はてなキーワード: 持ちネタとは
アスリートに結婚話をするなんてけしからん!という意見に対して、本人は結婚したいって公に言ってるのに何言ってんの?ってだけで、別にそのブコメは「ネタ」なんてニュアンスじゃなくない?
お前が勝手に吉田選手が結婚したいと発言するのは「ネタ」だと決めつけてるだけだよね。
わざわざブスとハゲの話を引き合いに出して。
一般的に「何で結婚できないの?」と人に聞くのは不躾でセクハラめいたことだと思うのだが、吉田選手についての記事について「本人の持ちネタだから」と肯定的に見る向きが多くて驚いた。
「そんなに怒らなくても吉田選手は傷ついていませんよ」という反論に留まらず、「個人のキャラクターを正しさで裁くんじゃねぇ」というニュアンスだよね、これは。
いやはや、はてなも変わったな。
パッと思い出せるだけでも、ハリセンボン近藤のブスネタやトレンディエンジェルのハゲネタについてのブコメはこうではなかった。「容姿イジリは早く廃れて欲しい」だの「恥ずべきこと」だのそういったブコメが人気になっていた。本人が積極的にブスやハゲをネタにしてたかは関係ない。もう笑いの構造が差別的でアウトだから。
吉田選手の記事のブクマで、「持ちネタだから」といったブコメを書いた人たち、そしてそれを支持した人たちよ。これからも是非そのスタンスを貫いて欲しい。ブサイク、ハゲ、デブ、貧乏などの低俗な笑いにも「こんな差別的なネタは許されない」などと口が裂けても言ってくれるな。あれも芸人たちの持ちネタなんだからな。好きでやってんだ。あれで金貰ってんだ。
永野というラッセン云々が持ちネタの芸人、といっても私が説明する必要もないと思うけど、のネタをこの前ガッツリみた。
いままでもちょろっと見かけたことはあったけど、イマイチ苦手だった。
なんとなくシニカルな感じがするし、ラッセンがすき、この貧しさこそが真理だ、と言わんばかりの姿勢のように思えたからだ。
貧しさこそが真理というのは、たとえば闇金うしじま君であったりクジラックスみたいな感じだ。
なぜこの二つが等号で結ばれるのか謎って人もいると思うけど、そこは説明すると長くなるので割愛させてください。
また、私は両者共にたんに否定的な意見を持っているわけでもないということを加えておきます。
で、最近なんとなくネタをいろいろ見てみたわけだけど、これがなかなか面白かった。
あんまり他の芸人でたとえるのも失礼だけど、本質的には劇団ひとりと似たマインドをもってるんじゃないか?と思った。
人間がはらみうる滑稽さみたいなものを単にバカにするわけではなく、むしろその滑稽さを引き受けて笑いに転化する、みたいな。
もちろん、そこにはアングラ的な野蛮さや「意味の破壊」みたいなものがあって受け取りかたが難しいんだけど、
劇団ひとりがある程度の大衆受けをしたのと同様に、この人も根っこは必ずしもアングラではないんじゃないかという気がした。
で、最近そんな永野に対する評論を読んだわけだけど、これがわけわからなかった。
永野がブレイクしたのはなぜ?という問いからはじまって、最終的にたまたまタイミングがあったのだろう、という主張の記事だった。
それって意味不明じゃねえか?
もちろん、私はあらゆる物事には理由があるといいたいわけではない。世の中の多くのことって、複雑系云々の知見を持ち出すまでもなくある種の偶然で決まってしまう。
でも、評論で偶然を持ち出してしまった場合、それって何一つとして説明していることになっていないんじゃないか?
まあ確かに、どうしても私たちってある事象が起きた理由なり意味を探りがちだけど、実はそれって単に確率的な問題だよ、ということはあって、その意味ではこの記事は「情報」があるのかもしれない。
でも、偶然なんだろう、ってそれ別にデータも論理もないじゃん。
そんな記事を読まされた身にもなってほしいよな、と思った。
もともとネットの炎上を面白おかしくまとめるだけのハイエナブロガーだったくせに
ソシャゲガチャとAppbankの件で「俺ってすごい識者じゃん」とか勘違いしちゃったの?
IT系とは関係ない都議選とか築地市場とか相模原殺人犯とか介護とか
全くの別分野に寄稿とかしちゃってまぁー
そもそもいちろうの手法って「おれっち実は業界の裏事情知ってるんだぜー」っていう仄めかしをすることで
「なんか言ってる事間違ってるけど裏事情知ってるいちろうさんの言うことが正しいんだろうなぁ」ってアホブクマーを騙すやり方じゃん
つまるところ「裏事情知ってる凄い人」であることがいちろうの持ちネタだったわけで
つまりカモとされた訳だ。
彼女が出来ない現状を打破しようと抗ったキモメンの自分にとっては、予想外の勉強となった。
勧誘を受けるまでに2回会ったのだが、その2回目に、彼女の属する友達グループとでボーリングをしようと誘われた。
そこに行って、その時は楽しんで帰った。
そこにいた人と話すとなんだかやたらと意識が高い人たちばかりだと思ったが、それ以外は普通だった。
その次の次に会った時、あるマンションの一室に連れ込まれ、そこにいた会員に囲まれて妙なビデオを見させられそうになったので逃げてきたという感じだ。
まあそのマルチ商法の話は良いとして、
名前は忘れたのだが、モンスターハンターのリオレウスの動きを作ったのは彼だと言っていた。
その時はすげーとしか思ってなかったが、今思うとカプコンにすらドン引きしてしまう。
もちろんボーリングの場にいた全員がアムウェイの会員だったかは分からないし、仮にそうだったとしてカプコンがマルチ商法業者と親密である訳ではない。
あくまで個人の話だ。そこは尊重されなければならない。そもそも彼の虚言かもしれない。
ただ、自社の事をああいった怪しげな集団の中でアピールする社員がいて、結果として世間の心証を損ねる可能性があると考えると、個人の自由というものは恐ろしいなと感じる今日このごろ。
一人前のはてブ廃人なら、上から1〜2個目のワードで某はてブ芸人xを想起したはずだ。
ライトなはてブユーザでも、これらのワードから某はてブ芸人xを想起できたのではないだろうか。
ブランディングという意味合いだけでなく、芸人の持ちネタと化したのが素晴らしい。
今後継続して定番持ちネタとして安定して笑いを提供できるし、定番ネタとして使えば使うほどキャラクターとブランドが強化される。
某はてブ芸人x以外のはてブユーザが「運動と瞑想」「野菜食べない奴はメンヘル」「プリントアウトして病院へ」といっても、それはx氏の持ちネタだろと言いたくなる所まで想起率が上がっている。
だからね、
本来の話の筋は
女性が道具の使い方とかを間違えてたり、上手く出来てないときに、それを教えたいわけだけど。
どう教えるのが正解なんだろうか。「それだと上手くいかないから、こうするといいよ。」って教えても「どうせ私には扱えない!もういい!」とか言われる。
「この道具はどうやって使うんだろうなぁ・・・?
こんな感じでどうかな・・・。
ちょっとやってみて。
イイ感じに使えそう?
こんな感じで説明すると上手くいくよ。
・使い方が分からないのは当然
・だから一緒に考えてみよう
「俺も知らなかったんだけど、この道具ってこうやって使うらしい。」
「ちょっとマニュアル探してくる。。。おぉ、使い方がここに書いてあるぞ。初めて知ったわ」
みたいな言葉を使ってもよい。
ここまでなんだよね。
実際ここまでで終わってればあんたも混乱しなかったし
引っ掛かる部分なかったでしょ?
末尾の唐突で余計なこれ↓
間違っても、
とか言っちゃだめだ。
これはなんなのかというと
アクアっていう頭悪くて傲慢なのが売りの二次元美少女(異様に短いスカート履いててノーパン)が
そういう言動ばっかりしては報いを受けてしばかれる人気アニメが前期にあったの。
>間違っても、
>「この道具の使い方も知らないの?プークスクス」(c)アクア
>とか言っちゃだめだ。
この感覚は当然ですけどね、
突然アニメ美少女の持ちネタの話混ぜてきてるただのキモオタ部分なので
と言ってるの
吉本解雇からもう8年も経ってるし、ひょっとして現役時代を知らない若者が増えていて、
「超人気があった人なのにビッチの仕組んだ冤罪で芸能界追われて復帰も出来ない悲劇の人」
とか勘違いされていたりするんだろうか。
この人、そもそもそこまでの大物じゃないぞ全然。精々一流半程度。何事も無かったとしても今はもう消えてても全然おかしくない程度。
やれ紳助がー東国原がーホリエモンがー酒井法子がー復帰出来たのに出来ないのはおかしい!!ってさあ、
そりゃ「その人たちと比べたら遥かに需要ないから」だろ。欽ちゃんを怒らせたからって話もあるけど、根本的には。
上記は皆一世を風靡した人達だけど、山本は一度も一世を風靡してないから。
むしろ何故ここまで復帰させたい復帰させたいとだらだら言われ続けているのが不思議なくらいだ。
つーか今となっては一番の持ちネタが「芸能界追放されたけど復帰したい人」になってるよね。
世の中には「俺は何でも知ってるぞ」って奴ほど無理解で極端で唯我独尊で困るものだ。
著作を宣伝してる奴ほど、その整合性を取るべく無理難題を述べ連ねては墓穴を掘る。
物事を発見した人がいて、それをどうにか世間に広めて自分を認めさせたい。
また、ビッグマウスな口上が裏目に出て自ら炎上の中心となる事も多い。
それだけにこの宣伝は、容易にやられるべきでなくて
が、昨今のステルスマーケティングによって居ながらにして富と名声を築く事が安易になった。
そのために、簡単に富と名声を得ようとこうした方法を取り続けると
当然アンチが現れる。
そこで予防線を張るのだが、予防線を良く知りもしない人にさせやすい。
良識ある人ほどお金は掛かるし宣伝者と同等の富と名声を得たいと考えるものだ。
予防線を張るにもお金を掛けなければ、物事が成功しなくなってきている。
そうなると結局広く浅く潜伏しながら徐々に効果を波及させていくしか方法はない。
今年の流行語になった「ダメよ~ダメダメ」はあからさまな宣伝によって今年の後半期から急激に流行した。
その結果広く知れ渡ったものの、実体が見えず誰とも知らないお笑い芸人が登場して、
このお笑い芸人が発案しました、と言っても他にも誰かが発案していてその人の持ちネタをパクったから使うな、
それだけに広く浅く潜伏しながら徐々に効果を波及させていく方法にも不備があるように感じられるだろう。
だが、殆どの場合、前述の予防線を張り忘れた、あるいは張る必要がないとたかを括っていたに違いない。
でなければ今回のように突然降って沸いたように流行語大賞に選ばれるはずがない。
となると、一つ考えられるのは流行語を流行させる方法を取ったのであろう。
そのため流行語は広く宣伝によって流行していったが、今回のように誹謗中傷もまた広まってしまったのである。
深く知り浅く広く潜伏しながら徐々に確実に流行させていく事が素直である。
しかしながら、ユーキャン流行語大賞のように賛否を無視して急速に広めると当然批判の対象になりやすいのだ。
何かの司会をやっていて、急にフリートークで繋いでって言われて困ったことがないだろうか?
大事な時期に仲間が沈滞ムードになってて当たり障りのないフリートークで空気を和らげたいと思ったことは?
後輩達を教育している時に、息抜きにちょいと小粋なフリートークでも挟もうとしたことは?
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こうした経験は誰もがあるはずで、その度にフリートーク能力のなさを痛感するのではなかろうか。
実際のところフリートークは難しく、フリートークが得意な人などごくまれである。
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フリートークが苦手な人でも無理にごまかす方法はある。持ちネタをさまざまな状況に備えてストックしておけばいいのだ。
身の回りの人達がどう対処しているか考えてみてほしい。いつも決まった話をする人が多いだろう。
「またあの話か」なんて陰口はよく耳にする。一応場つなぎにはなるが良い評判は得られない。
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器用な人なら、常に新しいネタを仕入れ、膨大な引き出しを構築して、そこからフリートークできる人もいる。
しかしこれは大変な努力と才能が必要なことである。さまざまな状況に備えてネタを常にアップデートするのは大変骨の折れる作業だし、
それらを頭にインプットしてすぐ引き出せるようにしておくのは大変な記憶力と機転の良さを要する。
いわゆる知識人は、この程度のことを難なくこなせるように見えるが、それは長年携わる自分の専門分野だからやれているだけだ。
自分の専門分野でもないのにこれをやるとなると、やはり大変なことなのである。
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じゃあどうすれば簡単にフリートークができるのかというと、もちろんそんな方法はないw
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ただ、フリートークが苦手な人の特徴はハッキリしている。「話の入り口」がものすごく狭い。
フリートークに長けた人ほど、どこからでも話を膨らませることができる。つまり、話の入り口が豊富だ。
仲間内のおしゃべりは得意でもフリートークは苦手という人は、話の入り口を見つけるのが苦手なのである。
日常会話というのは、仲間内で決まった流れをなぞっているだけで、話の入り口を見つける必要はほとんどない。
それがフリートークになると常に新しい話の入り口を見つけて、ポンポンとテンポよく繋げていかないといけない。
だから、おしゃべりが得意な人は山のようにいても、フリートークが得意な人はまずお目にかかることがないのである。
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よく10代の若者から「何を話したらいいか分からない」という声を聞く。相手が恋人だろうと不特定多数だろうと同じことだ。
どんな些細なことでも面白く膨らませるような思考回路がないのである。一旦つまらないと思ったものはもう一顧だにしない。それがいけない。
幸せの青い鳥という話があるだろう。身近なところに幸せはある。だから身近なものにも目を向けようという教訓である。
人間中心主義のキリスト教では「隣人を愛せよ」と言うけど、我々は「隣物・隣事を愛せよ」と言ったほうがいいだろう。
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逆に小説家というのは、例外なく「どこからでも語れる人」だ。どこからでも語れないと小説なんて書けない。
小説家というのはね、文章力はピカイチでなくてもいいんだ。だけど、語り(または登場人物への「語らせ」)の力は圧倒的に必要。
ぐにゃぐにゃと軟体動物のように自在にどこからでもどんな順番でも語れて、それでいてしっかりと伝えたいことを伝える力。それが必須なんだ。
だから小説家に人見知りやあがり症やコミュ障っぽい人はいても、フリートークがまるで出来ないという人は居ないんだ。
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じゃあ小説家デビューしてフリートーク上達しよっと。そう思うだろうか?そこまでしたいと思える人はまずいないだろう。
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肝心なのは職業ではなくて習慣だよ。どこからでも話の入り口にする思考習慣をつけよう。
街コン初参加レポ
俺スペック
K「街コンってどうなん?」
俺「明後日あるぜ!!行こうぜ!!」
うひょー!!コレは期待大やで
店に着く、街コンといえども、
店の前で待機。
時間になったら一番に入店。
スタッフ「お好きな席にどうぞー」
俺達が座ってない席を避けて女子が入店。
というか、入店中盤くらいまでは完全に男女分かれてる。
「・・・ここ、いいですか?」
一組目は二十代後半の女子二人組
まあ、悪くない。
セックスしてくれって言われたら、
しゃーなしやでって言って抱けるくらいだな。
連絡先交換して終了。
トランプで席を決められる。
二組目は
ちょっと張り切って話して、
ぼちぼち笑い取りながら会話した。
ここでお時間、、、
ふるふるが上手くいかなくて、終わったら交換しようって言って別れたけど、
結局交換せずじまい。
2F組の方が全体的に見た目は良かったなーなどと物色しながら待つ。
3組目は、、、
ブスではないが、美人でもない。
フツ子の方がメインで話して、たまにデブ子に話振ってあげる感じで終了。
とりあえずLINE交換。
4組目
(捨て駒きたなー)
とKと目で会話し、
ありがたい。
大していらないけど、とりあえずラインを交換する。
5組目は男子が1Fに行く。
ショートカットの健気な感じの子(ブスではないが可愛くもない)
聞いたら、同じ市から来てて、俺とタメらしい。
化粧はしているが薄く、ダサくはないが田舎っぽい感じで、
目尻のシワが気になった。
(これも捨て駒か)
とKと目で会話し、
適当に終了。
用事があるとか言って断られる。
二次会の様子をみ、
ほぼ参加しないみたいだったので、
その夜は帰ってきたが、それ以降音信不通。
ボブ子もセックスしたい感じだったけど、連絡先しらないので終了。
結果的に収穫はあったが、その後はなし。
以上が俺の初街コンレポでした。
田村ゆかりの「17歳」はお約束と言ってしまえばそれまでなのだが、
ディズニーランドでスタッフを「キャスト」と呼ぶというのとは性質が違うと思う。
田村ゆかりが実年齢を明言するというのは、
ギャグ漫画での「こういうネタが読者に受けるのさ」みたいなメタ発言に近い。
プロレス繋がりでいくと、ヒールキャラが「俺も家に帰ると子供とお風呂に入るんすよ」とか言っちゃう感じ。
田村ゆかりはちょくちょくこういうことをやる。
「17歳」を演じつつも、その設定に対するシニカルな態度みたいなものが一方にあって、
その「どっぷり浸からない感じ」が彼女のライブのおもしろさであると思う。
で、王国民はどうするのかというと、
「そうだよねー知ってるよー」とはならない。
王国民を演じ、物語を立て直すことで、王国としての結束を固めることになる。
「ゆかりんが37歳だなんてありえない!」
もちろん「分かった上で言ってるんだよ」ということを示すためのマーカーはある。
たとえば、先月のイベント「17才だよ?! ゆかりちゃん祭り!!」というのも、
「?!」のとこを冷静に解釈すれば、本気でないことは一目瞭然。
そのへんの文脈を読めない部外者がゆかりんを語るべきではないと憤慨するのも理解できなくはないのだ。
外部から観察する限りでは生の姿が捉えられない。
ハゲを持ちネタにして「私はハゲておりません」とか言ってる山本一郎は、
本来そういう空気感を理解できるはずの人だと思うので、調べずに煽ったという批判は受けても仕方がない。
だが、彼にしても与えられたテキストを文字通りに理解しただけであり、
その点については許してやってもいいのではないか。
虚構新聞ついても同じようなことが言えそう。
信者いわく、
正しく読めないやつは言及してはいけないのか?
王国民としてはドッシリ構えて、
とか言っておけばいいのではないでしょうか。