はてなキーワード: 自体とは
これについて色々考えてみたが、埼玉県が位置している地理的な要因ということに突き当たるのではないかという結論に達した。
北関東3県に接していて、そのさらに北側には東北地方・新潟県が広がっている。
埼玉県内を通っている東北・上越新幹線、東北自動車道、関越自動車道は、これら東北地方と首都圏を結ぶ幹線ルートである。
なので、埼玉県=東北地方・新潟県のイメージがついてしまい、それがダ埼玉に結びついているのではないか。
東北地方から上京する東北人の人達が埼玉に住むパターンが多いことからもわかるだろう。
埼玉県そのものがダサいのではなく、東北地方のダサさと同一視されている。
大宮や浦和の街並み自体は、決してダサくもなく日本有数の洗練された都会だと思うよ。
これならば、ダサさとは無縁で洗練されたイメージのある神奈川県についても説明できる。
神奈川県内を通っているのは、太平洋ベルト地帯を通る東海道新幹線と東名高速道路である。
日本最大の人口と工業地帯を擁する京浜~東海地方~京阪神地方を通る二つの大動脈であり、神奈川県はこれらと同一視されている。
民法第1条3項は有名な規定で、 権利の濫用はこれを許さない、と書いているが、判例で、この規定は民法全体に射程範囲が及ぶとされ、いわば、天から降って来た技術的規定であると
解されている。たとえば、令和6年7月3日最高裁大法廷判決において、 民法724条後段の20年は除斥期間であるが、旧優生保護法の規定による除斥期間による権利消滅を主張
することは、あまりにも正義衡平の理念に反するとして、民法1条3項により、権利濫用として許されないとされた。平成元年12月21日の最高裁第一小法廷判決では、当事者が、この趣旨を
主張していたが、当時の最高裁は、 民法724条後段の20年は除斥期間であるから一律の適用すべきであるとして、権利濫用法理は、「主張自体失当」であるとした。しかし、今回の
最高裁大法廷判決は、除斥期間の主張も権利濫用になりうるとして、平成元年の当事者の主張を実質的に認めたという意味で、民法1条3項が、民法724条後段の除斥期間の主張にも
及ぶという華々しい構成となった。
以下詳述。
そもそもフェミさんたちの理論的背景って明らかに社会主義だろ?
で、社会主義国家とかってさ、歴史の教科書とか見てもわかると思うんだけど、「文化戦略」「文化闘争」みたいなのめっちゃやるじゃん。
なんか一目見て「プロパガンダだな~~」って思うようなポスター作ったりとか。
わかりづらければ北朝鮮の「コンギョ」とか思い出してみてもいい。あれもプロパガンダ音楽じゃん。
こういう事例見てわかるように、社会主義にとって文化ってのは「ある思想をどれだけ効率的に大衆に伝えられるか?」が重要なポイントなんだよな。
そう考えればフェミさんたちが表現におけるポリコレを重視する理由もよくわかる。
「この作品はジェンダーについて(フェミさんにとって)正しい描写をして、その思想を織り込んでいるから100点」
「この作品は政治的に正しくない思想(右翼思想とか)が織り込まれているから-100点」
みたいなジャッジになるわけさ。
それを細分化すればキャラ造形だったり、キャラの発言だったり、そういうとこまで「いかに正しい思想が織り込まれているか?」で評価する。
一方でオタクは物語それ自体を面白いか面白くないかでジャッジする。
物語として面白いか面白くないか?というのは、その作品における論理性が高いかで判断される(と俺は思う)。
「この作品は冒頭におけるAというシーンを結末においてA'として描いており、その変化の過程がスペクタクルでわくわくさせられるから100点」
「この作品のBというキャラの発言がブレすぎていて意味不明なので-100点」
みたいなジャッジになるわけ。
そら噛み合わないよねw
結局、フェミさんってか左翼、リベラルは文化を舐めてかかってるから思想の広告塔としての価値しか見出していない。
だから広告塔としての価値がない作品は表現規制しようが焼こうがお構いなしなわけ。
もう少し忍耐強い人のために実例を出すと、黒人になったリトルマーメイドあったろ?あれは
フェミさん・・・「これまで白人が演じていたリトルマーメイドをブラックパワーで上書きした。これは人種(アメリカの黒人に限定される)差別はよくないという思想を適切に伝えているから100点!」
オタク・・・「そもそもこれまで白人で赤い髪として描かれてきたアリエルを黒人にするには相応の理由が必要では?これまでの『リトルマーメイド』という作品が積み重ねた定型を崩す意味が無いように見えるから-100点」
となるわけ。もう立ってる土台が違い過ぎるでしょ
もちろんオタクに単なる差別主義者もいるだろうけど、それは本論では割愛な。言い出すとキリないし。
最近作られた指輪物語のアマゾン限定かなんかのドラマで黒人ばっかりがいい役に起用された話。
あれも
フェミさん・・・「黒人も政治的リーダーになることができるしそうあるべきという正しい政治思想を伝える機能があるから100点」
オタク・・・「あれは作中時間的に前日譚で、以前作られた指輪物語に接続する。そうすると、以前作られた指輪物語には黒人があまり出てこないが、そこの論理性はどうなるのか?前日譚から本編時間までの間に黒人キャラの子孫は絶滅させられたのか?作品時空を考えていないから-100点」
となるわけだ。
こうやって実例を示してきたからもうわかると思うけど、この件に関してはフェミさんっていうか左翼・リベラルが感覚を改めるべきなんだよね。
多分これなんて読まれないだろうから大口叩くけど、フェミさん・左翼・リベラルは文化を舐め腐るのをやめてくれ。
ま、そんなことわかるようなヤツならリベラルなんかやってねぇか。
親愛なる読者の皆様、今日は電子メールコミュニケーションの神秘的な世界へと皆様をお連れする栄誉に浴します。特に、我々が日常的に使用しながらも、その深遠な意味を見過ごしがちな「CC」という概念に焦点を当てたいと思います。
「CC」という略語は、「Carbon Copy」の頭文字に由来します。この用語は、デジタル時代以前の文書作成の世界にまで遡ります。当時、複数の複写を作成するために、カーボン紙という魔法のような道具が使用されていました。この過程で生み出された複写は、原本の「カーボンコピー」と呼ばれていました。
なんと素晴らしい類推でしょうか!電子メールの世界で、我々は今もなお、この古代の文書複製技術の遺産を継承しているのです。
電子メールの文脈において、CCは単なる機能以上の存在です。それは、情報の流れを制御し、組織のヒエラルキーを反映する、洗練された通信プロトコルの一部なのです。
CCフィールドに受信者を追加する際、送信者は以下のような複雑な社会的・組織的ダイナミクスを操作しているのです:
1. 情報の透明性: CCは、特定の関係者に対して「あなたにも知っておいてほしい」というメッセージを送ります。これは、組織の透明性と情報の民主化を促進する上で極めて重要です。
2. 責任の分散: CCによって、メールの内容に対する責任が複数の当事者に分散されます。これは、古代ローマの元老院における権力分散の概念を想起させます。
3. 社会的証明: CCリストに名を連ねることで、受信者は特定の情報の循環に「参加している」ことを示すことができます。これは、中世の貴族が重要な文書に署名することで自身の地位を誇示したのと類似しています。
4. メタコミュニケーション: CCの使用自体が、メッセージの内容とは別の暗黙のメッセージを伝えます。これは、言語学者のグレゴリー・ベイトソンが提唱した「メタコミュニケーション」の概念に通じるものがあります。
CCの概念は、単なる技術的機能を超えて、存在論的な問いを投げかけます。CCされた受信者は、メールのコミュニケーションにおいて、シュレーディンガーの猫のような存在となります。彼らは同時に、会話の参加者であり、かつ観察者でもあるのです。
この二重性は、量子力学の観測問題を想起させます。CCされた受信者の存在が、メールのコミュニケーションの「波動関数」をどのように崩壊させるのか、それとも逆に複雑化させるのか。これは、電子メールの哲学における未解決の大問題の一つです。
親愛なる読者の皆様、我々は「CC」という一見単純な機能の奥深さを探求してきました。それは単なる技術的機能ではなく、人類のコミュニケーションの歴史、組織論、量子力学、そして存在論が交錯する地点なのです。
次回、皆様がメールを送信する際には、CCフィールドを見つめ、その中に隠された宇宙の神秘を感じ取っていただければ幸いです。
kenjou 統計的には特に高くないとか言う人は、子供を産んだ直後に母親が自殺してしまい、後に残される夫と子供がどうなるか、ということをまったく想像していないようだ。自殺する人がいること自体が問題なんだよ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4756127037517750784/comment/kenjou
石丸伸二さんの10〜20代からの支持率を見て、Ohマジか……となったので。
自分はぶっちゃけ、彼の支持者がテレビで「様々なことを論破していくのを見て〜…」って言ってるのを見た時点で、あっこの人は無いな、と思った。
数年前に某匿名掲示板開発者がSNSで流行り出したあたりから、そのぐらい「論破」という言葉を使う人間のことを信用していない。
デジタル大辞泉によれば、「論破」の語義とは「議論をして相手の説を打ち破ること」だ。「論破」の前提には「議論」がある。
では「議論」とはなにか。またデジタル大辞泉を引用させてもらうと、「互いの意見を述べて論じ合うこと」である。そりゃそう。
自分が「論破する!」と言いがちな人間を信用しないのは、こういう人間の目的がたいてい「議論」ではなく「論破」のほうだからだ。
「議論」とは自分と相手のどちらの意見が正しいか、どちらも部分的に正しいのか、あるいは間違っているのか、唯一絶対の正解がわからない状態でスタートさせるものだ。
それに最初から「論破する」目的で参加するということは、そいつの中に「自分の考えが唯一絶対の正解であり、それに反論する相手の論は絶対に間違っているので打ち破れる」という前提があることになる。
大抵自分が絶対に正しいと思っているやつは相手の話をろくに聞かないし、自分が属さないコミュニティからのインプットが欠如するから成長もしない。(これは10年そこらの経験による個人的な偏見なので異論もあるでしょう)なので信用できない。
都知事選後からXで『石丸構文』が流行り出したが、「議論」をしに来た人と「論破」をしに来た人が面と向かってもそりゃお話にならないわけだ。『石丸構文』自体かったるくて斜め読みしかしてないけど多分アレはそういうシチュエーションなんだと思う。
国会だろうが都議会だろうがそこでやるのは「議論」のはずだ。「論破」がしたいなら政界になんか出てこないでインターネットでやってくれ、と思ってしまう。
しかしその「論破」芸を売りにした結果、石丸氏は10〜20代の有権者から大きな支持を得てしまった。自分が学生だった頃からも始まっていたディベート教育、日々目に映るインターネット論破バトルや先述した論破系Youtuberの影響かもしれない。ともあれ最近の若者は「論破」に並々ならぬ魅力を感じているらしい。
が、一度よく考えて欲しい。政治の話でもなんでもいいが、人と話をするときに、「論破」を目的としてしまっていいのか。
すまん。元増田のどこが、お前のようなハッタショ増田だけのトラバほど中身がないのか、全く理解できないのだが(少なくともテンプレ反論よりは明らかに創作性が認められるだろう)
また、それ以降の中身のないテンプレ反論に対して、反論すべき中身自体がないのだから、中身のない返しをするのが限界なのは当然で、非難されるいわれはないだろう。
https://x.com/poe1985/status/1811005563603669324
色々な人から都知事選のことを聞かれるので一応書いておきますね。少し長い文章なので、興味ある人は読んで下さい。
日曜日に日本テレビの選挙特番で、東京都知事候補だった石丸伸二さんと初めて話しました。
中継のせいなのか、出来の悪い生成AIみたいな話しぶり、という印象でした。いや、今時ChatGPTでももっとスムーズに会話できるので、面白かったです。本来は聡明な方でしょうから、そういう戦略だったんでしょうね。
全編はネットで観られると思うのですが、あらためて説明をすると、僕が一番関心を持ったのは、石丸さんが何をしたい人なのかということです。
たとえば石丸さんは、今後の政治活動について聞かれて国政進出を否定しませんでした。
一方で国会議員になるということは、「立法府の一員」となる、ということです。法律を作る仕事ですね。
だから知事を目指すことや、市長であることと、国会議員を目指すということは
だからその点を質問されたら、答えって何パターンもないんですよ。
具体的に作りたい法律の話をするか、行政の限界の話をするか、になるはずなんです。
てっきり、そういった答えが返ってくるのかと思いました。
たまに取材などで「もし国会議員になったら何をしたいですか」と聞かれることがあります。
曖昧に「少子化対策」とか「東京一極集中の打破」とか言っても意味がないんです。
世論を盛り上げるという意味で言論人でもいいし、NPOなどソーシャルセクターで働いた方がいいことかもしれない。
なぜ他の仕事ではなく、国会議員なのか。それって結局は、法律の話なんです。
だから、やりたいことが具体的な人の場合、行政と立法が混じるってことは、あんまりないんですよね。
どこでもいいから選挙で勝てばいいと考えている場合。(それは他の候補者にも言えます)
あれ、それって石丸さんの定義した「政治屋」そのものじゃないの?
僕は安芸高田市民ではないので批判する立場にはありませんが、市長は途中で辞めてるし。
だから、石丸さんの批判する「政治屋」と、石丸さん自身がどう違うのかを何度も聞いたんです。
そこを聞けば、具体的な話になると思ったからです。
でもならなかった。こっちとしては不思議でした。
今回のやりとりのように「答えない」という戦略があってもいいと思います。
だとしたら、選挙特番などの番組自体に出ない方がよかったと思うんですよね。
もし僕が石丸さんのアドバイザーだったら、テレビ局からの出演オファーは全て断りました。
自分が主役になれて、演出もできるメディアを中心に人気を集めてきた人ですよね。
いい部分だけを見せてきた。
これは別にネット特有の現象ではなく、昔からある一流俳優さんのブランディングと近いです。
出演するとしたら、自分に配慮してくれる司会者のいる、自分が主役になれる番組だけ。
実際、うまくブランディングできている俳優さんって多いと思います。
そういう戦略でやってきたんだったら
開票が始まってからは、支持者とだけ交流して、それをYouTubeなどで流せばいい。
その切り抜き動画の拡散と、「2位」という結果で、さらに人気が出たと思います。
一流俳優戦略を貫けばよかったのに、惜しいことをした、と他人事ながら勝手に残念がっています。
あと、もうここまで長いと読んでないかも知れませんが、石丸さん支持者の方に勝手にアドバイスを。
石丸さんを批判する人も仲間にしていかなくちゃいけないわけです。
反・石丸の人を、攻撃的にののしっても、仲間は増えないと思うんですよね。
「ごめんなさい、私が間違っていました、これからは石丸様についていきます」ってならないよねえ。
だったら「石丸さんの支持者っていい人が多いな。まともだな」って思われた方が絶対にいい。
政治ってもちろん最後は戦いです。敵と味方にわかれて戦うわけです。
でも常日頃から戦っていたら仲間は増えません。
これで失敗してきた先人がたくさんいるので、一応共有しておきますね。
論破とか攻撃ではない、新しいコミュニケーションがもっと政治の世界にも増えていけばいいと願っています。
(お前が言うなって言われそう。山崎怜奈ちゃんとかが言った方が説得力あるかも)
何にせよ民主主義は風前の灯火かも知れないけど
それって直接レイプしたりする以外は性犯罪に当たらないと思ってるから出てくる発想だろ
こっちからしたら「身体男性が女性スペースに侵入する」事自体が性犯罪なんだから
性的少数派のうち少なくとも女性自認(自称)男性は大多数が性犯罪者だよ
こんな性犯罪思考の人間が大勢いるなら、そりゃハチミツ男も器物損壊で済んで性犯罪としてカウントされないし、
表向きは性犯罪の発生率が低くなる訳だわ
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20240710160417
すまん。元増田のどこが、お前のようなテンプレ反論だけのトラバほど中身がないのか、全く理解できないのだが(少なくともテンプレ反論よりは明らかに創作性が認められるだろう)
また、それ以降の中身のないテンプレ反論に対して、反論すべき中身自体がないのだから、中身のない返しをするのが限界なのは当然で、非難されるいわれはないだろう。
こっちはそもそも「身体男がちんぽブラブラさせて」女性スペースに入ってくる事自体を問題にしているのに
だから入ってきている時点で駄目だっつーの。
別にその後に何かされるから反対だと言っている訳ではない、そもそも入ってくる事自体が性加害だと言っている。
夜道で露出狂にあった女性はその事実だけで既に傷付いているのにレイプされた訳じゃないから大した事ないだろと軽視するセカンドレイピストや
転職組俺、年下の同僚(職場的には先輩)から「たまたま見ちゃったけどこのファイル公開してるのマズいっすよw」と忠告いただいて、それ自体はそのとおりですぐ非公開のとこに移したんだが、「自分の意思で見ようとしない限りは見えない」ファイルを見た上で「たまたま見ちゃった」はどういうことだと若干モヤっている。
「気になっちゃったんで見ちゃいました。これマズいですよ」ならわかる。
実は、別の同僚から「グループウェアの見える範囲はマジで何でも見ようとする人がいるから気を付けてね」と前に聞いていたので、ああこういう奴がいるってことだったんだなとようやくわかった。
たまたま見ちゃった君、多分本人も意識せずに嘘をついているわけだが、こいつはそういう嘘を言う奴なんだなということと、自分に関係ない他人の予定を一々チェックしてる奴なんだなということがわかった。
このモヤモヤは今後に活かしたい。
これ、別の増田が言ってたけど、『かっこよく見える人がいる』んだってさ
10代とか20代ってまだ社会に組み込まれていく過程の中にいる段階で、偉そうな老人やマスメディアみたいな権威が斬られる動画を見て格好良いと感じても仕方が無いよ。そう言う時期だと思う。
その言葉を受けた時、『ゆうてそれ言ってるやつおそらく若者じゃないぞ・・・?』(https://anond.hatelabo.jp/20240710115101#)って思ったが、
まぁ自分にも、他人には理解し得ない、良いと思うもの、厨二的感性があるので、あれがカッコイイと思う感性が存在すること自体は受け入れたんよ
あれがカッコイイと思う世界で生きてるから、常識の構築の状況が土台から多数派とは違うのよ
『カラスが公園で滑り台で遊んでいる』という話をしている時に『カラスってなんですか?(素)』『滑り台ってなんですか(素)』ってなってるわけ
某構文で相手してあげているうちに、気づける能力がある人は、気づけるようになるんじゃないですか?
気づける能力がない人についてはどうしようもない。生まれついてのものだから
そもそもれんちゃんもズバッと言ってやったぜ系のキャラで大顰蹙を買ってたのに、
それを更に特化させたのをカッコイイってなっているという大前提を忘れずにいると、
『こいつ何言ってるんだ???』ってならないで済むと思う