石丸伸二さんの10〜20代からの支持率を見て、Ohマジか……となったので。
自分はぶっちゃけ、彼の支持者がテレビで「様々なことを論破していくのを見て〜…」って言ってるのを見た時点で、あっこの人は無いな、と思った。
数年前に某匿名掲示板開発者がSNSで流行り出したあたりから、そのぐらい「論破」という言葉を使う人間のことを信用していない。
デジタル大辞泉によれば、「論破」の語義とは「議論をして相手の説を打ち破ること」だ。「論破」の前提には「議論」がある。
では「議論」とはなにか。またデジタル大辞泉を引用させてもらうと、「互いの意見を述べて論じ合うこと」である。そりゃそう。
自分が「論破する!」と言いがちな人間を信用しないのは、こういう人間の目的がたいてい「議論」ではなく「論破」のほうだからだ。
「議論」とは自分と相手のどちらの意見が正しいか、どちらも部分的に正しいのか、あるいは間違っているのか、唯一絶対の正解がわからない状態でスタートさせるものだ。
それに最初から「論破する」目的で参加するということは、そいつの中に「自分の考えが唯一絶対の正解であり、それに反論する相手の論は絶対に間違っているので打ち破れる」という前提があることになる。
大抵自分が絶対に正しいと思っているやつは相手の話をろくに聞かないし、自分が属さないコミュニティからのインプットが欠如するから成長もしない。(これは10年そこらの経験による個人的な偏見なので異論もあるでしょう)なので信用できない。
都知事選後からXで『石丸構文』が流行り出したが、「議論」をしに来た人と「論破」をしに来た人が面と向かってもそりゃお話にならないわけだ。『石丸構文』自体かったるくて斜め読みしかしてないけど多分アレはそういうシチュエーションなんだと思う。
国会だろうが都議会だろうがそこでやるのは「議論」のはずだ。「論破」がしたいなら政界になんか出てこないでインターネットでやってくれ、と思ってしまう。
しかしその「論破」芸を売りにした結果、石丸氏は10〜20代の有権者から大きな支持を得てしまった。自分が学生だった頃からも始まっていたディベート教育、日々目に映るインターネット論破バトルや先述した論破系Youtuberの影響かもしれない。ともあれ最近の若者は「論破」に並々ならぬ魅力を感じているらしい。
が、一度よく考えて欲しい。政治の話でもなんでもいいが、人と話をするときに、「論破」を目的としてしまっていいのか。
それあなたの感想ですよね はい論破