はてなキーワード: 親鸞とは
「出家して俗世を捨てて厳しい修行をしたり、たくさんある戒律や律法を守ったりすれば天国に行ける」という思想には納得感があるけど、古代や中世の日々の生活で精一杯の厳しい世界でそうした生き方ができるのは、お金持ちや高位聖職者だけというのが現実だった。
つまり難行系の教義だと、お金持ちと高位聖職者しか天国に行けないということになりがち。ということで、「○○するだけで天国に行ける」という教義の分派活動が生まれる。
キリスト教が「○○しろ、○○してはいけない」という定めがほとんどなくて、神を信じさえすれば救われるという教義なのは、当時のユダヤ教が律法重視のファリサイ派が主流派で、それへの改革運動がイエス・キリストの活動だったから。
もっとも、カトリックがあれこれ定めを勝手に付け加えたので、ルターがまた軌道修正せざるを得なかったけど。
「ぶっちゃけ悟って仏になるの、俺ごときでは無理(←このへんが日本人的謙遜)
働いてる一般人なんかもっと無理。今の仏教は金と暇のある金持ちにしか役立つ可能性がない。
でも安心しる。阿弥陀様って偉いお方が、自分が十分にレベルうpしたら
おまいらも引っ張り上げてやんよ、ていってる。これはそこに張るしかないっしょ。
はらたいらさんどころじゃないよ。「あみださまに、全部」 さあ何度でもいいつづけよう」
念仏言った回数で差別するような方じゃねえはずだよ(←このへんが日本人的舶来びいき)
心に思うだけで、修行とか、戒律とか自分をどうにかする必要もないよ。
だから俺なんか結婚だってしちゃうもんね。ただ阿弥陀様に乗ればいいのさ」
「おまーも阿弥陀様なめすぎ。あの方は信者だろうと何だろうと、一切区別しないの。
鎌倉時代の僧侶・一向俊聖(暦仁2年(1239年)? - 弘安10年(1287年)?、以下「一向」と表記)を祖とする宗派。
一向は筑後国草野家の出身で、はじめは浄土宗鎮西派(西山派という異説もある)の僧侶であった。後に各地を遊行回国し、踊り念仏、天道念佛を修し、道場を設けた。近江国番場蓮華寺にて立ち往生して最期を迎えたという。
以後、同寺を本山として東北、関東、尾張、近江に一向の法流と伝える寺院が分布し、教団を形成するようになった。鎌倉時代末期に書かれた『野守鏡』にはこの教団を一向宗と呼んで、後世の浄土真宗とは全く無関係の宗派として存在している事が記録されている。
一向と一遍房智真は同時期の人物であり、ともに遊行や踊り念仏を行儀とする念仏勧進聖であることから、一向の「一向宗」は一遍の「時衆」と混同されるようになっていく。『天狗草子』に記された「一向宗」は、一遍の衆を指したものである(一向俊聖の項を参考)。たしかに一向も一遍と同様に浄土宗の影響を受けて自己の教義を確立させたものであるが、全く別箇に教団を開いたものである。また、一遍と違い一向の教えは踊り念仏を行うとはいえ、念仏そのものに特別な宗教的意義を見出す事は少なかったとされている。ところが時代が降るにつれ、一向の教えが同じ踊り念仏の一遍の教えと混同され、更に親鸞の興した浄土真宗とも混ざり合うという現象が見られるようになる。特に一向の教義が早い段階で流入していた北陸地方ではその傾向が顕著であった。
浄土真宗本願寺八世の蓮如が北陸地方に活動の場を求めた時に、布教の対象としたのはこうした一向や一遍の影響を受けて同じ浄土教の土壌を有した僧侶や信者であり、蓮如はこれを「一向衆」(「一向宗」ではない)と呼んだ。蓮如布教時に、一向宗や時宗が支配層との結びつきを強め、民衆から離れ、一向宗の民衆が蓮如教団になびいた結果、一向宗と呼ばれるにふさわしかったともいわれる[1]。本願寺及び蓮如の北陸における成功の背景にはこうした近似した宗教的価値観を持った「一向衆」の存在が大きいわけであるが、同時に蓮如はこれによって親鸞の教えが歪められてしまう事を恐れた。さらに別の事由から他宗派より「一向宗」と呼称されていたこと(後述)も彼の憂慮を深めた。文明5年(1473年)に蓮如によって書かれた『帖外御文』において「夫一向宗と云、時衆方之名なり、一遍・一向是也。其源とは江州ばんばの道場是則一向宗なり」とし、一向宗が一向の教団でもあることを明記して本願寺の門徒で一向宗の名前を使ったものは破門するとまで書かれているものの、ここでも一遍と一向の宗派が混同されている。
江戸時代に入ると、江戸幕府は本末制度の徹底を図り、系譜を異にするさまざまな念仏勧進聖が、清浄光寺を総本山とする単一宗派「時宗」の管轄下に編成された。この際、一向の流派は独立した宗派とは認められず、「一向宗」の呼称を用いる事も禁じられた。『時宗要略譜』によると、時宗十二派のうち、一向派と天童派が一向の法脈を受け継ぐものとされている。一向派(かつての一向の一向宗)は再三にわたり時宗からの独立を求めたが実らなかった。
明治時代になって、中期に一向派から独立転宗を唱える者が出現し、一向派は浄土宗宗務院に「所轄帰入願」を、時宗教務院に「時宗一向派独立認可願」を提出した。しかし一向派の独立・転宗を認めてしまうと、明治以降衰退著しく、時宗寺院が少ない上に、さらに減少することになるので、時宗当局は、これを認めようとしなかった[2]
大半の寺院が時宗を離れ、一向の母体であった浄土宗に帰属するようになったのは、昭和時代に入った1943年の事であった。
浄土真宗、ことに本願寺教団を指す呼称。教団自身はこの名を自称しなかったので注意が必要である。
「一向」とは「ひたすら」「一筋」という意味であり、「一つに専念すること」を意味している。『仏説無量寿経』に「一向専念無量寿仏」と記されていることから、とくに阿弥陀仏の名号を称えることと解釈され、親鸞を宗祖とする教団(本項では「真宗教団」とする)を他の宗派から指す呼称となった。とくに浄土宗は、親鸞の教団が「浄土真宗」と自称することを嫌い、「一向宗」の称を用いた。
したがって「一向宗」は真宗教団の門徒から見て正しい呼称ではなく、また一向俊聖の「一向宗」と混同される事から望ましい呼び方でもなかった。だが、中世において同じ念仏を唱える浄土教系宗派であった両派が混同され、更に時衆などとも漠然と同一のものとして捉えられるようになっていった。蓮如は前述のように「他宗派の者が(勘違いして)一向宗と呼ぶのは仕方ないが、我々浄土真宗の門徒が一向宗を自称してはいけない」という主旨の発言をして違反者を破門するとまで述べているが、逆に言えばこれは、真宗教団の門徒ですら「一向宗」を自称する者がいた事を意味する。
こうした指導により教団内部では「一向宗」の語は正式に使われることはなくなり、「浄土真宗」または「真宗」と称するようになった。しかし、門徒たちを中心とする一揆が「一向一揆」と呼ばれるなど、真宗教団のことを教団外から「一向宗」と呼ぶ風潮は収まる事はなかった。
江戸幕府は、真宗教団を指す名称として「一向宗」を公式に用い続けた。この経緯としては、徳川家康が三河一向一揆により家中統制で苦しめられたこと、徳川将軍家が(真宗教団が「浄土真宗」を称することを望まない)浄土宗を信仰していることが挙げられる。これに対して、真宗教団側は本願寺の分裂などの影響があり、長らく具体的な対応が取られることがなかった。
増田に投稿すれば7500ブクマは軽く超え、ブコメでは議論百出し星が飛び交い、さらに有名ブロガーの議論の種になりパイラルメディアに取り上げられ小野ほりでいにネタにされるくらいの面白さで、老若男女誰にでも親しめるうんこ・学歴・フェミニズム・英語上達法・手早い調理・SF増田小説・パワハラ上司を十把一絡げに含め、激烈に面白く、かつ長からず短からず改行や見出しが適切に施されもちろん誤字脱字は一切なく特定の個人を批判せずなるべく客観的に書かれていてポリティカルコレクトネスに充分留意し増田ブクマ家のご機嫌もうかがいつつ、時事ネタ(ベッキー)をからめつつそれでいて伝統に即した内容で、右派にも左派にも配慮が行き届き、それでいて自分の政治的位置には敏感で、遊び心があり、とにかく面白く、健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り、真心を尽くすことを誓える巧みな表現をする一方で、「悪性さらにやめがたし、こころは蛇蝎のごとくなり、修善も雑毒なるゆゑに、虚仮の行とぞなづけたる」とかつて親鸞が説いたごとく上記に述べた文章の美しさゆえの醜さ(煩悩)も認めつつ、そしてそうした圧倒的ともいえる文章にも拘わらず、SF作家アジモフの「知性とは進化における偶然である。必ずしもそれが優位というわけではない」という文言のごとく先学者としての驕りを見せない、この時代に現れた真の奇跡のような文章を、・・・私は先ほど書いた。
諸君らにはそれを見つけてほしい。一見すれば、上記の優れたる特徴を有する私の小文はすぐに「それ」と瞭然となるだろう。そこにブックマークしてほしい。任せたぞ。
浄土真宗の開祖である親鸞の思想の根本に、悪人正機説というものがある。
「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」
という言葉でそれは表されているが、この意味が、どうにもわかりにくい。
辞書的には、
他力をたのみとしない善人でさえ往生できる。ましてや、悪業に苦しみ、ひたすら他力をたのむ悪人が往生できないわけがない。
(デジタル大辞泉)
善人の何がいけないのか? 悪人がどうして往生できるのか? ひたすら他力をたのむというのはどういうことなのか?
……などなど。
最近、こういうことだというイメージがつかめたので、ここに紹介したい。
極楽浄土を、ゴールとする。
善人とは、自分の力を信じて、ゴールである極楽浄土へ向かおうとする人々だ。
道を地元の人に尋ね、一生懸命に走ってゴールへと向かう人々をイメージして欲しい。
ところが弥陀の本願は、この世のすべての衆生を救うことである。
涅槃の彼方に究極の慈悲の持ち主がいたとしたら、すべてを救いたいというのがその願いに違いない。
簡単な方法だ。
救われることを信じて、極楽浄土へ生まれ変わることを信じて、ただひたすら「南無阿弥陀仏(阿弥陀如来に帰依します)」と唱えればいい。
「さあ、これにお乗りなさい。之に乗れば、必ず極楽浄土へと連れて行ってあげますよ」
と呼びかけているようなものだ。
これが、親鸞の言う、
ところがこれが、難しい。
ただ楽浄土行きのバスに乗ること、乗り続けることがなぜ難しいのか?
それはなぜか?
ゴールが見えないからだ。先を見通すことがほとんどの人には出来ないのだ。
一寸先は闇ともいう。
バスから降りて、歩いている大勢の人に道を尋ねながら、ゴールと思われる方角へ向かう方が安心できるかもしれない。
それにバスに乗っていると、達成感が湧かない、苦しくない、だから自分で走って向かいたい、という人は案外多いのだ。
このような人々が「善人」と呼ばれる人々だ。
自分の努力で善行を積み、来世でより幸せになろうとする人々だ。
このような努力の結果、もちろん極楽浄土へ到達する人もいるだろう。
これが、
「善人尚もて往生をとぐ」
の意味だ。
しかし往生しない人もいるに違いない。
なぜなら、自分で極楽浄土へ向かおうとする人々の中には、途中で挫折する人々もいるし、道に迷う人々もいるからだ。
彼等は善人であろうとして、最後まで善人であり得なかった人々だ。
自分で歩こうとか、
道をよく知らないくせに道案内を買って出るような人に道を尋ねることは、愚かなことだ。
阿弥陀如来の救済を信じきり、バスに乗り続ける人間は救われる。
これが、
「況や悪人をや」
の意味ではないか。
ところが、悪人が往生するのならば、善行を積む必要はなく、罪を犯してもいいではないか。
このように考え違いをする人々がいる。
だが、それは違う。
もちろん、そのような人々も阿弥陀如来はお救いになる。
ところが、確信犯的に罪を犯す人々は、バスに乗らないどころか、ゴールへ向かおうとすらしない人々だ。
真宗の教えを知りながら悪行を重ねる人々は、言わばバスから降りた人。
彼らが極楽浄土へ向かうことはなかろう。
無論、自分の足でゴールに向かう人々にも劣るのであって、阿弥陀如来だって救いようがない。
本日、街を歩いていたらですね、鮮やかな青色のブラジャーをした女子高生とエンカウントしたのですよ。
国技キメたわけじゃないですよ。白のブラウスから思いっきり透けて見えたんです。
また、女友達からビッチ扱いされない程度の処世術というか、コミュ力もあるのでしょう。
アウターに響かないシームレスのブラ、キャミソール、上からカーディガンなんていう安牌を選ばない彼女は実にアグレッシブです。
他方、私はオッサン・チビ・ハゲ・デブの、ヘレン・ケラーも驚く四重苦ですよ。
ちゃんと大学生協で毎月メンズ・ノンノを買っていれば、私の悲惨な人生も変わっていたのかもしれません。
……もう遅いわ。
脂肪吸引して、シークレットブーツ履いて、ヅラ被って、タイで性転換しても青ブラJKには勝てそうにありません。
来世でワンチャン期待できるヒンドゥー教は肌に合わなかったので、親鸞に一縷の望みを託したいと思います。
南無阿弥陀仏って一回唱えるだけでいいんだぜ? うっほほ~い!(氏にたい)
生まれてきて、大人になって、暮らしを営んでいることに幸あれと本当に思う。碌でもない出来事が日々石ころのように転がっていて、それを道から除けるか、避けて通るか、人それぞれなんだけど、なんというかその、道があることが愛おしい。僕らはみんな生きている。生きているからすごいんだ。
世を苦行だと捉えるのが一般的な仏教の根本原理だ。聖なき衆生が業のもとに救いなく永久に続く苦行を生きる煩悩の有様を目に見える世界だとする。解脱とはメタ世界への移行でその業の世界からの脱出を意味してそれを神聖視するわけだけど、そもそもの動機は業からの逃避な訳で。ものを食って、うんこしてる身で。要は、苦行してるお坊さん方は、世の中から逃げたくて逃げたくて仕方がなかった。だから糞下流には混じり合わず、己の世界の内でしんどいことをやり続ければ報われる、というのが原始仏教。こいつらくだらねぇな、つきあってられねぇな、なんて、分かりやすいエリート意識。
しかし、苦しい世だからこそ、そこに生きることが尊いのではないか。そこで泥水をすすり、愛欲に溺れ、駆け引きを駆使しながら己と子を護り、肉を喰らって、眠りと朝日を保障する。おい、ねえ、すごくない?俺できないし。というのを愚直に見つめた男がいる。それが親鸞だ。
教義としてのオリジナリティは法然にあるのかもしれないが、親鸞は事実、泥水をすすりセックスをし、酒を飲み肉を喰らいながら、そんな俺が信じてるよ、と阿弥陀の救いを説いた。私が知る、あなたたちをこそ救わずして、何が仏か、と。
ここからは俺の独自の解釈。かつて僧という「形」のために頭を剃った愚行を「愚禿」と表わし、今現に業を一身に背負うこと=菩薩行を積んでいる目の前の人々をこそ、哀れまず慈しまず尊んで、己より行を達した者とし、敢えて同じことをした。世は、かき集めた金をつぎ込んで寺を建て、加持祈祷をさせれば徳=得の時代。そのような儀式、「計らい」は要はショートカットであり邪であるとし、業に直面しながら苦しみ生きることこそ解脱の道であり尊い行いだと、己の身をそこに投じた上で彼は知って、そして説いた。
生きよ、生きよ、生きよ。あなたたちは尊い。何が何でも生きて生き抜く中で、だからこそ届く念がある=救いがある。「南無阿弥陀仏」とは、何者をも超越した阿弥陀仏に帰依いたします、という意味だけど、きっと多分なんでもよくて、怒られるかもだけどアーメンでもきっと全然良かった。念仏なんて要するにお題目でしかない。生きよ、あなたたちは間違っていないと、そのためになんか支えが要るならとりあえず南無阿弥陀仏っていっとけ、それを親鸞は言いたかったのだと俺は思う。
結果いろいろあったんだけどね。親鸞だって所詮エリートだ。パンピーとは頭の出来が違うし、思想の落としどころも多分違う。阿弥陀の前に人は平等まではいいけど、衆を集めて暴力的人権運動が起こせまでは多分思ってなかったろうし。いやまあ、どうなんだろうそこのところはまだ腑に落ちてないんだけれども。
ああ、酔っぱらって書いてるから面倒くさくなってきた。誰か、増田にも真宗の門徒いんだろ。西でも東でもいいや、門外漢のお説に捕捉してくれ。
遠藤さんからいただいた手紙より「野島医院レポート」 http://odoruudon.com/old/nojima_re.htm
野島政男医師について、医療関係の人に質問します。 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1037477020
「信じる者は救われる」ということだろうと思いますが、(略)
高額なものを買わせることはないようだと書きましたが、
日記、患者からのお便りなどがあったサイト。現在は消失 http://www.nojimaiin.com/
異常さがエスカレートしてきていて
※インターネットアーカイブで平成16年までの日記なら見れる https://web.archive.org/web/20040409104406/http://nojimaiin.com/index.html
うどん屋大繁盛記 http://odoruudon.com/old/udonnik23.htm
野島政男さんの講演会 http://plaza.rakuten.co.jp/siriun/diary/200407030000/
きょうの野島さんはGさんとおなじ宇宙から来た異星人の魂を持っているらしい。
往々にしてそういう人の話は、自己顕示欲とかイヤミ感があるのだが、まったくそんな匂いがしない。
「宗教は、悪魔がつくった。イエスも弘法大師も親鸞もみんな悪魔。日蓮やマザーテレサは堕天使。仏陀はレベルは低いけれど人類の中ではマシな方」
親鸞は仏教にたいして、矛盾を感じ、無矛盾な体系を持つ浄土真宗を作った。
しかし、無矛盾であることは、完全であることではない。とはゲーデル不完全性定理の言い分。
キリスト教においても、バイブルの解釈を複雑化させることで、無矛盾を編み出そうとしているが。
神の無矛盾性を人間が認識しようとするならば、完全かどうかはわからない。
結局、宗教というのは、無矛盾な公理を求める作業であり、無矛盾があれば人間の精神が救われると思った。 無矛盾なら完全だからという直観があったから。
しかし、無矛盾だからと完全かはわからないという現実を突きつけた時に、
「人が作った宗教というものは、人間が人間をすくいたいために無矛盾を作っただけです。」
ということにはならないだろうか?
個人的には各種外国人学校および私立の高等学校に対する無償化措置もおかしいと思ってるから北朝鮮の学校もいれなくたっていいんじゃね。とも思ってる。
あと洗脳教育って何?http://anond.hatelabo.jp/20101129121756も答えてくれてるけど、日本の学校だと考え方に自由はあるでしょ。
ある程度の考え方(キリスト教とか仏教とか倫理的なもの)は子供の教育効果を増強するためにあってもいいと思うけど、北朝鮮の学校教育って「将軍様が何をやっても偉いんです!」とか、教室には毛沢東よろしく金親子飾ってるっていう感じの稚拙というか強迫的教育課程が義務づけられている様にしか報道されてないし、中にいる人はそれ以外の思想を口に出来るの自由あるの?金日成馬鹿にしたらおこられるんじゃないの?別に仏教系の学校やキリスト教の学校で親鸞やヨハネを馬鹿にしたって怒られないし、ぶっちゃけ仏教徒でもキリスト教徒でなくてもOKだし。まあそれらを象徴するものに落書きしたり破損させたらそれはどこだって怒られるだろうけど。
その上で北朝鮮の連中は21世紀になった今でも「俺等の無差別攻撃正しいんだぜなんてたって被害者軍関係者☆だぜ」 っていうのを言い出すんだぜ。北朝鮮方式の教育を受けて、その中で思想を鍛錬して、ブラッシュアップを重ねて、国の難関をくぐり抜けて政府代表者になった人が全世界に向けてそういう事を言い出しちゃう。「反人間的な対応」をする教育=北朝鮮独自の民族教育だと思われているわけ。日本にある朝鮮学校の皆様は自分の所では民族学校だけど、そういう教育はしてないと立証しない限りアウトじゃね?
韓国学校はそういう変な思想(金日成将軍様万歳!的)教育は無さそうなので、民族教育ならそっちでもいいじゃないかと思う。ダメなの?
日本はこういう所に入ったら転校したりって逃げられるんだよ。
朝鮮学校もやたら金親子万歳的な所と、出来るだけその土地の社会と調和をはかりましょうという所と分かれてて教育方針違うなって思ったら逃げれるの??そんなこと無いんじゃないの?寧ろ興味あるな。
中間走者として自分がいる。
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秋葉原での無差別殺傷事件で逮捕された青年の両親が自宅前で報道陣に取り囲まれ、会見をした。父親が「謝っても償いきれない」などと謝罪の言葉を述べている途中、母親は急にひざから崩れ落ち、頭をうなだれ、土下座するような形でそのまま動けなくなった。
両親に法的な責任はないが、こういう子どもを育てた道義的責任はある、というのが、日本人の常識的な感覚であろう。
かつて神戸で中学生が小学生を殺し、その首を校門の前に晒す、という異常な事件が起きた。これに関して、儒教研究家の加地伸行・大阪大学名誉教授は、こう書いている。
・・・もし私が加害者の中学生の父であったならば、自裁(自殺)をする可能性がある。私は日本人であるから、親は親、子は子、別の独立した人格であるというような、欧米人流の個人主義的行動をとることはとてもできない。それに、自裁する前に、罪を犯した子を自らの手で処置する可能性さえある。[1,p6]
殺人を犯した我が子を手にかけた後で自殺する親がいても、日本人の感覚からは、同情こそすれ、「狂気の沙汰」とは見なさない。
加地氏は、これを「親と子の血のつながりに対する運命的一体感」と呼び、「欧米流個人主義の立場からは絶対に生まれない感覚や意識」だとする。
こんな所からも、日本人の家族観が現代においても欧米とはまったく異なるという事が窺われるのである。
日本と欧米との家族観の違いは、我々の日常生活でも随所に姿を現す。
たとえば、最近では日本でもキリスト教式の結婚式が広まってきているが、神の前で互いに相手を伴侶とする宣誓をするのは良いとしても、さらに契約書にサインまでするというのは、どうにも違和感がある。日本人の普通の感覚では、「契約」とは他人行儀のビジネス行為であって、それが家族の中で行われるというのは、どうしてもなじめない。
欧米のキリスト教的な家族観では、家族とは男女の個人間の契約を基盤としている。そして神の前での契約こそが、神聖なものなのだ。
また欧米の家庭では、子どもが生まれて大学生にでもなれば、もう親とは別の独立した「個人」となる。ある小説で親が成人した子どもに「これからは友人としてつきあっていこう」などと語るシーンが出てきて、こういうセリフは日本人では思いつかないな、と感じたことがある。
当然、子どもの方にも、年老いた親の面倒を見なければならない、などという義務感は薄い。子や孫との家族的関係を持ち得ないアメリカの老人たちはいかにも淋しげである。
実はヨーロッパにおいても、ギリシア時代やローマ時代など、キリスト教が栄える前は、人々は家毎に祖先の神霊を祀り、それが家族の基盤をなしていたのである。それは古代の日本も同じであり、現代日本人の家族観はその伝統を色濃く受け継いだものである。
古代の多くの民族は、亡くなった祖先の霊は、子孫が祭祀してくれれば、いつでもこの世に戻って来られるものと信じた。日本語で言えば、「草葉の陰」で子孫を見守ってくれるのである。
「死んだらどうなるのか」というのは、常に人間を不安にする疑問であるが、死んでも自分の魂は存在を続け、子孫とともにある、というのは、生死の安心を与えてくれる信仰であった。
また残された子孫にとっても、自分を愛し、育ててくれた祖父母や両親が、死後も見守ってくれる、というのは、その死の悲しみを和らげてくれる物語であった。
先祖祭祀というのは、先祖をキリスト教的な唯一絶対神として祀る、ということではなく、先祖の霊とともに生きている、という生活感覚なのである。それがわが国においては古神道となり、中国においては儒教に発展した。
キリスト教では、死者の魂は最後の審判を受けて、魂は天国か地獄に行く。仏教では、魂は輪廻転生を続け、解脱をしない限り、次は蛇や虫として生まれ変わる恐れがある。
よくキリスト教や仏教を「高等宗教」とし、先祖祭祀などは未開の宗教であるかのように言うが、死後の魂がどうなるか、ということについては、それぞれが違う「物語」を持つ、というだけのことであって、どちらが高等かなどと比較できるものではない。
魂が輪廻転生を続け、解脱をすれば浄土に行ってしまう、とする古代インド仏教が、先祖祭祀を信ずる中国や日本に入ってきた時、その死生観の違いが文化的衝突を引き起こした。
インド人にとって見れば、魂は他の人間か動物に生まれ変わるか、浄土に行ってしまうので、肉体はその乗り物に過ぎない。だから焼いて、その灰はインダス河にでも流してしまう。これが本当の火葬である。
日本で火葬というのは、遺体を焼却した後に骨を拾い、墓に収める。これは本来の意味の火葬ではなく、土葬の変形なのである。古代中国では、人間の精神を支配するものを「魂」と呼び、肉体を支配するものを「魄(はく)」と呼んだ。人間が死ねば、「魂」は天に上るが、「魄」は地下に行く。「魄」を地下で大切に守るのがお墓である。
これと同様の感覚を日本人も持っており、遺骨には死者の「魄」を感じる。戦後、アジアや太平洋の島々にまで戦死者の遺骨収集に行くのも、骨を故郷の地に埋めなければ、死者の魄を供養できないと考えるからだ。
これについて興味深い話がある。昭和45(1970)年日航機よど号をハイジャックして北朝鮮に逃亡したグループのリーダー田宮高麿が平成7(1995)年に亡くなり、「祖国の地に骨を埋めたい」という気持ちから、田宮の遺骨は北朝鮮にいる妻子と日本の家族とに分けられ、新潟県内の家族の墓に埋葬されることになったという。
共産主義者は無神論者のはずだが、異国で死期が近づくと「祖国の地に骨を埋めたい」と願うのは、心の底には日本人の死生観が根づいている証左である。
輪廻転生を信ずるインド仏教が中国に入ってきた時、遺体は焼いて川に流してしまう、という生死観は、先祖祭祀を信ずる中国人にはとうてい受け入れられるものではなかった。
そこで中国における仏教は、魄を納める墓や、先祖の魂を呼び戻して依り憑かせるための位牌を取り入れた。
わが国に中国から仏教が入ってきた時には、このように先祖祭祀を取り入れて換骨奪胎したものになっていたので、比較的抵抗は少なかった。
それでも日本にも仏教の輪廻転生をそのまま信ずる人はいた。鎌倉時代初期の親鸞である。親鸞は阿弥陀仏の衆生を救おうという本願にすがって、浄土に行けば輪廻転生の苦しみから脱却できると説いた。となれば葬儀も墓も先祖供養も不要になる。
しかし、親鸞の弟子たちはその教えに背いて、葬儀・墓・先祖供養を続けた。その後裔たる現代の浄土真宗本願寺派も、墓を作り、葬儀や先祖供養を行っている。
今日の日本では、大方の人々が仏教に求めているのは、墓・葬儀、先祖供養である。そもそもの輪廻転生からの解脱を仏教に求める人々は例外的であろう。これほどに先祖祭祀は日本人の心の奥底に根付いているのである。
仏壇も、墓や葬儀と同様、仏教本来のものではない。中国においては、一族の長の家に宗廟(そうびょう)という別の建物を建て、そこで先祖祭祀を行った。これが後に、祀堂(しどう)や祀壇(しだん)となり、それを仏教が取り入れた。
日本では、これが部屋になって「仏間」となり、さらにはそこに置かれた仏壇が、一般の部屋に置かれるようになった。各家に仏壇を置くという習慣は、中国や朝鮮にもない、日本独特のものであるそうだ。[1,p191]
仏壇には、灯明と線香と位牌がおいてある。灯明は先祖の霊が降りてくる場所を間違えないよう、明るくするためのものである。線香に火をつけると、その香煙に乗って、霊が降りてきて、位牌に依りつく。
そこで子孫たる我々は、降りてきてくださった祖霊に対して「ご先祖さま。おはようございます。今日も一日よろしくお願い申し上げます」などと挨拶をするのである。
今日、自分たち家族が生きていられるのも、亡くなったご先祖様のお陰であり、そのご先祖様の恩に応えて、自分も家族のため、子孫のために今日も頑張ろうと、心を新たにする。これが先祖祭祀に基づく生き方だろう。
核家族化が進んで、仏壇のない家も少なくない。しかし、仏壇のある祖父母の家に里帰りした時などは、幼い子どもとともに、仏壇に線香を上げると良い。幼い子どもは遊びのように喜んで仏壇に向かう。自分がここにあるのも、ご先祖様のお陰だということを教える何よりの機会である。
もう一つ、インド仏教が中国や日本の先祖祭祀と衝突した点は、出家を説いた点である。「出家」とは文字通り、家を出て、財産への執着や家族への愛着を振り切って、個人の解脱を求めることである。
しかし息子に出家されたら、その家は断絶し、先祖の霊を祀る子孫がいなくなってしまう。個人的な解脱のために、先祖の霊をさまよわせ、子孫の未来を奪うのは、先祖祭祀の立場からは、とんでもない「不孝」と考えられたのである。
そこで中国や日本においては、「在家」すなわち家族の実生活の中で仏教を奉ずることが理想とされた。聖徳太子は在家の長者・維摩が教えを説いた「維摩経」、および、同じく在家の女性信者である勝鬘(しょうまん)夫人が仏道を説いた説いた「勝鬘経」をとりあげて注釈書を書かれた。
前述の親鸞は、聖徳太子を「和国の教主」と仰いでおり、その在家主義を受け継いで、結婚し、子をもうけている。今日でも日本の多くの仏教僧は、結婚し、家庭生活を営んでいる。
オウム真理教はインド仏教を受け継いで、出家して修行を積めば、輪廻の苦しみを脱して解脱できると説いた。それを信じて家族を捨てて教団に入った子どもたちを、親が返せと叫ぶ。これも「出家」と「在家」の衝突の一例である。
「在家」とは、家族の一員として生きていくことであるから、まことに不自由なものである。「出家」のように好きな所に行って、好きなだけ座禅を組む、などという気ままは許されない。
しかし、その不自由な家族の中で、我々は生まれ、育てられて、大人としての生活を送る能力を身につけていく。まず家族の中に生まれて、育てて貰わなければ、大人として自由な生活を送る事も、そもそも不可能なのである。
さらに成長の過程で自分を育ててくれた親への感謝や、その恩返しとして今度は自分の子どもを立派な人間に育てる義務を学ぶ。このような事が人格の基盤を構成するわけで、感謝や義務の心のない人間は、自由を与えられても、自分の利益しか考えない利己主義者になってしまう。
西欧に発展した近代個人主義においては、ひたすらに個人の自由と権利の拡大を図ってきた。しかし、キリスト教社会においては、神に対する畏れがあり、それが野放図な利己主義に転化する抑止力となってきた。
わが国においても西洋的な自由と権利の主張を鵜呑みにして、家族制度を「個人の自由を抑圧する封建的制度」などと罪悪視する思潮がある。
しかし、わが国においては家族制度が、利己主義への抑止力となってきたのであり、それを破壊することは、利己心の抑制を持たない人間に野放図の自由を与えることになる。都会の雑踏で無差別殺人を行う青年とは、その極端な姿ではないのか。
こうした事件を防ぐべく、子どもたちに単に「生命を大切にしよう」とだけ教えるのでは、「なぜか」が伝わらない。
それがわが国の家族観に従えば、「生命を大切にしよう。生命とは何代ものご先祖様から君たちに伝えられ、そして君たちから何代もの子孫に受け継いでいくべきものなのだから」と教えることができるのである。
先祖供養とか仏壇、お墓参りなどは、すでに形骸化した「葬式仏教」の遺産であると考えがちであるが、それらは我が先人たちが産み出してきた工夫なのである。そこには先祖から子孫へと連綿とした生命のリレーの中で人間を捉える伝統的な家族観が生きている。
その家族観の深い思想を知らずに、単に古くさいの一言で片付けながら、新しい家族観を産み出すこともできずに、社会的混乱を招いているのが、現代の日本人ではないだろうか。
これではご先祖様も草場の陰で嘆いていよう。
(文責:伊勢雅臣)
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日記を何も書かずに朝目覚める事に、本能のままに生きてきて、はや4年。凡人たる思いの悔やみは諦観、阿弥陀信仰へと昇華されたと慰めてみるものの、結局のところ、何も能力がないことには代わりがない。最大の苦慮は働くことだ。働くことへの苦痛、自分のやりたいことが労働によって阻害されることへの忌避が何だかんだ言うものの,いやなだけなんだろう。人生への苦しみ、存在への謎、ハッキリ言ってそんなことは暇だからいえることなのだ。結局は、ただ怠けたいだけなんだ。ああ醜い。書き方が太宰治そっくり。あの人は、かなり文体を日本国へと伝染させたに違いない。
小説家が一番楽なのかもしれない。しかし、お前の読書遍歴の貧しさはとてもとても卑しくも才能があったとしても、カバーできるものではないだろう。お前の日々の生活は、劣情の解消、2chまとめサイトめぐり、アニメ動画サイト、ハテブの豆知識で埋め尽くされ、高尚な”文学”などという二文字をくちにしただけで、無間地獄へと輪廻してもおかしくないくらいだ。目新しさをといったって、佐藤友哉あたりの先例があることだし、書いたとしても凡百の自称”小説家志望”がまた一人増えるだけ、ああ、佐藤友哉の文章でも、作家になれると勘違いした雨後のたけのこ連中のその一人になるのが落ち。いい加減、自己がまったく特別ではなく、普通であることに自覚すべき。日塔奈美のように、平凡たる自己をその自己のまま許容し、ナルシズムを貫くことが必要。自分に必用なのは平凡だることへのじくちたる自覚。悪人であることへの自覚。親鸞上人のように。ああ、日記をはじめたのは今日、(ここで11月18日であることを、パソコン画面右下の時刻表に、マウスを重ね併せて、確認)11月18日が、パソコンをはじめてからはじめて日記をつけた日。今までなんで、日記をつけなかった?自己の内面の養成はどこにいったのだ?結局書けているのは、太宰とも、三島とも、村上とも至らない、グズのコピー屋の唾棄すべき文字の羅列ではないか?文字化けしたバグの配列と一体、どちらがましといえるのか?誤って見つけてしまった(そんなことは百に一つもないであろうが)他者の気分を害するだけ、バグのほうが優遇されるべきではないか?ああ、文体がつたない。せめて、比喩表現だけでも身につけておけば、私にも文章かとしての道は開けていたのかもしれない。有名な作家は、物事を観察するたびに、どのような隠喩、直喩で表現するか、考えていると言うではないか。私がそのことを聞いたのは、今から5年前、中学2年の頃だったはず。あの頃から、文章想像癖をつけておけば、今頃どれほどの文章の大家、とまではいかなくても、せめて平野啓一郎の後ろ髪だけでも拝むことができたかもしれない。ああ、キーボードを打ちやすいところに配置したおかげで、(せいで?)大量の日記を書くことができた。これは良きことなのか、悲しむべきことなのか。駄文をつらつらと打ち込んで言ったせいで、やっと阿弥陀信仰で落ち着いてきたとおもっていた後悔の大文字2つが無残にもわきあがってきたのではないのか。いや、意外と、落ち着いていて、冴えきった、明鏡止水のままここまで書き込んできた。途中でTwitterの返答で中断はしたが、文章自体は途切れることなくここまで続いてきた。案外、文章化していなくても、自己の脳内でもんもんと自問自答を繰り返してきたことが、これほどの文章能力を磨くことになったのかもしれない。もう、11時か。焦らなくても、いいのかも?文字数カウント1451字ときた。かなりの長文。これは期待できそう。