はてなキーワード: 自然状態とは
ただの一側面としてだが平成になって変わったのが鬱病などの精神疾患に関する認知度だろう。うつ病になったら会社を休むのが普通でパニック障害などの精神疾患にも障がい者保険が適用されるようになった。いいことである。
精神疾患などのなにもかもたちゆかなくなる特殊な状態とは別に平成になって(というかここ最近)感じるようになったのが絶望したまま人といることが許されないような感じをうける。
特に社会人におけるコミュニケーションではそうだがポジティブでコミュニカティブで微笑を絶やさないで話すことを暗に強制しているような空気を感じるようになった。人間がゴロンとそのまま社会に存在することは許容されなくなっている。そんなロールプレイ的空気があるせいか無理してポジティブな人間であるとアピールするかのように取り繕っているように見える人もいる。
常に笑顔で聞き取りやすい声を発することがコミュニケーションをする条件のようになっていて普通に会話をすることがたまに難しいと感じる。普通に会話をすると「冷めた人間」のように見られるから自分も道化を演じる。本当は別に何も面白くもないのに笑ってみたりする。
定型文を駆使して会話を途切れさせないようにして別に興味もない話に無駄に多く相槌をうつ。正直言ってそのすべてがめんどくさい。もっと普通に話したい。でも普通に話すとコミュニケーション能力が低い人間のように見られる。
精神疾患は社会の病理だととらえられることがある。個人と社会の乖離がその個人の精神状態を疾患であると結論づけるとするなら社会が通常の状態から乖離しているかもしれないという視点もあってしかるべきである。
例えば人と食事するのが苦しいという会食恐怖症がいい例である。普通、他人がたくさんいる状況で食事をとることは人間を動物として考えた場合には自然状態とは言えない。僕達が他人と食事を共にするのは「慣習」である。その慣習がいきすぎたり気づいてしまった時には通常の状態でその場所にいることが難しくなる。
鬱病などの適応の作法であるコミュニケーションにおいても同様のことがいえる。コミュニケーションの舞台が過剰なポジティブであふれ返っていれば普通の状態でその場にいることは「相対的」に絶望している状態である。その相対をいつのまにか内面化して自分が悪いと自覚して劣等感を生み高じれば鬱病となる。
抑うつリアリズム(鬱病の人間のほうが社会を正しく見ているという説)がどういう論理のうえにたっているか普通に笑顔で会話している僕達のほうが考えるべきだろう。平成は社会から絶望を隔離した。鬱病という名のもとに。それは社会が過剰なポジティブに支配されている証左でもあるだろう。
https://www.asahi.com/articles/ASL9V41MQL9VUPQJ004.html
確かに世の中には自然権というアクロバティックな概念を理解してない人たちがいるから、「なんだこいつも自然権を知らないのか教えてやろう」という気持ちで書いているんだと思うが、小林よしのりがその程度なのだとは私は思わない。本当のところは知らんけど。
自然権は、しかしやはりアクロバティックな概念だ。だって人間が生まれたとき既に誰か周りにはいるんだから、権利もそういう人たちから与えられるものだと考えるのが普通じゃないのか。みんな最初はそう思うでしょ?
でも、「自然状態」という誰もが誰をも支配していない仮想的な世界を思い描くこと、本当はないはずのゼロ地点を見つけて、そこからゼロベースで考える手立てを手に入れることで、本来各人が持っているはずの誰にも制限されない権利ってあったはずよね〜と考えることができる。わからんけど、きっとできる。
自然権とは、だからそういう「自然状態」という無重力フィールドで「権利」を発動させたらその考え方のパッケージが裏返ったような概念であって、なんていうか、やはり、足場がないと脆い概念だ。
もちろんこうした考え方をもとにポコポコ近代国家体制を理論的に後ろ盾てきたのだから、これはこれでたいへん尊い考え方だしおれは好きだからブコメの人たちの気持ちもわからないではない。
でも、そもそもその「自然状態」って正しいの?とかみなさんは思わないんだろうか。ゼロと設定したそこは本当にゼロなんですか?自然権は自然状態に依存するんだから、ゼロ地点が間違ってたらその時点で自然権とかそんな確固たる地位を持たなくなるんじゃねーの?
いや別に思わないならそれでもいいんだけど、未だにホッブズとか持ち出してきて(古典は批判的に乗り換えるためには大切だけど)、教理解説するみたいに援用するのダサくないですか?というようなことを思った。
訳語がよくないと思うんだよ。
例えば自然権。
「生まれながらに持つ権利」だが、例えば自然状態、野生状態というかワイルドライフ、例えばサバンナでだな、自然権が保障されてるかというと微塵も保障されない。最低限の文化的な生活をしたいと言っても文化もへったくれもない。それを保障するには現状では国家という枠組みが必要だよな。
で、ここで言われたことがある。
「それ、自然なの?」
いや自然権という訳だが大事なのは自然というところじゃなくて生まれながらに持っているというところでといっても
「じゃあ自然っていわない方がいいじゃん」
と言われる。
利己的遺伝子論とは何かというと、生物の振る舞いにおける「利己的な」存在単位は、生物種でも生物個体でもなく、遺伝子だという理論である。たまに、「生物は利己的に振る舞うように遺伝子によって決定づけられている」という理論だと思っている人が観測されるが、全くそんなことはない。むしろ、利己的なのは生物個体ではなく遺伝子だとすることで、一見不合理な(利己的でない)ように見える生物個体の振る舞いを、実は遺伝子にとっては合理的な(利己的な)行為として説明することができる理論である。
よく知られているように、人間には異性愛者とそうでないものがおり、マジョリティは前者だが後者も自然状態で数パーセント〜10パーセントほど生まれるという。そして、これは人間だけでなく、自然界の他の生物種にも普遍的に見られることが知られている。よく、「ゲイは子孫を残せないから生物として不自然だ」という非常にナイーブな主張があるが、少なくとも人間に特有の現象でないことは明らかである。
では、子孫を残せない同性愛者は、なぜ自然淘汰されないのだろうか? ダーウィンに従うならば、子孫を残すのに不利な形質は淘汰されるはずだ。
答えは簡単。同性愛は子孫を残せないが、遺伝子は残せるからである。
どうやって? 自分が同性愛者であっても、自分の遺伝子の大半は、自分の近親者に共有されている。したがって、自分の近親者が子孫を残し繁栄すれば、自分の遺伝子も受け継がれるのである。
逆に、遺伝子がほとんど同じものが複数いるのだから、何も全員が子孫を残さなくてもいいわけだ。全員が異性愛でなくても、何も不自然なことはないのである。
ネットはもはや万人の万人に対する差別の自然状態2.0であり、僕たちはとびかうネットの言葉の上の侮蔑も慣れきってしまっている。
逆に、君も私もきっとつぶやくたびに誰かを誤爆して傷つけているのだろう、なんてのは当たり前に持っている感覚ではないだろうか。
人は生きてるだけで差別をするのだ、みたいな仏教めいた諦念。南無阿弥陀仏の代わりに「にゃあ」と唱え続けてインスタ界へ解脱するしかない。
そんな中で、私のやっていることは差別ではない、と言い出す人への反発が強くなっていないだろうか。
例えば僕は童貞であるが、童貞disなんて見かけても、まあ道のセミの死骸ぐらいの不愉快さもなく流していくだろう。
しかしながら、童貞disは差別ではないとかいわれてしまうとそこは別だ。
自分だけ差別者であることから逃れようとしたな、せめて人殺しの顔をしてもらおうと。
それこそ、アンチフェミの戦略なんて一貫して「お前らも差別しているだろう」である。
お前らも俺らと同じ畜生なんだ面を剥げ、と。
まあ、この世は地獄だよ
ちょっと横だけど生物学部卒だったんで気になった。動物学じゃなかったんで君の方が詳しいとは思うけど。
全ての個体が繁殖しなければならない、とは私も思わない。アリも卵を産むのは女王ありだけだよね。働きアリは卵、産まないし働くだけ。いや、これはちょっと違うか、働き蟻はそもそも妊娠できないしね。人間の女性は正常なら妊娠可能だ。
これもその通りだね。子どもを作ろうとしても作れない個体は沢山いる。というかだいたいそうだ。人間がおかしい。
卵を沢山産む生物なんかは顕著だね。マンボウなんかは3億個、卵を産むらしい。マンボウの一生の中で、そのうち2個が成体になれば種の存続がなり得る訳だ。ただ『子孫を残さないで消える個体が山ほどいる』から『人間は動物なんだから自分のDNAを拡散させるのが目的』を否定できる訳ではない、んじゃないかな?
マンボウはDNAの自己複製の振る舞いによって個体の振る舞いがデザインされている、とは言えないかな。
グループから子育て強要されるなんて野蛮なこと(オスがメスを力づくで子種つけることはあっても)する生物なんていないことがわかるのに。
これはまぁ、他の生物にはないだろうね。
君も認識しているように「オスがメスを力づくで子種つけること」この結果によってメスが育児をしている、という形だね。
哺乳類に関しては、基本メスが育児を行う種が多い。オスが育児参加する種は「それが種の存続に有益だったから」だね。
上手く行かなかった種は残ってないしね。 あれ? 結局、DNAを残す方向に進化してない?
あと今の人間はあれか「男性も育児参加すべし!」って強制されてる時代なんだよな。まぁ育児も楽しい面もあるので悪いとは思っていないけど。ただ人間はイレギュラーなんだろうな。繁殖に必ずしも効果がない場合でも強制する、という点は同意。
だったら強姦も生物の本能だから合法化しないといけないし、一つの個体同士でしか子孫残せない婚姻制度なんてナンセンスでしかないのに。
人間も先進国化する前はそうなんじゃない? 強姦も泣き寝入りというか。
あと人間も自然状態だと、「一人のオスが複数メスをゲット」しがちな傾向になるんではないかな。そういう状態より婚姻制度で、1つの個体同士で繁殖した方が増えやすかったって事では? 特に富国強兵というか、人手が欲しい政府的に都合が良い。
それに数百個と卵を生むような生物も、食糧が極端に少ない環境になれば自然と生む数を減らすとか将来を見据えた出産制限してるのに、そういうのどう思ってるんだか。
これもDNAを残すのに有益な戦術なら、それは形質として残るんじゃない?
ここからそんなに外れてる、かなぁ
追記 トラバさんへ
あー、すみませんね。思慮浅い感じの増田ですみません。もし宜しければ、元エントリの方、を補強するお話を伺えるとありがたいですね。
恵比寿マスカッツと仮面女子のユーチューブの動画を見ていて、思った。
ラブドールとかに近い。
近年、なぜAKBやアイドルがこんなにもてはやされるのか理解できなかったんだよ。そもそも。
風俗行けよって思ってた。
しかし、実際に彼女たちの映像見てて思ったのは、「こんなに楽しそうで不快感の無い女性は作らないとできない」ってこと。
まるで剥製とか、昆虫採取のピン止めされたやつみたいな。自然状態の女性はナカナカその美しさを理解できないけど、剥製にした熊や、ピン止めされた昆虫は美しいみたいな。
つまり、アイドルとかって、女性的なものを、切り取ってるんだなって。
もっと前の日に、箱入り娘とかいう地下アイドルのライブを見に行った。
わずか3000円である。中学~高校の、クラスで一番かわいいくらいの娘が、禿げたデブおっさんの観客に媚びを売りまくっている。
甘酸っぱい恋愛の曲を歌いながら、途中のトークで、「〇〇ちゃん押しの人は、〇〇ちゃんにそういう気持ち持ってるかもねー」→「テレテレ」みたいな。
いやいや、俺もだけどさ、オッサンたちしかいないのよ、観客席。
それに対して、クラスで一番かわいいレベルのJC,JKとかいう間違えたら犯罪クラスじゃないですか。
もう、見ていられなくていたたまれなくて、1時間も立たずに会場を逃げ出したんだけどさ。
なんか、犯罪みたいで怖かったんだよね。
でもあれでしょ、AKBですら、会いに行けるんでしょ。この子たちも、多分チェキとかでおっさんに抱き着いて写真撮るんでしょ?
いやいや。青春時代に、クラスで一番の美少女とツーショットなんてとれたやつ、どれだけいるんだよ。しかも、向こうが全力で媚びて笑顔でしょ?
こんなの、無いよ現実なら。
二次元ばっかりやり玉に挙げられるけど、AVもアイドルも似たようなもんだろ。
それが、ここ数年、いや10年くらいか?一気に加速してるように思う。
サクッと生活になじんじゃってるんだよ。
俺、将棋番組を日曜日に見てるんだけど、そこに、伊藤かりんっていう乃木坂46のアイドルが出てくるの、毎週。
顔だけで言えば、伊藤かりんは別に好きじゃなかったのに、「将棋やってる」という要素で、どんどん好きになった。
これヤバいね。コレで通るんだから、どっからでもファンが出るわ。
恐ろしいよ。「将棋やってるかわいい娘」なんて、想像の産物でしかなかったのが、ナチュラルに実現されるわけだから。
なにを目指しているんだ?
そこに需要があるらしいことはわかるが。
それにしちゃー欲求がどんどん加速しているように見える。
ニンジンを鼻頭にぶら下げられて走る馬なんだろうか?
なんだか、恐ろしくなる。
どういう需要があるのか、この先に何があるのかが見えてこない怖さがある。
AV女優なんて、メンヘラで社会の隅っこでやくざと同じジメジメした世界と思ったら、イキイキと女の子女の子してる。
そういうのってマジで衝撃。
わからない。
アホだと少子化にならないって言いたそうだけど、実際は乳児死亡率が有意に減少すると一時的(せいぜい5年程度)に人口が爆発的に増える(多産多死→多産少死)けど、
次の局面で死亡率にバランスする(多産少死→少産少死)ように少子化が進む、というのが人口学の研究結果だから、単にアホなだけではあかんて。
「追記」
ついで言うと、多産多死の状況では少子化にはならないけれど、ほぼ人口増加も起こらない。いわゆる横ばい。
若干信頼性が危うい歴史研究だけど、有史以降の日本で一番多産だった時期は鎌倉後期~室町前期らしくて、
この時期は小氷河期で死亡率が高く、人口はむしろ減少傾向だった。
そこで現在の人口学では、人間には乳児死亡率とバランスするように出産数を調整する本能があるのではないか、
という仮説が唱えられている。
いつも思うんだけど、男ってチンコあるやつばっかりじゃん?
そりゃいつものはてなー様は「主語がでかい」ってクソブコメ垂れ流してきそうだけど
チンコに限っては主語がでかいというより、チンコがでかいかどうかの問題。
女がいなきゃ子ども産めないでしょーとか上から目線。バカじゃね?
女がいても男いなきゃ子どもいめないし、そもそも生殖においては平等だろうが。
むしろ女は1年に1人(妊娠期間10ヶ月として)しか子ども産めないけど、
この生殖機能の違いから、男が女を食わせるという社会習慣が生まれるわけで
ま、これからは男女混合でいかに職場を回すか考えないといけないけどな。
でも、チンコない男もいる!っていうバカもいるかもしれないけど、
性自認が男じゃないか、男性的身体に違和感があるからチンコ取るんだろ。
だとしたら、そういう連中を男って指摘するのは可哀想じゃん。
やってらんないよね。チンコあるせいで男性ホルモンにふりまわされるし、
でもそうだとしたら、男は何もがんばらなかっただろう。
頑張らなかったらここまで文明が発展することもなかっただろうし、
パンダを見ていれば、求められることのないメスの悲哀がわかる。
ホントに男女平等だったら女の立つ瀬がないよ。少し贔屓してあげないと。
そんなわけ世の中チンコのおかげで発展してるよなもんだし、