はてなキーワード: 例のアレとは
てか、おそらく君は3人の異なる人物を混同して「スカイリム君」と呼んでいるように見受けられる
まず、Spelunkyやレッドシーズプロファイル(すまんが知らない)の名前を出したのがA
彼はSkyrimを一通りプレイはしたけど、実はそこまで言うほど自由度ないんじゃないのと主張している
ただし例のあいつがSkyrimの話によく食いつくので便宜上そのまま話の種として使っている
で、彼よりもっとSkyrim好きな人が最低でも二名(B、C)いて、例のアレとやり合うかたわらAとも論争になっている
インディーズゲーを否定したため大作厨呼ばわりされたのはC。一人だけ喧嘩腰だったから覚えてたけどたぶん数発言しただけですぐいなくなっている
他にも俺含めて複数の人がバラバラに参加してると思うが、A~Cほどには特徴が見えないので正直区別がつかない
なお俺は「あ、こいつ一年前にもいた奴なんですよ」「パックマンにもあてはまるのかよ!」みたいな合いの手を入れてるくらいであんまりまじめに議論してないです
という感じの演出とかそういう流れ
もう何万回と見たあの流れ
もうどこにだって出てくるあの流れ
なんだかんだでメイド服を着ることになるあの流れ
そもそもメイド服を着たキャラクターが一人はいるというあの用意周到さ
見えざるようで見え透いているあの魔の手
アメブロ界隈であの角度の自撮り写真をよく見かけるのと同じパターン
そういう流れに嫌気が差すようになって久しくなった
もう前振りを見るだけでしんどい
それにシャララーンとかキララーンとかいうエフェクトとか効果音を載せる
そしてこう言わせる
「えへへ」とか
「こんな格好はじめて」とか
「恥ずかしいよ」とか
「ジロジロ見ないでよ」とか
「どうせ似合わないし」とか
「どう? 似合ってる?」とか
「どっちが可愛い?」とか
「おかえりなさいませわんわん」とか
そういうことを言わせる
時としてグルグル回らせたりもする
異様に盛り上がったり照れたりというあのリアクションが続く
男キャラだろうと女キャラだろうと、大体あのリアクションをさせられる
そういう流れに飽きを感じるようになった
外見は女に見えるけど実際は男という設定の例のアレに女装させる、もう一つの定番
例のアレが女装したほうが、どんな女子より可愛いということになるというパターンや
女装した例のアレに対して周りの男たちが「お前が一番可愛い」みたいなセリフやモノローグをぶつけるパターンや
ぶつけられたセリフに対して例のアレが「やめろよ」とか「いいかげんにしろ」とか「俺は男だー」とか返すあのパターンや
さらに、それに対して「可愛い可愛い」と畳み掛けるパターンなんかがダメになった
他にもいろいろと思うところはあるけど
そういうのがダメになってきたと言った時に
なにより、こんな直截な嫌味しか垂れ流せない分はもうダメなんだ
そう思った
朝起きる→twitterを辿る→ニコニコ動画のアニメ・ゲームのランキング→やらおん→さまざまなめりっと→はてブトップ→オワタあんてな→はてブアニメとゲーム→はてブおもしろ→はてブエンタメ→はてブ暮らし→お気に入りのブログチェック→tumblr→zozotown→録画したアニメ消化→録画したテレビ消化→例のアレ→映画or読書or創作orニコ生→一日終了。
2chはスマホの2chmateで布団やトイレでチェックするくらい。一日の大半はもっぱらはてなに出没しています.
引きこもると集中力がなくなると言われますが、私ははてブで文字をよく読んでいるおかげか集中力が上がりました。一日中、映画も読書もできるようになりました。
対応ねぇ。もしかして、「お客様は神様です」という例のアレを本気で信じ込んでいるのかな?(ちなみにアレは間違いなんだけどね。言い出した本人自らが否定しているのは有名な話)
まーた過大解釈か。いっつも極論に走って否定するよな。
乙武のツイートを見ている限りには、ぞんざいに扱われたことに腹がたったんだろ。普通に「人手が足りなくてサポート出来ません。すみません」といえば済む話だったろ。乙武も無理やり、お店の人に手を貸してもらい、2階まで誘導し、店のスペースを開けてくれなんて思ってないだろ。
たった、一言。態度で不備を詫びればよかった話だ。こんなもん店側の負担でも何でもない。客商売してたら常識だろ。お前みたいに極端に考える奴がいるから「お客様は神様です」思考が抜けねーんだよ
コミュニケーションにおいてワイが悩み抜いた現時点の搾り粕。
練度向上の為にここに晒します。特に新年度から大学生になる君たちへ
思っています。
【人間関係の発展段階】
※ただし友人による紹介とかは想定してません。あくまで一人での関係構築が前提です
交流無し
↓
顔見知り(事前情報:第一印象。顔、体型、服装、声)
↓
交流無し。ただし双方的。
認識しているに違いない)
ノンバーバル、他人の壁
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
バーバル、知人の壁
↓
↓
知人関係(互いの表層的な情報や一時的利害を共有。ある程度のキャラの認識。)
【でも知人は割と容易に生活圏から消えてゆき、そのとき心の痛みがそんなにありません】
生活圏外
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
生活圏内
↓
友人関係(定期的な付き合いがある。生活圏に組み込まれている感覚。キャラの確定。)
↓
オリメン関係(恒常的な付き合いがある。キャラを超えた相互理解がある程度確立している。)
※オリジナルメンバーの略
↓
親友(相互に本質を理解し合い、人生において互いにかけがえのない関係が構築されている。
この段階に一度到達すれば必ずしも恒常的な付き合いを必要としない。)
↓
異性なら、互いに尊敬ある極めて睦まじい夫婦関係(参考されたし:旦那が何を言っているのかわからない件)
同性なら、、、わからない、、、そんな友人はワイにはおらへん・・
■メモ■
例:【知人】⇒⇒⇒【恋人】
でも、たとえ引かれたとしても、挨拶ってすべきだよなとは思います。
逆に、なんで引くの??って思うわぁ・・・でも居るよね引く人。
しかし上記を認識して新しい友人関係構築に望めば、より「自然」かなと考える次第です。
3.一言も会話していなくても、コミュニケーションは始まっている
互いに認識して、第一印象のみについて互いに感想が生じているわけです。
この時点で広義にはもう他人では無いと思います。バーバルな会話に入る前に
このように自分の第一印象を【時に意図的に】認識してもらうことは大事でしょう。
ただしオリメンはその枠組みが一旦外されると以外と脆く瓦解。
6.一生涯の友人は万人の知人に匹敵する。
性格の噛み合いや社会的位置、運により得られるはず、としか。。
【おまけ】
最近気づいたこと
全く知らない人がゼロ距離にいるっているのは
根源的な恐怖にさえなり得る。
(あたりまえと思われるかも知れないが、確認して欲しいです)
⇒系1:
親しい間柄になればなるほど距離は縮まる。
(例外:心の重ね合わせが伴わないセックス)
⇒系2:
行列に並んでいる隣の人や席が隣の人、混雑した会場で比較的気軽に話しかけられるのは、
”やむを得ない””当人の意図が伴わない”妥当な理由で、対人距離が物理的に近づくから。
とある書店でGJ部全巻(当時)が平置きされた棚に「ラノベに不要なもの、それはストーリーでした」なる手書きPOPが垂れ下がっていたのを見かけたのはもう何年も前のことで、この世にはそんなふうにまだアニメにすらなっていないガガガの売れもしない怪作のために棚の上段を使い潰す書店というものが存在する。近年では「書店員が本当に売りたかった本」なんて惹句がなにかqualifiedとconscientiousの合成語のようにして使われているけれど、いくら書店員が書物に通じているとはいえ現実問題としてかれらの大部分は時給で贖われる単純労働者であり、その無資格の書店員にキュレーターとしての資質まで期待する人間のほうがそもそも恥知らずなのであって、現実の書店員はガガガ文庫で、それもガガガ文庫のなかでも売れてないほうの作品で棚を使い潰しもすれば、そこに面白くもない手書きPOPを貼り散らして俺の心の甘皮をささくれさせもする。そんなに手書きPOPが嫌ならAmazonで買えばいいじゃない、という意見は確かに正論ではあるのだろうけれども、どうなんだろう、それはあくまで消費者側に向けた意見であるはずで、それを書店員たちが「人間がいなくちゃ本屋じゃないですから」なんて言いながら「書店員の顔が見える本屋」を構築し始めるのはどこか歪んでいるというか、個人的にはそういう手書き看板みたいのはラーメン屋に任せておけばいいと思う。話が逸れた。
GJ部原作の1巻が刊行されたときのキャッチコピーは「史上初、四コマ小説!」といったものだったと記憶している。GJ部の原作小説というのはひとつ数頁の独立した掌編が何の脈絡もなくただ三十も四十も寄せ集まって一冊の本になっており、ストーリーに類するものはまったく排除されていて、なるほど「四コマ小説」とは上手いことを言ったものだと思う。主人公的ポジションのキョロ君は「GJ部の部室の前を通りがかったところ突然袋詰めにされ拉致されて強制的に入部させられた」ことが節々でほのめかされるが、その具体的な様子については一向に語られる様子がないし、こないだアニメにも出てきた緑髪の後輩にしてもアニメ6話の時点では影も形もなかったのが7話の冒頭では既に部の一員になっていて、彼女もまた袋詰めで拉致されたということだがやはりその場面なり様子なりが具体的に描写されることはない。GJ部は万事その調子で、はじめは戸惑ったものの、やがて「これは実はよく考えられたシステムなのかもしれない」と思うようになった。
GJ部が面白いか、と問われれば首を傾げざるを得ない。すくなくとも原作には心動かされるようなものはなにもないし、作者の新木伸ならではの詩情や美意識といったものも感ぜられない。たとえばGJ部には紫音さんという紫髪の先輩がいて、彼女は完全記憶力を持つチェスの天才で喋りも衒学的という設定だが、その「衒学的な喋り」がなんというか、よくある「頭の悪い中学生が一生懸命考えた頭のいいキャラの喋り」という例のアレそのものであり、結果として紫音さんの喋りというのは口を開けばテレビやネットの受け売りを垂れ流す残念な女性のそれのようで、見ているとどうしても生暖かい失笑を浮かべてしまう。ポテチの重量の何十%は油だが油は美味しいからね、味覚というものは人間が常に飢餓にさいなまれていた頃から進歩していないものなんだよ、とかなんとか。作家の仕事というものはこんな愚にもつかないトリビアを並べて枚数を稼ぐことではないはずだ、と柄にもなく文学論をぶちたくなりもするというものだが、たとえばこれを杉井光に書かせればこうなる。
「ここで一晩膝抱いてればお父さんの気持ちがわかるとか、そんな馬鹿なことでも言い出すつもり?」
けれど探偵はそれには答えなかった。かわりに、問いを返す。
――「神様のメモ帳7」
薀蓄のお手本として壁に貼っておきたいくらいの素晴らしいフレーズだが、しかしこのレベルのクオリティで作品を量産しつづけるのは普通の作家には不可能であるし、たとえその離れ業が杉井光という超人には可能だったとしても、その属人的才気は模倣も複製も不可能で、だから杉井光という才能それ自体が神様のメモ帳という作品の限界になってしまうし、結果としてアニメ化は無残に失敗する。杉井光の詩情をアニメに翻訳することがそもそも困難だから。映像化不可能、という言葉はなにも特撮の困難さばかりを指すのではない。
唐突に杉井光を引用したのは、GJ部の原作者である新木伸はかつて若き日の杉井光を指導していたことがある、というよく知られたエピソードからの連想であるが、しかしよりにもよって新木伸と杉井光とは、つくづく扇情的な組み合わせだと思う。杉井光は業界レベルで見ても期待の星であり、対して新木伸は今となっては完全に過去の人で、書くものも時代に合っていない云々以前にそもそも単純に質が低い、という印象だったが、しかしGJ部のアニメ化はとても上手く回っているように見える。GJ部の原作からはスケールしない要素が注意深く排除されており、新木伸にしか書けないような描写はけして登場しないから、容易に原作を脚本に翻案できるし、違和感なくオリジナル要素を追加できる。ストーリーが存在しないから原作破壊の心配もなく、忙しいアクションや息詰まる心理劇もないから演出も難しくない。それはサザエさんやドラえもんのアニメが到達した地平に似るが、しかし教育的正しさの美名のもとに去勢されたドラえもんや長谷川町子の遺産を絞りつくした出し殻としてのサザエさんとは違い、GJ部はそもそもはじめから記号のみを志向していたという点で特異である。それがああして幸福にアニメ化されているのだから、作家としては疑問符の新木伸も原案者としては悪くなかったということなのだろうし、その意味では神様のメモ帳アニメ化失敗の原因の一端はある意味で杉井光に求められるといえるのかもしれない。結局神様のメモ帳のアニメはまったく話題にもならず、ヒロインのアリスが「神メモちゃん」として一部で消費された程度であったが、その消費のされ方が「喋るときは○○めも、と謎語尾で喋る。風呂に入ってないので臭い」というまったく原作と無関係の記号を与えられた上できわめて記号的に消費されたのは、考えようによっては皮肉ともいえる。
しかし人生は続く。平野耕太はアニメHELLSINGの最終回を見て「前座にしてやる」とのたまったそうだ。新木伸の物語が「杉井光は電撃文庫でデビューを果たし、新木伸はその後鳴かず飛ばずのまま引退しました」では終わらなかったように、杉井光もまたここで終わりではない。次の杉井光原作アニメがGJ部とは別の方向で大成功することを期待しつつ筆を置く。
例のアレに1500ブクマつくわ、大手ニュースサイトが取り上げるわ…普段さんざん中韓の連中の民度をあざ笑ってる日本のネット民もたいそうなもんだなァ、オイ。
俺ぁ民度高くないからな、今回の騒動はたいへん遺憾に思ってるぜ。この騒動がTS抜きにさえ波及したらなぁと思うとな。俺自身の利益のために言うぜ、あんな手法が広まったら、お上がしゃしゃりでてくる可能性が上がっちまう。こっそり合法です!を多少苦しい言い訳としてやってたことに、盛大に大義名分付けてくれたからなぁ。
制度がクソだのTV局は氏ねだの有料放送高杉だの言ってる連中は、テレビ局が全滅したら満足なのか?そんなイカれた世界でもおまえのために映画やアニメや音楽をつくって届けてくれる女神様がいればいいな!
意味のない人というのは、若さがない身寄りがない就労できないの三拍子揃っている人。
●若さがない:援助しても将来性が薄いか無い。歳を取れば取るほど、自立の可能性も少なくなる。生活保護に安住して腐っていく人間を無くすためにも、30歳以上の生活保護受給者は、1年受給しても生活保護のままだったら、強制収容所に送られる要件を一つ満たすことにする。
●身寄りがない:そもそも生活保護を受給できるということは、親類も家族も身銭を切ってまで養いたくないということでもある。野たれ死のうが仕方ないものとして扱われているのだ。本来養う義務がある者が「養う必要がない」と敢えて判断した人間を、我々が再び養う必要があるのだろうか?生活保護受給の時点で既に社会に必要とされていない証明なのだ。これは強制収容所に送られる要件を一つ満たす。但し、未成年の子供を抱えている生活保護受給者の場合は除く。
●就労できない:自立自活ができず、延々と援助を受け続けることが予定されている。往々にして、社会から排除した方が社会が幸福になり生産性もあがる場合が多い。しかし排除された人間を養い続けるのも社会の負担であり、還元性もない。強制収容所に送った方が社会の役に立つ処理方法だろう。
以上の3要件を全部満たす生活保護受給者は、強制収容所に送られるべきだ。強制収容所とは、皆さんご存知の例のアレ。労働の出来ない人間でも、人体実験などに役立つだろう。生活保護受給を社会の屑だ穀潰しだと叩く人達も、これなら社会の役に立つし許容できると思えるのではないか。
あれらのブログは今時のゲームの楽しみ方に取り残された人たちのための最後のよりどころみたいなものだからな。身を乗り出して楽しむよりも、上っ面の批判して小馬鹿にしてる方が楽だし。
匿名だから書くが、俺も去年やっとPS3買った手合いなんだけど、本音を言えばかなり後悔してる。特にデモンズソウルが旬なタイミングを逃した喪失感が半端無い。むしろそのままPS3買わない方が何も知らずに幸せだったんじゃないかとすら思ってるし、今も知らずに薄っぺらいゲーム批評してる奴らがうらやましくて仕方がない。7割皮肉だけど、3割本気で。
「やべえマジおもしれえ!」と今頃つぶやいても、あれを発売から3年も経ってから初プレイしてる人間なんて殆ど見かけないわけでさ。全く同じ状況で共感しあえる人がいない。
そりゃ当時やり込んだ人たちは好意的な反応してくれるけど、部活でいえば「ああ、一年の時の恒例のアレはきつかったよなあ」的な先輩みたいな感じでさ、今同じ苦労をしている同輩はもういないんだよね。
その頃の俺はというと、まさにそのブログで振りまかれてる無数のゴミ記事に毒されてて、「互換復活させて2万切ったら買ってもいいけど、でもソフト無いしなあ(笑)」とか言ってたわけ。その頃発売されたソフトに今頃になって手を出して、「あのときやっときゃ良かった」と現在絶賛後悔中。どこに出しても恥ずかしい正真正銘の馬鹿そのもの。
今でこそPS3関連のコミュニティとかクラスタに何食わぬ顔してクビ突っ込んでるけど、メタルギアソリッド4とか龍が如くとかアンチャーテッドとか過去作品を懐かしむ流れになった時のいたたまれなさとか。仮病で修学旅行や体育祭をサボっておいて、10年後の同窓会でそのときの思い出話で会話からはじき出されるような死にたさ。
しかも普段から「俺ちょっとゲームにはうるさいよ?」的なキャラを作ってるせいで新参の振りする事も出来ず。完全に自業自得。馬鹿の極み。もう自分でも何書いてるのか分からなくなってきた。寝るわ。
うっす。
http://anond.hatelabo.jp/20100210073719
http://anond.hatelabo.jp/20101008170501
と、アドビ系ソフト不正コピー疑惑の内部告発のてんまつを記した増田だ。
今回は皆に、その後の報告をしたいので、記事を書く事にした。
あれからずいぶんと時間が空いたけど、先月ごろにふと、ケータイメールが来た。
身内以外からのメールが来た時の着メロが鳴ったので、ふと何事!?と身構えたけど、メールアドレスに
BSAの字が含まれてたので、『ああ、例のアレね』と納得した。
ちなみに、グーグル検索でひっかからないように、文面の表現は微妙に変えてある。そこは察してくれ。
××様
先日はBSAへの情報提供、まことにありがとうございます。
先の件ですが、(株)●●社とBSA会員企業間におきまして、和解契約の締結が
なお、ご希望の場合は、僅かではありますが謝礼を用意させていただきますので
こちらのメールアドレスにお振込先の銀行口座・名義などをご連絡いただければ幸いです。
また、BSAでは啓発活動を兼ねて、ノベルティグッズの配布も行なっておりますが
こちらの受領をご希望の場合は、その旨・ならびにご住所もお知らせ下さい。
ということだ。
謝礼額は、3万円だった。
多いか少ないかは判断が割れるところだけど、自分としてはべつに、報酬狙いで告発をしたわけでもないので。
あと、ノベルティだけど、BSAのロゴが入ったキーホルダー&名刺入れ(アルミ製)だった。
どうでもいい事だけど、さすがにこういうのは、人前じゃ使えないぞ、BSA…。
最後になりましたが、長々と続いた話も、これで本当にお終いです。
読んでくれたみんな、ありがとう!
《追記》
http://anond.hatelabo.jp/20110823150638
こういった形で、あとに続いてくれる人が居るのは心強いです。
いざとなればOpenOffice.org(あ、いまはLibre Officeか)などがあるんだし、MSオフィスを買うのが惜しいならそれを使うように
上司に勧めるのも、不正コピーをやめさせる一つの方法かもしれないので。
《2015.Apr.14th》
さて、このタイミングで告白させていただいてよろしいでしょうかね。この『増田』も、id:guldeen でございました。