はてなキーワード: 凸凹とは
という人が居た
当たり障りない会話で盛り上がる、広く浅く人付き合いをする
別に誰彼構わず踏み込みたいというわけではなく、踏み込めない相手と当たり障りない会話をするのがつまらないだけだ
コミュ力が有るわけじゃないからウェイウェイ言って女子にちょっかい出すようなメンズにはなれないが
敢えて失敗談とかちょっとした秘密を暴露してネタキャラに努めるみたいなことはする
そうしたかったのか、そうせざるを得なかったのかは、今となっては分からない
俺には彼女のような戦法は取れない
これが普通の2人なら無理だったと思う
冷静に自分のスタンスを話せるから、大人として両者の距離感が保たれている
俺はもっと近づきたいんだけど
・街に「ヤバい勢力」が攻めてきた想定でいかにして生き残るかの妄想
・「ヤバい勢力」のせいで世界人口が極端に減少した世界でいかにサバイブするかの妄想
・知人や親戚が集まる場でクイズ番組を見て自分がことごとく正解し称賛される妄想
・災害に遭ったらどうするかのイメトレ
・その場でポッと生まれた名前もないキャラ達のコメディを何度もリピートする
・カッコいい人名を考える
・荒唐無稽な嘘を考える[例:冬の白い息を集めて作った綿は暖かくて快適ですよ]
・歌が上手くなる妄想
・ハリウッド映画に一癖ある脇役として出演し一躍注目を浴びるがほとんど素性を明かさずミステリアスな存在のままでいる妄想
・たいめいけんみたいなすごいふわとろのオムライスを作る妄想(実際に何度か試みて失敗した)
・世界中の犬が狂犬になって人を襲い始めたらどうやって逃げるかの妄想
・モンスター的な存在を処理する機関の飄々としたベテラン隊員が跳ね返りの強い新人のピンチを余裕で救う妄想
・いない妹に慕われる妄想
・いない妹を見舞う妄想
・いない妹を看取る妄想
・閉鎖的な集落で行われる残酷な儀式から逃げ延びた子が大人になって復讐に戻る妄想
・いない妹に慰められる妄想
実際御苑自体はそうだけどその周り、は住宅街とでかい施設があるから無理としてその外側は高速の高架下とほどほどの施設があって交通拠点があるから隙がけっこうあってホームレスが多いのはたしか
人気のないところとか公園とか、ちょっとした段差で寝れそうなところはみんな凸凹とか施してあってホームレス除去率高いけど植物の生えてるとことかの近くにはたしかにゾーンがあって絵的には似てるかなというのはある
そういうものだとしてあるのはあると思うよ 思春期の頃って家出したりとか15って年齢でいえばありえるところでもあるしまあリアルかどうかはしらないけどありえはすると思うよ
ただ全部が事実だとしてもフィクションだとしても問題は「親戚たよるんで」って未成年、保護が必要な年齢の人間を一人にしたってところが一番の問題だと思うよ
それさえなければホームレスになったりしなかったろうし、ホームレスが未成年者の厚生や福祉について考えたり市民生活に関して公的な対処とか知ってるかどうかや判断できるかに関しても
判断は難しいだろうし、患部を最初に見逃したからあとの状態や処置が難しいものになっていったってことだろう
フィクションならまあフィクションだってバカにしてもいいしそういう説明をつけなくてもいいのかって問うても個人の自由かと思うが
デスクトップ操作の視覚障害者モードは健常者も目隠ししてやってみると色々面白かったりする
工場の作業員とかのウェアラブル端末みたいにハンズフリーを音声で実現するのにも役立つ
そこがネックだったりする
一時期はWindowsもXPのときだったか、読み上げ機能とか標準でない時期があった気がする
だから、視覚障害者の団体がある中小企業のソフトウェアを買い上げたんだったか、
それをインストールしてWindows使うのを推奨してた時期があった気がする
ただ、残念ながら点字キーボードとかコストで考えると採算に見合わなくなっちゃうんだよね
ひぐらしが無印の頃からアニメ、漫画、小説、アンソロを追ってきた。もちろん業も視聴しているがもう見るのがつらい。
お馴染みの世界から少し時が経って魅音が進学して疎遠になるのも心苦しかったが、それよりも梨花ちゃん沙都子の関係性の変化がしんどすぎる。
どの世界線でも仲良しで信頼し合っていていつも一緒だった2人があそこまで歪な関係になってしまうなんて、それを公式でやってしまうなんてあまりにも悲しすぎる。
自分はひぐらしという作品や登場人物のいい意味でのフィクションめいている仲の良さがとても好きだった。特にさとりかの凸凹だけど息の合ったコンビネーションは微笑ましくて大好きだった。
普通に考えれば年月と共に疎遠になっていく友人なんて現実ではよくあることだし自分にもそういった存在はいる。それでもあの2人にはそうなってほしくなかった。欲を言えば神社の狭い倉庫の中でにこやかに日々を送ってほしかった。ルチーアに行ったとしても対等な相棒として名コンビになってほしかった。劣等感を抱いて憎むようになってほしくなかった。
二次創作でやる分には「こういうifもたまにはいいねぇ」で済むけど、公式だからもう無理。これから無印や解礼煌アンソロで幸せで楽しそうな2人を見ても、その先の未来にはあの地獄が待ってるってわかっちゃったからこれまで通りに見られない。
自分は分譲否定派ではないんだけど、分譲派の人が良く言う「マンションの価値は上がっていく、値下がりしにくいマンションを買う」というのはもう結構限界にきてるよね?
都内で家族で住む3LDKを買うとなると山手線駅は1億超えてくる。普通の会社員にはまず買えない。ペアローンで夫婦で定年まで働く前提なら子供を私立に通わせて旅行なし贅沢なしならまだギリ買える、かな?これができる人はたぶん価値の落ちないマンションを買える。
ただこれができない人はキツい。
山手線の外側や隣県で駅徒歩10分以内の3LDKは7千万円~ぐらい。20年後に売るとしたら平均して6千万~ぐらい?賃貸よりお得と思うけど、次に住むところを買うためにまた頭金が必要になるので、売却益とは別にお金を貯めておかないといけない。30代だった自分は50代になりローンもきつくなる。
子供が自立してるから夫婦二人で2LDKで少し安い物件をと思っても、買い換え論の前提として「マンションの価値は上がり続ける」ので次に2LDKを買うときはいまの3LDKの値段になってる。もしそうなってなかったら売却額が下がってる。
じゃぁどうするのと言われれば、今より不便な立地でグレードの落ちる少し狭い物件に住むことになる。
そもそも論として分譲信仰が生まれたのは湾岸のタワマンだと思ってる。初期に買った人は5000万で買ったマンションが10年後に7000万で売れるような状態だった。1軒目を買う元手さえあれば引っ越しするたびにお金が増えいった。
加えて共働きが増えて職住近接や戸建ての煩わしいメンテナンスが不要ということで都会のマンションがもてはやされていった。
ただその湾岸のタワマンも曲がり角にきていて、価格は1億超えるのに居室の形が歪だったり天井が凸凹で実際の広ほど開放感を感じられないような粗悪なものが増えてきている。
新築の販売価格が暴落するとは思わないが売却時に値上がりしてる、または同額で売れるようなマンションは限られる。
なのでこれからマンション買う人は次に住む家のことをよく考えてから決めることをおススメする。なんかネットでは「資産価値の落ちないマンションを買う」ということばかり語られてるけど、初期の湾岸とはゲームのルールが変わっているので鵜呑みにしないこと。
1億超える?超えないよ。超えるのはステータスゾーンだけ。そこから外れれば無理せず買える。急落はない。大事なのは「値上がり狙うぜ!」じゃなくて「下落しにくい」なんだよ。家賃のつもりでローンは払おう。
ちゃんと文章読んでます?山手線駅で3LDKで1億超えないところあれば教えて欲しいです。下層階北向中住戸60平米3LDKとかですか?
それに「価格が下がりにくい」マンションを買っても、「周辺の新築が値上がりするので住み替えられない」ということを書いてますよ。
追記2
「中古価格が下がらない」というのは「新築が上がり続ける」の前提がないとありえないですね。新築が下がったら中古も下がります。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/note.com/erukiti/n/n6eec3ad83ebb
↑のエントリがバズっていたけど、どう見ても高スペックサイボーグの話で、
ある種の人たちには絶望にしかならなさそうだったので、自分の話を書いてみようかなぁと思った。
文才も集中力もないので、少しずつ書いていくことになるけど許してね。
というか途中でやめるような気もする。
とりあえず現状でいうと、現在進行系でひきこもりおじさんですが、アプリ開発1本で食えています。
就職に失敗して引きこもったので、職歴はゼロです。引きこもり歴は15年ぐらい。アプリ開発は5年ぐらい。
アプリ開発者というと、1本でかいの当てて悠々自適という人が多い気がするけど、
多分自分にはそういう才能はなかったので、70本ぐらい個人でリリースしてたら、毎日1万円ぐらいは収入になっている感じ。
あと経歴とか書いたらいいのかな。
もし中の人がなんとなくわかっても黙っててね。
↓増田ツリーについてるリプライに自分が書いたものはないのでよろしく。
最近やっとインターフェースとか使い始めた あとシングルトン超便利
ゲームもツールもUnityで全部やってるんだけど、参考書も最初に「Unityの寺子屋」「Unityの教科書」を読んだぐらいで
何か勉強したいものがあったら、それの補助になるアプリを作るとか
まったく新しいアプリを作るときは「自分自身が使うか」「自分が持ってる技術でそのジャンル内で日本一のアプリが作れるか」ってことは一応考えるかな
あぁ自営業も職歴に入るのかな そこで無収入と誤解させたのならごめんね
別に誰でも俺と同じような努力ができるとか、誰でもやればアプリで稼げるなんて1mmも思ってないよ
みんな何かしら才能の凸凹あるもんでしょ 引きこもりならなおさら
とりあえずアイデアを出すとか(ヒキにありがちな)毎日コツコツ作業するみたいな才能はあったのかなと思う
一番メンタルが崩壊してた時期は1年間何もしなかったから、そういう環境があったのがラッキーだったことも自覚してる
ただ人の中で働けなくて絶望してる人が、自分みたいな稼ぎ方をしてる人もいるんだって知ってくれたら
少し楽になるのかなって思っただけだよ
遡れば中学校に入った頃から違和感を感じていた。周囲から浮く自分。周囲に溶け込めない自分。
自身は小学校の頃から何ら変わっていなかったので、そんな風になる理由がさっぱり分からなかった。だから、変わらず生活し続け、学校に通い、勉強していた。
結果、周囲に溶け込む事が出来ず、最終的にはいじめの対象となり、短期間の登校拒否を繰り返した。
それでも、頑是ない程の生真面目さがあった所為か、粛々と勉強をし成績はそれなりを維持し続けたので、先生や親の受けは良かった。だからこそ、学校に行けない自分を、特に母親は信じたくなかったようで、布団に包り学校に行きたくないと訴える自分を、布団ごと引き摺り出しヒステリックの怒鳴りつけた。
その後、高校・専門学校と進んだけれど、中身は中学校からの延長線上だった。自分で考え判断した事が報われる事は少なく、薄っすらと暗い日々だった。
就職氷河期真っ只中だった頃は、両親が始めた事業を手伝っていた。10年続けて、残ったのは1億近い借金だった(正確な金額は覚えていない。凡そその位の金額だった)
実質なんにもなくなり、絶望と辛さだけが蓄積し、やがてひきこもりになった。夜の間に出ない答えを延々探しては朝に寝入り、昼過ぎにカーテンから漏れ入ってくる光を感じては「なんで私はまだ生きているんだろう?」と思って絶望し、布団の中で小さく小さく丸くなっていた。この頃は、恐らく鬱病でもあったのだろうと思う。希死念慮と闘う日々だった。
そのひきこもりの先で、東日本大震災に見舞われた。自分は福島県の海側に住んでいた。色んな困難や混乱があった。それでも当日のその時間、幼稚園に迎えに行った姪を抱えて海の見える公道を走りながら、この子を助けなきゃならない、と多分思った。
いつもは判断に時間が掛かり過ぎるほどなのに、その時はすぐに姪を連れて海の傍から逃げた。逃げたのは、自分の為ではなかった。それでも、少なくとも判断自体は間違っていなかった。
上手く行く事のなかった人生で、錯覚でしかない「守らなきゃ」と言う気持ちが燃料になり、そこから数年、がむしゃらに生きた。
上手くいく事の方が少なかった。間違いばかり犯した。どうしようもなくなってパニックの果てに数少ない友達を切った。上手くいく事なんて殆どなかった。周りに迷惑ばかり掛けた。数年掛かってやっと決まった職場でも、泣きながら仕事を続けた。『ここで3年頑張ろう』と『キリの良い年齢まで頑張ろう』の二段構えの目標を立てて、只管頑張った。そして気付けば、自分も四十代になっていた。
この歳まで生きているとは思わなかった。そんな妙な感慨に浸りそうになった頃、その言葉を初めて目にする事になる。
それが『発達障害』だった。
元々鬱持ちの傾向が強かったので、それ関連のキーワードを検索窓に打ち込んでは調べる日々の中、偶々行き当たった言葉だった。
検索をしていると、事象が芋蔓式で繋がっていく。時折横道に逸れながらも、関連事項を追っていった。調べれば調べるほど、昔の自分と今の自分に当て嵌めていけばその分だけ、自分が発達障害である確率が高くなっていった。
結局自分は、心療内科に通い必要な検査を複数受けた。発達障害か否かの最終的な判断は未だ貰っていないけれど、数値の凸凹さ加減と、日々の環境・状況適応能力の極端な低さが事実を表している。
発達障害の疑いを持つ前から世間との乖離を感じていたし、だから自分なりに考えたり工夫したりして色んな事をこなそうとした。
それが無に帰していた理由を(全てが当て嵌まると思っていないにしろ)知った、その時の絶望と切なさを、多分自分は忘れないと思う。
もう少し早く知れていたなら、と思う。早く知れてどうなっていたかなんて分からないけれど、そう思わずにいられない。
誰も責められない。落としどころがない。自分が正しい事には絶対ならない。治らない。治せない。変わらない。変われない。
もうずっと、毎朝、自分自身に『大丈夫』『頑張れ』と言い聞かせている。『死ぬな』『生き抜こう』と言い聞かせては此処に引き留めている。
ドラマとかで見た「生きている事に疲れた」なんて言葉が、自分の中に生まれるだなんて夢にも思わなかった。
それでも、もう少し頑張って生きたいと思っている。
自分は本当は端から駄目なのかも知れない。それでも、お互い頑張っていこう、と思っている。
誰のためでもない。自分の為に頑張る事を頑張ろう。
乱文、言葉足らずご容赦のほど。