はてなキーワード: アイコンとは
MERY復活を求めるツイッターの声をあさってみて気づいたことがある。
女子高生、女子大生、主婦層といった主要ターゲット層以外に、風速嬢と思わしきアカウントがそこそこの割合で混ざっている。風速嬢のアカウントは、アイコンはアニメか似顔絵アプリ系が多く、プロフィール欄では多くは語らないが、ツイートをよく追ってみると「今日は何本だった(=何人のちんこを処理した)」「もう今日はちんこ見たくない」などのツイートが混ざっているので、割と簡単に判別できる。
観測してる限り、MERY復活の声の1~2割くらいはこの風俗嬢達によるものだ。
いま、現役風俗嬢の人数は推定30~40万人という統計データがある。多くはないが、日本のプログラマー人口がこれと同じくらいだから、ネットサービスのターゲットとするには十分だ。
そして彼女らはとにかく依存しやすい。まず、仕事の鬱憤の吐き出し先が事実上SNSか風俗系webサイト(ホストラブなど)しかないこと。リアル知人や親族には仕事のことを話せないし、同僚とも仲良くすることはまずない。ホストクラブのホストに吐き出すか、SNSで愚痴るか、自傷行為に走るしかないのだ。
もちろん、情報リテラシーもかなり低い。例えばこの前のMERY復活怪文書の件は、一切知らない。彼女らはSNSか風俗関係以外のサイトにはまず行かないので、気付けないのだ。
その心の隙間をMERYは埋めていた。
見るシチュエーションは、主に風俗嬢が店で待機中の時。風俗嬢向けサイトで「待機中に一番に勧めるアプリ」としてMERYが紹介されていたりする。
https://www.bwork.net/fun/?p=875
この記事の影響はかなり大きかったようだ。他にも、リンクは貼らないが「風俗嬢を落とすならMERYを読め」と書いてある増田が過去にあった。
MERYは女子を全方位的に扱っており、普通の美容記事もあれば、「風俗嬢に学ぶオトコの扱い方」という類の記事もあり、ともすれば劣等感、阻害感に苛まれがちな風俗嬢に安心感とたまに優越感を与える効果があったようだ。
しかしそのMERY閉鎖を受けて、不安定になる風俗嬢が急増しているようだ。
欠勤しなかった嬢が欠勤がちになったり、ホストクラブに行って滅茶苦茶になる頻度が増えたり、自傷行為を度々するようになったりと。
MERYはパクリサービスであるが、そういうevilなものであるからと言って彼女達は使うのを止めたりはしない。「好きだから読んでる。嫌ならチェックしなきゃいいじゃない、潰すまではやりすぎ!頭おかしいの?」これがMERY読者層の本音だ。
『xvideosのすごい機能wwwwwwww』という増田がおすすめ表示されたので、開いた。
xvideosの「webで見る」という機能を知って興奮していらっしゃる。
「この元増田がやってる、xvideosの分類の仕方、俺とそっくりじゃねえか?」
やたらテンションが高くて、「キモさ」を感じるのだが、その「キモさ」にもなんだか自分に近いものを感じる。
だが、俺がこの文章を読んで感じた感想は「やたらテンション高いけど、言ってること情弱じゃねーか。そんな報告することでもねーだろ」
そんな文章を俺が書いたか?書くはずがない。こんな情弱バカじゃない。テンションもおかしいだろこいつ。俺じゃない。
『
並んでいる。
』
この文章を読んで、奇妙だと感じた。
俺は、こういう文章の書き方を好んでいる。
ハッキリ言って、俺以外で書いてるのを見たことが無い。
しかし、これは俺の文章じゃない他人のものだという確信があった。
というのも『オーロラビジョン』という単語を使っているが、俺はその単語の意味を知らない。
え?と思いつつ、押してみる。
覚えてないわ…………
恥ずかしいぞこのテンションで書いてた俺…………
化粧が嫌いだった.
より正確に言えば大人の女性は化粧をするものだという社会通念が嫌いだった.
第一に,化粧をしていない人間の顔をそこまで醜いとは思えない.
そうであるのにまるで化粧をしていないことをとても悪いことのように扱う風潮が嫌いだった.
思うに人間の顔というのは誰も皆適度に崩れているもので,そこには面白さがあると感じる.
大前提として人間の顔はそれほど美しいものではないように思う.
美しいものを見たいと望むなら,人間の顔を見たり人間の顔を無理やりそう作り変えたりするよりも,他のものを見た方がよほど効率的だ.
人間の脳のつくりは面白くて,人間の顔を見る(相貌認識)ときはたとえば風景な無機物を見ているときとは異なる活性化の仕方をするのだ.
話がずれた.
雑誌モデルなどについてはどうだろう.
確かに彼らは美しいような顔をしている.
彼らは化粧をしているからこそ美しいのではなく,そもそもの顔のバランスの問題だと思われる.
彼らを見て彼らのようにありたい,彼らをまねしたいというのは変な風潮だ.
彼らは芸術品だ.
相貌認識をする対象ではなく鑑賞物,たとえば絵画や壺のような存在だ.
人間の顔はどれも面白いが,万人に好かれる最大公約数的な美貌というのはあり,それは突き詰めていけばごく平凡な顔立ちになるだという話を読んだことがある.
そういうひとが一般的に美人だと認識され,掘り出されて芸能人やモデルなどになっているわけだ.
おかげで誰もみな顔がよく似ている(おかげでわたしは芸能人の名前を覚えられない).
化粧とは己の顔の特徴(それはいろんなものがあるだろうが)を消し,平均的美貌へと近づける行為であり,彼らをまねしたい,彼らのようになりたいと考えることだ.
芸術品になりたいわけでもあるまいし.
猿真似のようにみな同じ顔立ちをしているさまははっきりいって気色が悪い.
第二に,そういった風潮を納得してしまうためには,自分自身の価値観や美意識を大衆側に捻じ曲げなければならない.
それは非常に体力のいる作業だし,強い虚無感を感じる.
マットな肌や整った形の眉や,バシバシのまつ毛やチークの入った頬.
そういったものを「自分にとっても魅力的で,価値のあるものだ」と思いこまなければならない.
その上で,どうすればそういう要素の自分の顔面に再現できるかを学習し,実践しなければならない.
それは考えるだけでも憂鬱なことだが,一般的にそういうものが「良し」とされている以上,化粧文化(あるいは女性社会)に自分も「一緒にあ~そぼ」と仲間に入れてほしいと望むのなら,そんな甘えたことは言ってはいられない.
生意気は死だ.
思考停止をして,スポンジのように「良し」とされているものを吸収していかなければならぬ.
そうしていると,次第に自分にもそういった価値観が芽生えていく.
それは努力の成果であるが,一方で,自分がかつて憎んでいた存在に自分自身が成り果てているさまにひどく落胆させられる.
それが大人になるということだとしても.
第三に,特にスキンケアについて,はっきり言って胡散臭いからだ.
薬事法を逸脱してはならないがために生まれたあやふやな表現の数々.
コラーゲン,ヒアルロン酸,プラセンタ,保湿,スキンケア,基礎化粧品! ああ基礎化粧品! 大抵の基礎化粧品には,「保湿成分がある」以外の価値はない.
当たり前だ.
人体に積極的な薬効成分が含まれていればそれは医薬品になってしまう.
なので保湿はメリットがある.
ただそれだけの話.
「睡眠はきっちり摂りましょう」みたいな話だ.
たとえばひどいアトピーであったり,乾燥肌であったり,ニキビだったり,化粧をするしない以前の何らかの肌環境の破綻が起こっている場合,自助努力の効果ははたかが知れているのだ(それでもてきめんに効く場合もあるんだろうが).
そうであるのにそういった人々を「中傷してもいい」という風潮が強くある.
「化粧をしていないものには死を.
肌が荒れている? 生ぬるい.
このインターネット女性社会コスメ部門では勝者ばかりが可視化され敗者は暗がりへと追いやられる.
「わたしはこうしたら効いたのであなたもするべきだ」というのも.
思うのだが,そういった人々は,そういった「商品」を試さずとも,ひょっとしたら改善していたのではないか? あるいは「商品です」と偽って砂糖水を毎日顔に塗るだけで,全ての問題が改善したのではないか? 圧倒的な対照群の欠如.
しかたのない話だ.
肌というのは人体で最も大きな臓器だし,現在のようなつるつるの肌色の形態をとるようになってからの歴史は存外短いのだから.
分かっていないことの方が多い.
結局,何が正しいか最適解を見つけるのは現代社会では困難なのだ.
なので個々人が試行錯誤をするしかないし,それすら無駄なことも多い.
「救われぬ」状態が少なからず存在する以上,社会が求めるボーダーはもっと低くあるべき,いやボーダーなんて設定するべきではないのだ.
なのにひとに不安に付け込んで,不安をあおって,高い買い物をさせる空気がまかり通っている.
それが基礎化粧品だ.
社会悪だ.
吐き気がする.
使用前と使用後の顔写真,明らかに照明の当たり方が違うじゃないか!
そんなわけであるからずっと化粧が嫌いだったが思うにそれは世間が嫌いなくせに世間体を意識してしまう自分自身の矮小さへの憤りだった.
そうと気付いてからは世間体ではなく自分自身が価値あるもの,好きだと思うものを意識して大切にするようにした.
重要なのは自分に適度に自信を持つことで,そうすれば無理に他人に合わせたり,あるいはしゃにむに他人を否定しなくても,自己の同一性を維持することができる.
それは心の平穏に繋がった.
他人を称賛することもできる.
そうすると化粧をすることも以前ほど嫌いではなくなった.
化粧をした自分の顔は好きだ.
周回遅れでスタートして,必死に追いかけるのは,とても疲れる行為だった.
熱意はたかが知れている.
そろそろ平衡点なのかもしれないと思う.
無理をしたって仕方がないのだ.
だいたいなにか目的があるわけでもない.
わたしはわたし自身の幸せのために,背伸びをして今どきの女性のふりをするのをそろそろ諦めるべきだろう.
ファッションなどもそうだ.
化粧が嫌いだった.より正確に言えば大人の女性は化粧をするものだという社会通念が嫌いだった.理由はいろいろある.第一に,化粧をしていない人間の顔をそこまで醜いとは思えない.そうであるのにまるで化粧をしていないことをとても悪いことのように扱う風潮が嫌いだった.思うに人間の顔というのは誰も皆適度に崩れているもので,そこには面白さがあると感じる.大前提として人間の顔はそれほど美しいものではないように思う.美しいものを見たいと望むなら,人間の顔を見たり人間の顔を無理やりそう作り変えたりするよりも,他のものを見た方がよほど効率的だ.人間の脳のつくりは面白くて,人間の顔を見る(相貌認識)ときはたとえば風景な無機物を見ているときとは異なる活性化の仕方をするのだ.顔というのは社会活動に必須なアイコンだからだ.だから人間の顔は美しくはないが面白い.話がずれた.雑誌モデルなどについてはどうだろう.確かに彼らは美しいような顔をしている.彼らは化粧をしているからこそ美しいのではなく,そもそもの顔のバランスの問題だと思われる.彼らを見て彼らのようにありたい,彼らをまねしたいというのは変な風潮だ.彼らは芸術品だ.相貌認識をする対象ではなく鑑賞物,たとえば絵画や壺のような存在だ.人間の顔はどれも面白いが,万人に好かれる最大公約数的な美貌というのはあり,それは突き詰めていけばごく平凡な顔立ちになるだという話を読んだことがある.そういうひとが一般的に美人だと認識され,掘り出されて芸能人やモデルなどになっているわけだ.おかげで誰もみな顔がよく似ている(おかげでわたしは芸能人の名前を覚えられない).化粧とは己の顔の特徴(それはいろんなものがあるだろうが)を消し,平均的美貌へと近づける行為であり,彼らをまねしたい,彼らのようになりたいと考えることだ.それは相貌認識の理屈に合わないので納得できない.芸術品になりたいわけでもあるまいし.猿真似のようにみな同じ顔立ちをしているさまははっきりいって気色が悪い.第二に,そういった風潮を納得してしまうためには,自分自身の価値観や美意識を大衆側に捻じ曲げなければならない.それが面倒くさくて,とびきり惨めな気分になるから嫌なのだ.それは非常に体力のいる作業だし,強い虚無感を感じる.マットな肌や整った形の眉や,バシバシのまつ毛やチークの入った頬.そういったものを「自分にとっても魅力的で,価値のあるものだ」と思いこまなければならない.その上で,どうすればそういう要素の自分の顔面に再現できるかを学習し,実践しなければならない.それは考えるだけでも憂鬱なことだが,一般的にそういうものが「良し」とされている以上,化粧文化(あるいは女性社会)に自分も「一緒にあ~そぼ」と仲間に入れてほしいと望むのなら,そんな甘えたことは言ってはいられない.生意気は死だ.思考停止をして,スポンジのように「良し」とされているものを吸収していかなければならぬ.そうしていると,次第に自分にもそういった価値観が芽生えていく.それは努力の成果であるが,一方で,自分がかつて憎んでいた存在に自分自身が成り果てているさまにひどく落胆させられる.それが大人になるということだとしても.第三に,特にスキンケアについて,はっきり言って胡散臭いからだ.蔓延る似非科学.薬事法を逸脱してはならないがために生まれたあやふやな表現の数々.コラーゲン,ヒアルロン酸,プラセンタ,保湿,スキンケア,基礎化粧品! ああ基礎化粧品! 大抵の基礎化粧品には,「保湿成分がある」以外の価値はない.当たり前だ.人体に積極的な薬効成分が含まれていればそれは医薬品になってしまう.乾燥していることは肌には負担だ.なので保湿はメリットがある.ただそれだけの話.「睡眠はきっちり摂りましょう」みたいな話だ.たとえばひどいアトピーであったり,乾燥肌であったり,ニキビだったり,化粧をするしない以前の何らかの肌環境の破綻が起こっている場合,自助努力の効果ははたかが知れているのだ(それでもてきめんに効く場合もあるんだろうが).そうであるのにそういった人々を「中傷してもいい」という風潮が強くある.「化粧をしていないものには死を.肌が荒れている? 生ぬるい.それはあなたの努力不足だ」.このインターネット女性社会コスメ部門では勝者ばかりが可視化され敗者は暗がりへと追いやられる.とんだ生存バイアスだ.「この商品が効きました」というレビューがある.「わたしはこうしたら効いたのであなたもするべきだ」というのも.思うのだが,そういった人々は,そういった「商品」を試さずとも,ひょっとしたら改善していたのではないか? あるいは「商品です」と偽って砂糖水を毎日顔に塗るだけで,全ての問題が改善したのではないか? 圧倒的な対照群の欠如.しかたのない話だ.肌というのは人体で最も大きな臓器だし,現在のようなつるつるの肌色の形態をとるようになってからの歴史は存外短いのだから.分かっていないことの方が多い.結局,何が正しいか最適解を見つけるのは現代社会では困難なのだ.なので個々人が試行錯誤をするしかないし,それすら無駄なことも多い.「救われぬ」状態が少なからず存在する以上,社会が求めるボーダーはもっと低くあるべき,いやボーダーなんて設定するべきではないのだ.なのにひとに不安に付け込んで,不安をあおって,高い買い物をさせる空気がまかり通っている.それが基礎化粧品だ.カルト宗教じみている.社会悪だ.吐き気がする.使用前と使用後の顔写真,明らかに照明の当たり方が違うじゃないか!
そんなわけであるからずっと化粧が嫌いだったが思うにそれは世間が嫌いなくせに世間体を意識してしまう自分自身の矮小さへの憤りだった.そうと気付いてからは世間体ではなく自分自身が価値あるもの,好きだと思うものを意識して大切にするようにした.重要なのは自分に適度に自信を持つことで,そうすれば無理に他人に合わせたり,あるいはしゃにむに他人を否定しなくても,自己の同一性を維持することができる.それは心の平穏に繋がった.他人を称賛することもできる.そうすると化粧をすることも以前ほど嫌いではなくなった.化粧をした自分の顔は好きだ.スポンジのように様々な知識を収集した.こうして自分のコンプレックスは一度終わりを告げたに見えた.
けれど問題は,技術が稚拙であるということだ.周回遅れでスタートして,必死に追いかけるのは,とても疲れる行為だった.熱意はたかが知れている.そろそろ平衡点なのかもしれないと思う.無理をしたって仕方がないのだ.だいたいなにか目的があるわけでもない.わたしはわたし自身の幸せのために,背伸びをして今どきの女性のふりをするのをそろそろ諦めるべきだろう.ファッションなどもそうだ.女性社会は以前ほど嫌いではなくなったが,化粧は技術が難しいし金がかかるし手も汚れるので,やはりめんどくさいなあと思う.一周回ってこういう結論にたどりついた人間がいてもよいのだ,と思うことにしている.
上:京都に住むって大変だなwwww http://2chcopipe.com/archives/52046088.html
下:はてな民「NAVER、WELQはもはや遠い過去。著作権侵害?全然オッケーっしょ!」 http://anond.hatelabo.jp/20170115194932
オイラは、この手を否定する気はないと明言してるので、こういうの言われてもキョドることないし、よせばいいのに…程度の感想しか出てこない
こういうのを気にしてるの、体感では、京都生まれ京都育ちの(さらに言えばだいたい年配の)人だけで、外から来た人は「はあ?知らんがな」って感じで気にも留めないし、外から来た人の方が多い。東京と同じ。
「そもそも『まとめサイト』ってどういうののこと?」という質問を何度か受けたから、世の中的には、まとめサイトは「なにかをまとめたサイト」として認識されてないんだよなーと思った思い出。
ぶんしょうがながい(^q^)
「京都出身」なのに、宇治、舞鶴、福知山以外の場所だと、「(何処そこ)」みたいな微妙な顔されるのが京都府民の本当の地獄だと思う。
著作権は当然気になり不審に思ったが、スキャンではなさそうなので、無料で公開されてるものかと勝手に判断、京都ネタに食いついて特に丸パクリについては言及しなかった。そもそもブクマすんなって話だろが。
主人は選ばれし民だったんだな…
悪い所編
・最強装備は買える(トレジャーハント度が低い)
ROとかはレアドロップ狙いみたいなとこありましたが、DQ10は装備は基本プレイヤーが生産しているのをマーケットで買う。
指輪、ネックレスなどのアクセサリーは、入場券必要なボスでトークンを集める(現物が出ることも)
従来のDQだと宝箱から出た武器防具が殆ど最終装備だったので悲しいといえば悲しい
・トレジャーハント要素がクソ
トレジャーハントをしたいという要望で実装されたシステムがめんどくさすぎたので、
もう今の時代レアドロップとかレアドロップ金策は肌に合わないのかもしれない
過去の幻影を見てるんだよキミたちは
FF14は召喚士のみだったので他のキャラ放置してたけど、ドラクエは職レベルを上げる事で、
キャラの素のステータスがあがるパッシブスキルがあるのでどの職もとりあえず50レベル前後まで上げないとならない
今は緩和されて60までは経験値3倍とかだけど、このパッシブ上げが苦痛すぎて1年間休止したことある(当時も50まで2倍とかだったけど)
まぁ、それで興味なかった職に興味を抱く、というきっかけにはなるかもだけど
初期実装マップ内の一度しかない宝箱の中身が笑っちゃうくらいクソ。
メインストーリの前提として、途中で必ずクリアーしないといけないクエストが科せられる。苦行
・バトルUIがクソクソ
→たたかう
じゅもん
とくぎ
どうぐ
さくせん
じゃねーよ!!!!!
とくぎ
じゅもん たたかう どうぐ
さくせん
って十字配置も選ばせろよクソが!!!!
パーティ→なかま
ギルド→チーム
ってややこしすぎませんかね?
・メニューがややこしい
はなす、つよさ、どうぐなどのおなじみの物にまじって、
せんれきとさくせんがイメージ難しい
しかもよく使う作戦のが遠いし。毎日せんれきを間違って選んでしまう。
それぞれの中に10項目くらい選ぶメニューがある。初期から煩雑になりすぎた。
基本体感でそろそろ溜まったなーってやる。クソか。
一応バトルログにも表示されるけど、バトルログは基本画面に表示されず、
開くと画面8割がふさがれる。バカか。
バフは5,6個とかすぐに超える。点滅で順番に表示される。
しばらくアイコンを注視しないと今かかってるバフを把握できない
・8人PTだと他の4人分の状況が見えない
ホイミ選ぶ所でもページ送らないと見えないしマジクソ
・視点が狭い
最大に引いてても敵に密着するとカメラが寄る
敵の行動の吹き出しが見えない。クソ。
・NPCしゃべりが長い
長い。石板っていう強化アイテム受け取るのに1個ずつしかもらえず、そのたびに2ページ分のセリフが流れるの本当クソ。
(その後のシステムもクソ)
昨今の強化システムの弊害で、職業チェンジ後のセッティングがめんどすぎる。
別に僧侶やりたくないのに切り替えめんどくて最近ずっと僧侶してる。
ドラクエらしさを重視しすぎてる。
プログラミングの入門者には伝統的に変数やif文、for文などが教えられてきました。
昨今ではJavaやってGoogle Play Storeでアプリをリリースするのが目標になるのかもしれません。
開発環境は年々高級になっており、以前より人の思考に近い感覚でコーディングできるようになってきました。
とはいえ、かつてWindowsのGUIプログラミングがそうであったように、
スマホにはスマホの流儀があり、いくらアイコンを右クリックしたいといってもスマホには右クリックの概念が無いという、
様々な流れに翻弄されつつもプロダクトを開発し世にリリースしていくことは、
プログラマが選択できる使命の一つとして今後も世界中で支持されていくと私は信じています。
プログラミングをとりまく状況はこの30年で大きく変化したと言えます。
それでも基本的な部分は変わりがありません……などというのが通例ですが、
だからといって基礎練を素直に続けることが正しいとも思いません。
今の新しい世代の人なら、まずはスマホアプリかWebアプリ、Webサイトを目指すべきでしょう。
ハードウェアに興味があるなら、ラズベリーパイやArdinoを組み合わせても面白いですね。
アプリならJavaかSwift。(Unityを使うならC#ですね)
Web系ならphp。(ruby on railsもいいかと思います)
(15年前だったらC++でかっこいいwincdowsゲームを作りたい若者で溢れていました)
何かを作るにあたり、まずは1ボタン1機能から始めると良いと思います。
それはメール送信だったり、画面に文字を表示したり、ショップではがねのつるぎを購入したりと様々です。
ボタンを押すとボタンが増えたり減ったり、違う画面に移ったりしたくなります。
途端に難しくなります。
それらを整理するためにオブジェクト指向とやらを使わないといけなくなります。
何かを作る際に、機能が多くなると、それらを整理する手間が発生します。
グローバル変数はやめようとか、goto禁止というのはそういう活動の一環として生み出されてきたハウツーです。
そして自分の作りたいものは往々にして自分の実力を超えた所にあります。
幾多の困難を乗り越え、今の自分ならどの程度の規模のものを無理なく作れるかということがわかる場合があります。(わからない場合の方が多いんですけど)
最終的に何を作るか、何を作れるかというものを見据えながら、本当に必要な機能を選別しないといけないのです。
欲しいものは全ては手に入りません。
全部じゃないと意味が無いなら、即座に全てをあきらめるか、考え方を変えなければ生き残れません。
プログラミングをする上で、夢を実現する技術を学ぶわけですが、
それには、何を実現したいと願うか、何を夢とするか、をコントロールする術も含まれます。
そしてそれこそが、プログラミング、ひいては