はてなキーワード: 連帯してとは
童貞いじりで有名な某ブロガーのことを思い出してほしい。この人がやらかしたとき、有象無象が非難したところで、特に影響なかっただろう。
この手合ははてなで悪名とどろこうが、悪名は無名にまさる式で糧にして世に憚るわけだ。
あの手のを潰すなら、連帯して正面から不法行為を訴えるしかない。はあちゅうは倫理的にはともかく、法は犯していなかったので、手も足も出なかったのだが、ウェブカツは著作権法違反が指摘されている。
良いことに、著作権の侵害は刑法の対象にもなっているので、パクられた人がそれぞれ警察に告発すれば、うまくいけば書類送検され、マスメディアにも載るようになるだろう。ひょっとしたら、懲役までもっていけるかもしれない。
俺はおっさんの方のKKOを自負してるKKOで普段は清掃員をやってる。
趣味は読書と映画、たまにオナヌー。金がないから映画館はどうしても観たいやつだけ行く感じ。
俺の紹介はざっとこんな感じ。
でタイトルに戻るけど最近KKO(おっさんの方)とか弱者男性の話題が脚光を浴びてるじゃん。
俺は思った。なんで男のKKOばかりがこんなにも語られるんだろうと。
女のKKOは?
キモくて金のないおばさんはお前らどうでもええんか、と。
そして同時に俺は自分がKKO(キモくて金のないおばさん)の生活の実態に対して全くの無知であることにも気づかされた。これはいけない。性別は違えど同じKKOとしてこのままにしてはおけないと思った。
その暮らしぶりを把握したい。
女性は男性と違って同性間の結び付きが強いから女性同士連帯して生きていける、という類いの男女論はよく耳にするけど、果たして本当にそうなのだろうか、と俺は疑問を抱いている。
本当に?本当にキモくて金のないおばさんに手を差しのべる女性は普遍性を持った女性なんか?
実際かなり怪しいと俺は睨んでる。
俺はKKOなので俺と女性との関わりは学生時代にまで遡らなければ存在せず、またその交流にしても僅かなものであるので、俺が女性を語るにはあくまで個人的な観察に頼らなければならない。
その上で俺の女性観を語らせてもらうと、「女性は同性間の結び付きが強いというより同調性が強い」のだと考えてる。
俺の学生時代の記憶では、陽キャ男子と陰キャ男子は少なからず交流があった。
それはしばしば「弄り」というアンバランスな形態を伴ったりもした。
だが確かに陰陽の垣根を越えた交流は存在したし、それは珍しい光景でもなかった。
一方で陽キャ女子と陰キャ女子の交流は絶無と言っていいほどに存在しなかった。
更にグループ間の交流について言及すると、陽キャ女子グループと陰キャ女子グループ間の交流は勿論のこと、陽キャと陽キャ、陰キャと陰キャという同質グループ間の交流さえかなり控えめだった記憶がある。
これが当時抱いた俺の女子に対する印象であり、今もそれが俺の女性観に尾を引いている。
だから俺は疑問を抱いてるわけだ。
本当にKKO(キモくて金のないおばさん)に手を差しのべる女性は普遍性を持っているのか、とね。
そんなわけで俺はKKO(キモくて金のないおばさん)がどの様に生きてきたのか知りたいんだわ。
以上なんだわ。
はてなブックマーク - 「痴漢で一番悪いのは満員電車ですよ」 社会心理学者がツイートした理由とは - 毎日新聞
すごいな~。「満員じゃなくてもやる奴はやる。満員電車じゃなくて犯人が悪い!」の大合唱だ。
いや、俺は賛成だよ。俺は自由主義者だから、たとえ犯罪を容易にする環境があったとしてもやっぱり犯罪を犯すのは自分の自由意志であり、第一に悪とされ責められるべきは犯人であろうと信じている。
だからここで社会心理学者の発言を叩いてるみんなは全米ライフル協会の言うことにも賛同してくれるよな?
「銃が人を殺すのではない、人が人を殺すのだ」ってまさに「満員だろうがそうじゃなかろうが痴漢するやつはいる」ってことだもんな。
どこかの悪人が銃を学校で乱射したせいで無関係なやつが銃を持つ権利に文句つけられるのはおかしいよな、わかるよ。
ガラガラの電車でも痴漢するやつがいる、ってのも、銃が撲滅されたとしても攻撃衝動の高いやつはナイフとか使って他人を攻撃するだろ、という反論と一緒で、それじゃ本質的な解決にはならないってことだよね。
銃規制反対派としては、まさか銃規制の厳格な日本でここまでNRAの主張に賛意を示してくれる人が大勢いるとは思わなかった。すごいぞニッポン。ビバ自由主義!
満員電車で痴漢するのは痴漢が悪い、スクールシューティングは犯人が悪い、満員電車や銃社会をなくしたって根本的解決にはならない、って連帯して言っていきましょう。
電車は普通に乗るからラッキーなのか痴漢の食指が動くタイプじゃないのかわからないけど、高校時代から友達の「痴漢?あるある〜」「やだよね〜」みたいなトークに置き去りにされてきた。
知らない人に触られたら気持ち悪いっていうのは想像できるし、本気で怖がってる友達とかも見てきたから痴漢いなくなればいいと思うけど、「女はみんな痴漢被害に怯えてる」「女全体で共有されてる苦しみ」「痴漢にあわない男にはわからない!男はクソ!」みたいな論調の一部の女の人たちを見ると「痴漢にあったことない女」だってバレたら攻撃されそうで怖いなって思う。
苦しみとか嫌な経験で連帯してる人たちに近づきたくない。幸い友達でおおっぴらにそういうこと言う人はいないけど、オープンにしてないだけで思ってる人いるのかな。
私は生理も重くなくて生理辛い女ばっかり不公平とか思ったことないから生理の辛さで連帯して「生理の苦しみがわからない連中はクソ」って言ってる人たちも怖い。
2年ほど前に5ちゃんの日記系スレにも書いた内容だから(全然話題にならなかったけど)なんか読んだことある人は読んだことあるかも。
父親は今で言う社畜で育児の協力は皆無だったし、母親は相当疲れていたと思う。いつもカリカリしてた。
ちょうど2年生になると週一でクラブ活動が始まる。私は手芸部に入った。
確か9月の月曜日の放課後、先生に来週までに必要なものを準備してきてと言われたのを、私はちゃんと聞いていなかった。
帰宅してから母親に「何を準備したらいいの?」と聞かれて「忘れちゃった」と答えた。
「じゃあ明日ちゃんと聞いてきて」と言われたのに、アホアホ小学生だった私は翌日にはキレイさっぱり忘れてしまった。
その日も「忘れちゃった」と言うと、母親が火をつけたように「なんで忘れるんだ。ちゃんと聞いてこいって言ったろ!」と物凄い剣幕で怒ってきた。
服を引っ張られて、背中を押されて、お尻を何度も何度も蹴られた。
今思い返すと、あそこまでやることないよなって思う。でもきっと産後のホルモンの乱れってやつで、プツンと切れちゃったんだろうね。
怖いし痛いしで思わず玄関を飛び出して、とりあえず団地の真ん中にある公園に向かった。
公園には友達やその母親もいて、涙目の私を見て心配してくれたけど「目がかゆいだけ」なんて言って誤魔化した。
徐々に暗くなってきて、みんな帰って行ったけど、私はどうしても帰る気にはなれなかった。
帰ったらまた怒られる。また蹴られるかも。帰りたくない。でも家出する勇気もない。
気付くともう真っ暗になっていた。
公園の真横には、団地の出入口に繋がる大きめの道路がある。私は公園を囲む低めの塀に登って、道路を見下ろす形で縮こまって座っていた。
もう何時になったか分からなくなってきた頃、奥から一台の車が走ってきた。
私の目の前で停まったかと思うと、窓が開いて「何してるの?」と運転席の男の人が話しかけてきた。
父親くらいの年齢の人だった。
「なんでもないです」
と少し警戒しながら答えると
「もう遅いよ。早く帰らないと家の人が心配するよ。」と言って、私が小さく「はい」と答えると、その男の人は窓を閉めて出入口のほうへ車を走らせていった。
緊張が溶けてまた縮こまって座っていると、今度は車が来た同じ方向から、女の人が歩いてきた。
素通りしていくかと思ったら、私の目の前にきて「どうしたの?」と声をかけてきた。
ちゃんと見ると、背中に赤ちゃんをおんぶしている。弟くらいの小さい赤ちゃんだった。
「なんでもないです」
とさっきと同じように答えると
と言われた。
「ママとの約束やぶったから怒られた。帰ってもまた怒られる」と、そんなことを泣きじゃくりながら言ったと思う。
女の人は「家に帰ろう?ママもきっと心配しているよ」と言ってくれたけど
「心配なんかしてない。まだ怒ってる」
と私はなかなか引かなかった。
でも女の人は「ちゃんと謝れば大丈夫だよ。私が玄関の前まで一緒に行くから」と優しく言ってくれた。
私もようやく帰る気になって、女の人と一緒に自分が住んでる棟まで歩いた。
棟の中まで入ると「ここまでで大丈夫?」と言われたので「うん。」と答えた。
「ちゃんと謝れば大丈夫だから、ね」と言って女の人は帰っていった。
私も意を決して自分の家がある2階まで上がろうとしたとき、弟をおんぶした母親が階段を降りてきた。
ここで私の記憶は終わっている。
多分母親に「なんで帰ってこなかったんだ」とものすごく怒られただろうし、ものすごく泣いたと思うけど、ここから先はちゃんと覚えていない。
そして何年もたった今、思うことがある。
あの女の人は、最初に声をかけてきた男の人の奥さんだったのではないかと。
二人とも同じ方向から来たし、暗い中わざわざ赤ちゃんをおんぶして外に出てくるなんてそうそうないと思う。(田舎なので買い物に行く場所も近くになかった)
当時はスマホなんてない。
もしかしたら、男の人は固定電話か公衆電話で女の人に、私の様子を見に行ってくれと頼んだのではないのか。
ただの憶測だけれど。
それから数年後には私達家族は引越したし、この話自体ももう20年以上も前のことなので、どうやっても確認はできない。
あのときおんぶされてた赤ちゃんも、多分弟と同い年なので立派な大人になってるはず。
私も昨年、一児の母になった。
このことを思い出すと、いつかは私も母親のように自分の子供を怒って蹴り倒してしまうのだろうかと不安になるし、もし当時の私のような小さい子を見かけたら、どう対応すればいいのか悩んでしまうと思う。
でも、あのときの夫婦(仮)のように、連帯して助けることができたら良いなと思っている。
届かないと思うけど、あのとき声をかけてくれたお二方、本当に本当にありがとうございました。
同性婚には賛成なんだけど
普通に考えて結婚って風習の経緯を考えたら異性間の契約で間違いないと思う
少しでも教養があればポリコレが憲法の上位に来ることなんてあり得ないと分かると思うんだけど…
こんな活動するくらいならLGBTで連帯して、結婚に相当する法律案まとめてその成立を目指すべきなんじゃないかな
これならあっさり別に異性愛者との議論も必要ない憲法と戦う必要もない
ただ、国会を通すだけ
うちの職場の女性陣には「うちはバレンタイン禁止だから」と取り決めがあり(男性陣には共有されていない)チョコを贈ってはいけないとされている。
くだらねえ。
あげたい人はあげればいいし、あげたくない人はあげなきゃいいし、なんでそこで協定を結ぶのか。
ってんで無視して(でも怖いのでこっそり)あげてたら、
上司がむじゃきに「わーありがとー今日バレンタインだっけー!」と高らかに叫び、
すぐさまおねえさまがたから、壮絶なまなざしと、氷の気配を向けられる。
上司ふざけんな!!でもそういうところ好き!!
でもほんとに、バレンタインなんてお祭りだし、祭りに乗じて感謝の意を示すのがなぜ悪なのか。
そんなルールで行動を縛らなきゃいけない時点で、とっくに乱れてるだろう……和……ッ!!
意味のないルール作って連帯して、構成員の行動を縛って序列を作り、心と体を支配して、
そんでもって、そこに参加しない誰かを仲間はずれにすることで維持・機能していくんだよねーーーーー。
●●ちゃん、私とのやくそくやぶったんだよ!ひどーい!あの子となかよくしたら、▲ちゃんもきらいになるからね!
ってのを、もう、生まれて死ぬまでずっとやってろおまえらは!!!!!
その、くだらない仲間はずれによって、●●ちゃんが具合悪くなったとか、学校これなくなったとか、
そういうことはべつにいい。
生きていれば不条理なことは山ほどあって、この不遇も、そのひとつなのだ。
いずれにせよ戦っていく体力は必要なんだ。戦うも逃げるも立ちすくむも、個人の自由と責任でよろしくなのだ。
そうじゃなくて、そういう集団のあり方の、醜悪さが、私はぜったいに許せない。
それは個人の感情を超えた、もしかしたら遺伝子にインプットされているかもしれない醜悪さ。
つまるところ、彼女らの連帯目的は、何かを攻撃したい嗜虐性や、不安な自分を安心させたい弱さじゃないか?
それがその身にあるとして、他者に向けず、腹中におさめるのが「おとなの知性」だろうが。
バレンタイン、あげたい人はあげる。あげくない人はあげない。
返したい人は返す。返したくない人は返さない。
旬ジャンルだなって思ったぞ。さすがだな。
ジャンルの中にある気に食わない二次創作は声でかくして束になって全力で潰せば潰れるってやつ。さすがでかいジャンルだな。
でかいジャンルになれば様々な二次創作が生まれるのは仕方ないこと。多数の人間がいるんだから様々なネタが生まれる、それだけジャンルが活発ってことだ。
もちろん自分にとって気に食わない二次創作も出てくる、自ジャンルでも全ての二次創作を好きになるなんて無理だからな。俺だってきらいなもんあるぞ。
だからって気に食わないものをでかい声出して潰すってのはどうかと思う。
自分が気に食わないもの、それが好きで創作してる人間だっている。ディスプレイの向こうにいるのは人間だ。AIが創作してんじゃねえぞ。
声でかくして連帯して気に食わないものを潰してりゃ、ほかに同ジャンルで創作している人間も次は自分が潰されんじゃないかと怖くなる。創作意欲が萎えてジャンルから去るだろう。
もちろん新規の人間も入りにくくなる。近寄らない方がいいって思われる危険な界隈になる。ジャンルは縮小していくだろう。
最後に残るのはでかい声出してりゃ何でも許されると思ってる人間たちの内輪ネタのディストピアだ。
いやなものは潰すんじゃなく、スルーしてやれって思う。ブロックだってミュートだって無視だっていい。とにかく放っておけ。
「アベ政治を許さない」に感じる違和感 https://www.yomu-kokkai.com/entry/abe-seiji-wo-yurusanai を読んでの感想
"そこにあるのはむき出しの怒りだけ"
これでちょっと思ったのは彼らは「正当で一定の支持が得られる怒る理由が欲しいんじゃないか?」と。
アンガーマネジメントという言葉がある通り、喜怒哀楽のうち怒りの感情だけが管理、コントロールする必要があるとされている。
隣にいる他人が「怒ってる人」「喜んでいる人」「悲しんでいる人」「楽しんでいる人」のどれが嫌がられるかを考えればなぜそうなるかは分かると思う。
では怒りの感情は努力で小さくできるかというとそうではないだろう。
貧乏な家庭環境であったり、仕事が忙しかったり、思い通りにならない他人など、自分だけでは対処しにくいことで感じる怒りはことのほか多い。
怒りは溜め込まれる一方でなかなか表に出して発散させる機会がない。
そこで怒られるのは国家代表である政治家や総理大臣の登場である。(他には大企業の経営者がいる)
国民全員を満足させる政策なんてないのだから彼らの怒りにはしっかりとした理由付けができる。同じ境遇の者が集まって政策批判・反対運動ができる。
バズった怒りネタで怒りを解放していいねを集めて連帯している快感を得ているのと同じなんじゃないかと思う。
これは逆方向から見ても然りで、そうした人たちに反対する人にも一定の正当な理由付けができる。
怒る相手が政治家からいわゆるサヨク・リベラルに変わっただけのことである。
彼らの怒りは政治に対する怒りのようでいて、別のことで発生した怒りを政治にぶつける八つ当たりのようなものなんじゃないだろうか。
怒りの感情を開放させる目的の者同士が敵対して互いに怒りをぶつけ合い、それによって共に怒りが増幅し、共通の敵を持つ者同士で連帯を強めて政治集団は先鋭化していくのであろう。
こうして、国や自分にとって良い政治はなにかを考える人たちと、誰かに対して怒りをぶちまける(批判・攻撃する)人たちが同じ政治思想のように見えても根本的な動機が違っていて、身内同士で分断していくのだろう