はてなキーワード: 新築とは
見えてる条件的には問題ないと思った。修繕がまともにされてる=管理組合が機能してる?もし可能なら管理組合の理事長、管理人に会ってやばい住人がいないかとかは聞いたほうがいいかも。上下左右で接してる人がクレーマーとか嫌がらせするやばいやつだときついよ。うちは郊外新築5000万で買った勢だけど、ポツポツ退去してる。そのうち把握してるのは隣が変な人というのは言っていた。あと管理組合理事をやらされていて、理事のなかにちょっと話通じないやつがいてめんどくさい。まともな人のほうが多いからどうにかなってるけど、おかしい系はだいたい声がデカいので、実権持っちゃってるとキツイかなと思った。
もし良かったら読んでください。
私(女)は小学生の頃、箸の持ち方を知らないばかりか、食べる時には口を閉じてくちゃくちゃ言わないようにするとか、お皿の中に手が入らないように食器を持つとか、そういう生活常識を知らなかった。
髪は週に1,2回しか洗わないし、梳かしたことはほとんどなかった。まともな櫛やドライヤーも家になかった。同じ毛玉だらけのセーターを毎日着ていた。成長期なのにあまり顔や体を洗わなかったから、顔や背中の肌が荒れて、ニキビだらけだった。
(背中のニキビの一部は皮膚の病気になり、今も通院しているけれど、手術後も再発・肥大し、痛みと痒みが続き、大きく背中が開いた服を着ると見える。)
小さい頃からベビーシッターによく預けられて、母は友達と遊びに行ってしまう。
今思えば子供への関心の薄いネグレクト家庭だったのだが、両親はちょっと変わっているだけで、全く虐待している意識も攻撃性もなく、学校の先生が家庭訪問に来ても、新築の一軒家住まいで5月の庭には数種の薔薇が咲いており、特に生活困窮しているわけでなかったから、異常を見つけてもらえなかった。
家はあまり掃除されておらず汚かったし食事も買ってきたお惣菜や冷凍食品ばかりだし誕生日もほとんど祝ってくれなかったし学校の話も無関心でテストや定期試験の答案さえ見せたことがなかったけど、どうしても欲しいゲームや必要なものはある程度買ってくれるし、風邪を引けば病院に連れていってはくれた。
母の少女趣味で、4歳からバレエやピアノの習い事もしていた(両方とも下手だったけど)。
そんな子供だったから、小学3年生のとき、給食の牛乳を飲んでいる途中で、飲み方が悪く、むせて吐き出してしまったのをきっかけに、周囲の子どもに「汚い、キモい」などと言われ始めたのをきっかけにいじめが始まった。
私が触ったものは全て汚染されていると言われ、みんなそれを信じるようにして、避けるし、触れることがあったら菌がついたと言い他の人に鬼ごっこのようにして移す。一見遊びのようだけど、やっている人たちもからかってるわけではなくて、時間が経つうちに学年中に知れ渡り、狭いコミュニティの中では迷信のように真実めいていた。村社会的に、コミュニティ全体の常識がシフトしてしまい、今の自分と比べてずいぶん汚い身なりだったし、性格も卑屈寄りだったのでなかなか理解しがたいとは思う。あえて例えるなら、見た目に特徴のある障がい児に起きることのあるいじめのパターンがあるとすれば、それに似ていると思う。
いじめは中3まで続き、何人かの男児から、登校中に因縁を付けられて、石を投げられたり、お腹を蹴られたり、持ち物に触れたという理由で土下座させられたり、ゴミをかけられたり、クラスの8割程度の人に配った給食を残されたり、描いた絵を破られて路上に捨てられたり、カッターを持って校舎内を追いかけ回されたりした。
運悪く、担任の先生は小1から中3まで毎年変わってしまっていて、特にこちらから何もお願いしなかったから(当時の自分は、そんなお願いは聞いてもらえないと思っていたから)、特に主犯格と言えるような男児とクラスが中2までずっと被ってしまっていたし、ほとんど対策がとられなかった(こちらが言えば注意ぐらいしてくれるけど対象の人数が多すぎてキリがない)のも長続きしてしまった原因の一つ。
たまたま中2の時に、登校時に下駄箱を見たら、自分の下駄箱に他の男児の上履きが突っ込んであった。
これは、私ではなくて上履きの持ち主をいじめるためで、この頃は時々あったことなので、その上履きを適当にすのこの上に置いて、特に気にせず、教室に入ると、今度は机の中に同人物の教科書がぎゅうぎゅうに詰め込まれていた。
取り出すのに苦労していると、当該の男児が登校してきて、自分の持ち物を“汚い”私の元に移されたことを怒っていた。
そもそも私がそういう前提で扱われることに納得いっているわけではなかったので、私も何か言い返そうとしていると、チャイムが鳴り、担任が入ってきた。
「何してるんだぁ!」と担任が一喝すると、クラス中の注目が集まった。
みんな知っていることとはいえ、表沙汰にされるのが怖かったし、恥ずかしくもあったので、その時は数年ぶりに人前で泣き、それも一言では言い表せない気持ちが色々あり、通夜のように静かに激しく泣き、ホームルーム中ずっとその嗚咽が教室に響いた。
担任に話を聞いてもらい、事態は理解してもらえたが、たった1年の付き合いの担任に比して、周りは長くて8年ぐらいの間柄であるから、今更自分への扱いが変わることはなく(誰かが私に優しくするとその人がいじめられるので)、菌扱いはずっと続いた。ただ、その頃には周りも異性などに興味が移る人が多く、積極的にそういうことをしてくる人たちは減ってきていたかもしれない。
私は他のクラスメイトとは自分と感覚が違いすぎて今見れば普通の人たちとも関わるのも怖く、多くの人とはあまり喋らず距離を置いており、関わることがあればそういう人たちだったのでわからない。
自身、かなり頑固だったので、耐えなければいけない、自分が悪いと思って、不登校にはならなかったし、転校も考えたことがなかった。そういうことを言うと、何事も大ごとにしたくない親や周囲の大人が嫌がるのがわかっていたし、恥ずかしかったし、どこへ行っても同じだと思っていた。
友達が少なく読書をよくしていて、進研ゼミも取っていたので(教養コラム読むのとシール集めに赤ペン先生出すだけで一般教材はやらなかったが)、勉強は得意だったので親に頼んでバレエを辞め、好奇心から塾に通わせてもらった。
成績が良かったので、塾の講師にも会社実績を上げるためのエースの一人として熱心に指導をいただき、都道府県で公立トップの高校に進むと、周りの人たちがガラッと変わって、周りは賢くて志の高い人ばかりで、誰も自分をいじめなかった。とても驚いた。廊下で男子にぶつかったとき、気持ち悪がられて罵倒されるどころか、「ケガはない?」と心配してくれて逆に申し訳なくなった。
中学生ぐらいからは、部活の友達が居たこともあり、少しは身なりの整え方などが改善され、今まで全く笑わなかったが楽しさを感じて笑顔が出るようになったこともあり、普通に友達や仲間ができた。
しかし、高校3年生になると、みんな受験勉強に勤しむので友達付き合いを控えるようになり、元々大学を目指しているわけでもなかった自分は高校生からは成績がかなり悪く、学問は諦めて美大を目指していたが、絵の勉強に身が入らず、部活も終わりかけ、家族とは相変わらずあまり関わりがなかったしとても孤独で、GWの間、一日7時間ぐらいいろんなことを考えた結果、人生がわからなくなり、5月下旬に家の中でパニック発作を起こした。
流石に親が心療内科に連れて行ってくれて鬱の診断をもらった。
頭の中の時間感覚がおかしくなり、好きな授業もあったけれど、教室でじっとしているのが怖くて、家や保健室でボーッと過ごす日が続いた。
結局ほとんど絵も学問も勉強しなかったので、試験には落ち、浪人生の身分となった。
浪人を始めた頃には少し鬱は回復していたので、一念発起して美大ではなく私立文系の勉強を始めた。ついでに、不細工と言われ続けた顔を鏡で見ると昔を思い出すので、貯めてきたお年玉をはたいて眼瞼下垂気味だった目を整形した。
高校に入ってから部活や他の趣味ばかりでろくに勉強していなかったけれど、一年間ほとんど勉強だけしていたからか、早稲田大学の3学部を受け、全て合格した。
それから先も多少いろいろあったけれど、今は政令市の地方公務員として働いている。
陰険な上司や先輩に当たって虐められた年もあったが、今は環境に恵まれて毎日が過ごしやすい。
20歳頃からは皮脂分泌が落ち着いて肌荒れしなくなり、髪も縮毛矯正をマメにかけるようになり、あれほど男子に不細工、キモい、近寄るな、死ねなどと毎日言われていたのに、今は男性もみんな優しい(それでも同年代の男性が今でも怖いし、年をとったり、見た目が悪くなった途端に冷たくなるのでは?と思う)。
過去のことは忘れないと思う。
というか、昨夜も夢に見たのが今回文字に起こしてみたきっかけ。
幸せな子供時代というものも味わってみたかったけれど、人生一度きりだから仕方ない。今後のことはわからないし、何かの糧になったと思って今を楽しく暮らすしかないのかもしれない。親にはお金の面ではありがたいと頭では分かるが、気持ちとしてはどうしても感謝できない。
今の私がそのまま子供に戻れたら、もっと周囲に訴えかけ、逃げられないなら転校だってできた...と思う。10〜20年ほど前だから、今の時代よりも支援は得られないかもしれないが、多少の嘘をついて逃げても誰も大して困らなかっただろうし、何より自分の人生を大切にすべきだった。
私は同性愛だ。
15歳高校生になって直ぐ台風じゃないかってくらいの大雨の日に同じ中学校だった同級生に告白した。
度胸のない私は前日にそれとなく告って逃げた。
そして懲りずに次の日にも告った。怒られた。
「お前、昨日逃げただろ」って。
はい。すいません。全力で逃げました。
ピンポンダッシュってこんな感じなのかなぁって思う。
嫌われちゃうかもと思って動画でいう巻き戻しボタンを心の中で連打してた。無いんだけど。
でも答えは「いいよ」で私が「は?」って返してしまったからまた怒られました。
そりゃビビるでしょう。
どっちだよw
彼女は身近に味方がいなくて。だからどこか自分本位になってしまう事が気に食わなくて。
私が我慢しなきゃ。が爆発して別れるって話を周りが呆れる程に何度もした。
迷惑一杯かけました。本当ごめんんなさい。
その頃には慢性胃炎になってよくゲロゲロしてたなぁ。懐かしい。
彼女は親が離婚してから親戚たらい回しされ、なんとか地元から離れた場所で浮気相手と一緒に暮らしていた母親の家に転がり込んだんだけど言われた言葉が「私は新しい生活があるから高校卒業したら出て行って」だって。
お前がまだ離婚してないのに別の男に股広げてたの知ってんだよって何度あの子が吼えようとしてたのか知ってたから。追い詰められる度に何もできないのが悔しくって、ただただ頭撫でて慰めて。
それでもいよいよどうしようもなくなった時に一緒にビルから落っこちるか。とか約束して、最後だしっていつも彷徨ってた街中ぶらついて飛ぶビル探し始めたらやっぱり悲しくなって意味わからない程泣いたり。
それだけを支えにして18で彼女は地元鉄道に就職して1Kのアパートで暮らしてた。
毎日入り浸って直ぐに合鍵貰って「おかえり」「ただいま」って言われるのが嬉しいって言うもんだから私まで嬉しくてそのうちお泊り多くなって母に「家は一つにしなさい」言われてその足で飛び出したの覚えてる。
突然の自立に弟が面食らってたの面白かったなぁ。
しばらくしてはじめての引越し。
壁が薄くて冬の朝起きると息白かったりしたけどまぁ。うん。いい思い出。
年末に会社近くの青果店で蜜柑を一箱買ってくるのがお決まりになってた。
私の奢りだい。
そんな感じでずっと暮らしてた2人の城を引き払いマンションを買った。
新築なんぞ手が出ないのでフルリノベーションされた中古マンションを購入したんだけどね。
驚いたのが家賃に当たるローンが諸々の税金込みでも前の2DKよりはるかに安い。
2人して紙面をガン見したのは記憶に新しいのね。
引越しを機に今まで別財布だったお互いの給与を一部徴収して残りはお小遣い制を導入。
余ったお金は旅行費にしようっていうのがこれまたたまらなく好き。
旅行が好きな私は彼女と知らない場所に行けるっていうのがとても嬉しい。
だから今まで金銭的に余裕がないからって行けなかったのが格段に回数増えたのが凄いって思ってる。
そんで、今日。
散歩がてら寄った地元のスーパーでブラックフライデーの影響で安くなった品を何も考えず買い込んだ私は千切れそうなポリ袋をぶら下げながら思い出した。
来年の6月の記念日を超えると付き合っていなかった年月を付き合っている年月が追い越すんだと。
15年かぁ。長ぇなぁ。
でも一瞬だったなぁ。
老けたなぁ。
きっと高校生の時にぶらついたあの道や帰りたくないって駄々こねるあの子を送ったあの坂道を登ろうものなら息切らすんだろうなぁ。
でも、彼女たちは見ることができなかった「新しい土地の風景」を今の私達は数多く見ていてなんだか感慨深かった。
知らない15年を追い越したらまた何か始まるのかな。
きっと日常はは変わらないんだろうなぁ。
朝起きて弁当作って仕事しておかえりかただいまを言ってご飯作って食べて風呂入って寝る。
週末には暇と言ってあの子を外に引きずり回して帰ってきてゲームやって日が暮れてって。
きっと何も変わらないけど何か思う日は続くのかもしれない。
後何年一緒に居れるのかなぁ。
神さま教えてくれ。
出来れば看取ってあげたいなぁ。
ひとりぼっちが多かったあの子だから最後くらいは私がひとりぼっちを引き受けてあげたい。
できる限り早く迎えにきて欲しいけど
私も寂しがりですからね。ええ。
とりあえず日記打ってたら夕飯作りそびれたので迎えに行ってごめんを言います。
腹減ったーーー。
それは「パンツの主体はショーツであり文句があるならパンティーは出て行け」って言う発想でしょう?
でも実体は逆なわけじゃない。あえて露出的かつ極端な話をしてしまえば「パンツはわりとふわっとした幻想で、主体はパンティーでしかない。他のショーツはパンティーの属臭にすぎない」って、パンティーの人(の一部は、税制的に)考えてるわけよ。
ショーツの人が良く得意顔で「パンティーはショーツの素材がないとやっていけない」とか「クロッチを吸い上げてる」って言うけれど、それって要するに、自分の管轄範囲内で経済的な自立もできず産業もないショーツが、経済難民を、パンティーに棄民しているだけの話だよね。アナル防衛の都合とかあるってのも、ショーツ交付税とは別にアナルの内部で、方面ごとのひり分けやエネマグラの流動性ってのはあるわけでさ。
法制度や教育制度が同じパンツで生まれ育った難民だから治安トラブルが小さいと言うだけで、経済的な状況としてはパンツをまたいだ移民と大差ないわけよ。パンティーからの税収が、過疎地の数百人しか人の居ない自治体のインフラやら新築公民館に使われてるっていう事実は、パンティーからショーツへの軽蔑が存在する立派な理由だと思うよ。
それは「日本という国の主体は地方であり文句があるなら東京は出て行け」って言う発想でしょう?
でも実体は逆なわけじゃない。あえて露悪的かつ極端な話をしてしまえば「日本という国はわりとふわっとした幻想で、主体は東京でしかない。他の地方は東京の属州にすぎない」って、東京の人(の一部は、税制的に)考えてるわけよ。
地方の人が良く得意顔で「東京は地方の人材が居ないとやっていけない」とか「人材を吸い上げてる」って言うけれど、それって要するに、自分の管轄範囲内で経済的な自立もできず産業もない地方が、経済難民を、東京に棄民しているだけの話だよね。国土防衛の都合とかあるってのも、地方交付税とは別に自衛隊の予算の内部で、方面ごとのひり分けや戦力配備の流動性ってのはあるわけでさ。
法制度や教育制度が同じ国で生まれ育った難民だから治安トラブルが小さいと言うだけで、経済的な状況としては国家をまたいだ移民と大差ないわけよ。東京からの税収が、過疎地の数百人しか人の居ない自治体のインフラやら新築公民館に使われてるっていう事実は、東京から地方への軽蔑が存在する立派な理由だと思うよ。