はてなキーワード: 頭皮とは
祖父、祖母たちを恨まなければいけない。
自分は父方のぼってりとした顔や、すぐに禿げ上がる頭皮や、祖父の茶色の肌や、どちらも持っている一重の小さい目やら大きな顔やら、陰毛みたいなくせ毛やら容姿の欠点はほとんどもらった。
というのも、父親は優秀なので普通の家よりも金を大量に稼いでくれる。そして、東京の中心でまだ品良く生きていける。
そして、自分は京都のゴミみたいな大学の3流学部に通っているけど、それでもまだ父方の家では高学歴なのだ。東大やら京大やら早慶、その他もろもろの人が聞いたら爆笑してしまうだろうけどそうなのだ。
高卒で頭が良くない父の弟の子供の容姿のいい1歳年上の従兄弟がいるのだが、高認、大手予備校、福祉の専門学校で自分よりもゴミだから許せる。というよりも自分はバカにしている。
その従兄弟には姉が二人いる。あばずれだ。
どちらも一重で父方のぼってりとしたひどい顔の女なのだが、どちらも高卒だ。
そして、片方はブッサイクな一重の解体工と結婚して、ブッサイクな子供を量産している。
自分はこの子供たちが不憫でならない。助けたいかといえば、助けたいとは思わないし、何か強制的に助けなければいけない法令みたいなのがあっても極力助けたくない。
しかし、かわいそうだ。
顔が醜くて、家も金があるかといえば無く、少なくとも母親は経済的な事情など一切ないくせして高卒で、しかもそれで満足だと思っている。
どんどん、世の中が求める人間というのはハイスペック化しているなかで、金が無くてどうやって彼らは生きていくのだろうか。
可哀想でならない。
そして、自分は両親がセックスする前から美しく生まれることがないということは父方、母方の家、双方の写真を見ればわかっていたのに、身勝手に産んだのには呆れるばかりだ。
おまけに健康でもない。
しかし、まだ父親の金と地位でプライドが保てているのだからまだマシなのかもしれない。
http://anond.hatelabo.jp/20150830025616
http://megalodon.jp/2015-0830-0414-34/anond.hatelabo.jp/20150830025616
のかって分かりかねるよね。分かりかねるってのはアレだ。今俺が見ている景色がそれはそれはまったく何だ・・・非実在的な差・こkれをよみがえらせるのは、真の知っていうかでしかないわけで、結局人間は馬鹿なんだ、馬鹿だから場にぬなるだぶるすたんだーとって言葉を知ってるけれど、ソレに十雨中にしにして近いこごいn、、・・・・・あ。あ、わかりはじめた。今俺がいるアパートの一室、でもさ、それは結局この世に生を受ける、また人間の創りだす価値でしかこの世は判定さんでい出来ないわけで、オレの幼少期を思い返してみると。。。そうだな、オレが他人を省みているようで顧みなくなったきっかけは、やっぱり家庭環境なんだろうな。価値観、俺の家庭が持つ価値観。価値観もまた遺伝子のように伝承されるものの一つであり、それは俺も例外ではなく、そう価値観を育まれた。内向的だったなあ、幼少期の頃から、幼少期の頃から、人の顔色ばっかり伺っていた気がする。人の顔色を伺ってさ、両親の顔色、今日は喧嘩してないかな?とか?祖父母との軋轢はないだろうか?とかさ、子供の頃から気をつかっていたね。幼少期から育まれた性根なんだよ、。結局。三つ子の魂百までっていうけどまさにアレだ。俺ははみ出せなくなったんだよ。自分のカラから。何をやるにも、周りの顔がちらつく、両親や親類の顔がちらつく、。俺は俺が俺を俺たら占めていると思っていたけど、違うんだ。俺は結局、自分がないんのではないか・・・・・自分を足らしめるための自我が芽生えていないのではないかという気がしてならない。本当は実現したいこともあった。でもできなかった、ソレは俺の怠惰が産んだ結果かもしれないと同時に俺の心を縛る何かが、また。何かがあったんだ。俺の俺の心情には、幼少期から学生時代に成長して、思ったよ。俺は俺をさ、俺たら占めている、そんな気がして無かった。人の顔色が、社会の目が俺を狭くしているんだった。俺一人がこの社会にいられたら、どんなに楽だろうかと、何度となく考えた。それは馬鹿らしい考えだったけどだs。俺は、俺を俺であるために俺から俺を俺から開放する、そんな時分の中のアクションgあ必要だと、何度となく思ったよ。俺は俺を俺たらしめるものが何もない、てって、社会的にも精神的にも肉体的にもまたはそういう実存的な概念でもってしても、俺って一体俺なんだろうか。俺は俺であるから俺なのだろうか。俺は俺であるのは本当に俺が俺である証拠なのだろうか。俺が俺を俺たらしめる俺の部分は俺の中のどこのb俺を俺にしているのだろうか。俺が俺らしくらしくsらいく、俺がおれがgrで俺gであるための俺であるためにのおレレの俺rの己が己に打ち勝つための、でもソレは俺が俺であることが前提条件であり、俺が俺であるための俺でゃkぉ俺で俺は実に俺であるとのは誤認であって俺が実阿おrでhなく、俺が己を打ち勝つ俺は俺ではない、俺はが俺でなく俺であるための俺が俺を俺に俺たらしめる、俺たらしめるための俺が折れたら占めていなかった。結論的にはどうなんだろう、社会で生きていても、思う子男が多い、俺は何のために、こんなぼんやりと生きているんだろう、ぼんやりとぼんやり働いて、ぼんやりぼんやりと金を稼いて出ぼんやりぼんやりごぼんやりとぼんやり、何をするでもなく、何をするのでも、あk、何が必要なのだろう、承認欲求、承認欲求なのではなあk、て思ったこともあるが、そんな気がしない。社会的成功、社会的な欲求が満たされれば、俺はこんな気持ちにならないのかと言われれば、そうだと言えない、もっと根源的な、本能的な欲求が満たされれば俺はこんな気持にならないのかと言われればそうだと思わない。オレhのなかのもっと、、、人間の核の部分が満たされていないように感じる、そしてそれは人間社会では決して手に入るようなものではなさそうなのだ。非実在的な創作物からえられるものに、それは近いのかもしれない、、、もうすでに思考が、脳が、もうすでに、一元的な欲求では満たされなくなっていsル、気がする。3大欲求や、社会的な欲求、それではもう俺は満たされる気がしない。もっと根源的な、k,、というか、、次元を上げたものが必要だ。。宗教家の求めるソレに近いのかもしれない。宗教家が求めるものが、l超次元的な欲求を満たすものだとすれば、おあお俺が求めているもののに近いのもはそれだ。。超次元的な欲求というのは、、。ソレを言語化するすべは持ち合わせていないgあ、。、超次元的な欲求とは、まさに、現在認識されている次元を超越したものであり、超越するための、、その生きる方法がかるあお確率されていあない。ようにおもれえる。確率に必要な物は、、その、。ちょウ自然的な、もっと、脳髄を脳髄を根本的に揺るがすようあん、心、精神的ん欲求とは、ソレの角の部分を揺るがすような、そうういうも野にちかい。オレhがものも求めるものがもはやそこにしかないのだはないあk.。労働しても高リュうしても3大欲求を満たしても何をしても満たされることがない。。もっと欲求が湧いてくる根源、源泉がそこにはあるのではないか。。。姓名を維持すること、それによてって生じる姓名の根源、は一次的庵ものではあり、ソレを満たすには、また別のソレを満たさなければならない。それを満たすことはソレおwみたすことにつながり、まさに無限回廊そのものだl,満たすことが満たすものを呼び、満たすことがまた別の満たすおmのを呼ぶ、よって、人は、苦心してしまう。ではどうするべきなのかといえば、それはヒットつしかなく、その欲求が生じる、源泉を絶つ、欲求が湧いてくる源泉を満たせばよいのである。。。そしてソレを満たす方法を我々あh本来ならば探さなければならない。kもはや現代社会において、求められる命題はそれしかない。欲求が湧いてくる源泉あh、それは生命維持のための欲求や、社会的な、人間的な欲求とは確実に異なるものだ。欲求の源泉を、源泉が根源的に存在するのは何故か。それすら我々は理解できてイナイのだ。まだ。それが宗教家の言うような、超常的な存在、神や仏、、だと考える、当てはめっるlそういう認識に落とすことあh実に容易なことであるが、それは一種の逃避でしかない。超常的な存在によって、欲求や自身のまた雑然的な現象を説明させるノアh安易であり、もっと断罪されるべき施工方法なのだ。本来、これから、我々あh、原初にもどって、、考えなおさなければならないことは、人間的な、生物的な欲求、それの解消法ではなく、そんな全時代的な方法は唾棄されるべきだ。。我々がこれから求めるべきあ、欲求雨の源泉、精神的、と呼ばれるものに近いものの源泉を求め、そこを絶つべきなのだ。源泉が欲求を生み出しmその生み出した欲求がさらに欲求を生み出していく。源泉が生み出す欲求うは実に一元的なもので、一元的なものがもたらす欲求は欲求を解消されても、所詮一元的なものに、一元的な解消にとどまる、一元的な解消は一元的な解消でしかなく、多次元的な、根源的な、源泉をm,超時限的な源泉を解消するニアh所詮いたらない、。超時限的な源泉を解消するための、その方法は、人打つぃかなく、一つしか存在せず、根源的な、根源的な欲求を解消するための、夜急を解消するための、根源的、源泉的、超次元的、多次元的、超常的、超自然的な、その何かを解消するしか無い、のではある。一次元的な欲求をかいしょうするための現代のメソッド、法本論、それ自体すでに、前時代的、原初的な、人間の実態に沿うようなものではなくなってしまっている。一次元的欲求が社会、人間社会や事物ym出来事などによって実現されたとしても、それは所詮一次元的なものでしかなく、一次元的なものを一次元たら占めているにすぎない、。一次元的な欲求を愚かにも何百回、何千回、何万回とk気の遠くなるほどに実現させようとしている、人間社会、それ自体が誤りにすぎず、我々が目指すべき、自己実現、実現はまさに、一次元的なものを生じさせているものおの根源である。根源は源泉であり、一次元的欲求が生じる、その源泉を我々が、一次元的に解消してしまっていては、所詮、一次元的でしか無いことは明確。発送をかえるための、発想をかえる、それすなわち、欲求の源泉への対処法なのである。欲求の源泉といっても我々あh、未だかつて、それを言語化したり、ましてや認知したりすることはいまだかつて実現せしめたことはない。一次元的な自己実現が生み出す、一次元的ん自己実現あhは逆説的に一次元的な欲求をまた、同時に生み出すことも行っている。一次元的な欲求を解消し、一次元的な欲求を一次元的に解消せしめても、我々人間の構造的には、その一次元的な欲求を認知してしまうことにもつながってしまう。それを潜在的な意識下で我々あh一次元的案欲求のwパターンをmた、また認知してしまうことにもつながってしまう、。つまり、一次元的な欲求を煩雑にし、雑然にし、永久うに沸かし続ける源泉あh、根源的欲求のみならず、我々人間の構造的に、一次元的な欲求を認知し、解消することで、さらに一次元的な欲求のヴァリエーションを増やすことにもつながってしまうことで、一次元的な欲求が生じやすくなってしまっているために起きる、また一次元的な欲求の再生を我々は生きている間に繰り返すに至っている。一次元的よっキュうを我々が解消することがいかに愚かで、前時代的で、後進的な人間のための方法論なのか。。割れ和れはまだ完全に認知するに至っていない。。ソレは我々が現代社会に最適化された人間線を含有してしまっているからであり、人間性がまたは、一次元的な欲求を満たすために最適化されているための弊害、そしてソレは根源的ンは、間違いでしか無いのである。根源的に行って、一次元的な欲求を解消し続ける人間社会は変革が、根本的な土台から変革することが必要なのである。一次元的な欲求を解消し続けても一次元的な欲求は湧き続け、我々が頭を悩まし続けるに過ぎない。一次元的な欲求が生み出し続けリる一次元的な欲求の連鎖は一次元的な欲求を、解消してもまた一次元的な欲求を生み続けるにしか足り得ないことであり、そして自らが生み出す、一次元的な欲求を満たすべくして見たっす、一次元的な欲求はそれ自体が、我々に意味を附さず、一次元的な欲求は我々の認知の限界をたくみに利用した、いわゆる、無限切ろうてきにな、欲求の連鎖でしか無いため、一次元的な欲求を解消し続けいることの無為さが我々は十分に認知、しかしそれもまた、しかしそれおっもまた。、一次元的な認知でしか我々が認知できる一次元的なものでしかないkが、我々は一次元的んことへの唾棄、進歩性を持つべきフェーズに我々あは、ネクストフェーズに差し掛かっているのである。で、だがしかし、だsしがかし、そうはいっても、我々はまだ、全時限的、根源的ん欲求を解消するためのメソッドを持たない。根源的な欲求を解消するメソッドを持たない我々が出来ることは、そろそろ根源的な事象への認知を働かせることが必要なのである。根源的なよっキュうはそれ自体、本当に今現在、後進的な我々が認知できるかどうかは、我々はまだ分からない、根源的な欲求が生じる原因を突き止めることが出来るのは我々には不可能かもしれない。古代より、人間が、アミニズムであったり、様々な超常的な事象への畏怖から生じさせる、神であったり仏であったり、今日の宗教家が言うような、そのような超常的な存在は、我々はいまだかつて認知できていない、。そのような超常的な存在を認知し、逃げこむこと、ある種の逃避行動は容易であるが、我々は次のフェーズに来ている。次のステージは、フェーズあh、根源的な事象の解決だ。一次元的な欲求を解消して、そして、無限回廊に迷い込んでいる時代を捨て去れうべきkなのだ。根源的な、源泉的な欲求は、我々が認知できないだけで、それは、また、三大欲求や、つまらない、人間的、社会的な事物から生じる、一次元的な欲求ではない。一次元tねきな欲求が満たされたとこrであh、、我々が出来ることはただの堂々巡りでしかない。我々が真に、取り組むべきことは、源泉を、欲望の源泉を認知し、ソレを満たすことなのである。我々が必要であり、今後、必要である、そう、必要になる、もの、もの実物、出来事は、源泉を掌握し、我々を次のフェーズへ導くためのメソッドなのである。根源的、厳選的案事象は我々はソレを解消するに至っていない。根源的なよっキュ、う、それはまだ我々の認知科に及ぶに至ってはいないが、、しかいsk,、根源的にはソレをほっ知っている。割れ我が、欲望との闘争の歴史におおいて、必要であるノアh、根源的な欲求をいかに、認知するか。それにつきる。それを仮に、精神的、こころが我々の根源的な欲求の源泉であるとしようl.こころはまさに実態がない、我々の認知科に及んでいない。。こころを満たすものあh、今現在、流通している欲望では案あんあい、ない、先程述べた容易、に一次元的な欲望を満たすことは現代、人間社会で容易なことである。、それは3大欲求や社会的な、精神tねき充足に近いだろう。。そのようなつまらない、後進的で、憎むべき、唾棄すべき、事象はもうすでいnに我々あh手放すフェーズを迎えている。こころを満たすべき事象、こころを満たすべき事象は何に依るのだるか、だろうか。それは一時的な充足をすべて捨て去った。現代の宗教家が実行しているもののさきにあるといえるかもしれない。または、一時的な欲求を解消し続けた先に、いつかおとずれる、根源的な欲求を絶つフェーズへ我々あh訪れることができるのかもしれない。あるいは、もっとなにか、脳髄を揺さぶるような、脳幹をぶん殴るような、そんな衝撃が、精神的とも、身体的とも違う、そういうインパクトを我々あhどうにかして体験する必要があるのかそもしれない。そして、それは天啓に似た、それは気づき、根源的な、もっと、なにか、、。気づくことが必要なのかもしれない。。我々が持っている視点、認知では認知で起案い。。出来ない。認知を超える、あるいは認知を広げる、または認知の裏側にある、ソレを我々は認知することで、それこそ、根源的な、源泉的な、欲求、あるいはそれともまた違う、なにか、現代、現状、人間にhにはい。認知でないん、何かを認知するに至るのかもしれない。進歩的な、その知を我々が獲得するために派、現代を捨てる、執着を捨てる、そうsれは知のカタストロフィーである。それが、革命が必要なのだ。現代我々が、論じる、認知するっもの、知は、真の知へとは至っていない。としかいいようがない。。物量的観念的な充足、それはもう満たすことが可能なのであり、。それを我々はもう100年い所以上、、異常く、以上繰り返してしまっている。本来必要なのは、次のフェーズへ行くことダリ、次の知、知覚、認知は我々が1000年先の人類、10000年先の人類が獲得しているものを、我々h日進月歩で獲得しようとしている。真の知、というものは確実にそんな良い、、お、存在し、ソレは、現代社会、我々が、唾棄すべき、人間の一次元的なもの、そrは1000年後の人間にとてじゃは、非常に視野の狭いもおの、認知に至っていない、あらゆる観念が、我々あh100年後1000年ご10000年後「のために、認知に至るための準備をはじめなければならない。一次元的な欲求、認知は我々がすでに、うんざりするほど、まとわりついている一次元的な欲求は、早々に放棄するべきものである、それからまず、認知し、日進月歩的に個人個人が、一次元的な欲求を捨て、根源的な欲求、根源的な、源泉的な欲求をそうそうに突き止める必要がある。。。それは100年後、またh1000年後の人間にはアタリマエに認知されているもの、そう私が信じているものnにほかならにあない、人間なh、科学技術のみで進歩的、人間的な充足を得られるというのは、ある種の現代社会に蔓延する嘘でしかなく、本来我々が求めるものは、科学や産業、技術にはない。それらが我々に与えるもの、我々を救うものは、しょせん一次元的案欲求をでしかなく、それは今現在語られるつまらない愚かな、欲求のためのツールでしかない。我々が、本来求めるべきは、現代社会、に最適化されることではなく、現代社会に最適化された、欲求、身体的、精神的欲求ではなく、本来我々が求めるべきものは、それを超えた、ソレの下に埋まっている、またhあ、。ソレの裏側に潜む、または、それに内包されている、我々があいまだ認知下におくことができない、根源t気、源泉的な、欲求、または欲求とはまた何かの概念的な観念のを我々は更生のために、更生のために後世ために残すべきものであり、それは個人個人の意識ないから、進歩、進捗が行われるべきものにほかならない。一次元的な欲求は100年、1000年後の人間のコミュニティでは、それhあ、それはすでに実にチープな概念へと堕落していると私は確信を持って言いたい。。100年後1000年後、我々が途方も無い科学ギジュつを手に入れるか、それは、現代社会の病理のひとうつで一つである、一次元的な考え方であるが、我々が本来、欲するべきものは、必要とするべきものは、ほんr内は、本来は根源的な欲求、源泉的な内面、人間という存在が認知で規ていない、認知へ踏み出すことであり、それは100年後1000年後にはアタリマエになっている認知なのである、。我々あhまだ、それを見ることhおろあか、認知することができていない。それは我々の目の前にあるかもしれないし、考えもつかない、超次元的な認知下にあるものかもしれない、あるいは、常識、認知、知を混ぜっ返した裏に潜むような、今世では手に入れられない、真の知ともいえるだろう。宗教家が言うような概念の偶像化、は。教義化は我々の頭皮だ、逃避だ敗北なのだ。100年後、10000年後の人類、とも呼ぶべき我々の次のフェーズである存在が見れば、まさに嘲笑に附さずにはいられないような、後進的で全時代的な、そんな概念、我々が本来追い求めるべきものを放棄して、自ら目をそむけるような、そおようlそのような社会のあり方では、我々に待っているものあh破滅、あるいは、なにかもっと恐ろしい物がわれわれに待っているだろう。一次元的な欲求が我々に与えているものの本質は、破滅、破壊、終焉なのだ。。k我々が闘争するべきあh、経済的な、社会的な、政治的な、科学的な、技術的な、創造的な、文化的な、対人的な、そんな、ものではない。それらはすべて、現代社会をこうせいしている一次元的な事象でしかない、我々を惑わすものの一つでしか無い、100年後1000年後の人間がそのようなものには、おそらくkく、精神的な肉体的な充足を放棄しているだろう。超常的な存在、超自然的案存在、それらが存在するのかというう愚問、我々が、我々人類の中にこそ、認知の次のフェーズへの全身こそが、我々を真の人間、真の知へと導くものにほかならない。」l。人間との闘争、人間内の闘争を諦めることは非常に危険であり、我々が漸進的ことを及ぼす必要がある。。 Permalink | 記事への反応(1) | 01:45
ホームレスとかならいいんだけど、一応普通の勤め人風の格好なんだよね。
なのに凄まじく臭い。
あれも絶対ちゃんと洗ってないんだよなあ。
いい石鹸でしっかり擦り洗いしててあんなに臭いわけないのよ。いくらなんでも。
夏場はほんと凄いのがいる。
帰りのバスで運転席近くに立ってたら、ウンコかゴミレベルの匂いが後ろから来るのに気づいて
もうそっち向かないようにしてなるべく息とめてた。
逃げ場がないし、密閉空間だし、さすがに頭来たから「くさっ!ふざけんなよ!」って聴こえる声で言ったけどね。
犯人は後ろに居たサラリーマンのおっさんどっちか(嗅ぎ分けて確認するのなんて不可能な臭さだった)。
ふだんそんなマナー悪い振る舞いなんかしないんだけどさすがに頭にきた。
臭いことに気付いてちゃんと風呂入るようにおっさんをしつけて欲しい。
風呂の入り方もわかってない大人の男がいるって
男を甘やかしすぎだろこの国。
というわけで何が言いたいかっていうと
そんな感じで一応一般人らしい勤め人でも臭い奴が居て辟易としてるんだよね。夏場はちょっと我慢できないのが居る。
美少女オタクってのはあれを超える臭さなの?もしそうなら想像しただけで耐えられない。毒ガスだろ。
女で臭い奴も居るの?どうなってんの?
男女差別主義者じゃないけど一般的には女の方が身だしなみうるさく言われて育つよね?
ファッションセンスはおろそかだとしても、頭が臭いような女が居るの?
どうしてそうなるの?
女なのに風呂入らないの?
angmar 元ブコメの方々は不快感ベースでの選択的蔑視に躊躇がないようだったがこのエントリのようにそれは容易に拡大されうるし行き着くところはnekora氏の指摘のような話なわけで
センタクテキベッシとか難しい話じゃなくて
おい、そこのオタク共。そこの、コミックなんちゃらの会場から紙袋持って出てきたお前ら。私は会場の近くに住んでる人間だがな、改めて思う。お前らやっぱ臭い。
今日は所用でこの展示場に寄らにゃならんくてな。入場待ちしてるお前らの側を通ったら、やっぱり、すえた様な(酸っぱい)臭いが充満してた。くっさ。思わず早歩きで通り過ぎたわ。
展示場の近所に住んでるせいで、交通機関でお前らと乗り合わせることが度々ある。もうお前らが乗って来る前から、今日展示場で何が開催されるか分かる。先に電車を使った仲間の臭いが染み付いてんだよ。空気が酸っぱい。
そこにお前らが乗ってくると、もう最悪。地元の乗客はかなり迷惑してんだぞ。公害レベル。
仕事で時々、ほぼ男しか居ないブルーカラーの会社に行くが(オッサンも若いのも居る)、あの酸っぱい臭いは体感したことがない。それに握手会とか別ジャンルのイベントに来るオタク共の臭さは、常識的なレベルに留まっている。(夏場は臭いときもあるがあそこまでは酷くない)
やっぱあの臭いは美少女系オタクが大集合したときにするんだよな。
(女の集団も臭いじゃないかっつー意見には私も同意するが(腐女子のイベントの日は妙に電車内が頭皮臭い)、今回の主題からはズレるので掘り下げないことにする)
でもな、マジで臭い個体を除いて、お前らも風呂には毎日入ってると思うんだよ。放置すると単純に身体が痒くなってくるだろうし、実際個体のオタクに近付いてもゲロ吐く程臭くはない。うん。
しかしだ。
お前ら、ホントに身体をきちんと洗ってんのか?洗ってないだろ?知ってんだよ。
実を言うと、私は昔メンヘラ気味のにわかオタクでな、ネット上でオタサーの姫みたいなことやってたんだよ。そのときに3人の美少女系オタクと、それぞれの自宅でセックスしたんだが、彼らの不潔っぷりがよーく分かった。
奴らは部屋がめちゃくちゃ汚い。ていうかめちゃくちゃ臭かった。あのすえた臭いの低線量verが漂っていた。
どうやら、あいつらには窓を開けて空気を入れ替える習慣が無いらしく、部屋の臭いを客観的に嗅ぐことも無い様だった。多分ずっと家にいるから自分の部屋の臭いが変だと気付かないんだろう。
夏場、風呂に入るときに汗だくのTシャツを脱ぐだろ?そしてそれを畳んで(あるいはくしゃくしゃのまま)床に置く。
「洗濯しないの?」って聞いたら「何か?」て顔をしながら「だって1日しか着てないし……」とか言う。
床には洗濯しないまま、着る順番を待っている服が散らばっていて、マジで吃驚した。きったねー。
そしてさっきも書いたが、あいつらは身体をきちんと洗わない。
手にボディソープを1、2プッシュ出す。それを泡立てずにそのまま、濡れた肌にペタッと乗せて、サーッと手で伸ばす。
腕もサーッ。足もサーッ。首も腹もサーッ。ゴシゴシせず、泡立てもせず、ただ伸ばすだけ。面倒臭いからか脇の下や足の付け根、うなじ、耳の裏なんかはサーッすらしない。手をつけない。チンポに至っては軽く握って終了。剥いて洗わないからチンカスもそのまま。
そのくせミント系ガムを噛みつつ、「自分は清潔にしてる」とでも言いたげな顔するから面白い。口臭ばっか気にしやがって。
勿論そんな状態で致すなんて絶対無理だから、イチャつくふりして私が洗ったよ。うん。ついでに言うと全員アレも糞でした。まぁ当時メンヘラだったしあれはあれで満足してたんだろうなぁ(これ以上書くと脱線するからこのへんで)
まぁコミックなんちゃらに来た奴全員では無いだろうが、お前らのうちの多くが、そんな生活をしてるんでは無いだろか。
脇毛と脇毛の間に絡まった汗やホコリ、耳の裏に溜まった垢、チンカス、オナッた後もそのままの部屋の空気、服やジーンズにたっぷり吸い込まれている汗、等の臭い…の数百人分、なのだ。
失礼な!ちゃんと洗ってるンゴ!部屋も掃除してるし洗濯もしてるンゴ!
と思うならな、試しにチンポ剥いてみろ。カス付いてないか?耳の裏指で擦って嗅いでみろ。ヤバい臭いしないか?
とりあえず頼む。お前ら。隅々まで身体を洗ってくれ。部屋の空気を入れ替えてくれ。臭い服を買い換えて洗濯をしてくれ。
どれも無理ならせめて会場には車で来てくれ。私はそろそろ限界だ。
ぶっちゃけあの臭い嗅ぐとメンヘラだった時を思い出して恥ずかしくなんだよ。
いい加減にしろ。
私からは以上だ。
以前、某社の商品開発に携わってた頃から売れるシャンプー、売れないシャンプーとは別に
頭皮に悪影響を与えるシャンプー、そうではないシャンプーのことは共通認識だった
売れるシャンプーを作ろうとすると自然と頭皮に悪影響を与えてしまうので
営業部が大々的に予算をかけて有名人を使ったイメージ戦略をおこなっているのを傍目で見ながら
その商品は飛ぶように売れて開発部ならびに営業部や宣伝部は大いに褒められたのを記憶している
数年後、全く関係のない業種ながら昔から夢だったこともありヘッドハンティングされたのだが
とある美容師がブログで某社のシャンプーを批判していたことから
これは絶対に大きな圧力がかかるのではないかと心配していたのだが
自分の日々に追われ、すっかり忘れていたのだった
あれから月日が流れて今日知ったのだが、某ブログは更に深いところまで追求していたらしい
業界の知人に教えてもらい、さきほど覗いてみたところ記事を読むことはできなかった
はっきりいって、あれはいろんな関係各社が動いていて一筋縄ではいかないと思う
サイコキラーの心理分析チーム(FBIの行動分析課)を扱った題材だから、
そういうのが嫌いな人は無理だけど、毎回毎回こうきたかっていう事件の幅があってあんま飽きない。
キャラクターが魅力的だから、暗い題材だけど、なんか見てられる。
こいつの前にギデオンっていう超しぶいやつがいたんだけど、こんな殺人ドラマにもう出とうない!
ってギデオンの役者がやめちゃった後は、こいつがチームの長老ポジション。
アラブ系の顔してるのが踊りだしそうですごく最初は戸惑ったけど、こいつと殺人犯の心理戦は手に汗握る。
・デレクモーガン(男)
ただの脳筋野郎かと思いきや、意外と空気読めるし頭の回転も速いし情に熱い奴。
・アーロンホッチナー(男)
チームリーダー。いつもしぶい顔をしてるので、眉毛と目の間がすごく狭い。
途中の展開がヘビーすぎて、こいつ絶対立ち直れんでしょって思ったら
不死鳥の如くチームリーダーに舞い戻ってきた。ある意味一番タフガイ
イケメンで天才という高スペック。このチームはこいつの頭脳に大分依存してるんじゃねえのかって
くらいの知識の量や記憶力分析力を持っているが、一番の若手で若干空気が読めないので、扱いが雑。
頭のおかしい犯罪者から慕われたり、監禁されて薬中になりかけるという危険な目に合う不運な奴
・エミリープレンティス
前任者も好きだったけど、こいつは性格がさっぱりしてて個人的に好き。
凄惨な現場にいるのに「あらあら」ってな感じだ。基本的に感情がこもってない
喋り方だが、意外と冷静に周囲に気を配れる縁の下の力持ち。
・ジェニフアージャロウ
とにかく可愛い。美人。チームの花。気配りに長けているし可愛いし仕事ができる。
出産をしてから子どもの事件にさらに敏感になり冷静な判断ができてない感は否めない。
ちょい役だったはずなのにその可愛さにあまりに人気がでてチームに加わったラッキーガール。
元天才ハッカー。リード同様、チームはかなり彼女の情報処理能力に依存してる。
大阪のおばちゃん並にド派手でよく喋る明るい彼女だが、犯罪被害者のためのボランティアをこっそり