はてなキーワード: やかんとは
と言うか16時前よ、もう。
人手が足りなくなったからって私が借り出されているわけだけど、
これって本末転倒寺の和尚に喝入れてもらわなきゃ行けないレヴェルじゃない?
なんで私がって思うけど一旦思わないことにして、
仕事進めるんだけど、
細々したことが多くって、
そうそう!
なおのさらで超大急ぎで
もう慌てん坊のサンタクロースさんを越えるレヴェル!
大慌てで伝票出して郵送物作ったりとして大忙しよ。
もうあいたたどんどんどん!だわ。
よく分からないけど、
前もって前に書くと言うことをすべからく行っていくって思いたいところだけど、
できたらがんばんだから!
増田っぷりとしてはどうよと私自身に課した更新時間はちゃんとしたいものね。
でももうこれを書いていると言うことは一段落したと言うことで、
ドリップコーヒーでもいれて飲むことにするわ。
うふふ。
また明日。
時間が無いと思ったので、
牛乳だけでも最悪飲んでおこうと思って
麦茶にはまだ早いけどやかんの中のお湯に浸けておいたややホッツ麦茶ウォーラーが昨晩から作って置いたものがあるので、
それかっこんで飲んできました。
まったくだわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
「高校までゲーム・テレビなど数々の娯楽を禁止された結果、社会からの隔絶感がすごい→大人で反動が出る・「制限があった方が」などさまざまな声」
https://togetter.com/li/1405794
これ実は自分も同じで。
自分の場合は親が某宗教団体で、その親に生まれたのでその宗教を生まれた時から信じさせられてたいわゆる二世というやつだった。
その影響もあるが、自分の親はゲームとかあと民放とかを見せない、漫画買わないという感じの典型的な毒親でした。
(他の同じ宗教信じてた子達はゲームも漫画も買ってもらってたりしたから、ちょっと変には思ってたが)
何やかんや高校生になり、親と対立して宗教抜けて(今は和解済)上京して大学生になり社会人になって今に至るんですが、
やはり幼い頃~思春期に上記であげたような娯楽を体験してない喪失って本当にデカい。
友達と話をしてる時でも、例え今そんなにゲームやってない人でも昔やったゲームの話とかは出来て「あのボスがね」「あのコマンドがね」ってなる。
自分はその時どうするかと言うと、「全然分からないんだけどどういう事?」と問いかけるか何もツッコミ入れずにそのままこのゲームの話題が終わるの待つかどちらか。
前者の場合だと「??!」みたいな顔されてさも異世界から来た奴を見るような目をされるのを何度もされたので本当に自分がゲームを殆ど知らない、という事を知ってる仲がいい友人たちにしかやらない。
後者の場合だと取り敢えず乗り切れるのだが、知ってる前提で次話されるリスクがあるのは否めない。
そんなこんなでこの幼い頃やった娯楽の話って、大人になって今話す上でも前提になってるという事実に気付かされる。
ゲームやってる人はそれを土台に今のソシャゲームに至るまでの過程があって、それで話す幅も広がるし
漫画もそうで、幼い頃見た漫画を元にやっぱり別の漫画を、みたいなのがあるだろうし。
結局、小さい頃やった事って何にしても基礎になってて、そういう思い出があるから深みがある話って出来るんだなぁって思う。
今から同じこと(たとえばスーファミとか64とか)やったところでそれは全然埋められないし、
もし今から買ってやりこんでってやっても結局それってみんな小さい頃にやってたんだなぁと思うと本当に寂しいし何やってんだろ俺って言う気分になりそう。
もう1つ。
一人暮らし始めた時に、じゃあその親から解放されたからテレビゲーム買ってやるかー!という気分には実はならなかった。
多分親から言われてたのもあるのだが、何となく買うのが億劫なのだ。
感覚的にはこれが一番近いのかもしれない。(このツイートはオシャレに関する事なのだが、そういえば自分もその類のことは全然ではある)
https://twitter.com/n_kurakura/status/1240725145137758208
結果として解放された後もその呪縛みたいなのがあって、ずっとそこに居続けるみたいな現象?っていうやつなのかなとも思う。
幸いにして音楽(聞いたり演奏したり作ったり)とか禁止されてた漫画とかは今では買う事は趣味になってるので、もしかしたらテレビゲームは合って無かったのかなぁとも思うが、
ゲーム禁止された結果なのかなとも(禁止にされてたからこそ、別の方面に目がいった)考えてる。
ただ思う。
やっぱり娯楽を親から禁止という事を言うもんじゃないよ。大人になったときにポッカリなにか空いたやつになってしまう、本当にまずい。
体が弱かった事も理由なせいで、小学生の頃からいじめられっ子だったが、その際に恨んだ相手が後日に自業自得の範囲を越えてひどい目に遭う例が、少なくなかったように思う。何かと心配性な親に、どうにか運命が開ければとさまざまな占い師などに連れられたが、大半の人からは「この子には、不動明王が付いている。見かけはひ弱いが、したたかに生きていける」と、説明される事が多かった記憶がある。その後、何やかんやがあって今まで生きてきた。
ただ、職運にはどうも恵まれなかったようで、勤め先が倒産したり規模縮小でリストラされたり、歳を重ねてくると体の不調が原因となり辞めざるを得なくなった例もある。そして最近、年下のボクサー崩れの管理者から、聴くに耐えない暴言と暴力を仕事場で受けた事が原因で退職した。相手とは親子ほどもある年齢差な事に憤りを隠せなかったと言えばウソになるが、それよりも「久しぶりに殺意を覚える屈辱」で血が沸き立つ己の姿に気づき、幼い頃に憎い相手へ覚えた怒りの感情を思い出すと、退職後しばらくはその暗い感情を心の深い所でずっとくすぶらせ続けていた。
その「怒りの熱」が冷めやらぬままネットを見ていたところ、一部では有名な縁切り寺が、近場にある事に気づいた。本尊に不動明王があったかどうかは忘れたが、ともかく「彼の独善的で粗暴な振る舞いや行いの結果が、彼自身に返ってくれば」という一念を胸に、そこを訪れたのは事実だ。それが、この1月の話。
そして、現在。報道に触れなくても知らぬ人は居ないほど、日本どころか世界の街の至る所で新型コロナウィルスが蔓延し、感染拡大を避ける為とはいえ少なからぬ催事やスポーツは取り止めになり、商業モールでは軒並み閑古鳥が鳴いている。元いた職場の有り様を知るつもりは無いが、少なくとも繁盛はしていないだろう。彼をちょっとだけ懲らしめるつもりの決意や恨みの感情を持って願掛けした事が、はからずも疫病という無差別に襲いかかる災厄を国外から呼び込む後押しをしたのかと思うと、今となっては後悔の念しかない。
アイスを丸く綺麗にすくえるアレ。
シェイクなんてしない。皿の上で混ぜればいいから。結局一度も使わず、新品のまま眠ってる。100均で買った。
これも100均。バターコーヒーが作りたくて、泡立てるために買った。が、力加減間違えると飛び散るしバターで腹下すわで散々な目にあった。
もちろん本来は混ぜるためのものではないので、温めた牛乳で本来の使い方でふんわり泡だててみあああああ!飛び散る!
◆パフェグラス
◆グラタン皿
大きめのやつ。そんなに沢山グラタン食べないよ。
◆寿司くらいの大きさのタッパー
便利そうーって買ったはいいけど何入れればいいの?ちなみに寿司は入りません。
◆ビール用の大きいグラス
割れた
◆カス揚げ
揚げん
◆クッキー型
焼かん
◆やかん
「皆よ、案ずるな。既に今後のことは考えてある」
「残念だが、こうなった以上は別のところへ移り住む他あるまい」
「別のところ……ってアテはあるんですか」
「無論ある。そこへ向かうため、ここに皆を呼んだのだから」
俺も同じだ。
「ヒトがのさばる世界で、ネコがための地は限られておる。もし他にあるというのなら聞き入れよう」
実際、“ある一点”を除けば、『ネコの国』は今いる場所よりも優れた地だ。
腹が減ったら、目についた獲物をとることも可能だ。
「しかし、そこを新天地にするとして……果たして可能なんでしょうか?」
より良い場所であるが故に、あそこにいるネコたちは縄張り意識が非常に強い。
それでも入りたければ、強さにものを言わせて存在感を示すしかないだろう。
「だが、それができるのならば、我々は元からここにいません」
いや、仮にできたとしても、好んでやりたくはない。
それに、自分達のために他の住処を奪うことは、俺たちを追い出そうとするヒトたちと変わらない。
「分かっておる。だから、わしは少し前に『ネコの国』へ赴き、そこのヌシに話をしにいった」
「わしはこう見えても、あそこで偉い立場だったのだ。若い頃の話じゃがな」
「ええっ!?」
さらりと明かされた過去に、一同は飛び上がるほど驚愕している。
俺も毛が抜けるんじゃないかってくらい内心びっくりしていた。
「まあ、詳細は省くが、それから何やかんやあってな……お望みとあらば、聞かせてやろう~か?」
「いや……結構です」
またも歌って説明しようとするモーロックを、ダージンが粛々と静止する。
実のところ少しだけ気にはなるが、今はそれよりも『ネコの国』に行けるかどうかだ。
「それで? その“ヌシ”とやらと話はついたのか?」
「うむ……全員受け入れることを約束してくれた」
「おおっ! やったぁ!」
一部のネコは、予想外の結果に喜び勇んだ。
しかし、ケンジャやダージンたちのような、頭の回るネコたちの顔色は優れない。
「うむ……“認めさせろ”と言われた。わしらが『ネコの国』を治めれば、否が応でも納得するだろうと」
「それ……どういう意味?」
キンタは察しが付かないのか、それとも認めたくないのか、俺に恐る恐る尋ねてきた
「つまり……“戦って、勝て”ってことだ」
部屋は出かけているあいだに片付けられ、机の引き出しやカバンの中身、友達とやってた内緒の交換ノート、全部中身を確認して片付けてくれた。
私はいい気がしなかったので何度もやめてくれとお願いしたが返ってくる返事は「ならお前がきちんとやれ、私はお前がやらないからやってあげている」だけ。
私は全く片付けをやらなかったわけじゃない。
学校行く前にカバンから抜いた教科書を机の上に置いたまま出たとか、そんなレベルでも親による片付けは執行されていた。
片付けだけじゃなく、親はなんでもやってくれた。
カップラーメンのお湯をやかんで沸かすのすら許して貰えなかった。
大人になって、仕事をするようになってから、一人暮らしをするようになった。
やり方のわからないことだらけで周りの同僚には世間知らずと笑われた。
職場の上司に病むまで無能と怒鳴られてようやく病院で自分に発達障害があることを知った。
苦しくて苦しくて死にたかった。
なんでもかんでもやってくれるのは、傍から聞いたら、親本人からしたらいいことかもしれないけど、子供からすると将来とても迷惑。
やめたほうがいいよ。
旦那は、ゴミ捨て、洗濯物たたみ、自分の弁当作り、洗車、家計管理
掃除は時間がある方がやる 旦那は土日休みで、わたしはシフト制
子供がいないから、家事の量は知れてるけど、わたしの方が残業がない分、帰ってから何やかんやしてることが多いなぁ。一人で家事するのはマイペースで出来るから、正直気楽。休日の平日1日が、掃除や衣替えで潰れても平気。 土日に旦那は出かけたがるから、買い出しやらご飯作りやら一緒にしたがる。ありがたいけど、オタク趣味に割ける自分の時間がなくなるから、少ししんどい。ちなみにアニメ漫画好きなんだけど、鑑賞ではなく、絵や漫画を描くので、一人の時間は必要。夫は、鉄オタ。お互い、オタ活するため、便宜上結婚、そして、子供を作らない約束をした。
晩御飯作りは、手の込んだもの作らないし一時間弱で終わるので楽。一番ありがたいのが、旦那は、味には文句言うけど、食べれないものが無いので、献立に頭を悩まさなくてすむことかなー。あと、潔癖症じゃないから、多少散らかってても文句は言われない。
私は愛国心というものにやや抵抗があるのだが、内心を分解すると、愛国心は利己主義に繋がりそうだという感覚が基本にあるからだと思われる。
利己主義とか言い出すと言葉が強いので反発を喰らいそうなのだが、実感はもうちょいふにゃふにゃで、
「人間、何やかんやで自分が所属してるグループや地域や国はエコヒイキしちゃいがち。
それを予防するために、普段から自分たちのことは意識して厳しく見るくらいで、バランスがよくなる。
愛国心とかはむしろ自分たちを甘く見る理由になりやすいから、警戒しておいた方がいい」
という感じだ。
これは、政治的な主義主張や、国際的なパワーバランスみたいなデカい話よりも、「手前味噌や自惚れはちょっと恥ずかしい」という日常感覚の延長にある。
他人に己を自慢すること、また他人にアピールせずとも内心で自惚れているのは格好悪い、というのが心の根っこの辺りにある。
更にその延長で、「人間はついつい自分に甘くなるから、自分に厳しく他人に甘くしようと意識して、やっと客観的には公正に近くなる」というわけだ。
この「自分に甘くなることに備えて、常に謙虚を意識しよう」って感覚は、百パー的外れではないはずだ。(そう思ってること自体、自分に甘いのかもだけどね)
世の中を見ても、信頼されていた人が身内や自分自身については甘いことを言って株を落とすケースや、中立なふりをしてポジショントークしまくってる人は多い。
私自身も、友達と喧嘩したり、同僚内で立場が悪くなった時に無理な自己弁護をしてしまい、五年後とかにやっと頭が冷えて「あの時の自分クソダサかった~はずかし~謙虚さ足りね~!」となった思い出は無数にある。
学校やら物語やらでも、自分に厳しく他人に甘くは基本的に良いこととして語られてきた。
その一つは、最近よく話題になる、「楽しく生きるには自己肯定感が大切なのに、欠けている人が多く、獲得するのも難しい」という話。
自分に厳しく他人に甘くという意識は、たぶん自己肯定感を削るだろう。
私は「人間は自然と自分に甘くなる」というのを前提としていて、
つまり「人間は自然と自己肯定感過大になるから、それを謙虚さで縮めて、ちょうどよくなる」というのに近い理屈なわけだが、
自己肯定感はそうそうデカくならねえよ、となれば前提から崩れる。
実は昔から自己肯定感を獲得するのは難しいのか、時代の流れで得づらくなっているのか、ネットで声をあげるのは情緒不安定な人が多いから自己肯定感欠けがちに見えるだけで実社会では自己肯定感デカい人が多数派なのか、気になるところだ。
また、「国を愛して力を貸すことは、自分じゃなく周囲のために力を貸そうって感覚だから、利己じゃなく利他だ」という反論もできるだろう。
これは、「己」や「身内」をどこで線引くかという話だ。
私の線引きは、どういう規模の話をしているかによって変わる。
国際的な話をする時は、だいたい日本までが身内だと思っている。
身内に厳しく他人に甘く、よって愛国心は厳しく見た方がいい、という感じである。
だが日本社会だけの話をする時は、個人や家庭や企業などの単位が身内で、他の個人や企業や日本社会全体が他人とすることが多い。
この規模での身内に厳しく他人に甘くというスタンスは、社会貢献や、福祉推進をしましょうって形になる。
日本社会を上手いこと回そうぜという意識なので、これは愛国心推進と言ってもいいと思うが、そう呼んだり呼ばれたりすることは少ない。
(実際、セーフティネットやベーシックインカムの議論で、愛国心というワードが出ることは多くないはずだ)
自分はだいたいこういう感じなんだけど、世の中的にはどうなんだろう。
利己主義・自己愛・自惚れなどが強くなりすぎないよう普段から自戒しとこう、自分に厳しく他人に甘くいこう、その一環で愛国心は警戒した方がいい、ってのはどんくらい同意されるんすかね。
ブスがブスらしい振る舞いをしないとボロボロに叩いてくる人間、みたいなのが居る
中学生の頃、かわいいかわいいと言ってくる同級生がいて曖昧に笑ってたが、ある時ふと可愛くないよ〜と返したら「あ、やっと認めた」と言われた時の衝撃たるや
中学へ上がるタイミングで仲の良かった友達3人は引っ越してしまった
それでもまあ1年生の頃は新しい友達も出来て楽しくやってたけど、2年でその友達たちともクラスが離れた
クラスに馴染めずネットゲームに逃避、顔中に出来た思春期ニキビはグジュグジュで、長い前髪で隠すようになった。小学校の時それなりに仲の良かった男子から気持ち悪いと言われたこと、いつの間にか下の名前呼びから名字呼びになったこと、
廊下でキレるとヤバいタイプのヤンキーにぶつかりこれからどうしようと考え、部活で手を洗ったあとカーテンで拭いたところを後輩に見られうわ…やば…と言われたこと、あと真冬に学校帰りうんこ漏らしたこと、トイレ貸してくださいって言えなくて
色々重なって不登校になった
それでも中学卒業して高校生になって1年の時はやはりヤンキー女の二人組に絡まれたりもしつつ、2年で部活に入って友達が増え
何やかんやこの歳まで生きてきたけどやはり世間の評価は散々なもので、
aikoに似て…なくもないと友達に言われたのでその話をバイト先ですると見目麗しい後輩に「増田さんが芸能人に似てる?笑笑 え、だれですか?笑笑」と嘲笑気味にいわれ、
大学に入ってみんなで写真を撮れば、私のことを可愛いといった男に対してお前ブス専だよな〜!と言い、
電車で髪の毛を直すために鏡を見ていたら「あの人自分を可愛いとでも思ってるのかな?」と女子三人組にクスクス笑われ、なんかもう…もう…
社会人になって、それなりにやってたけど、
新しい人が入ってきてその人とどうしても折が合わなかった。
それについて上司が、○○さん調子乗ってるな〜気に食わないな〜って思って好きになれないだけじゃないですか?
と言われ、違うと思ってたし違うと思いたかったけど単にその人が気に食わないだけなのか……ああブスの嫉妬と思われてるんだろうな、まで考えてしまってしんどくなった
ネットでよく女はイージーモードだなんて言うけれどそうだろうか
いやね、そういう男も結構いるんだよ
でも彼らが、ただ自分が気に食わないから殴りたいだけのことを後付けで理屈こねて一生懸命理論武装して、「ゆえにあいつらは悪! 俺のお気持ちこそが正義なのだ!」とかやってみせたって、
例えば下級生2やかんなぎのアレみたいにただただ笑われバカにされ、あるいはアイマス・けもフレみたいに界隈全体やべーやつ扱いされるのがオチじゃん?
そいつと同類のオタクでもない限り、そんなキモい上に手前勝手な物言いに耳なんか貸したりしないわけで、むしろそれが普通なの
なんで女が同じことしただけでまともに相手してやんなきゃなんないのか、まるでわからない
(前に書いたトラバの使い回し)
夜間陰茎勃起現象[1](やかんいんけいぼっきげんしょう、英語: nocturnal penile tumescence)は、性的興奮や自意識とは関係のない状態でペニス(陰茎)が勃起している現象。就寝中に勃起が起こるものを夜立ち(よるだち、夜勃ち、夜起ち)、それが朝睡眠より目覚めたときまで維持されているものを朝立ち(あさだち、朝勃ち、朝起ち、英語: morning wood、morning glory)ともいう。この現象は睡眠のメカニズムによるものであり、性的な夢を見たことに起因するという考えは間違いである。これは多く男性のペニスに起こる現象に対して称されるが、構造が似ている女性のクリトリス(陰核)にも同様の現象(夜間陰核勃起現象)は起こる。
睡眠には周期的に交互に起こるレム睡眠とノンレム睡眠があり、夜立ちはレム睡眠の時に、性的な興奮や性的な夢とは関係なく起こる。レム睡眠時に起こる身体各所の運動の一種で、定期的に海綿体内に血液を送ることによる勃起力のメンテナンス作業、またストレス解消作業であるといわれる。また60歳以上の男性は、ノンレム睡眠のときにも起こるともいわれていて、ほとんどの男性は一生にわたって経験する生理現象である。レム睡眠は一晩に約90分サイクルで約4回訪れ、夜立ちは最長で2時間ほど維持され人が目覚めるのは浅い眠りのレム睡眠のときが多いため、これが朝まで維持されると朝立ちとなる。夜立ちしたからといって必ずしも朝立ちが起こるというわけではない。頻度には個人差があるが、一般に若い人のほうが頻繁に起こる。