はてなキーワード: 株式投資とは
月に20万ずつ貯金が増えていく独身男子なんだがもし宝くじが当たったらどうする?という質問を投げられて困った
case1 仕事を辞める?
→辞める必要なくない? 仕事はやりたくてやってるんだから別に辞めたいとは思わないな
case2 欲しい物を買う?
→買う物なくない? 欲しい物を思い浮かべて見たが特段欲しい物がないんだよな しかも出て来ても即ポチってるから欲しいという物がない
→増やす必要なくない? 宝くじで資産が増えたんだからわざわざ頭悩ませて増やす行動で時間を潰すのは面倒じゃない? タイムイズマネー 時間は金じゃ替えれない
→譲る必要なくない? 俺の金は俺の為の物だから他人に分ける価値観が分からない 贈与税もかかるしトラブルが生じるのが目に見えてる そもそも譲る寄付するが他人へにマウント取りたい為に行う無駄な行動ですよね
色々と考えてみたが、回答は家と車買うっすかねぇと答えておいた
凡人的な回答で100点だな
ポートフォリオ作って。
1)今の仕事が自分の年令×15万以下ならそっこー転職サイトに登録する。9時5時残業なしの仕事を選ぶ。30歳だとすると450万。額面。
2)夜6時から夜10時まで平日4時間、土日どっちか5時間。みっちり働いて副業で月20万円を目指す。月に100時間投下すればそんなに難しいことではない。
3)副業で稼いだカネの半分は株式投資と下記の自己投資に回しましょう。株なら米国インデックス、英語ならDMM英会話。特に調べなくてもいい。みんながやってることをやればいい。
4)朝5時に起きて始業前に2時間、英語かマーケティングの勉強をする。で、3-4年後に年収×20万の仕事に転職する目標を立てる。
↓
ざっくり5年後に年収700万+副業240万+インカムゲイン60万(月5万)。簡単ではないが難しくもないと思う。
やるか、やらないかだ。
長期投資。敵は3つ。①自分。②手数料。最も強大なラスボスは③税金。金融所得10%増税。年500万円の配当とする。手取りが400万円から350万円に。50万円減る。俺たち現預金の民の将来に決定的なマイナスのインパクトを与えることになる。残念。でもまあ乗り切れる。仕方ない。
それ以上に残念なのが政府の姿勢。金融所得増税の税収インパクトは小さいと聞く。株式投資家=富裕層という偏見を前提としてないか。格差是正のための象徴的措置と思ってないか。非投資家は溜飲が下がる。俺らは国を恨む。海外に投資しちゃう(既にそうしているけど)。
間違っている。①株式投資は誰もが少額でも始められる開かれた公平な市場。富裕層だけのものじゃない。そして,②株式投資は庶民が豊かになれる唯一の手段でもある。それ以上に③株式投資は将来のための資本のリレーそのもの。投資こそ未来の礎。
②。俺は貧困層の出身。たまたまと思うが,今年,投資の自然増が労働収入を超えた。幼少のころからの勉強や今までそして今の努力を否定された感じがした。圧倒された。そして実感した。働くだけじゃ決して豊かになれない。
③。株式投資は,個人でみれば現在の労働収入を将来の不労所得に転換する過程だ。でももっと広くも見れる。将来の不労所得は投資先企業の将来の労働収入の前提となる。その労働は社会を支え,ときにはイノベーションを起こすかもしれない。これが将来にわたって循環していく。株式投資はこの資本のリレーに参加することでもある。
金融所得増税は,非投資家の歓心を買うかもしれない。しかし,その実は,俺たち庶民の手足を労働に縛り付けるものだ。それ以上に,貯蓄から投資へ。タンス預金を投資へ廻して経済を活性化という流れに冷や水をぶっかける。その結果,預金は預金のまま眠り続ける。経済の活性化とは真逆のベクトルを生む。
2025年のAppleカー。NVIDIA過去最高益。聞こえてくるのは希望の持てる未来の話。海外の。じゃあどうするか。外国株は倍の40%。日本株への投資には課税しない。思い切ってこうしたらいい。日本企業にタンス預金も流れ込むだろう。投資先企業の労働収入が潤い,活動が活性化するかもしれない。少なくとも夢を持てる。
でも本当は夢なんていらない。正直で思いやりのあるリーダーからこういって欲しいだけだ。「日本の子供達のためにこうしたい。だから今,政府は財政を絞る。無駄を省く。血を流す。だからあなたも血を一緒に流してくれないか」と。政治家の誰か率直に俺に言ってくれないかな。誰もいない。
もし、「個人投資家」を謳うような人間がメディアなどに出ることがあったら、
「ギャンブラー」だと書き換えたほうが良いだろう。
https://www.nikkei.com/article/DGKKZO76180740Q1A930C2EP0000/
「岸田文雄氏は総裁選で金融所得課税を見直し、一律20%の税率を引き上げる考えを示した。」
一律20%の税率ってのは、投資におけるリスク and リターンとしてはギリギリだったのだ。
つまり、税率を20%から上げる以上、株式投資=ギャンブルであると、国がお墨付きを与えてしまった。
「貯蓄から投資へ」という言葉を聞いたことがあるかもしれないが、
これからは「貯蓄からギャンブルへ」という言葉に変わると言って良いだろう。
株式投資など、絶対にやらないほうが良い。きちんと貯蓄すべきなのである。
もし今後周りに株式投資を勧めてくるような人間がいたら、あなたのことを100%カモだと思っている。
騙されないように、気をつけましょう。
どうも控除率の話は違うようだ。
仮に一律30%かかるようになったとする。10万円勝って3万円取られて7万円が残る。
しかし、10万円負けたら10万円が取られる。これのどこがギャンブルではないのだ?
10万円勝っても7万円しか残らないのに、10万円負けたら10万円取られるんだぞ?
10万円負けても3万円が戻ってくるなら分かるけれど。おかしいだろ。
株式投資は危険なものであり、日本で廃止すべきだと、岸田新総裁も考えているのだろう。
株式投資についての本を読むと、資産を増やすという意味での正解は出ているようだ。
インデックスファンドを積み立てて放置するのが良いらしい。それはわかったし実践しているが、どうしても面白くない。
個別株を買うときは、自分が今から就職するならどの会社かという観点で選ぶと面白い。
日常的に気になる会社を検索して、とりあえずIRレポートや第三者の分析などを読んでストックしておく。
事業や製品もいろいろ覗いてみて「この製品は面白そう。むしろ自分も参加したい」と強く思えたらそこの株を買ってもよい。
そういう観点でみると、株式を買っても良いかなと思える会社というのは実は結構少ない。
本当は学生時代の就職活動にこういう分析をするべきだったんだろうな。
このコロナ禍でも、ありがたいことに仕事がたくさんもらえたのと、ほぼ家と仕事場の往復のみの生活になったおかげで、貯金というか金融資産が一気に増えた。
もともとお金を使う方ではなかったけれど、それが加速した感じ。
そして、ちょうど去年の今頃、ついに20代にして金融資産が1000万円を超えた。
コロナが本格的に流行りだした去年の3月ぐらいから運良く良いタイミングで株式投資を始めたおかげもある。
大した額を投資しているわけではないけど、ビギナーズラックを享受できた。
一方で、生活水準は一切上げていない。
そこで気がついたのは、生活水準さえ上げなければ、当然ながら毎月の収入の貯金にまわす割合は増えるわけで、増加スピードが上がる。
投資も額が増えれば増えるほど変動する額も変わる。
そして、投資はそれにまわせる額が大きければ大きいほど変動額も大きくなる。
1000万円を全部投資に回したとして、5%値上がりするなら50万。1億あったなら500万になる。
でも、生活水準さえ上げなければ、出費はそこまで変動しない。
だから、普通に暮らしていても金が増えるスピードはどんどん上がっていく。
金持ちってやっぱりその辺めちゃくちゃ有利だよなぁって感じた。
そしてついに、今はついに金融資産が1300万ぐらいになった。
若い頃は一日500円で生活していたときもあったから、非常に感慨深い。
金がすべてではないけれど、金は色んな不自由や不幸を防げるんだなって思う。
スーパーで半額を狙わなくて済むようになったのが割とうれしい。半額で買えるなら、それはそれでうれしいけれど。
父親は気に入らないことがあるとすぐに手を出す性格で、幼少の頃は止めて入った母親まで殴られて一緒に泣いている記憶ばかりだった。
祖父から継いだ仕事で財産を築くも、それを自分の商才と勘違いした父親は引き継いだ仕事を辞めて趣味の延長である雀荘の経営を始めた。
母親も夕方から深夜まで手伝いに駆り出され、学校から帰ると家には誰もいなかった。
前の仕事で築き上げた財産で、家だけは無駄に広かったが、お化け屋敷に住んでいるみたいで落ち着かなかった。
両親は決まって夜中に酔っ払って帰ってきた。
今日の接客がどうだとか、作った料理がどうだとか、売上とか従業員の給料とかそんな話ばかりだった。
とにかく布団の中で聞かないふりをした。
たまに母親が泣きながら上がってきて、化粧と酒くさい顔を近づけて頭をなでながら何かをぶつぶつと言っていた。
その時もやっぱり寝たふりをしていた。
そのうち父親は朝方まで帰ってこなくなった。雀荘の営業時間を伸ばしたらしい。
家での両親の喧嘩は減ったが、夕方近くまで眠って明け方に帰ってくる父とは会話をすることがなくなった。
見栄で通わされた私立の小学校は家から遠く、地元の同級生たちと馴染めないままいつも一人遊びをしていた。
何か不自由を感じたことはなかったが、何かいつも足りないものを感じていた。
ある日公園で一人で砂場遊びをしているときに、近くの小学校に通う同級生たちに囲まれて砂場に首から下まで埋められたことがある。
砂まみれの自分に気がついたが、怒ることもしなかった代わりに、何かを聞かれることもなかった。
びちょびちょの洋服をそのまま洗濯機に投げ入れたが、そのことについても母親から何かを聞かれることはなかった。
毎日一生懸命に働いている母親を困らせるのは悪い子供がすることだ。
次の日に公園に向かうと、その時の同級生たちが野球ごっこで遊んでいた。
もう一度砂場に埋められるわけには行かない。そう思って、公園で遊ぶことはその日以来やめて、誰にも会わなそうな空き地や少し離れた河川敷で遊ぶようになった。
見栄で通わされた進学塾は、毎日終わり際にタイムカードだけを切りに行って、それ以外の時間は近くのゲームセンターに入り浸った。
夕食は塾の近くにあるファーストフードで食べなさいと、毎日500円をもらった。
そのうちの大半をゲームでつかった。
志望校は当然全て落ち、受験する3日前まで名前も聞いたことのないような私立中高一貫校に文字通り滑り込んだ。
小学生までは頑張って起きて朝の支度をしてくれた母親も、自分が中学生に上がると昼まで起きてこなくなった。
その代わりに、一日の昼食代500円が毎日テーブルに置かれるようになった。
途中にいくつかの繁華街がある駅を通るが、制服はゲームセンターに行くには邪魔だったおかげで、遅刻は常習犯ながらも、日中は流石にサボることはできなかった。
昼食は甘ったるい菓子パン1つと甘いジュースだけでしのいで、残りは放課後のゲームセンターで使った。
作りおきの夜食で栄養バランスをなんとか保ちつつも、それが理由かわからないが身長は165cmで止まった。
人付き合いというものをろくにしたことがなかったが、この頃一緒にゲームセンターで遊ぶ友人が何人かできた。
なんとなく、生まれてはじめて人間らしい営みを手にれた気がしたが、それも長くは続かなかった。
中2の初め頃、親が新しく始めた飲食店の手伝いのために、放課後は部活も許されず店にまっすぐ向かって日付が変わるまで無給で働かされることになった。
雇われた店長は父親の前だけへこへこして、溜め込んだ憎悪やストレスを自分にぶつけてきた。
裏表のある大人を間近に見てこんな大人になるくらいなら死んだほうがマシだと思った。
放課後を奪われた学校生活は無味乾燥そのもので、授業の大半を寝て過ごし、夜は脇目もふらずに仕事に向かう生活を繰り返した。
家族に内緒で行っていた父の株式投資の負債によって、雀荘や飲食店どころか家まで失うことになった。
荷物のほとんどを捨てて、親戚が管理人をしているワンルームのアパートに母親と引っ越した。
その時は住むところを失った悲しさよりも、店の手伝いから開放された嬉しさが勝った。
負債を家族に背負わせないために両親は離婚をして、その後父はどこにいったのかも聞かされなかった。
親族のうち、以前から換金所で働いている人間はたんまりとお金をもらっているのに、自分は足元を見られて少ししかお金をもらえていないと嘆いていた。
生活できるだけでもどれだけありがたいことか。母親の欲深さにうんざりした。
それでも贅沢はせず、母親は少なくとも高卒じゃなきゃ働き口なんてないという理由で、意地でもわたしを卒業させてくれた。
この頃、親戚のおじさんが相次いで自殺をした。バブル崩壊で抱えた借金で首が回らなくなったからだという。
父親は生きているのだろうか。どちらにしても、お金が原因で命を失うなんて馬鹿げていると思った。
お金様の何が偉いのか。そもそも人の幸せとは何か、そのときに眠れなくなるくらいに考えたことを覚えている。
相変わらず夜の帰りは遅いものの、交代制シフトで働くようになった母親は、朝に起きて夜に眠る生活に戻った。
この歳になって面と向かって甘えるなんてことは流石にないが、学校でのくだらない出来事や、一緒に見ているテレビの内容のことを話す機会が増えた。
小学生のときにできなかった時間を取り戻しているような気がして、毎日が楽しかった。
たまにお酒が入ると、母親は決まって過去のことと今のことをわたしに謝った。
仕事の忙しさを理由に全然世話をしてやれなかったこと、それなのに全ての財産を失って辛い生活を強いていることを、何度となく謝ってきた。
母親にそんなことを言わせてしまっている自分が申し訳なくなった。
今がどれだけ満たされているか、どれだけ言葉にしても母親は首を横にふるだけだった。
むしろ自分にしてみれば、お金があった時代のほうが不幸だったのではないかと思えた。
在日韓国人である自分にとって、この頃はたとえ大学を卒業したとしてもまともに就職できる企業なんてものはなかった。
だから、その時には当たり前のように大学進学はせずに働くものだと決めていた。
家から原付きで30分ほどの床も壁も筒抜けのボロアパートに引っ越しをした。
言葉の通じない相手に、いい年をした職人たちが代わる代わるいじめを繰り返していた。
在日韓国人であることを隠して働いていた自分は今で言うパワハラだけで済んだが、それこそ一歩間違えれば現場で死亡事故にでもなりかねないようなことも行われていた。
自分はいじめに加わることも助けることもできなかったが、できるだけ彼らの話に耳を傾けるようにした。
いじめについて聞いたこともあるが、ここで稼いだ仕送りで国で待つ家族が笑顔になることを考えれば何でもないと、全員が口を揃えていた。
外国人をいじめて楽しそうにしている職人と、いじめられても家族の幸せを思って幸せを感じている外国人とを見比べて、幸せとは何かを再び深く考えた。
とある事故をきっかけに、2年ばかりで建築会社は倒産してしまったが、使う当てもないままに親に仕送りをしながらも300万円くらいの貯金をすることができた。
実家(といっても親戚が管理人のアパートだが。)に戻ると、その貯金でまずはパソコンを買った。高校時代のゲーム仲間のパソコンが詳しい人間に教えてもらいつつ、当時出たばかりのインクジェットプリンターと併せて全部で100万円くらいかかったと思う。
教習所の短期コースに通いながら、一緒にもらった違法ソフトで本を読みながらウェブデザインを独学して、車の免許とウェブデザインの最低限の知識を2ヶ月位で詰め込んだ。
その後、貯金を切り崩しつつ就職活動をして、ソフトウェア開発の会社にアルバイトとして入社した。
もともと大手通信会社で勤めてから独立した社長がなかなかのやり手で、パソコンとサポートのセット販売や、当時はまだ珍しかった個人ホームページの制作代行など、次々と事業を拡大していった。
世にいう就職氷河期の頃だったが、当時、個人でパソコンを持つ人間はまだ少なく、また、車の免許や力仕事、職人に鍛えられた物怖じのなさが気に入られて、その会社で正社員として働けるようになった。
入社して数年、立場も順調に上がっていき、社宅手当をもらえるまでになったのをきっかけに、母親をつれて小さいながらマンションに引っ越すことができた。
これで母親に少しは惨めな思いをさせないで済む。そう思っていたが、母親はそうではなかった。
一度は財産を築いて豪邸(とはいっても本物の豪邸には程遠いが)に住んだ身にとって、マンション暮らしは惨めなのだという。
まだデザイナーズマンションだとか億ションだとかタワマンという言葉が生まれる前の話だ。
戸建てを買えなかった人間が、渋々住むのがマンションだという思い込みが強かったのだろう。
一度は地に落ちた生活をここまで取り返すことができたのだから喜ぶだろうと思っていたが、そうではないという母を見て、素直に可愛そうだとおもった。
社長の経営手腕のおかげで、今もその会社で、気がつけば重要な立場を任されるまでになった。
母親は別のマンションに住まわせ、自分は結婚して二人の子宝に恵まれた。
自分の親ガチャがあたりかはずれかなんて、今になってみればわからない。
羨ましいと思える親子関係も山のように見てきたし、両親がもっとまともだったら良かったと思うことなんていくらでもあった。
だけど、こんな親だったおかげで、自分は幸せとは、お金とは何かを考える切っ掛けがたくさんあったし、そのことについて世間に流されるようなこともなかった。
未だに大学進学までしておいて定職につけないままの同級生もたくさんいる中で、自分は、本当にたまたま運が良かっただけなのだろう。
そんな自分がいうのもなんだが、親ガチャなんて人生の数多くのガチャの一つでしかないし、その一部分だけ切り取って見たところで何の意味もないのだと思う。
ゲームみたく課金でやり直せるものでもないのだから、問題は、そのガチャの結果とどのように向かい合っていくのかなのだろう。
先々を考えるための材料(主に経験)が頭の中に足りてないからだよ。まして今はコロナで人と接する機会も遠出する機会も制約されているから。
・研究室に参加
などすると、きっと視界がガッと開けて先々したいことが勝手に頭に浮かんでくるようになる。
それから、株式投資をかじっておくと良い。世の中全体の動向に注意が向き始めるのはもちろん、どんな業界と企業があって、その中のどこの調子が良くて今後も伸びて行きそうなのか、自分で判断できるようになるから。仮に卒業までに株で大して儲からなくても、はずれの業界/企業への就職は回避できるし、狙い目の業界/企業もわかるようになる。手法は成長株投資でもバリュー株投資でも良いけど、人力デイトレは避けたほうがいい。念のため。