ばあちゃんとか母親がいつまでも食べ物を山盛りエンドレスで出すのは愛、みたいな風潮どうにかならんの。
少なくとも、もうお腹いっぱいだからいいよ、って言われたら止めるのが思いやりだろ。
例えその「いいよ」が遠慮だったとしても、相手の主張は尊重しろよ。
相手が拒否してんのに自分がそうしたいからっていつまでも食い物責めにすんのは、どう考えても相手に対する愛よりも自分が満足したいエゴが勝ってるんじゃないの。
もてなしってのはさ、まず自分のことは二の次で、相手が心地よいと思える状態を作り出すことじゃん。
高級旅館とか一流レストランとかで、客がもういいって言ってんのに食事を出す手を止めないとか、客がまだ寝ないっつってんのにフトン敷き出すとかありえないよね。
なのにそれがばあちゃんや母ちゃんだと許されちゃうのはなんでなの。
ばあちゃんは自分が昔ひもじかったから、孫には同じ思いをさせたくなくてつい沢山ゴハンを出してしまう、って推測はわかるよ。
でもさ、孫はそんなにひもじがってないわけよ実際は。ばあちゃんのその願いは時代が達成してくれてるの。そしてばあちゃんはボケてなければそのくらいのことは理解できるはず。
だから、もしばあちゃんが上記のような理由で孫相手にゴハンをエンドレスしているとしたら、それは孫のためを思っている以上に、孫を依り代に自分の過去に復讐しているに他ならないと思うわけだ。
果たしてそれは愛か? 思いやりか? と。
愛ってのは、本当の意味で相手を思いやることだろ。
自分の基準にしがみついて、思いやりという錦の御旗で武装して、逆らえなくなった相手を好き放題にすることじゃないだろ。
愛してるなら相手をちゃんと見ろよ。話を聞く姿勢を持てよ。想像する手を抜くなよ。
食べきれないほど出されてやっぱり食べきれなかった孫が、そのたんびに申し訳ない思いをして自分を責めてるんだぞ。
まさにあれだ、AVを鵜呑みにしたアクロバティックなセッ○スで彼女も喜んでると信じて疑わない独りよがりバカと同じだ(台無し)。
食わなきゃいいし 罪悪感感じる必要もない 強烈に拒否する姿勢を見せればよい そこに遠慮はいらない