はてなキーワード: 流入とは
コロナ先進国である中国にいると、中国で起こったことが次に世界に起きるのでタイムスリップしたような感じ。
今の中国で起こっていることを書いてみる。
中国では地図アプリやナビを使う場合には携帯電話番号の入力が必須。
これによって個人の所在が把握できているので、集団感染や濃厚接触者のトレースが容易になってます。
コロナの集団感染に対する効果はかなりデカいので、このプライバシー侵害に対する議論が発生するでしょう。
【食料高騰】
前から輸入食料は高騰していましたが、働き手の不足によって、更に食料が値上がりしています。
場所にもよると思うけど、よく行くスーパーでのお肉類の価格は以前の倍、日本で買うのと同じくらいの価格に跳ね上がっています。
中国でもこんな感じなので、日本でも中国からを始めとした輸入食材の値段は高騰するでしょう。
【鎖国】
一時期、中国では海外からの全流入者に対してPCR検査の義務付けと14日間の指定ホテルでの隔離を義務付けていましたが、
すぐにホテルのキャパシティをオーバーしたために、今は外国からの流入を制限しており、ほとんど鎖国状態で復帰できていません。
中国にも外国からの出稼ぎ労働者が多くいます。そして最近のコロナ発症者はほとんどは海外からの流入者です。
例えば『外国人が集まる○○地区はコロナが既に数千人発症しているが当人たちは申告していない』とか。
こういうデマが蔓延しているので、外は出歩けているものの外食は出来ない状況です。
中国の超な政府・公安による統治で、この程度ですんでいるんだけどまぁマジでリスクだらけです。
こちらでは春節中に田舎に戻ってからずっと自然のなかで楽しく過ごしている金持ちが一番幸せそうです。
正直、艦これから他の艦艇擬人化ゲームに移ってしばらくして自分の中では存在感ほぼなくなってたから、
ちょっと前のパクリだの何だのわめきたててるとくさんみて「艦これまだ生きてたのか……」と感じている。
びっくりなのがこの前やってたアニメ見て、艦これすらやったことない層が「これって艦これのパクリのやつ?」みたいなこと言ってたってことだ。
未だにそういう認識なのが驚きだが、そもそも艦これとか艦艇擬人化とか知らんかったらパクリにしか見えんのだろうな。喚いてる荒らしの声の方が届きやすいからな
例えば一般人にボーカロイドって言ってもわからんけど初音ミクなら知ってるみたいな。
こちらの界隈にとっては、艦艇擬人化ってくくりの中の一つにしか過ぎない艦これだけど、大抵の日本人に取っちゃ艦これが唯一無二絶対の「艦これ系」ゲームであって、類似する艦艇擬人化ゲームは単なるパクリという認識らしい。
例えると「結月ゆかりって初音ミクのパクリでしょ?」って言ってるようなもの。
ただ、漫画に関しちゃどうでもいいのか全く興味がないらしく噛み付いても来ないよね。ゲームのみが唯一の娯楽で漫画とかアニメには興味ないみたいね。あの層。(まあ、鋼鉄少女にしたってアルペジオにしたって艦これより前からある作品だから噛みつきようがないんだろうけど)
コラボ作品のアルペジオにしたって「アルペジオ?知らん。興味ないし」みたいに言ってる奴もいたしな。
艦これプレイヤーって艦これだけやって他のものに興味が広がるってこともないみたいだ。
でまあ、自分としては「艦艇擬人化は艦これ以前からあった」と多くの人に知ってもらいたくもあり、パクり言われてるアレもそもそもシステム違うから別モンだよと言いたくはあるが……そもそもこんな事は何年も前から、俺より詳しい人間が何度も説明している。
……んだが一向にこのことは周知されない。多分、艦艇擬人化に興味あるんじゃなくて単に、艦これのゲーム部分にしか興味が無い。艦艇擬人化の歴史やら類似するゲームなんかどうでもいい。と言うのが心情なんだろう。
まあ、そういう興味ない連中にアレこれ説明したところで、ゲームオタク達に「オタクがなんかキモイこと言ってる」って認識されるだけで何の意味もないよね。
ここまで言っといてなんだが、艦これには潰れて欲しくない。今までここまで民度の低いプレイヤーを保持してたんだ。他に流入させずにこのまま保持させといて欲しい。
https://s.japanese.joins.com/JArticle/264302?sectcode=120&servcode=100
その上、中央防疫対策本部は最近、大邱で申告されたコロナ感染者のうち121人が医療スタッフであり、そのうち新天地信徒が34人で28.1%もなると公開した。中国から流入した新型コロナに対して、まるで新天地教会信者のせいで蔓延することになったように世論を糊塗していたが、これからは医療スタッフの感染までそのような形で世論に巻き込むつもりなのか。
防護用品が不足した状況で感染リスクを冒しながら献身的に働いている医療スタッフに対する感謝と申し訳なさは政府の会見からは何一つ見当たらない。国民が医療スタッフに送る応援の声まで政府のこのような態度のためにかき消されてしまう。国民の生命がかかっている医学は科学であって政治ではない。応援することができないなら、せめて医療スタッフの翼を折るようなことだけはやめてもらいたい。
今、ゲーテッドコミュニティのドキュメントを見たのだがゲートの中に住む人は競争心が強く他人に勝つことや社会的に高い地位につくことを望んでいる人が多い。中にはそのこだわりのために人生が破綻している人もいた。これは金メダルを目指してオリンピックに出場した人がメダルを取ることができず燃え尽きる構造に似ている。私は他人に勝つことや社会的に高い地位につくことに興味がないので彼らの生き方が酷く滑稽に思える。
ゲーテッドコミュニティ(英語: Gated community)
ゲート(門)を設け周囲を塀で囲むなどして、住民以外の敷地内への出入りを制限することで通過交通の流入を防ぎ、防犯性を向上させたまちづくりの手法。
Wikipedeaによると、ここ100年くらいの間にスペイン風邪から数えて6回のパンデミックがあったそうな。
スペイン風邪、アジア風邪、エルトールコレラ、香港風邪、A(H1N1)pmd09(新型インフルエンザ)、COVID-19(新型コロナウイルス感染症)
かつての感染症と違って、現代の感染症のほうが現代医学で制御できると思ったりもした。しかし、制御できるどころか、現代医学の発達以上にヒトの移動の激しさと、都市の人口密度によってかつてない速度で世界中に広まっている。
今回のCOVID-19が単年で終わったとしても、数十年に一度は違う感染症でパンデミック騒ぎはあるのだと思う。そして、COVID-19が単年で終わることもないように思う。
けっこうな対策費を計上するわけだが、来年も再来年もその額を出すのは不可能だろう。
今年制御出来なかったら、来年、再来年はもっと悲惨なのだ。日本も中国のようにヒト、モノ、カネを躊躇なく使うべきだと思うのだが、まあそれはいい。
人口が多い都市の閉鎖が毎年のように起こったら、都市で生活することをリスクと感じ地方を好む人も増えるだろう。
お金があっても、タワマンより、戸建ての豪邸に住みたくもなるだろう。
そういうわけで、東京大阪から地方都市へ、地方都市から地方の小さな市町村へ、人口が流入すると思う。
地方に仕事がないとそんなことは起きえないと思うかもしれないが、地方に仕事も増える。
こうも簡単に予測不能に工場が止まると、大きな工場を一か所建てて全世界へ出荷するというのも難しくなる。必然的に、工場の数は増える。
今よりもっともっと、部品や材料の供給元の数は増やされ、世界中の中小の町工場も潤う。
小売りだって、イオンのような大型店の一人勝ちじゃなくなる。感染症が蔓延していて、一人の感染者が出ると、二桁三桁の濃厚接触者が出るような大型店は営業がままならない。
人は生きているのだから、生きてる限りなにかしらの消費はする。そのための生産活動がある。腹が減ったら飯を食うし、機械が壊れたら買い替える。経済活動がなくなるわけじゃない。
[B! COVID-19] 東京 新たに40人以上の感染確認 新型コロナ | NHKニュース
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www3.nhk.or.jp/news/html/20200325/k10012349681000.html
みんなパニックだよね…
現時点で仮定されるのは、3月11日前後に欧州から入国した人の中に潜伏期間中の人が多数いた"かもしれない"という事態。
その時期は復興イベントによるクラスター発生を恐れ東京都がそれなりにナーバスだったことは都の検査数の推移から伺える。
https://stopcovid19.metro.tokyo.lg.jp/
不審死や謎の呼吸器疾患といった検査漏れの疑いある報告もない。
なので3月11日より前から感染拡大が続いていたというのは考え辛く、この前後に外部から流入した可能性が高い。
つまり都内での準封じ込めは成功していたものの、海外からの入国者に対する注意は甘いものがあったと言わざるえない。
今思えばいくら検査をしても潜伏期間中であったために取りこぼしは避けられないので、
入国者に対し待機を強く要請する姿勢を見せ手厚くフォローしていくべきだった。
入国者に対する2週間待機を専門者会議で議論されるようになったのは1週間ほど前からだ。
https://www.jiji.com/jc/article?k=2020031701422&g=soc
時期的に水際での防御から自発的な自粛とクラスターの洗い出しによる準封じ込めへと認識が移ろいつつあったのが裏目に出てしまったとも言える。
武漢へチャーター機を飛ばしたりダイアモンドプリンセス号が来航した時の混乱から、
入国者を待機させることにやや肯定的でない雰囲気になっていたのもいたい。
問題は二次感染はどれだけ深刻な状況なのか?ということで、それは今のところ全く読めない。
現時点で言えるのは欧州で感染した人とそこからの二次感染の急増があった"かもしれない"ということだけで、
その後の2週間どうなっていったのかはまだブラックボックスの中である。
マジレスすると、別に商業展開も何も悪いわけではない。ただ、商売にする人が、全員、作者自身も含めてワニを悼んでいないことが反感を生んでるんだと思う。
「悼む」というのは、この場合、ある人の人生やその死に対して、真摯な思いを抱いていることを意味する仕草であり、そういう態度表明のことである。ワニの死をいま「悼んで」いる人々は、言い換えれば「100日目に死んでしまうのだろうか…」と心配しながらその物語を見つめ続けていた人だ。ワニを身近に感じ、共に泣き、笑い、あるいは儚い存在としての自己を投影してきた人々だ。そういう人に対して、その関心の持ち方自体がすでにゲスいだろ、という批判も散見されるが、それを言うなら当然それを商売にするのはもっとゲスいことになってしまうので、批判への批判としては意味がない。そういう人を批判できるのは、「そういうゲスい漫画は最初から読まない」というスタンスをとっていた人だけだ。
したがって、「悼んでいる」人から見れば、「悼んでいない」作者、商業展開に関わる広告業者、出版社の人々はみな、心情的に同志ではない。なぜなら、彼らはワニを「悼んで」いないからだ。たとえば葬式の場で遺産の話をあけすけにし始める親戚のようなものだ。彼らは「悼んで」いない、それが、それだけが感情的反発をもたらす。「どうせ貰うんだから一緒でしょ」「所詮フリでしょ」「タイミング逃したら大事な話(商業展開)ができないっしょ」……等のもろもろは、確かにその通りだとしても彼ら遺族の不興を止める根拠にはならない。彼らの感情的批判を止める種にはならない。
ただ、たぶん作者、広告業者、出版社の人々もそんなことは分かっているのだろう。そして、そうしない理由はただ「多少の不興を買って炎上しても結局は儲かるからいいだろう」なのだろう。いや分かってる。彼らのお客さんはただ「流行りに乗りたい」人々だけだからだ。「なんか話題になってるんだって。おもしろそー。」って理由で本を手に取って「うわー、泣けるー」って言ってくれる(チョロい)人々だ。決して、ネットでポチポチと毎日無料のSNSで無料で広告漫画を見続けてきたファンではない。彼らにとってファンとは、ただ話題を作るだけの存在だ。作者、広告業者、出版社から見れば、話題を広げてくれる物好きなボランティア、言ってみれば読ませてやる代わりに無料で使える下働きなのだろう。彼らにとって「読者」とは、実際に小銭を出して何かを購入してくれる「お客様」のことなのだ。そして、「悼む」仕草は前者にのみ効き、後者には効かない。だから彼らは「悼まない」。分かりやすい話だ。何ならこれまでもさんざん繰り返されてきた構図だ。
この問題の背後にあるのは、「作品は誰のものか」という古くからあるテーマだ。
作者、広告業者、出版社は、全て「作品は俺(たち)のものだ」と思っている。俺(たち)が作り、俺(たち)が計画し、俺(たち)が煽り、俺(たち)が成功した、その結果だと思っているのだろう。だが、それは正しくない。「読み手のいない物語」というのは「誰にも解読できない言葉」と同じで、そもそも意味がない。すべての「物語」は「誰か」に向けて語られるものであり、その前提でなくてはいかなる物語も存在しない。いかなる孤高の作家であろうとも、自分の書いたものを「読む人」を想定して作品を書かない人はいない。この、想定される読み手のことを「(作品に)内在する読者」と言ったりする。
一方で、作品には、更に大きな意味で一種の社会現象としての側面がある。ある時代、タイミングで社会に送り出された作品は、そういう「文脈」をもって読まれ、受け止められることを避けることはできない。たとえば、KANが皮肉のつもりで作った「必ず愛は勝つ」が皮肉でない意味で流行したが、この場合、作品の「正しい読み」は皮肉なのだといくら作者が叫んだところで、意味がない。この場合、多くの人がそう受け止めたという事実があるのであって、多くの人のその受け止めが「間違っている」ということにはならないのだ。その原因を作品内部に求めることは、全く不可能ではないだろうがあまり意味がない。多くの人に受けたという現象がその作品を歴史に残すのであって、内在する意味が残すのではない。これは「外在する読者」ということになる。
これらの考察から分かることは、作品は「誰か特定の側のものではない」ということだ。そして、一定の読者を想定して作者、広告業者、出版社がうつキャンペーンは、それ自体として作品の一部であり、かつまた、それらの行為によって「外在する読者」自体も変化する(新たなファンが流入する)という形で、両者は相互に影響しあうということだ。何なら、「旧来のファンが文句をつける」という行為まで含めて、それは作品の一部なのだ。ある作品を評価するなら、それを全て含みこんで論じる必要があるだろう。
今回の作品やその展開は、革新的だと褒める人もいるが、使用した道具が新しいだけで、特に手法として新しいわけではない。このようなメディアミックスによる話題作りは、明治の終わりころから新聞小説などでもよく見られた手法だ。何なら、広告・宣伝というものが世に生まれたそのときから、普通に行われてきた手法だ。彼らがみたところ「節操がない」のは、今に始まった話ではない。広告・宣伝に関わる人は、自分自身のそういう性質を十分理解しているから、そういう批判を全く気にしないのだから、批判者も、今更彼らに良心など期待しない方がいい。
ブックマークのお気に入りに入れてるid:lady-joker氏がよく似たエントリを上げていて面白かった。
https://lady-joker.hatenadiary.jp/entry/2020/03/21/072217
いや、まあ大体そういうことなんすよ……。