「アベ政治を許さない」に感じる違和感 https://www.yomu-kokkai.com/entry/abe-seiji-wo-yurusanai を読んでの感想
"そこにあるのはむき出しの怒りだけ"
これでちょっと思ったのは彼らは「正当で一定の支持が得られる怒る理由が欲しいんじゃないか?」と。
アンガーマネジメントという言葉がある通り、喜怒哀楽のうち怒りの感情だけが管理、コントロールする必要があるとされている。
隣にいる他人が「怒ってる人」「喜んでいる人」「悲しんでいる人」「楽しんでいる人」のどれが嫌がられるかを考えればなぜそうなるかは分かると思う。
では怒りの感情は努力で小さくできるかというとそうではないだろう。
貧乏な家庭環境であったり、仕事が忙しかったり、思い通りにならない他人など、自分だけでは対処しにくいことで感じる怒りはことのほか多い。
怒りは溜め込まれる一方でなかなか表に出して発散させる機会がない。
そこで怒られるのは国家代表である政治家や総理大臣の登場である。(他には大企業の経営者がいる)
国民全員を満足させる政策なんてないのだから彼らの怒りにはしっかりとした理由付けができる。同じ境遇の者が集まって政策批判・反対運動ができる。
バズった怒りネタで怒りを解放していいねを集めて連帯している快感を得ているのと同じなんじゃないかと思う。
これは逆方向から見ても然りで、そうした人たちに反対する人にも一定の正当な理由付けができる。
怒る相手が政治家からいわゆるサヨク・リベラルに変わっただけのことである。
彼らの怒りは政治に対する怒りのようでいて、別のことで発生した怒りを政治にぶつける八つ当たりのようなものなんじゃないだろうか。
怒りの感情を開放させる目的の者同士が敵対して互いに怒りをぶつけ合い、それによって共に怒りが増幅し、共通の敵を持つ者同士で連帯を強めて政治集団は先鋭化していくのであろう。
こうして、国や自分にとって良い政治はなにかを考える人たちと、誰かに対して怒りをぶちまける(批判・攻撃する)人たちが同じ政治思想のように見えても根本的な動機が違っていて、身内同士で分断していくのだろう
またプライベートモードで嵩上げw
みんな自分の怒りに正義と名前書いて、他人を殴りたくてしょうがないんだよ アベ叩き、異性叩き、パワハラ叩き、結局全部やり場のない怒りで成り立っている