はてなキーワード: 公明党とは
最近、某襲撃事件の影響か、宗教の話題がホットエントリー入りすることが多く、概してネガティブな内容を目にする。
そうした記事のひとつについたブックマークコメントに、「宗教のネガティブでない側面を知りたい」というものがあった。
日本人の多くは実質的に無宗教であるし、宗教のことで話題になるのはネガティブかつショッキングな事件ばかりだ。
宗教をしながら普通に生活している人とはどのようなものだろうか、気になる人がいるのも当然だと思う。
そこで、タイトルの通り、創価学会の学会員2世である私が、みなさんからブックマークコメントや質問を頂いて、追記する形でいろいろお答えしたいと思う。
何か書いてみようかと思ったけれど、あまりに普通に生活していて事件らしい事件もないので、質問を募集する形にしたい。何か聞きたいことがあればお気軽にコメントしてください。できるだけお答えします。
なお、2世とは書いたが、厳密にいえば3世か4世くらいにはなる。ここでは、生まれたときから学会に属しているという意味で2世と称します。
→特に疑問を感じたことは無いな。生まれたときからそういう環境だから「受け継ぐ」っていう感覚がそもそも無かった。気づいたら学会員という属性を持っていたって感じ。それに対して、別に良い気持ちも嫌な気持ちもなかったから疑問はなかった。そういう家に生まれたんだなってだけ。後々ネットで叩かれていることを知ってちょっとショックを受けたりはして、そのせいで思春期は創価学会に対してマイナスイメージを持っていたりしたけど、今は特にプラスもマイナスも感じてない。俺の家も同じように仏壇があって、子供の頃から座って勤行するように教育されてきたけど、そんなに嫌な気持ちはなかった。ちょっと面倒くさいな~って程度。歯磨きするのめんどうだなーってのと同じ感覚かな。反省を促されたりしてたら嫌になってたかもしれない。自分自身は両親ほど熱心な学会員ではなくて、死後の世界を信じていないから、境遇は近いかもね。
→あんまり歴史得意じゃないから一向一揆の時代に何があったのかわからないんだけど、「他者を攻撃することが是とされる暴力装置として生まれ」たっていうのは私のことを指してる?創価学会は暴力装置ってこと?あんまり賢くないのでもうちょっと嚙み砕いて教えてほしいかも。他者を攻撃しているつもりはないのだけれども、仮に自分が暴力装置なのだとしたら、そのことには自覚的でいたいね。
→それマジ?でも、誰かの知りたいって気持ちにこうして応えられる人生で良かったと思ってるよ。そんなに嫌な目に合ってるわけでもないしね。
→選挙前に公明党に投票よろしくってお願いするやつは実際にやってるね、親がお近所さんを回ってたわ。やめてくれって言われたら素直に引いてるみたいだけど。法的に大丈夫なんか見てて不安になりますわ。ちなみに俺はやったことないし、実を言うと公明党以外の党に投票したりしている。
勧誘っていうのは、創価学会入りなよってやつだよね。やってる人はやってるみたい。でも、そんなにたくさんの人がやってるわけではない気がする。よく聞くのは、人生に悪いことがあって落ち込んでいる人を折伏(学会員に誘うことを折伏と言います)しましたーみたいな話。うまくいったら学会員の集まる大会とかで、感動エピソードとしてスピーチしてたりする。「悪いことがあった→折伏→うまくいくようになりました→宗教最高」みたいなパターンよく聞く。で、折伏は、学会活動の中でも大事な行いだとされているから、熱心な人はがっつり取り組むと思うけど、別にノルマがあるわけではない。俺はひとりも誘ったことない。そういう人が多数派だと思う。けれども熱心な人は熱烈勧誘してるかも。それも、単純な善意でやってると思う。よく効くサプリを人に勧めるみたいな感じかな。悩める他人を救うことが世界平和につながるって考えがあるから、本当に悪意なく救おうとして熱烈勧誘しちゃってると思う。それで、何十人折伏しましたーってスピーチしたりすると褒められるのよ。だから熱烈勧誘しちゃう人ができる。でも、勧誘される側からしたら、かなり嫌な気分になることもあるだろうなと想像つくね。熱烈具合は人によるけど、ダメな勧誘する人もいるんだろうなと思うよ。
→マジでそんなとこあんの?ヤバない?違う看板ってアレか、例えばサッカーサークルみたいに銘打ってるのに、実際は部員たちが部室で勤行してるみたいな感じってこと?そうだとしたらちょっとびっくりですわ。そこが創価大学だったら入学者の殆どが学会員だろうからまだわかるけど、普通の大学でそれやってるんだったらドン引きです。いままで全然そんな話を聞いたことがなかったので、内部的な評価はわからない。けれども、一学会員としては、それは良くないと思う。そういうことすると、ただでさえネガティブな感情を持たれているのに、余計にマイナスイメージ付くし、おっしゃる通り自分たちで首を絞めている感じする。別の看板掲げてるんだったら、それに沿った活動をしなさいよって思うね。
→?どういう意味?
→葬式は形式と居心地が若干違うかな。学会員の友人葬では、坊さん的な人を呼ぶんじゃなくて、集まった皆で題目を唱えて供養をするんだよね。友人が代表になって唱えて、それに皆で唱和する感じ。題目自体は普段から唱えているから馴染みのある文言だし、坊さん的な立ち位置の人が部外者じゃない友人だから終始アットホームな感じがある。もちろん葬儀だから厳かさもあるけどね。坊さん的な人を呼ぶ場合って結構当たり外れがあるじゃない。なんか説教下手だなーとか素人ながら感じる時もあるし、お金もかかる。そういう問題は無いから個人的には友人葬の方が好きかな。ただ、学会員じゃない人が友人葬に出席する場合、周りの出席者が急にお経みたいなのを唱えだすからちょっと驚くことになるかもね。でも、出席者みんなが葬式に参加している実感が得られて不謹慎かもしれないけど面白いと思うよ。
あと、これは非科学的でかなり主観的な話になってしまうから話半分で聞いてほしいんだけれども、信心している人は死に顔が違うってよく言われるんだよね。生前学会員だった人は死に顔が穏やかだって言われるの。そんなもん眉唾だろうって思ってたんだけど、実際に今まで出席してきた葬儀を振り返ると、学会員の故人の顔色が穏やかなのは本当に思える。というか、学会員じゃない人の葬式に出るたびに、棺桶から覗く顔色の悪さに驚くんだよね。単純に経験してきた葬式の数が少ないからそう思うのかもしれないし、化粧の問題も大きいのかもしれないけど、死に顔を穏やかにしたい人は入会するのもありかもねって思う。
→良い部分もたいがい他人事だよ。自分はあんまり積極的に活動してないからね。同じ属性を有しているからといって、他人の行動の責任を負うことはできないでしょ。
→自分はあんまり熱心な学会員じゃないから、毎日は唱えてないのよね。悩み事があったり、神頼みしたくなったりしたときに、思い出したように勤行してるわ。なんとなく頭をすっきりさせたいときとかに唱えると、気持ちが落ち着く感じがある。自分は、最近流行のマインドフルネスの一種みたいな感じで題目を捉えてて、そんなに無駄な時間とは思わないよ。どうせ気持ちが落ち込んでるときなんて、意味もなくYouTubeでだらだら動画見たりしているだけだし、それに代わる行動としてはやる分には無駄の程度は変わらないんじゃないかな。両親はほぼ毎日題目を唱えているけど、瞑想を毎日やる習慣にしてる人もいるだろうし、それと同じ感じだろうと思えて疑問を感じることもないかな。しかも、唱えたら(ざっくり言うと)幸せになれると言われているからお得感あるよね。
→自分の年収は300万程度。まだまだ新米社会人だから薄給ですわ。寄付額は0円。全く寄付していない。学会からも家族からも寄付のお願いはされてないね。されたとしても多分断るかな。薄給なので自分ひとり生きるのに必死なんだよね。将来大金持ちになったら少額寄付したりする可能性あるかもしれんけど、いまのところは余剰金が無いし、あったとしても投資信託とか買うかなー。親の年収は推定だけど1000万無いくらいだと思う。寄付は毎年しているみたいだけど、どのくらいの額かは知らないんだよね。でも、世間で問題になるようなウン千万円の寄付とかでは絶対にない。多分多くても10万円以内じゃないかと思う、少額と言ってるのは聞いたし。寄付によって家庭が壊れたりとかは無いです。自分は大卒なんだけど、奨学金を借りずに親のお金で卒業させてもらえたし、金がないから必要なものを買えなかったとかも無い。自分の住んでいる地域では、高額な寄付によって苦しんでいる人は見たことないかな。ニュースでそういう人たちがいるみたいなこと聞いて、マジでいるんだーって初めて知る感じだ。親が身の丈を超える高額な寄付して苦しんでいる子どもとかって大変やな、可哀想だなと思う。何とか救済されるといいっすね。
自民党は1700万~1800万ぐらいで安定して得票している。
それは数万から数十万規模の業界団体組織をていねいに束ねているからだ。
そしてこの小規模組織、中規模組織しかないところが強みでもある。
特定の業界団体が極端な影響力を行使できない。それは自民党議員が八方美人的にあらゆる支持団体にいい顔をするということでもある。
統一教会にしろ日本会議にしろ集票力という点では高い能力は持っていない。
ただし、統一教会は見返りよりも関係性の構築を優先して選挙支援をしていたのだろうと思う。
これは他の業界団体にはできない。一般的な業界団体は、あくまでも御恩と奉公の関係であり、一方的に奉公することはありえない。
創価学会を自民党の集票組織としてみなすなら圧倒的な大規模組織となる。ひとつの塊で自民党のために数百万票を動かせる組織は他にない。
自民党のように創価学会が小規模中規模の信徒団体が組み合わさったような体制であれば、自民党は間違いなく切り崩しをおこなっていただろう。
公明党を潰して自民党直属の業界組織とするなら、これこそ自民党が乗っ取られるという表現になる。
自民党を牛耳るというのは創価学会ほどの集票力と結束力があって始めて可能性が生まれることであって、統一教会程度の規模ではできるはずもない。
また日本会議が一枚岩の組織でないことは宗教の歴史を少しでも知っていればわかること。自民党議員は上手く付き合っているに過ぎない。
自民党に対抗できる自民党と似たような組織動員ができる唯一の政党だった。
旧民主党がもう少し踏ん張っていれば、財界でも二大政党制を睨んだ恒常的な組織再編があっただろうと思う。
政権についている最中に次々と御恩を蔑ろにしていったのが解体されてしまった原因だろう。
原発の稼働停止、行き当たりばったりの行政改革、円高の放置などは政権の獲得を支えてきた御家人たちを切り捨てるような行為。
消費税の増税を決めたからから下野したのではなく、支持団体をことごとく蔑ろにした結果でしかない。
連合は創価学会に相当するような集票組織ではあるが、創価学会とは違いひとつの塊ではない。
様々な利害が絡む産業別労組や公務員労組が組み合わさっている団体である。
旧民主党は自民党と同じようにコントロールできると踏んでいたんだろうと思う。
自民党の優れていた点は、郵便局長会や農業団体などの紀伊藩尾張藩クラスの集票組織にダメージが伴う政策を実現するときに、雄藩たる外様大名公明党との関係を良好に保っていたことである。
旧民主党にとっては連合内の各労組は、御三家クラスの支持組織にも関わらず粗末な扱いを続けた。代わりもいないのにだ。
良い政治は理念だけでも実利だけでも達成しえないが、理念のために実利を無視すればそれはもう政治ではない。
宗教ですら理念と実利の両輪を信者に提供することで成り立つ。統一教会のようなカルトが悪なのは理念だけで洗脳し搾取するからである。
旧民主党勢力が実利を無視するからと自民党や公明党に接近する連合内組織は、自由意志を持ったまともな状態の人たちの集まりと言えるだろう。
民主主義国で業界団体や宗教組織などの集票に頼らない政権政党などない。
社会観を共有できない人間同士がどうやって同じ政治的目標の実現に向かって歩んでいけるというのか。
無党派層のような浪人だけを大量に集めたとしても豊臣のように滅亡するだけである。
恩顧の大名とそれにつらなる家臣群や領民たちを敵に回して勝てるとでも思っているのだろうか。
自民党が政権政党たりえるのは、自らがその機能でしかないことを自覚しているからだ。
政権を目指すなら政党は調整スキルを高める必要があるし、支持者は社会観の共有できる最大限の大きい塊を作り支持政党の調整に期待しなければならない。
理念と実利の両方を同時に重んじるということは、他の社会観を持った組織の理念と実利も尊重するということ。
SNSで浪人を大量に集めても一発逆転の改革志向革命志向に毒されていくだけだ。
自民党は調整機能に特化した政党。理念はそれぞれの集票組織が持ち、そのそれぞれが理念に基づく実利を自民党に要求すれば、それを勝手に取り込んで調整していく。
自分たちの理念と実利は少しも譲らずに他組織に譲歩ばかりを迫るような団体が集票組織の中心となる政党は機能停止となる。
これは賃金上昇を目指す組織一択である。実利先行で理念後追いの組織とも言える。
ただのお題目でもなく綺麗事でもない、実際的な健康で文化的な生活の実現が可能となる。
特定の属性の弱者の力が強くなるから賃金が上がるのではなく、賃金が上昇するから弱者の力が増すのだ。
賃金が上がれば物価も上昇するが、それはさらに賃金上昇を目指す圧力にもなる。
今の日本には賃金の上昇を目指す組織がないので、たいして上がってもいない物価を下げようとするという相も変わらぬマインドで乗り切ろうとしている。
そんなことはない、私が参加している組織は賃金上昇を目指しているぞという人がいるかもしれないが、それはただ単にSNSでバズるためであり、浪人を集めるための釣りである。
集められた浪人は賃金上昇のためではなく、空虚な理念のために奴隷のように扱き使われるだけだ。
気づいたときには統一教会の信者のように家族も財産も失い、人生も失う。
大坂の陣のような時代であれば集められた浪人は華々しく散って歴史に名を残すチャンスもあるが、今の時代は裏切られた失望感を抱えながら生きていくことになる。
経団連でさえ中長期的には恩恵を受ける。被害妄想にとらわれるのは老い先短い高齢の経営者だけだ。
弱者属性を抱えている組織にとっては参加している人々の生活力を格段に上昇させる。
それは日本からしか買えないものがたくさんあるからだ。日本すごいでもなんでもなく少々高くても日本から買いたいというブランド力はまだまだある。
こういうと日本を評価することが微塵も許せない人たちがワラワラと湧き出てくるが、そういうイデオロギーの問題ではない。
高くても売れるものを自信を持って売ればいいだけのこと。
そのためには賃金を上げて生活力を向上させて、さらに付加価値を高める能力を国民が身に着けないといけない。
自民党にたくさんある小規模中規模の集票組織、公明党の創価学会、旧民主党勢力の連合内組織、どの団体でも賃金上昇を一丁目一番地に掲げるチャンスはある。
どれもがSNSでバズりたい欲求はなく、実利志向の強い組織でもある。一発逆転狙いではなく、要求と譲歩を積み上げることで成果を生み出すことにも長けている。
今もっとも票が集まる政策でもある。たいして上がってもいない物価を下げることにお金を使っても、また税金を増やされるだけだ。
発言については適当にニュースサイトからピックしただけなんだけど…
葉梨「法相は朝、死刑(執行)のはんこを押し、昼のニュースのトップになるのはそういうときだけという地味な役職だ」
葉梨「外務省と法務省は票とお金に縁がない。法務大臣になってもお金は集まらない。なかなか票も入らない」
→「だから、私は今にも辞めたいと思う」と言ったなら問題と思う。だけどそんなことは言ってない。
→どちらかというと「それでも私はまじめにやってます」的な発言だと思ったのだが、そうではないのか? いや知らんけど。
ひろゆき「『票とお金になるから大臣になった』と口に出す事が不味い事だと全く思ってないのが凄い」
→いや、そんなこと言ってなくね? それってあなたの感想ですよね。
→そこに関しては同意。ついでに、それを言うなら〝こんな人達〟を選挙で選ぶ日本国。ってことにもなるけどね。
斉藤鉄夫(公明党:国土交通相)「命の重さと法の厳正さの象徴である法相として覚悟に欠ける発言だ」
→??? 法の厳正さは、まあそうなんだろうけど、命の重さの象徴? そうなの?
石川大我(立憲民主党)「あまりに軽率。死刑執行のサインをする資格はない」
→何が軽率? 「どうせ考えなしに印鑑押してるだろ!」っていう決めつけ?
ラサール石井(タレント)「耳を疑うとはこのことだ。どこを切っても問題発言」
→ちゃんと耳を疑って。問題発言を切り取ったのだから、どこを切っても問題発言なのは当たり前。というか、問題発言に聞こえるように報道されたのだから、当たり前。たぶん、自分の耳を信じすぎ。
村本大輔(ウーマンラッシュアワー)「この命を奪おうって決める仕事はなによりも重い仕事よ。あなたはハンコを押すだけ、そのハンコを押すことによって、人間がひとりこの世界からいなくなる。そこには遺族もいる。地味な仕事じゃないよ」
→いや、地味だろ。なんか「重要=地味じゃない」みたいな偏見持ってる?
→お笑い芸人からすれば、そうなのかも。たぶん、世の中の地味な仕事してるすべての人を見下してる。
葉梨というのがどういう人なのかは知らないけれど、
これはまさに侮辱ですよ。
「貴様ごときの手によって日本は変わるのではない。安倍首相の残した素晴らしき自民党の手によって元々日本は変わる予定だったのだ」と。
そしてその証拠を示すので。
まずは公明党と手を切るべきです。
とりあえずはそれに注力なされば良い。
いや、その必要もないですな。
単に「君たちとはもう付き合えない。連立は解散する。創価学会も徹底的に締め上げる」と一言伝え、あとの事務処理を坦々と進めれば良い。
その際に公僕の皆々様方に「公明党への忖度は一切するな。公明党への忖度をされたと思われる訳にはいかないという自民党の意思に忖度しろ」とお伝えなさるように。
「忖度するな」ではしつけの良い犬は「直接は口にしないが忖度しろ」と解釈するものです。
「忖度するべきは、これである」と示してあげれば、あとは深く考えずにそちらに忖度なさることでしょう。
手堅くいきなされ。
全てを手にしようとせず、確実に手に入れられそうなものだけを選んで、多少の犠牲を覚悟なされるのがよろしいかと。
それでは。
旧統一教会の被害者救済をめぐり公明党の大口・政務調査会長代理は、これまでの与野党協議での姿勢を転換し、マインドコントロールによる高額献金の禁止に向けた議論を容認する考えを示しました。
与野党4党の協議会では、立憲民主党と日本維新の会がマインドコントロールによる高額献金を法律で明確に禁止すべきだと主張しているのに対し、自民・公明両党はマインドコントロールを法律で定義するのは難しいと慎重姿勢を示しています。
協議会の実務者を務める、公明党の大口政務調査会長代理は27日夜、フジテレビのBS番組「プライムニュース」に出演し「自民党と議論を整理した結果、いわゆるマインドコントロール下にある状況を悪用する勧誘行為は、禁止の対象に入る」と述べ、これまでの姿勢を転換しマインドコントロールによる高額献金の禁止に向けた議論を容認する考えを示しました。