは整理してほしいなと思ったり。
金銭的な価値(交換価値)に置き換えて評価できれば、搾取の正当性、不当性がわかりやすいのだけど、そもそも売春の正当化みたいでNGだろうし
性的なものに関わる当事者たちが感じる価値(これだと使用価値かな)になると、主観というか個人個人の効用の大きさによって変わって評価が難しい
(性的な被害を受けた、という人がいればそれには真剣に当たるべき、という認識はいいと思う)
じゃあいっそ、性的なもの禁止!があらゆる禁止論者にとってわかりやすいロジックだけど、
性は決して害悪ではないし、性ってそんなに嫌悪するもの?とは思う
人類が存続するためには必要なものだし、性的な魅力的を評価してはいけないというのも一方的な主張になる
どこまでが正統でどこからが不当か、というのを議論するのは何となくはばかられる話なのは分かるけど
安直に何もかも否定したり、安直に何もかもオープンにしたりと極端に走るのは違うと思っていて、
議論に参加する人は自分自身が性的な価値観についてどう考えているのか、ポジティブ、ネガティブ両方について真剣に考えていてほしいなと思ったり。
■教養を身に付けられる本を教えて欲しい。
この問いに答えるには先に「『教養』とは何か」ということをクリアにしないといけないと思うが、これを抽象的に論じ始めると喧々諤々の議論となって、増田の「本を教えて」という望みにたどり着かない。
しかし、日本の「教養人」と言われる人/自称している人たちの中で「教養」の範囲は割と共通していて、だいたい以下のラインナップに自分の専門や好みを付け加えたものになるのではないかと思う。
これはもう間違いない。およそ西洋で発展した学問は深掘りすればすぐにキリスト教にぶち当たる。
ただ日本でキリスト教について知識を身に付けようとしてもなかなか良い本が無いのが現状。(その辺で売ってる入門書は表面をなぞってるものばっかりなので読んでも誤解して終わりだと思う)
個人的には内村鑑三の一連の著作から入るのが分かりやすくて良いと思うが、古くて読みづらいかも。田川建三から入るのも面白いかもしれないけどどうかなぁ。
なお、「教養人」といえど聖書は誰も通読していないので、上記の本で引用されたところを拾い読みしておけばよい。
ひと昔前までマルクス主義はすべての学問を包括する「グランドセオリー」と言われていて、どんな問題でも切れる便利なナイフのように活躍していた。
その残滓が今でもあって、社会科学においては今でも学生が知らず知らずのうちにマル経用語を覚えさせられていたりする。
むかしは手に入りやすくてわかりやすい入門書が不破哲三のものしかなかったが、数年前のマルクスブームでたくさん良い本が出ており、個人的にはデヴィッド・ハーヴェイの入門書をお勧めしたい。(ただ抵抗が無ければ不破哲三の著作は今でも分かりやすくてよい)
みんなの憧れ『資本論』も上記入門書の傍らに置いてちびちび読んでみると良い。そこらの難解な哲学書に比べればぜんぜん読める。
マルクスをやればみんな歴史がやりたくなる。マルクス主義史観を学校で習った日本史/世界史に当てはめて、その切れ味を試したくなるからだ。
好きな時代や分野をやれば良いと思うが、「教養人」はみんな網野善彦と遅塚忠躬の著作が大好き(偏見)なので、ぺらぺらめくっておくと良いだろう(マルクス主義史観の多少の解毒剤にもなる)。
ウォーラーステインも読みたくなるが、長すぎて誰も通読していないので、川北稔のアンチョコを読んで、読んだふりをしておくと良い。
なお、第二次世界大戦については最近、川田稔『昭和陸軍全史』という誰でも読めるすばらしい本が出たので、知ったかぶりができなくなった。
文学となると何を読むか、ということになるが、サマセット・モーム先生が『世界の十大小説』というすばらしいアンチョコを出しているのでまずはこれを読むと良い。
そこで採り上げられている小説のうち、『カラマーゾフの兄弟』と『戦争と平和』は「読まなければ人ではない」という風潮があるので、せめて読んだふりはできるように。キリスト教の知識がここで生きてくる。
日本の小説では、夏目漱石についての柄谷行人の論考を読んで、日本の近代について一席ぶてるようにしておこう。
それと『失われた時を求めて』はとりあえず買って挫折するのが大事。
わが国では哲学について昔から「デカンショデカンショで半年暮らす、あとの半年寝て暮らす」という有名な言葉があり、デカルト・カント・ショーペンハウアーが昔の「教養人」の必須科目となっていたらしい。
ただショーペンハウアーがここに入っているのは少し不思議で、今ならニーチェが入るのではないかと思う。
どうせ正確な理解なんて無理なのだから、適当なアンチョコを読んで知ったかぶりができるようにしておくと良い。
なお、なんか知らんが日本人はヘーゲルが大好き(な割に誰も理解していない)なので、一応挨拶だけしておこう。
「教養」として名前が挙がることが多い一方で、まともに条文を運用できる人がほとんどいない分野。
上述してきた分野と違って、本を読むだけではだめで、指導教官のもとで実際の事例にぶち当たってトレーニングを積まなければならないので難しいのだろう。
下手に基本書を読んでも本職に知ったかぶりをすぐ見抜かれるので、時折ネットで話題になる法律問題について法曹の解説を読んで都度勉強すると良いだろう。
ここまで挙げた学問はいずれも西洋で発展したものなので、「日本にはなんもねぇのか」という気分になってくる。
こうした「教養人」が抱えるコンプレックスについて内田樹が『日本辺境論』という本で書いているので、ちょろっと見ておくと良いだろう(Amazonで1円で売っている)。
ここらで本居宣長とか丸山真男とかを読み出す人も多いのだが、どうせ不毛な作業になるので、視野を広げて中国思想・インド思想辺りに目を向けるのが良い。
「教養人」というのは大概文系であり、自然科学についてはからっきしな奴が多い。
自然科学の話題になると、トーマス・クーン『科学革命の構造』をそれらしく引用して逃げ切りを図る人が多いのだが、本職に馬鹿を見抜かれるので素直に勉強しましょう。
ヨビノリをはじめとした学習コンテンツがYouTubeに転がっているので、せめて高校数学と物理ぐらいはやっておかないといけない。
上述してきたような分野をやっていると、唐突に詩が登場したりして困惑する場面が多々出てくる。
論理的(笑)な「教養人」の中にはこれを不得手として敬遠する人が多いのだが、どこかで対決しなければならない。
幸いなことに最近、詩人の渡邊十絲子という人が『今を生きるための現代詩』という詩についての分かりやすい概論を出したので、一読した上で適当な詩のアンソロジーでも買ってくれ。
なんか知らんが「教養人」は映画が好きな人が多いので、ある程度は観ておかないといけない。
イギリスのエンパイアという雑誌が「史上最高の映画500本」という特集をやっているので、上から適当に観ておけば良い。
とりあえずこの辺を押さえておけば周囲からは「教養がある」という認定を受けるのではないかと思う。
ただ教養があったとしても「教養人」からマウントを取られる可能性が低くなるだけであり、「他人との会話が盛り上が」るなんてことはまず無いから気を付けて呉れ給へ。
共産主義がうまくいかないことは、マルクスの「共産党宣言」を読めばわかるだろ。岩波書店が無料で公開してくれてるから、読めよ。オレは、読んだうえで批判する。
https://www.iwanami.co.jp/moreinfo/tachiyomi/3412450.pdf
供給が固定されたら、需要側が変化する必要があるわけで、それはつまり消費者は選択する自由がなくなるわけだ。人間は「選択できない」という我慢はできないよ。よって、共産主義は間違っている。
マル経も会計上は資金の一致はしないといけない。そうでないと、輸出入で不都合が生じるからな。じゃないと GDP の計算ができないし、ソ連や中共が GDP の報告をしないだろ?日本が GDP を気にしないのは、投資される側じゃないからだ。海外からの投資というのは、マクロ経済学では大切な部位なわけだ。ソ連や中共は海外貿易をしてるのに、上記の共産党宣言には何も書いてない。そうなるとスターリンやトロツキーが言うように「世界同時革命」が必要というわけさ。例えば、日本が共産化すると国家というボーダーを消さないと共産主義に齟齬が生じるわけ。なぁ、『日本』共産党という政党がいかに不勉強かわかるだろう?それに、もう日本に共産主義なんていらないのですよ。ケインズという、国家というボーダーを使役すると経済をカンフルする方法を編み出した天才のせいで。マクロ経済学を駆使すると、供給に規律を持って対処できるので、もはや国家として共産主義を選ぶ理由はありません。
人間は「良い思いをしたい」という生き物で、ソ連においても「良いものを求めた人民」が観測されています。つまり、共産主義であっても「モノは同一価値ではない」のです。共産主義は自由を奪う思想です。
上のなかで一番 共産主義に迎合する領域なのは計量経済学だ。計量経済学は統計学だから、数値をごまかすと一致するからな。つまり、ある時期までは共産主義は『良すぎる』はずだ。そして、ある時期からは共産主義は資本主義に負ける。ネトウヨが「オリンピックから何年後に中共が滅ぶ」というのは、まぁまぁ嘘じゃないと思う。そのターニングポイントは計量経済学では見ることができるはずだ。それは、歴史がジャンプするときに、みられる。
左翼の人達がちょっと気に入らない相手だと「下」に規定して侮蔑するのを何度も何度も見た。
知能が下とか経済的に負け組とか学歴が低いとか異性にモテないとか。
これを見た瞬間に感じるのは左翼のほうが数段難しいということ。
左翼をちゃんとやれるぐらいに人類が種全体で進化出来たら左翼の方がすばらしいのはわかる。
けれどもそれは絶対無理なので左翼は捨てて、右翼にも警戒し、なるべく中道を探るというのが現実案になるのだろう。
このように左翼になるか右翼になるかの二つに一つだよ、のように
整理してると見せかけて選択肢をその二つに絞って提示するのは嘘だし有害だよなと。
左翼か右翼のどっちかにならなきゃ駄目といわれたら政治に足を踏み入れたくなくなるだろう。
左翼おじさんも右翼おじさんも自分達の醜態に気づいてない&自分と自分の敵以外の道が無いと思ってるところが老人だと思う。
『労働者』と『資本家』ならそう書くべきところを「下と上」と書いた以上はそこに別の情報や別の意図を見出すのは当然(今回取り上げた人だけが使ってる言い回しでもない)であって、『労働者』と『資本家』だとして読むべきなんだよ、と言いだされても困る。『労働者』と『資本家』があまりにもアナクロになったので別のアングルや別の敵を求めた結果「下と上」のような言い回しが使われ出してるのであって、個人の言い間違いではないのだから。
別の人が(後出しで)「って話なんだけどね」と別の話を言い出してるわけで、それは別の人の別の見解として自覚を持って言ってるならいいけど(それを私に言われても困るんだけど)、元となってるnagaichiさんやそれを支持する人たちについて解説・擁護してるつもりならおかしいよね。
そのとおり。「本来の意味」や「本来の用語」を捨てたことには必ず意味や秘められた意図があるので「下と上」について論評するのであり、そこに「正しくは資本家と労働者だ!」なんて基本的なことをドヤ顔で言われても困るのであり、一人目の人はもうちょっと考えてから書いてほしい。
この人は、本文で言っている平等が「同じ程度に心が弱い」という人間の仕様の根本の話をしていることを理解できず、偏差値や知能のような末梢のスペックの話を思い浮かべてるのだと思う。
そういう単純で硬直的になったパラダイムに反対する、という話も読めてないのだと思う。
残念ながらそういうきれいごとは結果的にとっくに嘘になっていて、「下と上」というパースペクティブを持つせいでひそかに(または公然と)人間に上下をつけることは左翼の方が右翼より激しくなっている面すらある。
右翼は自分達の”当然の権利”を守ろうと言う権利護持活動になっていて、左翼は”下の者”にわからせようという劣等攻撃活動になるという転倒現象を見たことがない人は少ないと思う。
左翼が”下の者”を苛烈に侮蔑して興奮しているのを何度も見ることは冒頭に既に書いた。
左翼が右翼に劣ると言ってるのではなく、同じ人間なので同じ程度の知的能力があり、思想は左翼思想のほう目的地も難易度も高いために人間に実装すると左翼のほうが嘘や矛盾が多くなる、という話をもう1回繰り返す羽目になった。
この方も。本文の「能力」が何を示唆するか読解できずに学歴等の話だと思い込んでる時点であなたの好きなそういう末梢の指標で言えばあなたは劣等だよね。(個人的にはあんまりそんなところに意味は感じないんだけど私の偏差値はたぶんはてなの殆どの人より高いです。)
元のコメントは恐らく松尾匡先生の言葉を引っ張ってきていて、そこで言う上、下は資本家と労働者階級のこと(松尾先生はマル経なので) 世界を一面的に切り分ける方法が人により違い、それが思想になるということだ
その思考法やカテゴリ分け自体が脳硬化した老人のパラダイムなので若者にいきなりぶつけて若者の脳味噌を狭めないでほしい、という話をしているんです。
実際多くの人は完全な右や左の思想を持ってる訳ではなくて、話題によって賛成も否定も無関心ある。どんな政党の主張でも政策ごとに支持も不支持もする。一部のネトウヨやアベガーの人達が超現実を生きているだけだ。
おっしゃるとおりなので(ネトウヨとかアベガーすら脳硬化の香りがするので好きな言葉ではないが)、政治の話と聞くと古臭い二分法パラダイムを持ち出す(右や左と言う分け方、右の中で内や外、左の中で下や上という分け方、)人がしゃしゃりでて人気上位コメントになる現象の老人臭きつすぎると感じる。
「わしらと同じ単純な切り分けをしない奴は半端もん」。老人怖すぎでしょ。
Cunliffe 間違いなく下半分というか1割に入ってしまうネトウヨ、リフレカルト、ニセ科学批判カルト、原発推進派に憐れみ掛ける奴なんていないでしょ。 これはひどい しねばいいのに こいつバカ
「左翼はそんなんじゃない」とか白々しくとぼけられるとめんどくて困るので実例ありがたいです。
filinion 「下の味方」というのは、貧困層やマイノリティなど社会的弱者に味方する、という意味であって、倫理的に下劣な人間の味方をするという意味ではない、というだけの話。経済力や知能が低い人は社会の保護が必要。
だからそうやって「倫理的に」「下」とか「劣」とか見極める能力や資格があんたにあると思うのは巨大な思い上がりで、一度そういう思考法を許したが最後「下」や「劣」を見下すことに熱中するしょーもない人間に成り下がるんじゃないですかね。
というかもう成り下がってるからこういう話が理解も出来ないし、理解できないなりに自分達の”権利”に是非をかけられて脅かされてることだけは敏感に察知して激しく反発してるんだよね。
っていうのも何様なんだよ。貧乏人や低知能がいつあんたみたいな偉そうなだけの無能に救われたいなんて言ったかね。幻聴もいい加減にしたら?
しかもさ、「社会的弱者に味方する」とか見栄切っておいて「社会の保護が必要」ってずいぶん後ずさった他人事じゃん。
実際あんたはあんたの言ってる「社会的弱者」や「経済力や知能が低い人」を助ける活動を何か日常的にしてるの?偉そうな勘違い馬鹿でも最低限それをやってるなら認めるよ。
たとえば毎休日つぶして貧乏な家の子のために身銭や労力切って食堂や寺子屋やってるならそういう左翼は超尊敬する。してるの?どうなの?
ほっとんどの左翼はしてないよね。毎日毎日人助けもせず暇な時間は全部ネットにつないで「下」を見下してるだけじゃんか。あんたらが何の役に立ってるんだよ?