2024-07-11

論破」って言葉を軽々しく使う奴は信用してはいけないと思ってる

先日の都知事選を受け、いち有権者(20代)の所感壁打ち。

石丸伸二さんの1020代から支持率を見て、Ohマジか……となったので。

自分ぶっちゃけ、彼の支持者がテレビで「様々なことを論破していくのを見て〜…」って言ってるのを見た時点で、あっこの人は無いな、と思った。

数年前に某匿名掲示板開発者SNS流行り出したあたりから、そのぐらい「論破」という言葉を使う人間のことを信用していない。

デジタル大辞泉によれば、「論破」の語義とは「議論をして相手の説を打ち破ること」だ。「論破」の前提には「議論」がある。

では「議論」とはなにか。またデジタル大辞泉引用させてもらうと、「互いの意見を述べて論じ合うこと」である。そりゃそう。

自分が「論破する!」と言いがちな人間を信用しないのは、こういう人間目的がたいてい「議論」ではなく「論破」のほうだからだ。

議論」とは自分相手のどちらの意見が正しいか、どちらも部分的に正しいのか、あるいは間違っているのか、唯一絶対の正解がわからない状態スタートさせるものだ。

それに最初から論破する」目的で参加するということは、そいつの中に「自分の考えが唯一絶対の正解であり、それに反論する相手の論は絶対に間違っているので打ち破れる」という前提があることになる。

大抵自分絶対に正しいと思っているやつは相手の話をろくに聞かないし、自分が属さなコミュニティからインプットが欠如するから成長もしない。(これは10年そこらの経験による個人的偏見なので異論もあるでしょう)なので信用できない。

都知事選からXで『石丸構文』が流行り出したが、「議論」をしに来た人と「論破」をしに来た人が面と向かってもそりゃお話にならないわけだ。『石丸構文』自体かったるくて斜め読みしかしてないけど多分アレはそういうシチュエーションなんだと思う。

国会だろうが都議会だろうがそこでやるのは「議論」のはずだ。「論破」がしたいなら政界になんか出てこないでインターネットでやってくれ、と思ってしまう。

しかしその「論破」芸を売りにした結果、石丸氏は1020代有権者から大きな支持を得てしまった。自分学生だった頃からも始まっていたディベート教育、日々目に映るインターネット論破バトルや先述した論破Youtuberの影響かもしれない。ともあれ最近の若者は「論破」に並々ならぬ魅力を感じているらしい。

が、一度よく考えて欲しい。政治の話でもなんでもいいが、人と話をするときに、「論破」を目的としてしまっていいのか。

そして政治的な議題のなかに、誰しもを「論破」できるような唯一絶対の正解が存在するものが一体いくつあるというのか。

自分若者の1人ではあるが、近年の「論破信仰には結構危機感を感じている。

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