はてなキーワード: ホッテントリとは
http://b.hatena.ne.jp/entry/azanaerunawano5to4.hatenablog.com/entry/2016/02/23/215847
http://b.hatena.ne.jp/entry/530000micro.hatenablog.com/entry/2016/02/24/225130
ここらへんを読んでて思ったんだが。互助会を批判する人達の論拠が気になる。どうも見ていると
2.かつ、中身の無い(あるいはデマを振りまくような)ブログの記事に
3.中身の無い、仲良しブコメを書き込むこと
の三点揃ったものを、ホッテントリに上がってきて邪魔だと言って批判する向きが強い。ただこの三点で判断するなら、批判派は「自分のブクマする記事・ブコメには客観的にも内容がある」って主張で自分のブクマを正当化していることになる。
互助会周りの記事がホッテントリに上がってきて鬱陶しいって気持ちはわかるんだけど、はてなをほとんど情報収集に使って、ブコメを書き残したりしない自分にとっては、
http://b.hatena.ne.jp/entry/gigazine.net/news/20160224-meditation-changes-brain-and-body/
この手の記事や「奇譚」の類がホッテントリ入りするのも同じくらい鬱陶しい。
こういうのをブクマしつつ互助会を批判する人達が、批判に説得力を持たせようとするなら「同一サイトのページを大量にブックマークするのは規約違反」のみを論拠にするべきじゃないかね。記事やコメントの内容の有無を持ち出すのは筋悪だと思う。今は互助会もあまり言い返してないけど、いつか「村民ネタも同じ」って主張で逆襲を始めたときに、この問題が有耶無耶にならないか心配。
どんだけ長文で根拠並べてるのかと思いきゃ、ただただ子どもを盾にしてるだけじゃねえか。
「あ―――子どもが見たら傷つくだろうなああああ―――傷ついちゃうだろうなあああ―――(チラッチラッ」
以外の何が書いてあるっていうんだ。腹が立つのはこっちだ。
何?「ネットでは見えないところできちんと愛情を受けているかもしれない」?
はっはっはっはっはっはっはっはっは
絵に描いたような共依存じゃねえか!ぶわあああああああああああああああああか!!
+100000000000000と-100000000000000でバランス取りました!ってか?アホか!!
ち○子(検索避け)が心を病んだらどうするんだ~とか
自殺したらどうするんだ~とか
ずいぶん想像力たくましいっつーかなんつーか、いちいち後ろに(チラッチラッ が付いてるようにしか見えない。
ついでに言うと少年Aに対する反応は全然“「更生した人間にリンチはいけない!」とか言う論調が主流”じゃなかったから。
控えめに言っても半々、さらにその中で細かい意見の相違があったから。俺もホッテントリくらいしか見てないけど、お前は何を見てたの?
あの技術を持ってる人がDMMでオリジナルエロを出してくれないだろうか
前に製作者の人がホッテントリはいってて制作秘話みたいなの見たけど、こっちの界隈にはまったく興味なさそうな感じで、残念だわ
これとかなんでホッテントリから消さないの?ねえなんでなんで?
最近ブクマするとき広告がタップする場所に出てくる仕様になって不便さを感じてるのは私だけでしょうか - 心がよろけそうなときに読むポンコツ日記
http://anond.hatelabo.jp/20160220095356
この記事が、世の中カテゴリで、トップ5位以内に継続して長時間は言っていたのに、
はてなトップの世の中カテゴリでは、全く掲載されなかったことが判明。
http://www.fastpic.jp/viewer.php?file=0210395393.jpg
3番目以内に継続して入っていたのに、はてなトップに全く掲載されなくて、
5番目になって、それ以上下がりそうだったので、画像をキャプチャしておいた。
http://www.fastpic.jp/viewer.php?file=7937225719.jpg
はてな上場前のメディア露出が怪しすぎが、全く世の中カテゴリに掲載されなかった。
それに、人気記事のカテゴリにも全く掲載されず、あとからホッテントリになった記事を
隠してたと言って批判してたわけよ。つまり、検索からのアクセスを拒否してたんだろ。
それで、はてなは、はてなトップという最もアクセスが行く場所に
この記事だけではなく、はてな側に都合の悪い記事は、はてなトップに載せないようにしている。
さて、価格とか他の複数のサイトには、はてブから叩いてきてるわけだが、
もちろん、はてなトップで情報操作しているんだから、はてなも同じように叩くよね。
しかし、こんな情報操作をしておいて、上場していいのか、はてなは。
http://anond.hatelabo.jp/20160220232638
↑
この記事が全くはてなトップに掲載されなかったけど、はてなは明らかにホッテントリ操作してるな。価格を批判できる資格なんかない。
「zions ニュースに取り上げられたのは保活であって、増田じゃない。当該ニュースにははてなのはの字も出てない。2016/02/20」
http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye2705801.html
これが、TBSのニュース23のソース。「はてな匿名ダイアリー」としっかりと表記してあるよな。よく見ろ。
増田が大手メディアの看板ニュース番組に名前をしっかり出て、特集されてるんだよ。
しかも、街で全文載せたのを聞きまわることまでしてるよな。
こういうことまでやってるから、大手メディアから放置されてきたはてなが、上場前に怪しすぎるよなってことで、
はてブでは、いきなり上場前にこんなことを、今まで大手メディアに放置されてきた他ITがやったら、
些細なことでも何でも突っかかってきてるだろ。
しかし、お前ソースはとか言ってるが、全くソースなしのデマ確定がはてなスターを集めるとは、
浮かれている中で、都合悪いことを言うけど
(消されるかな、これって?)
http://anond.hatelabo.jp/20160215171759
これが、TBSのニュースにも取り上げられて、NHKにも取り上げられている。
News Up “保活”への怒り その背景は NHKニュース
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160219/k10010415541000.html
http://b.hatena.ne.jp/entry/www3.nhk.or.jp/news/html/20160219/k10010415541000.html
はてブでは、他のサイトがここまでタイミングよく、大手メディアで注目され続けると、
怪しいとか、何か裏があるとか批判しているよね。
appbankとか、価格コムのことも言ってるが、その前にはニコニコも、アメブロも、
それで、上場前に大手メディアに露出しまくってるのは、このタイミングで
はてなキーワードでは、空ページにアフィリを貼りまくってるワードサラダとか
上場前のこのタイミングに、今まで、大手メディアから放置されてきた
はてながここまで露出するとは、どんなことしてるんだろうねぇ?
はてブのホッテントリなんか、内輪で影響力なんかないからって、
2chのこと言ってるのがいるけど、
確かに、2chでは2ch批判をしている2ちゃんねらは日常茶飯事で、
これが、はてなとは全く違うところ。
http://anond.hatelabo.jp/20160123051453
自分ところのはてなニュース配信が終わったこととか、何で問題にしないで、
自画自賛ばかりなのか。
(乱流発生の法則を発見:130年以上の未解決問題にブレークスルー)
はてぶに書きたかったけれど、スペースが足りないから増田に書きたいこと書く。
乱流-層流相転移がDPのユニバーサリティクラスに属することを(実験で)示したのは、すごい。
プレスリリースには数理モデルの話も書いてあった(論文ではsupplementary informationにあった)けど、
DPをベースにした数理モデルを作ったらそりゃDPの臨界指数が出るのは自然な気がする。
理論屋としての興味は、ナビエストークス方程式の数値計算でも乱流-層流相転移が観測されるとして、
流体力学とDPが関連づく可能性があるという点かな。
ナビエストークスを何かしらの操作で繰り込むとDPになるのか?
はてぶに「すごい」「いろいろ波及しそう」とか書いてる人、早合点しなさんな。
あなた方が想像している応用面よりもっとFundamentalなところで意味があるんですよ。
そもそもはてながブクマ数だけでなく、カテゴリごとの上位記事をホッテントリに表示するようになってから、スパム行為が酷くなったと思う。
具体的には「暮らし」⇒「学び」あたりか。
それとエンタメ。
カテゴリ対象のエントリが少なければ、それだけ新着には載るし、ホッテントリにはなりやすいし、で組織的にやっている奴らがいる。
確かカテゴリ変更は非表示ではできないので、履歴としては残るのだろうけど、いったんホッテントリ入りしてしまえば、カテゴリが換えられようがあまり関係ないようだ。
今は最後にカテゴリを変更した名前しか出てこないが、はてなは履歴として全部表示(もちろんどのカテゴリからどこに変えたか等も)して欲しい。
さもなくば、カテゴリスパムを繰り返すサイトは、運営でなければ変えられないようにすべき。
たかがライフハックネタでも「学び」と言い張るのはいいけど、毎回自動判定では「暮らし」になるテーマ扱ってるんだから、はなから諦めろよ…。
ゲーム好きが多そうなインターネット関連の仕事をしているが、社会人になってからは自分ではほとんどテレビゲームには触れていない。今となっては、子供たちがたまに遊んでいるのを眺める程度のものだ。
そんな俺だけど、最近、ひどいソシャゲ課金問題がニュースになったり、実況動画のユーチューバーに扇動されるキッズたちがそんなゲームにハマっていたり、息子の3DSを発狂して叩き割るヴァイオリニストがいたり、そういうニュースを見て大人が眉を顰めていたりするのを見て、そういうのはものづくりとしてなんか残念だなぁって思い、ふと思い立ってこれを書いている。
俺は本当は元々ゲームが大好きだった。どうしようもなく好きだった。たぶんここでマニアを名乗れるほどでは無いけれど、ファミコン世代ど真ん中で、小学生時代は任天堂に憧れ、ファミコンとディスクシステムに埋もれて育った。反抗期はメガドライブで道を踏み外し、幾多の良ゲークソゲーにまみれてサターンで遊んだ(結局スーファミもプレステも持ってたけど)。この世代によくいるエンジニアの例に漏れず、ゲーム好きをこじらせた結果、IT関連の仕事に進んだ。
社会人になってからは大好きなゲームで遊ぶ機会は徐々に減り、いつしかまったく触れることも無くなった。
興味が無かったわけじゃないけれど、ネットとWebとコミュニティ関連の仕事をしていたら、やたら忙しくて使える時間は限られたものになり、そのうち自分の家庭を持つようになり、結果として一見何も生産されない(ように感じる)ゲームにひとりで貴重な時間を費やすのは勿体無いと割りきって考えるようになったのだ。
仕事でもプライベートでも、どうせディスプレイに向かうのなら何か成果物を残せるか、実際に人との繋がりを作れる仕組みに力を入れようと考えるようになった。それはクラシックなホームページだったりECサイトだったり、ブログだったりSNSだったりしたのだけれど、いずれにしても「俺たちのインターネット」は今までと違う新しい世界を作るんだ、という気概のようなものを勝手に持っていたような気がする。つまり、ゲームを作る側でも無い普通の人間にとって、「ゲームで遊ぶ」という行為はクリエイティブな行動とは考えなかったのだと思う。
そのうち自分の子も大きくなり、人並みにDSやWiiで遊ぶようになった。
でも、うちの子たちがそこまでゲームに熱中しているほうでもなく、妻がゲーム嫌いなこともあって、それほど家庭の中でゲームが話題になることはなかった。俺自身もWiiを見たときに、すごいユーザフレンドリーで簡単に遊べて任天堂はすごいなーって思ったり、子供たちとちょっと遊んだスマブラが面白いなーと感じたりしたことはあったけれど、基本的には世代を超えてマリオに親しむ子供たちの姿を見て微笑ましく思ったり、良い物は良いねって言ってみたり、つまりは親として、第三者的な感想を述べるという以上に自分自身がのめり込むような体験が再来するようなことはなく、ああ、やっぱり自分が少年の頃感じたあの感動や興奮は、あの時期特有のものだったんだろうなあ、子供たちが今のゲームに同じように感じることはあったとしても、自分自身がもう一度あの感覚を体験することは無いんだろうなあ、などと悟ったようなことをちょっと寂しく勝手に考えていた。
我が家はそんな、ゲームにそれほど熱くなっていない一家なので、最新のゲーム機やゲームがすぐ家にやってくるというようなこともなく、WiiUも発売から3年経ってようやく我が家にやってきた。息子のクリスマスプレゼントということで、義母が買って送ってくれたのだ。正直随分とリッチなクリスマスプレゼントだと思う。
その半年ほど前、なんかイカがインクを塗るゲームが発売されて話題になっているということは知っていた。俺はホッテントリにそのゲームがしばしば上がるのを面白そうだなーと思いながら眺めていたし、息子もそれが欲しかったのだろうということはなんとなくわかった。
かくして、流行から半年ちょっと遅れて我が家にもWiiUとイカのゲームがやってきたのである。
すっかりゲームに興味が薄れてしまったおやじである俺は、息子が喜び勇んでイカのゲームで遊ぶのを温かい目で後で眺めていた。とても面白そうだった。
一台のWiiUでは基本的にはひとりずつしか遊べないので、パパにやらせろよと言うでもなく、オシャレでいいなこれ、っていう程度のことを思っていた。
その穏やかな認識が一変するのは、その一週間後の大晦日のことだった。
12月31日、仕事やら親戚の都合やらなんやらで予定が合わず、年越しは妻と子供たちだけが実家に帰り、俺はひとり寂しく自宅に帰って新年を迎えることになった。やり残した掃除を済ませて一息つき、ひとりで年末番組を見る気にもならずビールを飲んでだらだらしていたが、すぐ退屈になってしまった。そこで、なんとなく一週間前にやってきたWiiUの電源を入れ、自分のIDを登録して息子が遊んでいるイカのゲームをやってみたのだ。
ほうほうどれどれ、操作は複雑そうだが簡単に覚えられそうだ、とりあえずバトルに参加してみるか、しかしこれ音楽カッケーな、と……
かくしてイカを操作し始めた俺は、すぐにとんでもない衝撃を受けることになる。なんせ、俺はゲーム体験の歴史が軽く15年は飛んでいる老帰還兵なのだ。
操作に慣れるまでのタイムは僅か0.05秒にすぎない、とまではイカないが、少なくとも開始30秒後には俺はなんかすごいものに触っているぞという気になりはじめ、思った方向に画面が動き、自分が向いた方に画面が回り、目の前の画面に映るイカが自分と一体化した気分になり、それを気持ちいいと感じるまでに実に1分もかからなかった。大げさでなく、これはすごいことだ。ものすごいUIだ。
正直、まるでダイナモローラーで全力でぶん殴られたかのような衝撃を受けた。
なんだこれは。
気持ち良すぎる。楽しすぎる。
気が付くと、がむしゃらにわけもわからずインクを塗っているだけであっという間に1ゲーム終わっていた。
一体、なんなんだこれは……!!
3戦、4戦と繰り返しあっという間に30分くらい過ぎてしまった。
なんだか涙が出てきた。ていうか、恥ずかしいことにおっさんの俺はひとりでゲームをやりながらボロボロと涙が止まらなくなってしまった。
別に、大晦日にひとりでゲームをやっていたのが虚しくて涙が出てきたわけじゃなかった。自由に軽快に動くイカのキャラを見て、夢中で空間を走り回っていたら、子供の頃、家にやってきたファミコンで初めてスーパーマリオを動かしてまるで自分の思いのままにマリオが走ったときの感動や、自分のお年玉を貯めて買った発売されたてのメガドラで似非3Dのスペハリ2がぬるぬる動くところを見たときのことや、ゲーセンで「自分の思うままに3D対戦できるゲームが現実になるなんて!」とバーチャロンに100円玉を積んだ思い出なんかが次々蘇ってきた。
とんでもないものを作る人がいる。
そうだ、楽しいゲームをプレイしたときの体験と感動っていうのはこういうものだ。ありがとう、それを思い出したし、世界は過去より進化している。
かつて夢に見た未来がここにある、そんなことを思った。
だって、フィールドを思い通りに走り回り、リアルな人間同士がスポーツのように対戦でき、公平で、平等で、みんなが活躍できる。
去年の5月から遊んでいる人達にとっては超今さらな話なんだと思うけど、これってとんでもないデザインじゃなイカ。
良かった、どうやら俺が枯れてしまったわけではなかったようだ。だって、ゲームで遊んで猛烈に感動したもの。良い物は良い、ていうのはこういうことを言うんだろう。
気が付くと、外は元旦の日が昇っていた。
信じられないことに、どハマりしすぎて正月になってしまったのだ。その時にはその日フク屋にあったギアは全部買い、その時持っていたギアの中で一番イカす組み合わせをコーディネートする程度にはインクの沼に溺れきっていた。ちょっと妻と子供たちには言えないが、ひどい年明けだけどどうしてなかなか気持ち良かった。
すさまじいゲームバランスと運営で成り立っている世界だ。幾多の戦場をくぐり抜けてきた歴戦のスナイパーみたいなマニアと、たかしくん5歳(推定)やさくらちゃん4歳(推定)が同じ世界の上で楽しくワイワイとインクを塗って遊んでいるのだ。よくできたレベルごとのマッチングもあるにせよ、殺イカ鬼みたいなプレーヤーが前線で戦っている後方で、たかしくん5歳(推定)がコロコロとローラーでインクを塗って喜んでいるフィールド。みんなそれぞれ楽しい世界だ。任天堂だからできるっていうことはあるにせよ、ゲームで楽しませるんだ、新しい世界を見せるんだという思いがビシバシと伝わってくる。ガチャですり減るばかりのソシャゲのようなものとは本質的に違う。すごいゲームを作るものだと感心しながら家族の待つ実家に向かった。1月1日、俺の頭の中はカラフルなインクでいっぱいで、なぜだか不思議とクリエイティブな気分だった。
ところで、上の方にインターネットに関わる仕事をしていると書いたけど、もはや「俺たちのインターネット」的なコミュニケーションに特別な思いを抱く時代では無いんだなあ、っていうことを改めてしみじみと思った。
普段、仕事でわりと年配の方も使うWebサービスに関わっているんだけど、残念ながら2016年現在の今なお、インターネットを特別なもの、得体の知れない不穏なものと敬遠する層があり、そういう世界がある。世代間ギャップだけの問題だけではなく、サービスの内容にもよって向き不向きもある。流通業なんかだと、いまだに「リアル対ネットの戦い」だとか、「紙媒体とWebメディアの二項対立」なんていうものがあり、「オムニチャネル」なんていう言葉が持て囃されたりする。
仕方ないんだけど相変わらず、クラシックな層に対して「インターネットの普及」を懸命にやらなければならなかったりする(だいたいインフラの話とアプリケーションの話がごっちゃになっている)。正直ウンザリすることもあるけれど、それが現実だと受け止めている。
しかし一方で、イカのゲームで遊ぶ子供たちを見てつくづく考えさせられるのは、もはやこの世界で成長して大人になっていく今の子供たちにとってはインターネットがそこにあるかどうかなんてことは考えることすら無いし、我々が90年代後半から00年台にかけて見てきたような「俺たちのインターネット」としてネットの場を特別視するようなことも無いのだ。彼らにとって、ネットは電気や水道と同じようにあたりまえにそこにあって、ゲームをやろうとスイッチを入れれば、仲間や対戦相手が生身の人間であることがあたりまえなのだ。
既に、テレビゲームで遊んでいてそれがリアルかバーチャルかなんていう議論ももうあまり意味が無いんだろうなあ。それはバーチャルな場を使用したリアルであって、線引き自体がよくわからない。近い将来親になる世代に対してはネットは「普及」するものですらなく、このコミュニケーションがスタート地点ですらある世界がいよいよ本当にやってくるのだ。
思うがままに書いたけど、たぶん、ずっとゲームをやり続けてきた人から見たら何年も前から当然のようなことなのかもしれないね。
対人で対戦できるFPSやTPSだって、オンラインのRPGだって20年くらい前にはあったし、上に書いたようなネットゲーム体験はそれからずっと培われてきた技術によって成り立っているんだろうなって思った。
でも、そうやって新しい物好きやマニアの層が開拓してきた技術や経験がいよいよ一般層にまで展開されて、子供たちが何も考えずにその世界の上で育っていくという現実に、なんだかもううかうかしてられない危機感と楽しみみたいなものを感じずにはいられない今日この頃。
「日本人のみなさんへ。台南地震へ募金なんかするより、台南人がもっと喜ぶ応援方法を台南在住のぼくは伝えたい」
http://maeharakazuhiro.com/taiwan-earthquake-message/
こんな現地住在日本人のBlogがホッテントリにあがってブコメも賛同の嵐なんだけども
たしかに倒壊したビル以外はなんともないのに、大震災みたいに伝えられすぎって違和感はわからんでもない。
でも、まだビルの中に生存者がいるかもしれないこの時点で、募金なんかより観光に来てって、今言うことかそれ?
そりゃ観光関係の人は観光客減ったら困るからそういうかもしれないけど、大部分の台南人は、あのビルはさておき観光ウェルカムって気分じゃないんじゃないの。