はてなキーワード: 移植とは
○ご飯
朝:ポロイチ醤油。おじや。昼:ばかうけ。アルフォート。夜:豚肉おじや。ネギ。間食:ばかうけ。アルフォート。
○調子
むきゅーはややー。おしごとは、おやすみー。
携帯電話専用ゲームとして発売されていたADVのニンテンドースイッチ移植版。
美女を自認する編集の木戸いづみが、担当作家で事件に首を突っ込みたがる鏡月正宗を作家業に専念させるために、事件の捜査をする。
現場の捜査と関係者の聞き込みをした後、真実を推理する流れだ。
30分もかからないボリュームなこともあり、物語やミステリというよりは、脱出ゲームなどにおける”謎解き”やクイズの領域で評価した方が良いかもしれない。
主人公木戸いづみの奇妙な言動や、シリーズを通して出演している容疑者の滑稽な挙動などコメディとしてクスッと来る場面はそれなりにあって、独特の味になっている。
肝心の謎解きパートはこのボリュームなら仕方ないとはいえ、流石に議論の余地が残る大雑把なもの。
ミステリと、脱出ゲームなどにおける”謎解き”やクイズとの大きな差はまさにここで、唯一無二の絶対の真実なんてものの絶対性の保証されなさから、ミステリは議論を尽くす、即ち謎解きに費やす文量こそが最大の魅力だと思うが、本作はまあクイズ寄りだろう。
ジャンルを包括した何か大きなことをどうこう言うような規模の作品ではないが、自分の好みが謎を解く過程の議論にあることを再確認できた。
勿論、好みの大小に過ぎずこれはこれで嫌いではなく、プレイ中は楽しく遊んでいた。
以下に記すのは、現在進行中のラスプーチンのホルマリン漬け超巨根チンポを巡る闘争について、私が知り得た情報である。
ラスプーチンのホルマリン漬けの巨根チンポを知っているだろうか。知らない人は、是非ともググってみてほしい。それが博物館に所蔵されていたのだという事実に、さぞ驚かれるだろう。なぜ一介の歴史上の人物で、しかも悪名高い人物のチンポが博物館に所蔵されていたのか。それはつまり、ラスプーチンポが世界に平和をもたらすキーのアーティファクトであるからだと、私は確信するに至った。
――世界の果てにある祠。そこにある鳥人像の股間にラスプーチンポをはめると異世界から天使が召喚される。
そう語るのは、テルンベルン大学考古学部のテント・セルベール教授。
と、教授はそう語った。
ここで、なぜ今世界でラスプーチンポについての関心度が急激に高まっているのか、整理してみよう。ときは一年前、ロシアによるウクライナ侵攻の少し前に遡る。
当時、アイスランドのペニス博物館に所蔵してあったラスプーチンポが突如所在不明になった。程なくして、エージェントが全世界を飛び回りラスプーチンポを探し回っているとの憶測がSNSを中心に拡散された。
その憶測は正しかった。今や、連邦政府のみならず、さまざまな小国家までもがラスプーチンポを求めて全世界にエージェントを派遣している。
ET組織はラスプーチンが埋葬されているサンクトペテルブルクの某所の墓を掘り起こした。そして、採取したラスプーチンの細胞を苗床に、第二のラスプーチンを錬成する科学実験を試みている。
しかしながら、その実験はこれまでのところことごとく失敗に終わっている。どうしてもチンポが短小のジャンクラスプーチンが生成されてしまうのである。
そしてときは現在に至る。ラスプーチンポを巡る世界の動きを世に知らしめた、複数のジャンクラスプーチンの大脱走事件は世界に大きな衝撃を与えた。
脱走したジャンクラスプーチンたちが世界の果ての祠を破壊しようとしている。ラスプーチンポを手に入れて自分に移植しようとしている。その情報のソースは、ET組織に残されたたった一体の、実験室に残ったジャンクラスプーチンが自らの分身の思考を読み取って得られたものである。当初ET組織はジャンクラスプーチンの脱走からなる、その一連の情報を秘匿していたが、全世界でジャンクラスプーチンの凶行が目撃されていくにつれ、内部からリークされた。
ジャンクラスプーチンの動向いかんでは、世界の歪みを増幅させてしまう危険性もあることが、今回の騒動の核である。
世界中のどの勢力も、天使の力を手に入れることに躍起になっているため、テロや戦争が絶えない世界は依然として続くであろう。
最近昔を思い出して、
YoutubeでロマサガのBGMとかプレイ動画とか見てるて、
「ただ単に昔の思い出を美化してるだけやぞ。
あんなバグとマスクデータと簡悔まみれのゲームを買うよりNIKKEのガチャ回そうぜ」
って言ってくる。
スクウェア・エニックスはディベロッパー兼パブリッシャーであるスクウェアと純粋にパブリッシャーであるエニックスが合併して生まれた。現在も自社開発だけではなく外部の協力会社とともにゲームを作る割合が高い
たとえばニーアシリーズはスクエニのIPだが開発はプラチナゲームズやアプリボットが担当している。つまりプログラマーやグラフィックデザイナーといった開発スタッフはスクエニの社員ではない
昨年話題になったパラノマサイトも、シナリオやキャラクターデザインは社内の人間だが、開発自体はジーンが行っている
スクエニの新規タイトルのうちの多くは過去カタログのリマスターやリメイクであり、それらの開発は外部の会社に任せることも多い
カプコンもグループ会社であるケーツーなどに移植やDLCの開発を任せたタイトルはあるが、主だった同社のタイトルは内製であり、スクエニと安易に比べることはできない
漫画原作のテレビドラマにおいて、メディアに合わせた原作の改変は必要不可欠である理由は多岐にわたります。異なるメディアはそれぞれ独自の特徴や表現手法を有しており、原作を忠実に再現するだけでは視聴者に響かない可能性があります。以下に、この主張の背後にあるいくつかの理由を探ります。
第一に、漫画とテレビドラマは視聴者に情報を伝える手段が異なります。漫画は静止画を通じて物語を進め、読者は自らのペースで進行を制御します。しかし、テレビドラマでは時間と映像が制約され、瞬時に情報を伝える必要があります。このため、漫画からドラマへの適応においては、ストーリーの要素や登場人物の性格を調整することが必要です。メディアに合わせたテンポや伝達方法の工夫が、視聴者により深く訴えかける手段となります。
また、漫画とテレビドラマでは視聴者との関わり方が異なります。漫画は一人で静かに読むことが一般的であり、読者は自身のペースで物語を消化します。しかし、テレビドラマは多くの人が同時に視聴する媒体であり、共感や感動を共有することが強調されます。原作の改変によって、視聴者とより深い共感を生む演出やストーリーの変更が可能となります。
さらに、漫画からテレビドラマへの移植においては、映像表現の力を活かすことが求められます。漫画では描写が限られている中、テレビドラマでは音楽、演技、映像など多様な要素が組み合わさり、より豊かな体験が可能です。このため、原作の改変を通じて視覚的な演出や音響効果を活かし、物語に奥行きや感情の深みを与えることが重要です。
原作の改変はまた、新たな視聴者を引き込む手段ともなります。漫画原作のテレビドラマは、原作ファンだけでなく、新たな視聴者にもアピールする必要があります。時には原作とは異なる展開やキャラクターの変更によって、予測不可能性や新鮮さを提供し、広範な層に愛される可能性が高まります。
最後に、制作上の制約も考慮すべき点です。特に長編漫画をドラマにする場合、全てを忠実に再現することは困難であり、短い時間内で的確に伝えるためには適宜の改変が必要です。これにより物語の要点がしっかりと描かれ、視聴者にとって理解しやすいものとなります。
総括すると、漫画原作のテレビドラマにおいては、メディアに合わせた原作の改変が不可欠です。異なる表現手法、視聴者との関わり方、映像表現の利用、新規視聴者へのアピール、制作上の制約といった要素を考慮し、オリジナリティを損なうことなく、より良いエンターテインメントを提供するためには、柔軟なアプローチが求められます。
ビックリした。
めっちゃ短いじゃん。
プレイ時間が100時間のゲームを月に一本遊んだとして年12本×50で600本しか遊べない。
ビックリだわ。
各歴代ゲーム機の人気ソフトベスト100をやろうとしても6台ぐらいで終わりだ。
50時間でクリア出来るゲームもあるし、10時間で終わる名作もあるけど、それを考えて3倍に増やしても20台弱のゲーム機までしか網羅できない。
今までの人類の歴史を振り返って「まあそれでいいんじゃね?」と思ってる人間は考えが薄すぎるよ。
あのね。
50年しかないけど、同時に50年もあるんだよ。
20台で収まるかどうかさえ分からない。
これから生まれるゲーム機の名作を上から100個ずつ遊ぶか、これまでに出たゲーム機の名作を上から100個ずつ遊ぶか、どっちかしか選べないんだよ!
ここで大事なのは「2倍の種類を楽しもうとしたら楽しめる数は1/2倍になる」ってこと、帰納法で考えれば「N倍の種類にしたら1/Nの数になる」ってことだよ。
今はゲームのことだけ考えたけど、映画・ドラマ・読書・スポーツとかで考えてみようか!
大雑把に1/5倍ずつ頼もうとしたらゲームの方は上から10個ぐらいが精一杯になるね。
なんてこった!
人生は恐ろしいほどに足りない。
趣味の種類を増やしていけば一つ一つはあっという間に薄まっていく。
気づけば最も人気のゲーム機3つの人気ソフト上から5本ぐらいが精一杯とかになるかも知れないな。
凄いことだ。
人生に対して世界は狭すぎるし、その割には働く時間は長すぎる。
色んなことに飽き飽きするには人生は凄く短くて、とにかく足りないものばかりで構成される。
焦りが凄い勢いで吹き出してくる。
それらを全部吹っ切るために「釣りをのんびり楽しめばいいんだよ」とか極論に走っちゃう人がいるんだろうな。
多分だけどそういうのって最後の最後になってから突然後悔するんだよ。
「なんで俺は釣りをのんびり楽しめばなんて強がった!もう時間が残ってないぞ!」となると思うんだ。
ちゃんと向き合うべきだ。
どうしたらいいんだろう。
手っ取り早いのは不老不死になることで、遠い昔であれば天国を信じることだった。
今は脳を機械に移植するとか転生するとかが主要な考えみたいだ。
現実的に言えば資本家になることって、それを格好つけていったのがFIREってことみたいだ。
皆同じようなことに悩み過ぎだろ。
FFは全部やったけどDQはやったことないからって何だというんだ。
ビートルズは一通り聞いたけど松任谷由実はほとんど聞いてないからって人生の価値がそんなに変動するかよ。
淡々と割り切ればいい。
あとで後悔するとか知ったことっちゃない?
そうだろ?