はてなキーワード: 自体とは
https://www.tokyo-np.co.jp/article/335934
これが高すぎる(もっと厳しくすべき)とかの話になってるらしい。またそれ以前の問題として、環境省が血液検査を助成しないとのニュースになっている。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/344878
これについて調べてみた。
その道の成書(UpToDate)がもっとも信頼すべき情報ソースとして挙げた下記
を読んでみた。これによれば「who are likely to have a history of elevated exposure」にはPFAS血中濃度検査をした方が良いとしている。これにあたるのは軍の基地の近くに住んでる人とか、とある。検査については十分な説明をすべきで、その説明としては検査結果の解釈の難しさなどを挙げている。
また、下記の件についてCDCは基準をアップデートするべき、としている。
ng/kgとng/mLの違いがどういうスケール感なのかわからないので宿題、、(識者の方のトラバかブコメ希望)
あと、母乳については、PFAS移行を恐れて与えないよりも、母乳育児をすることのメリットの方が大きいのでは、という感じで書いているように読める(疑いのある向きは原文読んでください。。)まあこれは、疑いのある地域では粉ミルクを溶かすお湯にもPFAS入っているでしょう、ということもあるらしい。
まずこれについて日本という立場から検討するに、日本は企業健診や住民健診が、意味があるかないかに限らず欧米よりかなり充実しているので、PFAS検査をしていてもしていなくても、コレステロール値については検査していることが多いと思う。
また逆にいうと、PFAS血中濃度が本当にリスク因子となっているのか、住民の脂質プロフィールから判断しやすいとも言える気もする。
潰瘍性大腸炎はどうするのかな?便潜血でもやればいいのかな。甲状腺検査は過剰検査の典型例なので、また福島の再来になるな。腎臓がんや精巣がんの検査は、MRIとかやるのかな?それなりの自治体の負担にはなりそうだ。
ちなみにUpToDate自体は、ルーチンのPFAS血中濃度測定は推奨しないとしていて、その理由は、PFAS血中濃度と、PFAS暴露量や副作用リスクとの相関は限定的であるから、とある。上の文献は、「しかし米国科学アカデミーは、、」と、筆者らと反する見解として紹介している雰囲気。
統合失調症を患っていると思しき人の日記がランキングする小説投稿サイトがある。
名をアルファポリスという。一応小説投稿サイトとしては大手の一つである。
この書き出しだと嫌いな小説にレッテルを貼っているかのように思われるかもしれないが、「マジ」である。
https://www.alphapolis.co.jp/novel/322172037/130382392
木村花さんの名を題材に取られているが糖質の妄言なので中身は無い。
この糖質日記、アルファポリスで小説のランキングを表示させると上位100以内には入るのである。
似たような糖質や陰謀論者が見ているのか、うんこ遠くからつつきたい人が見ているのかはわからない。
アルファポリス自体はなろうやカクヨムで投稿するとボロクソ言われるような低クオリティな小説が居並ぶサイトではあるのだが、それでもこんなものがランキング入りしていることは大問題だろう。
運営もちょこちょこ非公開にしたり警告を送ったりしているようではあるが、さっさと削除強制退会させて然るべきだ。
内容でしょっぴけないしても他サイトからの画像や文章のパクリを理由に処分できるだろう。
そんなこともしないできないアルファポリスくんに幸あれ。
外国株に投資するときは、(大雑把に言えば)為替リスクはヘッジして外国株の成長率自体が収益率になるようにポートフォリオ組むのよ。
オルカンオルカン言ってた人たちは、日経平均を横目で見つつ生温かい笑顔なんでないの。
知らんけど。
ゲームユーザーがビジネスの将来性なんか考える必要はないだろうけど
そもそもソシャゲ市場自体が成長鈍化で赤字垂れ流す企業もある状況で
今回の炎上はどちらかというと推し活ビジネスの天井が思いの外低かったことを示した1件だと思う
ひょっとしたらそういうところのインフレに対する不満が
他所より大きくなるってこともあるかもしれないけど
どんどん大陸に送金していこうぜ
知り合いのおっさんは、地方の高校でとある運動部の顧問を務めていた。
おっさんは成績を追い求めず、入部者にスポーツを楽しんでもらい、卒業後も続けてもらえることを目標にしていた。
以前国体運営に関わった実績を買われ、競技会場のボランティアに参加することになった。
競技会場で、全国から集まったボランティアと一緒に予行演習を行っていると
「これから〇〇先生がいらっしゃるのに、椅子の1つも用意していないのはどういうことだぁ!!!」
と怒鳴り、会場がシーンとなったそうだ。
後に、他のボランティアにあれは何だったのか聞いたところ、こんなことを聞いたそうだ。
「彼らは日〇〇〇〇会のお偉いさんだ。
そのまま日〇〇〇〇会やそのスポーツの関連団体、関連企業に就職し
学閥、大学間のヒエラルキー、先輩後輩関係もそのまま社会人になる。」
「いつもなら、誰かがサッと椅子を用意してたんだろうけど
俺たちみたいな各地から集まったボランティアにそれを要求してもね。
大学もアメフト関係者も部を守ろうと必死でしょ?今回の件の先にああいう事件があるんですよ。」
オリンピック本番での参加を辞退しようと思っていたが
オリンピック自体もボランティアは最小限にする方針となったため
結局参加せずに済んだそうだ。
その時は多くの人が分散していったしそれでも繋がりは保たれている
けど、はてブやブクマカはそれ自体が何か目的や共通の意識をもっているとも言えない
思想的な集団としても弱すぎるし、互いにコミュニティ取れないのでなくなったところで誰がいなくなったかもわからない
仮にはてブが消滅するってアナウンスがあっても、誰かそれに抗議したり代替コミュニティ作ったりはしないでしょ
抗議するにしても「なぜ無くなったら困るの」って部分が弱すぎる
だからたぶん、無くなっても誰も困らない
中絶自体はまあ他人の人生だし色々あるなあで終わる話ではあるんだけど
共通の知人の出産報告に対して「赤ちゃんかわいいね癒されるね〜☺️」みたいなことを言われると引いてしまう 価値観が違いすぎる
「出産おめでとうお疲れ様でした」で留めればいいのに……って思うけどそんな私の理想通り振る舞えというのもおかしい話だなあと思ってモヤモヤ
まず中絶の話を聞いて1モヤ(30前の長年付き合ったカップルが生でヤッて堕した、生でヤッてできたら産むor産まないなら避妊するのどっちかにしなさいよ子どもじゃないんだから……まあ当人達には色々あると思うけども)
言ってるだけで本当に赤ちゃんに癒しを感じてるかはわからないし後悔してないかどうかなんて私にはわからんし色々と私がジャッジすることではないし……と言い聞かせるけどまあモヤ
供養です
「上澄み」とはもともと、液体中の不純物が下層に沈んだあとの、上層に近い綺麗な部分のことを言う。そこから比喩的に「全体における良い部分」のことを指すようになった。
ところが、そうした用法は近年広まった誤用である、という主張がある。「上澄み」はネガティブな意味で使われるべきだ、というのである。
上澄みをさらう(すくう)、といった慣用表現があり、それは「表面的な理解」といった意味と認識していた。
用例:そんな上澄みをさらった程度で○○を理解できたと思うなよ
しかし最近よく聞く誤用なのか拡張なのか…逆の意味で使われているのをよく見る。
用例:葬送のフリーレンのクヴァールって、序盤に戦ったキャラなのに実はめちゃくちゃ強かったんだな。こいつ魔王軍の中でも上澄み中の上澄みだね。
「クヴァール 上澄み」で検索するとめちゃくちゃ出てくるこの用法。
強さの評価で上澄み、と言われると表層に位置する浅い存在、すなわち弱い存在のように感じたのだが、明らかに上澄み=みんな気づかなかった強いヤツ、みたいな意味で使われている。
おそらく字面のイメージで澄=よいこと、上=位置的に上、つまり上位であることという意味でポジティブに使われている。
液体の上澄みは、底に沈澱したものがあり、それを本質と捉えて「上澄み=表層的な浅い理解」と喩えた慣用表現だったはずが、完全に逆転してしまっている。
とりあえず葬送のフリーレンのクヴァールについて語る人以外では見たことがないのだが、クヴァールについて語る人はみんなポジティブな文脈で上澄み上澄み言ってるので気になっている。
この用法はすでに定着しているのでしょうか?— た介 (@BigotVinus) November 19, 2023
しかし、たとえば酒造や製油などにおいて「上澄みをすくう」のは、多くは底に沈む不純物を除くためであって、不純物を得るほうが目的だということは少ないだろう。その語源を考えれば、「上澄み」をポジティブな意味で捉えるほうが自然だと思うのだが。
実際にどういう使われ方をしてきたのか気になったので、比喩的な意味で「上澄み」を使っている古い用例を探してみた。
古人の名作 皆な下習いが有る 紫式部の源氏物語も 家筋だけに一体能文のうえ 日記も作り 歌の詞書もし 其外文や雑文に筆を練り 学は元より日本記の局と呼るる程までなり 其の上澄が彼の大作となッたのだ
調べたかぎりでは最も古い用例。上澄みが「良い部分」を指している用法だが、文章全体では上澄みを生むための「下習い」の重要性を説く。
アア世間は泥なるかな泥なるかな、吾独り澄めりと云う者も、矢張り泥の中の上澄を吸うの人なるのみ
上澄み自体は「良い部分」を指すが、文意としては「綺麗な上澄みも所詮は泥の一部にすぎない」といったところ。
明治39年 虚心窟主人『酔醒禅』
同じく泥と上澄みに喩えた用法。
然るに学期を分ち、試験を行い、小刀細工に類する形式的堀割を通して、之を流し込もうとすれば、肝腎な熱流の熱が失せ、有益なる含有物は途中に沈殿してしまって、児童の頭に這入るものは、ただ水のような上澄ばかりとなる。
翻訳書。上澄みよりも沈殿物のほうが有益だというので、明確に上澄みを「悪い部分」としている用法である。
常時百余名という寄宿制も、実は変らぬところは六七十人の堕落書生で、濁った水の上澄を酌むように、余の三四十人は、毎日新陳代謝、だまされて入社し、裸になって退社する者等を総称して見た話して、頭数は百でも二百でも其中に書籍を読む者は、只の一人もないので、只稼いで喰って寝て居るのと、只喰うや喰わずに寝起して居るのと、人の物を盗って喰って居るのと、夫等が下方の沈殿物で、入社即退社が上水の澄んだ所なのだ。
沈殿物が酷すぎるが、上澄みが優れているという書き方でもない。どちらかというと「上層は流動的・下層は停滞的」というイメージか。
快楽の上澄をのみ飽まで飲んで、渣滓の苦きには吸い至らず、花婿の其当夜に死んだ彼は永久に花婿である、彼を人生の最も幸福な者というも、強ち不当でない。
「美味しいところだけ味わって死んだ」という話で、やや皮肉めいた書きぶりだが、上澄みを「良い部分」とした用法ではある。
極端な理想主義と極端な現実主義の上澄みを取る、という話で、ちょっと独特の用法な感じがする。「良い部分」ではあるか。
苗字もなく、生きて居るのさえうんざりした者達の集って居る、暗い罪悪にまみれて居る世界では、そのような事は何でもない。三面記事にさえ、載せきれない「彼らのいがみ合い」の一つとして、世の中の上澄みは、相変らず、手綺麗に上品に、僅かの動揺さえも感じずに、総てが、しっくり落付いて居たのである。
上層は綺麗で上品で落ち着いているが、それは下層の濁りが上層まで伝わらないからだ、という用法。
単なる表層・深層の言い換えだが、「上層は流動的・下層は停滞的」のイメージが入っているかも。
とりあえずこのあたりで。
以上から考えるに、「上澄み」の用法はさらに4つに分類できる。
1. 上澄みは全体のなかの「良い部分」である。
1-a. 上澄みは「悪い全体」のなかの「良い部分」である。
2. 上澄みは全体のなかの「悪い部分」である。
3. 上澄みは全体のなかの「流動的な部分」である。
「上澄み」という語のイメージは「良い部分と悪い部分が上下に分離している」といったものであり、単純には1の用法なのだが、1-aの用法だと「実は悪い部分が底に隠れている」「実は沈んだ部分のほうが本質である」という逆張り的な文意になることが多いため、次第に「上澄み」自体に「うわべだけで本質的でない」ような印象がついていった、ということだろう。それが極まったのが2の用法。3の用法だけは独自な感じ。
最初の話に戻ると、
というのは2の用法であるが、これが「本来の用法」「正しい用法」であるとは言い難いと思われる。少なくとも、さらに古くから「上澄み=良い部分」とした用法は存在してきたわけで、今となってはどちらの用法も定着していると考えるべきだろう。
今の民主主義って、民主主義だと思わされてるって印象はあるね。
どこかから急に出てきた思想が「これが今の民主主義だからお前ら受け入れるように」とか言われて
それって透明化された君主制みたいなもんだよね。
オタクの倫理をまとめる試み自体は面白いし、議論が捗ればいいと思うが。
しかし一部VTuberの割り込みリプ禁止とかいうローカルルールの一般化には断固反対だ。
貴方もVTuberリスナーなら、「割り込みリプ禁止ルールが執行されてる瞬間」を見たことがあるはずだ。
黛灰というライバーが引退を間近にしたある日、同期の相羽ういは がツイッターでつぶやくシーンがあった。
「これまでも大好きだし、これからも大好きだよ黛さん」
これに対して
「知ってる」
と黛灰が返す、大変エモいシーンなのだが、当時、この黛の返信ツリーを開くと、いくつかの一般人の感想リプが付いていた。
それら自体は割と微笑ましい、うん、分かる、いいよな、って感じのものだった。
しかし、その「割り込みリプ」に対して、画像返信で真顔の白ハゲキャラが「誰!?」とガン見してきて。
ゲロを吐きそうになったね。
白ハゲキャラの画像は、要するに定形スタンプ的なものなのだが。
しかし一般人の感想のリプライよりも、それを注意する、古き悪しき慣習を振りかざしてマウントを取る正義気取りリスナーの方が、よっぽど害悪だと、個人的には強く思う・・・。
そもそもお前ら自分をエンジニアって言ってるがそれ自体もすでに汚染しているってことを自覚しような
エンジニアはengine+er(engineer)なので元々は機関、それも出始めは蒸気機関の整備とかやる人を指していたわけ。
なのにエンジニアって言ったらさも俺らのこと!って言わんばかりのIT系職種の人間傲慢だよね
さらには「エンジニアは生涯勉強」って自らを特別視する思想が入ったやつもゴロゴロ
面白い指摘だが、絵柄の価値の毀損というよりは自由市場競争で価値が下がったように思える。
私は、お絵描きAIという強力な絵描きが参入したことで、絵の進化自体が加速してると見る。
未来はより洗練された魅力を持つ絵が生き残っているハズだ。
風俗は、 NHKか警察か司法の餓鬼の操作でほとんど失敗するし、受け入れ先は実質的にみほだけで、間違って利用させた場合は、森脇の母親が記憶を消したり
しているので利用できない。令和元年12月12日の、ソフトのみく、令和3年12月19日の宮崎市のラグゼアロマプラチナムとかも、対象者氏名も全部消えている。
東京にもあるが、みくも、とかに出てきてもらうときは、Metaだから、筋肉質で、出てきてもらうこと自体が不可能。利用時期の記憶もきえている。店側は、さくら、と、何かに
対して、スピリチュアルなことを言ったから執拗に出禁、延岡のキレイも同じことを言ってるが利用日時は大体判明してるがほとんど利用していないのと同じ。
第一に、単なる実験の一つとしてやってみましたってことだったら別にこれ自体は不快ではない。それ以外の部分で気に障ったことが多い。
まず、
というくだり。支援級の担任もこういうこと言う人いるんだけど、これ言われるとね、当事者親としては(健常児より)楽しかったっていうのがもう健常児より下に見てるんだなって思うのよ。よくいるでしょ、知的障碍者は天使だとかいうようなやつ。あれと一緒。本人には自覚がないのが厄介なんだよね。
あと、目的として挙げているコスト削減だとか誤診リスクの低減だとかがおかしい。医者しか診断できないって、明確な診断基準があるんだから当たり前だし、誤診リスクの低減も、「70%程度の正解率で御の字」ではお話にならない。診断の重さを全く理解していない。
全体的に、自分が関わったことがあるといえば文句は出ないだろうという打算が透けて見えるし、自閉症児に全く寄り添っていない。技術的な部分以外からあふれ出る偽善臭も非常に不快。繰り返すけどこれ本人には自覚ないんだよ。はてな民ならこの辺のモヤモヤを分かってくれると思う。
あとブコメな、
うん、分かるんだけどさ、未だに自閉症だって言われるのはそんなに屈辱なんだというのは率直にショックだった。うちの子はそんな屈辱的な属性を持っているのかと。割とたくさんいるんだけどね。
検索して出てきたページに基づいて返事を書いてくれるAIは便利だけど、検索で当たったページが明らかな逆張り(「多数派はAだけどこのページの主張はBだ」とそのページ自体から読み取れる場合)でも、それを正論扱いにして返答してしまう。
将来的には200か所くらい検索先の記事を読んで評価してもらいたいものだけど、現状でも上述のような例は正しく評価できると思うんだよな。
P社の皆様にはもうちょっと頑張ってもらいたい。
友人が何も覚えていてくれなくて悲しい。
友人とはお互い20代半ばで、5年ほどの付き合いになる。趣味や価値観も近く、一時は毎週会っているほど親密だった。彼女だったらこの先ライフステージが変わったとしても、ずっと仲良くできるとすら思っていた。お互いにそう感じていたと思う。
彼女は普段から、とにかく同じ話を何回もする。もう10回以上聞いているエピソードも多々ある。割と最近までは、楽しそうに話しているし、楽しい話は何回したっていいし...と好意的に思ってどんな話も初めて聞く体で聞いていた。しかし、それが続くとさすがに疲れてきて、段々と「あ、それ前に言ってたね!」といったように、一言加えて話を聞くようになった。それでも彼女は全く気にしない。
そして彼女は、自分が話したことだけではなく、こちらが言ったことも全然覚えていない。そのため、私が話したことを次に会った時に、まるで自分が言ったことのように話す、なんてこともある。
それ以外にも、私が欲しい服を見にいくのに着いてきてもらい、彼女にも意見をもらった結果、少し考えようと思ってその日は保留にしたことがある。彼女には、「他のも見てもう少し考えようかな」と伝えた。その翌週に会った時、彼女は購入したその服を着てきたのだ。私がかなり悩んでいたものだというのもすっかり忘れて。もちろん私はその時に買っていないので、何も言う資格はない。でも、さすがに驚いてしまった。
またある時は、一緒に行く約束をしていた美術展のチケットの代金を申し込み時に立て替えてもらっていた。そのチケット代を渡した翌々週、チケット代をもらったかどうかを聞かれた。「この間会った時に〇〇で渡したよ」と言っても、そのこと自体を忘れているので、詳細を伝えても全然納得してくれない(その時は私が押し切る形で話を終えた)。
彼女とは、お互いに自分の内面の深い部分のことだったり考え方について話すことも多い。そのやりとりに救われてきたことが何度もあるし、こんなに話してくれるということは、私のことを信頼してくれているんだと感じてもいた。
でも結局、そういったあれこれも何も覚えていない。あんなに話したんだから覚えていると思っても、「そうだっけ?」と言われる。分かり合えて嬉しい、共感してくれて嬉しい。心の底からそう思ったことも、全て忘れられているかと思うと本当に悲しいし虚しい。ずっと仕方ないと思って気にしないようにしていたけど、積もり積もって、最近は彼女に対する親愛の気持ちがゴリゴリと減ってきている気がする。
結局、「私とその時にその話をした」ということが大切なのではなく、「(相手が誰であれ)その話をする」ことの方が彼女にとっては大事なんだな、と感じるようになってしまった。最近は彼女と話していると、自分が壁打ちの壁になった気分にすらなってしまう。
話した内容も覚えていないなら、彼女の中では何によって信頼関係が蓄積していくんだろう、というのは単純に疑問だ。楽しい時間を共にした、ということだけは残るんだろうか。
言ってることもコロコロ変わるので(自分が何を言ったか忘れるから)、段々と真剣に聞く気も失せてきてしまった。人の考えなんてものは変わるのが当たり前だし一貫性を求める方が間違ってるのは分かっているけれど、さすがに限度がある。
これはもう脳の特性の問題なんだと思うので、本人に言って気を付けてもらうというのも違うし、そんなことを求めるのはあまりにも横暴だと感じる。彼女の特性なんだ、と受け入れていくしかないんだと思う。もしくは、諦めて距離を置くか。でも、これからも友達でいたいと思うくらいには彼女のことが好きなので、どうしても悲しくなってしまうことがある。