はてなキーワード: ゾーニングとは
テラスハウスの件があってリアリティー番組は世界中で30人以上自殺者を出していることが知れ渡ってこれからどんどん下火になっていくのかなぁと思っていたらTwitterでもテレビでもバチェラーの新シーズンを絶賛CM中で「えぇ…」となっている
出演者の命がかかっている以上見たい人だけ見ればいいというゾーニングの問題とも違う気がするんだけど…
というか一度も視聴したことがないのでわからないんだけど、番組冒頭で
「台本こそありませんが出演者は撮れ高を増やすために本心とは違う言動をすることがあります」
「カウンセラー立ち合いの下撮影しており出演を継続するかは毎回本人と相談して決めています」
「SNS上での誹謗中傷には法的措置を検討する場合がございます」
みたいな但し書きがあったりするの?
個人的には、犯罪を誘発するから性的な絵を規制しろっていうのは何かズレてると思うんだよな
所構わず性的な絵を置かないで欲しいっていうのはどちらかっつーと、
勿論食事中にうんこの話をされたからといってそれだけで即座に吐くとかそういう事にはならないけれど
オタクが叩かれるケースってコミケで勝ったエロ本だと分かるもを街中で持ち歩くとかそういうことじゃないの?
観光盛り上げる為に萌え絵やら際どい設定持ち出してるのって、それを企画してる人たちだろ
広告とか観光業者が何エロ利用して稼ごうとしてんだよって言われるのは分かるけど
ロフトの件もそうだなせいし政治家の先生がオタクに楽しみたいならゾーニングしろと言ってたけど
あれも広告屋絡みの展示だろ
そうしたいのは山々だけど、それを一般社会でやると世間の倫理観と衝突するので物理的地理的にエリアを分けてゾーニングして実行しようとするのが、我々ネイチャリスト(別名ヌーディスト)ですよ。
ネイチャリスト(ヌーディスト)村や同キャンプや同ビーチなどにいる間だけは、一日中全裸で過ごすことができます。男性も女性も、大人も子どもも。
とかいいつつ、お給料が出てお小遣いを充填したので『Canna 10th anniversary 2/4』を買った。朝田ねむい先生と文善やよひ先生とハジ先生のSSが連続で載っていて次の次に座裏屋蘭丸先生が載っている! すごく嬉しい!
しかし座裏屋蘭丸先生の『シャングリラの鳥』番外編は一発ネタ1ページだった悲しい……。でも連載二本抱えた人気作家さんだから仕方ない……あるだけ有り難いんだ……。
朝田ねむい先生のSSは、連載中の『スリーピングデッド』ではなく、なんと伝説の『兄の忠告』だ。ハジメとツヅキの兄弟は、短編の登場人物ながらなんかすごく心に残るキャラクターだから、時々蒸し返すように再登場してくれると嬉しい。ちなみに、私は朝田先生のブログで無料公開されているSS漫画に書かれていたツヅキの設定「Tシャツのタグが出てる」の萌の瞬間最大風速の凄さが忘れられない。
ここの所、某BLレビューサイトのツイ垢から流れてくるBL新刊情報が、どうもパッとしない。どれもこれも表紙からやる気満々の素っ裸ツルツル絵。一時、裸絡み絵じゃない表紙が多かった気がするけど、急にまた元のエロ売りに戻ったような。気のせいかもしれないが。しかし、大概のBL漫画は多かれ少なかれエロありなので、裸絡み絵表紙はゾーニングの一環としてそれはそれで読者とリアル書店のお客さん達に対しては親切だったりするのだろうか。私は一目見て「面白くなさそう」と思ってしまうのだが。
新しいもので良さげなものが無いとなれば、先月より前に良さそうだが買うのは躊躇したものの中から選ぶかぁ。
以下、買うかどうか迷い本。
カップリングはタイトルとは逆に蜘蛛×坊主であるらしい。人外の蜘蛛のキャラデザがとてもいい。ただ、最近ハジ先生の漫画を連続で買っているので、ストーカーめいた自分の購買行動がちょっと嫌で買うのを躊躇している。
シーモア無料で1巻を読んだらよかったので。でもこれ全5巻なんだよなぁ(最終巻はクリスマスに発売予定とか)。長い上に1巻を無料で読んでしまったというのは、全巻コンプリートするのに長い年月を要するパターン。
苦労して全巻コンプリートしたぞと思ったら、なんと、2巻と3巻は0円の時に購入したものだった! Kindle本棚整理中、データを消したら2巻3巻だけ完全に消失した(購入記録まで……)。悲しい、とても悲しい! あの達成感は偽りのものだったなんて……。
心折れてしまったので、当分買う気が湧かないと思う。
兄弟もの……ゴクリ。私は謎に兄弟BLが好きなのだ。好きがあまり余って自分で書いてしまうほどに……。だが、これは試し読みを読んだら嫌な予感しかしなかった。兄弟ものだしネタも面白げなのに、趣味に合わないにおいがぷんぷんにする。こういう勘って大事にした方がいいと思うんだな。
1巻を買って読んだので面白いのは分かるんだけど、読むと気力体力を削がれる系なので、どうしようかと。一般の少年漫画でいえば『銀魂』とか『ボボボーボ・ボーボボ』とかみたいな、笑えるけど、読後にどっと疲れが押し寄せる感じ。
これこそ、一度集め始めたら途方もないな。しかも手許にある1、2巻はKindle0円なので、コンプリートしたと思った後で泣くやつだ。
とか考えているうちに、『日々、君』(小池定路)の存在を思い出した。これか、これかな? だがお小遣いは少ない。も少し悩もう。
ゾーニングはしたくない
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法規制には反対派だったけど、
ここまで話通じないなら一度法律で規制されてしまえば?と思うようになってしまった
過激なエロ表現が違法になりそうな時、おそらくもう自分は反対の声を上げない
今の戦士達が精力的に活動して進む先に待っているものはそれだということを肝に銘じてほしい
「ダメだこいつら」の先にあるのは
常に「ルールで一掃」なんですよ
わかってるか?
非常に共感できる文章だった。きっと同じ道を通ってきたのだなと思った。
私は子供の頃から、自分で読んで楽しむためだけに、登場人物が怪我や病気で苦しむ小説を書いてきた。当時はネットを使えなかったから、読みたければ自分で書くしかなかった。自分以外に同じ趣味の人間を探す方法もなかった。自分で好きなように小説を書いて読んでいると、なんだか安心するというか、癒やされるというか、心地よかった。なんとなく他人に知られてはいけない、恥ずかしいことだという感覚はあったが、それが性的な興奮であるという認識は無かった。セックスという概念すら知らない子供の知識で想像できる「エッチなもの」といえば、せいぜい女性の裸体くらいのものでしかなかった。それから少し大きくなり、セックスやオナニーについて性教育レベルの学習を受けたときは、「今はまだ分からないけど自分もいずれセックスに興味が湧くのだろうか」などと考えていたものだ。
中学生になるとインターネットが使えるようになり、とりあえず好奇心からオナニーの具体的な流れや方法などについても調べた。病気萌えの小説を書いている時に本能的な衝動でオナニーをして、「イク」という感覚を体験として知り得てから、ようやくこれが私の性欲なのだと気づいたのではなかったかと思う(目覚めの詳細はもう忘れたので半ば推測)。
病気が好きな気持ちを性欲と結びつけることができたおかげで、「病気 萌え」や「病気 フェチ」などのような、性的な検索ワード使いができるようになった。世の中には自分と同じ趣味の人間が存在するのではないか、という可能性に思い至ったのは小学校高学年で堀辰雄の風立ちぬを読んだときだったが、それから数年越しでネット検索して辿りついた2chのピンク板でその思いは確信に変わった。
あれから13年、病気萌えの小説はわざわざ自分で書かなくても、ネットで比較的容易に手に入れられるようになった。書き手も数え切れないほどにいる。小説のみならず、興奮材料として十分な音声や動画すらも手に入る。
それでも私が未だに自分で小説を書き続けているのは、ひとえに自分で書いたものが一番萌えるからということに尽きる。小説サイトにも投稿したことはあるが、ごくごく一部だけだ。書いたものをほとんど公開しない理由は簡単で、たいてい書いている途中で興奮してきてオナニーして満足して寝てしまい、人様に見せられるほどきちんとした文章に仕上がったためしがないからだ。
ところで、小説というか文字媒体の良いところは、地雷を踏みにくいところだと思う。私は空想上の人が嘔吐や下痢をしている状況は好きだが、リアルな吐瀉物や排泄物のビジュアルは嫌いだ。作り物であっても不快だ。我ながら面倒な嗜好だとは思う。だからスカトロAVには手を出せない。視聴覚に訴える媒体は、好みに合わなかった場合に味わわされる不快感が暴力的だ。
その点、小説ならば、文字を読んで思い浮かべるイメージは全て自分自身の想像力の範疇に収まるものでしかない。極めて安全な世界だ。読んでいて好みに合わない表現が出てきそうになったら、そっとページを閉じるだけで、最小限のダメージしか負わずに済む。
どんどん脱線してきている気がするが、このまま続けてみる。
病気に萌える体質のやっかいなところは、日常生活で不可避的に「性的な」場面に直面してしまうことだ。たとえば異性の人間の裸体や性器やセックスに興奮する体質の人であれば、一般的な社会通念が、その人が生活する上で無闇に性的刺激を感じなくて済む権利を保証されていると言っていい。もちろん完璧ではないが、少なくともゾーニングはされている。
その点、病気に萌える体質の人に対しては、誰もその性欲をみだりに刺激しないように配慮してくれたりなどしない。最近でこそ見かける機会が減ったものの、私のような人間にとっては「性的」でしかない、発熱をおして働きに出る人や、街なかで苦しげに咳き込む人などはいくらでもいた。これを一般的な性欲の人に置き換えて考えたとしたら、私は日夜、大勢の露出狂の人に囲まれて生きてきたようなものではないか?
リアルな人間を性の対象としないで、一人で小説を書いて読んで興奮するのは、セックスとは似ても似つかない閉鎖的な行為だと思う。倒錯しているという点については弁解のしようもない。こんな性欲を持っていてもろくなことはないから、せめて普通にセックスに興奮するようになりたいと思う。そうはいっても一向に治る気配はないので、このまま生きていくんだろうなと思っている。
じこぼう@kinkuma0327
女性や子供に見える場所にエロ画を掲示し、ゾーニングした方がいいという割と穏健な意見でさえフェミニズムと絡めて敵視し、批判は全てクレーマー視し、挙げ句の果てには街全体を治安が悪いだのあんなところに子供連れて行かんだのとディスり始めるような人たちを、お仲間以外の誰が擁護するんだ。
物理的に全く同じ表現でも、文脈によってポルノかアートかというのは変わりうるということが、どうしたら理解してもらえるんだろうな。Pixivに投稿すればポルノになる絵でも、展覧会に展示すればアートになる場合もある。
もちろん「ポルノならばどのようにスティグマ化されても文句は言えない」という話ではない。性的営みと文化的営みでは、ゾーニングのあり方にも異なる議論が必要という意味。
あからさまなR18表現でもない表現をゾーニングできると思ってる人の根拠ってなんなの? 恣意的でない基準にそって、あなた方にとってどう見える世界になれば理想なの?
「みんな」がお前やお前が作り出した作品を見ると不快でキモいと思うから、お前は日の目の見えない私的な領域に影のごとく隠れてろ、俺らがお前やその作品を見たくない自由を尊重させろ、といえば、それは「いじめ」だし人権侵害になるよな?
それ以上の強い理由だということで公共性や常識やTPOを利用すればそれはマジョリティによるマイノリティへの抑圧じゃないのか? 実のところ「社会通念」に訴えなきゃいけない法律ってめちゃくちゃあるけど、それって実践上の必要悪であって原則的には、一部の人しかアクセスできない、普遍的妥当でもなんでもない恣意的な基準の温床であることを引き受けるってことだろ?
女性への「女性は性的客体である」という意味付け云々の話にすれば、明らかに作者の意図でないメッセージを作者に帰属させてる点で過剰すぎるだろ。女性は男性と平等に主体性をもつ生き物ですって認めてることと、架空の二次元女性が萌え絵広告に使うことは両立可能で相互独立だろ? セクハラはだめ、同意のない性行為はだめと思うことと、萌え絵広告を書く態度は全く相反しないだろ。こっちのファンタジーなんだからほっといてくれよ。
見た人に影響があるってんなら、対応するデータくらいは出してくれよ。根拠のない懸念だけっていうにはあまりに語調が強すぎるだろ。理解できないオタクは狂ってるみたいな言い方よくできるよな。
おれはどんな基準でみなさんがゾーニングとか言ってるのか分からんわ。俺だって道端でいきなり裸になったりはしないけど、それってあからさまな公然わいせつだからだろ。いきなり性器を露出した露骨な性表現を含む雑誌を見せびらかしたりしないけど、法律で禁止されてるからだわ。
最終的な結論として出てくる「ゾーニングは法的な議論にはそぐわない。慎重な議論が必要だ」という言葉がよくあるけどさ、本当に慎重な議論しようってやつおる? その議論って印象操作とゴリ押しだったりしない? 燃やしたやつは、すぐ忘れちまって次の広告を燃やすように見えちゃうのよ。
以上で上げた論点を問題視してる人なんて俺以外にも山ほどおるけどさ、恣意的でない基準でゾーニングやったろうってぶち上がってくれた人が、全然俺には見えないわけよ。なぜ特定の表現が駄目なのか、本当にオタクや表現者にかけた攻撃的な言葉通りに問題なのか、ちゃんと時間をかけて検討してくれとる? 批判と批判を積み重ねて、案件ごとに議論を発展させておくれとる?
もしそうなら、君にしてみれば初歩的なところで迷える子羊になってる俺に教えてくれんかの。短い文章だと前提が飲み込めないから、自明と思われることも順々に積み重ねてくれると嬉しい。そうしてくれた人には、どんなに一見稚拙に見える論理を展開する人でさえ感謝するから。ネットで誰かにモノを教えるって怖いもんな。言葉にするのって大変だよな。でも、善意があるならしてくれんかね。延々とつづく脳内藁人形は、あまりに私個人にとって不快でつらすぎるんよ。
それはほんとにその通りで、ミラーリングなんて不可能だとは思う。
なんとか同じような嫌悪感不快感を味わわせたい、と感じてるのかな、と思って。
正直「ここはツッコまずにほっとこう」ってのがないとすぐ戦争になるだけなのに、
それならば「ゲイの飲み屋は2丁目にゾーニングしろ!」とか言っていいよね。
なんだかんだ言ってゲイに嫌悪感持ってる人多いし配慮しないとダメだよね。
アパルトヘイトとかの隔離政策は間違ってなかったっていうことでいいよね?
それを言ったら「人種でゾーニングはダメだろ、人権侵害。」と返ってきたよ。
同じ「不快」なのに、なんでエロ嫌いの人だけに配慮しないといけないの?
誰か論理的に答えられる人いる?
以前、梅田LOFTがイラストレーターの個展を開いたのだが、ほぼ全裸の幼女のイラストを仕切りもなしに展示していて、Twitterでその絵を拡散されたりクレームが入ったりしたので謝罪文をツイートした
↓これがそのツイート
https://twitter.com/LOFT_UMEDA/status/1462700019463892992?s=20
さすがに今回の件についてはLOFTがTPOわきまえてなかったし謝罪するのは自然な流れだろう…と思っていたのだが、リプ欄を見ると「謝罪したら負け」という意見が多いことにびっくりした
特に多かったのが、ミロのヴィーナスや裸婦像みたいな美術作品が堂々と展示されているんだから堂々と展示していいだろう、これは芸術を破壊する行為だ、という意見だった。でも、そもそもこれは芸術ではなくエンタメを目的とした展示物じゃないか…?と個人的に疑問だった
芸術作品を語るうえでは「文脈」に価値の重きが置かれる。つまり芸術の価値というのは、ぱっと見の見た目よりもその作品が生まれた経緯や歴史に基づくものだから、その文脈に価値があって文脈を展示していると考えるべき。
一方で今回の個展はどちらかというと芸術的な側面に重きを置いてはいないだろう。可愛くてちょっとえっちなイラストをファンの人やたまたま通りがかった人たちが見て喜ぶのを趣旨としており、芸術の文脈で語れるものではないと思う。だから、芸術だからえっちでも問題ない!って意見はまかり通らないと思うし、流れてきたイラストを見る限りでは肌色面積の多さから言ってもゾーニングはすべきだったから、LOFTの事後対応は誤ってはいなかったと思う。本音を言えば最初から予測できただろうと文句は言いたいけど。
結局何が言いたいかと言うと、性的な表現を見て「うわっ」てなるのはその作品が「性的な表現」を目指していることを見た人がくみ取ってしまうからゾーニングすべきだと思ってる。
「文脈」を展示している芸術作品を見て性的な表現を意図している、と汲み取りうわっとなる人はほぼいないだろうから堂々と展示しても問題ないだろう、というのが自分の結論です。
過激なアンチフェミに取っては見た目が同じだからどっちかがアウトならどっちもアウトだろ!っていうのが理屈なんだろう。教養とか共感って難しいね
追伸
どこそこでは展示されていたんだからここでも展示できるだろう!って意見も結構あったけど、この理屈がまかり通ると思ってる人がいるのにもびっくりだった。たとえば一度万引きして何も言われなかったからって、もう一度万引きして捕まった時に「前は見逃してくれたじゃん!」って言っても許されるわけないじゃんね…認知の歪みなのかな