永野というラッセン云々が持ちネタの芸人、といっても私が説明する必要もないと思うけど、のネタをこの前ガッツリみた。
いままでもちょろっと見かけたことはあったけど、イマイチ苦手だった。
なんとなくシニカルな感じがするし、ラッセンがすき、この貧しさこそが真理だ、と言わんばかりの姿勢のように思えたからだ。
貧しさこそが真理というのは、たとえば闇金うしじま君であったりクジラックスみたいな感じだ。
なぜこの二つが等号で結ばれるのか謎って人もいると思うけど、そこは説明すると長くなるので割愛させてください。
また、私は両者共にたんに否定的な意見を持っているわけでもないということを加えておきます。
で、最近なんとなくネタをいろいろ見てみたわけだけど、これがなかなか面白かった。
あんまり他の芸人でたとえるのも失礼だけど、本質的には劇団ひとりと似たマインドをもってるんじゃないか?と思った。
人間がはらみうる滑稽さみたいなものを単にバカにするわけではなく、むしろその滑稽さを引き受けて笑いに転化する、みたいな。
もちろん、そこにはアングラ的な野蛮さや「意味の破壊」みたいなものがあって受け取りかたが難しいんだけど、
劇団ひとりがある程度の大衆受けをしたのと同様に、この人も根っこは必ずしもアングラではないんじゃないかという気がした。
で、最近そんな永野に対する評論を読んだわけだけど、これがわけわからなかった。
永野がブレイクしたのはなぜ?という問いからはじまって、最終的にたまたまタイミングがあったのだろう、という主張の記事だった。
それって意味不明じゃねえか?
もちろん、私はあらゆる物事には理由があるといいたいわけではない。世の中の多くのことって、複雑系云々の知見を持ち出すまでもなくある種の偶然で決まってしまう。
でも、評論で偶然を持ち出してしまった場合、それって何一つとして説明していることになっていないんじゃないか?
まあ確かに、どうしても私たちってある事象が起きた理由なり意味を探りがちだけど、実はそれって単に確率的な問題だよ、ということはあって、その意味ではこの記事は「情報」があるのかもしれない。
でも、偶然なんだろう、ってそれ別にデータも論理もないじゃん。
そんな記事を読まされた身にもなってほしいよな、と思った。