はてなキーワード: 乗客とは
電車に乗ってたら、隣りに座ってる二人組の若い男がヒソヒソ話をしながら笑い声を上げていた。
どうやら二人は酒に酔っているようで、テンションが高かった。
最初は気を止めなかったが、やがて気づいた。
二人は正面に座っている女性を指して笑っていた。
「マジやばくねw」「面白すぎだろw」
酒に酔っているため、自分らでは周りにバレていないと思っているようだが、乗客は皆二人の会話に気づいていた感じだった。
でも、どうすることもできなかった。
酒に酔った怖い金髪の若い男性二人組に声を上げるのは勇気がいる。
誰か他の乗客言ってよ、と思ったが皆同じ気持ちだったかもしれない。
過ぎ去るのを待とう。
なにもできなかった。
>>書き込みが相次いだのは10日。前日には東海道新幹線の車内で乗客3人が刺傷される事件があり、
>>この掲示板で他の利用者を「低能」などと頻繁に中傷していた松本容疑者とみられる人物を皮肉って
>>他の利用者が名付けた「低能先生」を犯人視する書き込みが複数寄せられていた。
https://mainichi.jp/articles/20180628/k00/00m/040/191000c?inb=ys
>>10日の書き込みは、それらに呼応した可能性もあり「なんで低能先生が殺人事件起こした扱いされてんの
>>一日中ネット漬けだった先生がネット弁慶脱出するとか言ったとして男性一人殺せるとは思えないんだけど」
>>「低能先生はネット弁慶の象徴」などと揶揄する内容だった。
https://mainichi.jp/articles/20180701/k00/00m/040/093000c?inb=ys
研修医2年目の女です。当直明けのぼんやりした頭で書いています
このエントリーは決して女性の社会進出を批判するわけでもなく、ミソジニーでもなく、ただ生殖機能の構造をもとに考えた場合この問題はどうにもならないと思って、私が吐き出したかった内容です。不快に思う女性がいたらごめんなさい。
私は今研修2年目で2週間から1ヶ月ペースで診療科をローテーションしています。研修中「うちに入局しない?」と声をかけていただくことがあります。
「うちの科は女性が多いし、女医さんに優しい環境だよ。○○先生も××先生もお子さんがいても働いているし医局としても女医さんを応援しているからね。」
研修中に大体そうした内容でお誘いをかけてくれるのはマイナー科です。言わずと知れた皮膚科、眼科、耳鼻科に加えて直接患者を持たない「病麻放」、内科系ならアレルギー、リウマチ、糖尿病。大体そんな感じ。
医者の仕事量が半端ではありません。わんさと来る外来患者と検査・治療で入ってきた入院患者を診なくちゃいけない。問診取って診察してCT撮って内視鏡入れて薬をオーダーして生検してオペしてetc…どの科もやらなくちゃいけないことがひっきりなしにやってくる。特に大学病院や地域基幹病院は毎日毎日忙しくて、現場は随分疲弊しています。
急変がある科なら尚更です。オンコールで呼び出されることもあれば月10日以上病院に寝泊まりする先生もいらっしゃいます。小児科や産科のような昼夜区別なく患者が来院する科や循環器や脳外など命に直結するような、しかも手術にあたって精緻な手技が要求される科はそうした傾向が強いです。
しかしそんな内情を医師が公に嘆くことは許されません。「命を扱う仕事だから当然だ」「高給取なんだから当たり前だ」と社会の風当たりは強く、まるで私たちがスーパーマンであるかのように、あるいは給料泥棒のように糾弾されるのです。働き方改革法案が可決されましたが、医師は専門職(高度プロフェッショナル職業)だから適応されることはなさそうだよと言った同僚の声の冷たさは忘れられません。多くの乗客を乗せて飛ばすパイロットは私たちと同じように「命を扱う仕事」ですが、福利厚生はパイロットの方がずっとしっかりしています。
私は誰かを治したいとか苦しんでいる誰かの痛みを和らげたいとかそうした優しい気持ちで医学の門を叩きました。
しかし年齢を重ねていくにつれて、私は気づいてしまったのです。この医療という現場は私たち手を差し伸べる側をいつか圧殺するであろうことに。
アドヒアランスが悪い患者さんがいる、患者から叱責される、運悪く死亡してしまった時訴訟問題になるケースがある、昼夜区別なく呼び出される、患者のことだけを考えなければ。
いつからか医者のライフステージも真剣に考えるようになりました。
高校卒業後現役入学してストレートで卒業できて24才です。研修医が2年ありますから、その段階で26才。研修医終えたら希望の診療科に入局です。ここでやっと自分の専門を決められるわけです。そこで何年か修行して専門医取って一人前というのが医者の大まかな流れです。あとは大学に残るも自由、基幹病院行くのも自由、開業するのも自由です。最近は皆さん医学部卒業後に研修医を2年やることは割とご存知かなと思いますが専門医って何?って人が多いかと思います。まぁ箔付けみたいなものでみんな持ってるから持たなきゃねみたいなものです。しかしこの専門医を取るのが厄介なんです。加えて専門医制度は今年大きく刷新され、中でも内科専門医の変更については議論を呼びました。
この専門医取得については各診療科ごとに決められた常勤年数があります。
今までは1年の研修で内科認定医を取得、その後4年で各サブスペシャリティ(循環器・呼吸器・消化器etc)の専門医資格を得られました。しかし、新制度では初期研修終了後3年の研修で内科専門医を取得し、さらに研修を積んでサブスペシャリティの専門医取得となります。今までは1年でよかった内科認定医を取るためのローテーション研修が2年伸びました。
これがどういうことか分かりますか?今までは26で研修医終わって27で内科認定医、これでいよいよ循環器内科で頑張るぞ!だったのが、29で循環器内科だ頑張るぞ!になったんですよ。このサブスぺシャリティという真のスタートラインが29才になったのが新専門医制度。18才で医学部に入って真のスタートが29才って。
妊孕性が年々低下していくことなんて世間でも認知されていて、国家試験でDown症は高齢出産ほど起きやすいなんて選択肢まで出すのに私たちはいつ妊娠すればいいの?29で真のスタートラインに立った、けれど子供産んでから復帰するのであと3年は待ってくださいになるのでしょうか、それとも研修医終わりました、26で子供産んで落ちついてからから内科認定医取ります、みたいな流れなんですか。
「命を扱う仕事だから当然だ」「子供産みたいなら医者になんかなるな」
世間様はそう言う声が多数派なのかな。しかし私だって結婚したいし子供が欲しいし人間的な生活を送りたい。
あぁ、私みたいなのが医者になったのが間違いだった。知らない誰かを最優先できる人、自分の、女の、幸せ全て投げうてるような人が「女医」として許される人間なんだと自責する日もあります。でももう私も26だから。辞めて今更人生やり直せないの。ごめんなさい。
「小児科の○○先生さ、終業と同時に走って帰っていくの。そうしないと保育園にいる子供のお迎えに間に合わないから。旦那さんも産婦人科だからさお迎えは○○先生なんだって。…ああはなりたくないよね」
同期はこんなことを言っていた。小児科の○○先生みたいになりたいって女性学生はいるのかな、私の周りにはほどほど働いて後は子育てしたいって人が多かったです。
じゃあ何科に進もう。
そうです、マイナー科です。言わずと知れた皮膚科、眼科、耳鼻科に加えて直接患者を持たない「病麻放」。
「うちの科は女性が多いし、女医さんに優しい環境だよ。○○先生も××先生もお子さんがいても働いているし医局としても女医さんを応援しているからね。」
こうした声をかけてくれるマイナー科に行こうと思いました。マイナー科は大体5年で専門医取れるし、急変も少ない。患者も少ない。もしくはない。
最高の仕事場だと思いました。ここに骨をうずめようと。
しかし女医の復帰を支えるマイナー科同期男性医師の気持ちになって考えるとこれまた嫌な話なのです。女医が産休に入った分、自分の業務は増え所詮人の子のために尻ぬぐいをしなくてはなりませんから。子供を産もうとする女医は結局どこまで行っても腫物なのです。最近は女医の復職支援も行っていますといった講演や広告も見ますが、「命を扱う仕事なのに途中で離職したり産後フルタイムで働けないならそもそも中途の女医じゃなくて最初から男医採っとけばいいじゃん」という反論にはぐうの音も出ません。
昨年度の私の卒業した大学の入試面接では「最近女医が増えてきていますがそのことについてあなたはどう思いますか?」という質問があったそうです。
…なんて答えればいいのか私には分かりません。
ここまでつらつら書いてきて結局何が言いたいのかというと「医者という仕事が壊滅的に女性のライフステージに合っていない。」これに尽きます
H24年度の調査で医師全体に占める女医の比率が19.7%、医学部入学者に占める女性の割合は33%を超えていて今後も増加が見込まれています。相対的に医学部の男子学生減り、将来的に男性医師も減っていくでしょう。しかし女性医師の多くは妊娠出産で途中で離職します。加えて女性医師は出産・育児を考えた場合、以上のようなマイナー科を積極的に専門に選んでいくでしょう。内科・外科・産婦小児・救急に長く従事する医師は結果として少なくなり、マイナー科はマイナー科でブランクがある女医を少ないベテラン男性医師が支えていく構図が目に浮かびます。
同じ女性の私が、もう医師になってしまった私が、こうしたことを言ってもブーメランにしかならないことくらい分かっています。
しかしただでさえ肉体的にも精神的にもキツイこの仕事を、肉体的に男性に勝っているとは言えない女性が、子供を産める性である女性が、この職業に就くことは誰にとっても不幸なのではないか。そんなやりきれない思いを吐き出したく利用しました。
「医療崩壊」、それは一体何を指すのか。
医療崩壊(いりょうほうかい)とは、「医療安全に対する過度な社会的要求や医療費抑制政策などを背景とした、医師の士気の低下、病院経営の悪化などにより、安定的・継続的な医療提供体制が成り立たなくなる」という論法で展開される俗語(wikipedia)…だそうです。
高齢化が進みますます高齢者は病院にやってくる、医学部は増員したのに「何故か」増えない医師、疲弊する数少ない医者。
医療崩壊はすぐそこまで来ているのだと思います。この危機を救えるのは、働き方改革より何より「医学部の男子学生増員」だと思っています。
私も男に生まれたら、人を治したいという気持ちで突っ走れたのかな。
研修医が終わったら、私は今お付き合いしている人と結婚してマイナー科に入局します。きっと私は後ろ指を指される要領のいい女医になるのでしょう。
ないんだろ。データに意義があるなら取り直せ。
「でも」とその前がつながってない。順接になってない。
痴漢は「迷惑行為」ではなく、女性の人格を否定する「犯罪」です。
なぜこんな重篤な人権侵害に、かくも無神経な男性がいるのでしょう。
強制わいせつの認知件数は、2012年に7263件。毎朝の痴漢が日本中で20件しかないわけがないですよね?
両手を挙げた状態にして、疑いをかけられないようにする男性がたくさんいるのも事実で、
hagex氏の件。色んな方向で再発防止策が語られていて、正直すごいモヤモヤする。
私たちの社会では、原理的に通り魔の発生を完全に抑止することなんてできない。
私が台所に立って包丁を使って料理するとき、そのまま外に飛び出して道行く人を斬りつけることは「物理的には」可能である。私も含めて普通の人はそんなことやらないというだけだ。
包丁を使うのに個人情報を登録させたり免許制にしたり包丁を使う度に複雑な認証をクリアしなきゃいけなくしたとして、そんな社会誰も住みたくないでしょ。
そういうガッチガチの事前規制をして実行のハードル上げたってやるやつはやるんだから、通り魔を減らすことはできても完全にゼロになんてできないわけで。
だから、電話番号認証導入しようぜとか、そういう議論見てると、なんか、ちがうだろー、という気分になるんだよな。
私は、転生者だ。
はてなの片隅で失敗をしたので、アカウントを消して転生した。チキンの私には、気軽に逃げて再出発できるはてなのユルさがありがたかった。
そしてそのユルさは、捨て垢をいくつも作り住民に粘着し続けることのできるユルさとつながっている。
捨て垢で粘着がやりにくいウェブサービスは、同時に、なにか失敗したと思っても簡単に転生できない窮屈なサービスになるだろう。
それでいい、とモヒカンは言うのかもしれない。一貫したIDで一貫した内容を書き続けるウェブ論客たちは。
でも私にとって、それはちょっと窮屈にすぎる。
往々にして、犯罪を犯すことが物理的に可能な環境は、同時に、自由で開放的で(犯罪に遭わなければ)居心地のいい環境でもある。
新幹線で隣の乗客をナイフでめった刺しにできる環境は、手荷物検査などなく直前に駅に着いても悠々と乗車できる快適さの裏返しだし、
セミナー参加者じゃなくても入り込めるセミナー開催場所は、受付で個人情報を渡す心配がなく安心してセミナーに参加できる場所だし、
荒らしが簡単に書き込めるウェブサービスは、ちょっと尖った意見を持った異端者であっても排斥されない空間だし、
性犯罪の前科者が子供のいる家庭の近辺に住める社会は、罪を償った前科者が石を投げられずに暮らしていくことのできる社会だし、
学校で銃をぶっ放せる社会は、趣味で猟をする人たちにとってはきっと天国なのだろう。
もちろんすべては程度論だ。包丁を使う度に免許や認証が要る社会は狂っているが、銃の購入に身分証の提示も必要ない社会も同程度に狂っている。
極端に自由な社会と極端に安全が重視された社会、その両極端のあいだのどこかに合意すべき点はある。
しかし現状の私は、極端に安全が重視された社会では安心できない。自由もプライバシーも何もかもを「安全」のために捧げる気にはなれない。
そしてそのような自由な社会を望むなら、hagex氏のような事件を「事前に防ぐ」ことは諦めるべきだろうと思う。
重ねて言うが、hagex氏の事件が起きて当然というつもりは毛頭ない。彼に殺されなければならない理由なんてどこにもなかった。悪かったのは運だけだ。
運だけが悪かった。そんな死者の発生を、完全に防ぐなんて無理だろう。
完全に防ぐのは無理にしても、減らせるのではないか?
しかし減らしたところで、それによって我々の自由とプライバシーが損なわれるのなら、それは我々にとって安心して暮らせる社会なのだろうか?
犯罪者は「事後に」厳しく罰せられるべきだ。強く非難され、その行為の報いを受けるべきだ。
だが、「事前に」規制しようとするなら、それは無関係の者の自由をどこかで奪ってしまう。
現状、私がその利益を享受していることは否定しない。私がこれまでスクールシューティングの被害者にも危険運転の犠牲者にもならずに済んでいるのは、銃を所持する自由や車を運転する自由が制限されていることのおかげだ。
飛行機の搭乗手続きは煩雑きわまりないが、おかげで私はこれまで飛行機でテロに遭ったことはない。
しかし私はかわりに、好きなドリンクを気ままに飛行機に持ち込んで飲む自由を放棄している。いちいちカバンの中身を空港職員にX線で見られている。
飛行機なんて、せいぜい年に数回しか使わない乗り物だ。だからこの程度の自由やプライバシーの侵害だったら、私は安全の方を優先する。
でも、日常生活の中で、こんな自由の欠如やプライバシーのなさに耐えられるのか。私には無理だ。
ああした通り魔事件が起きてしまうこと自体は、言い方は悪いが、自由な社会の代価なのだろうと思う。
だから仕方ない、とは言わない。殺されて当然、なんて思わない。殺人なんて、しちゃいけない。
だけど、それを理由に、犯罪をすることができる環境を制約しようとすることにも賛同できない。
私たちが自由な社会を望むなら、テロを毅然と批判しつつ、テロを「やろうと思えばできる」環境はそのままにしておくべきだ。
テロをする自由。人を殺す自由。それらが法的な意味で「自由」なら北斗の拳だが、物理的な意味で「自由」でなくなるならディストピアだ。
事件発生と同時にいきなり車両全体がパニックに陥ったということを理解できてない。
男がいきなり隣の席の女性に大きな刃物を持って斬りつける。悲鳴が上がる、血も見えたろう。
そんな状況では冷静にものを考えたり他の乗客と相談したり示し合わして行動するような余裕なんかない。
「なにかやばい」という以上に詳細に状況を飲み込めた人がどれだけいたかも怪しい。
ハイジャック犯にたいして「そもそも逃げ場のない機内で・多少なり落ち着いたり他の乗客と話す時間がある状況で」乗客が団結して立ち向かったユナイテッド航空93便の事件などとは全くわけが違う。
教室を占領したテロリストをやっつける妄想をいくらしていようと役にはたたないし、護身の心得があったところで完全に不意を突かれた状況ではまず戦意が持てるかが怪しい。
格闘家であっても武器を持った相手に立ち向かうのは難しい、といった話もあるが、そういうふうに戦力を検討する以前の問題である。