はてなキーワード: 性的指向とは
私は結構気付く方で、例えば住んでる家と違う家に住んでる夢を見て「あ、これ夢だ」みたいに気付きます。
明晰夢というらしいですが、夢を操れるとかそういうことは一切出来なくて、逆に夢から覚めようともがいても目覚められないタイプです。
恐らく、というのは訳あって家族とは絶縁しているので確認できないためです。
私はそれを毎晩心待ちにしていました。
それがある日突然、父親が帰ってこなくなりました。
冷凍庫から段々消費されて消えていく冷凍うどんと帰ってこなくなった父親の存在に私は不安になっていきます。
意を決して妹に「最近お父さん帰ってこないね」と言おうとした瞬間、夢だと気付きました。
私に今、家族は居ない。
その瞬間今まで見ていた家族の顔が朧気になり、家の中で「わたし一人なんだな~」と改めて自覚しました。
家族に未練はないです。
不便なのは家を借りる時に保証人がいないので大変なことと、緊急連絡先になってくれる友人を探す事くらいです。
性的指向も無性愛者(男性にも女性にも惹かれない)なので、恋人も結婚相手もいません。
友人は多いけれど、友人では家族にはなれない。
こういうのも孤独になるのかな、なんてことを考えながら目覚めました。
これを日記にしようと思ったのは、個人的に衝撃的な夢の内容だったので覚えておきたいと思ったからです。
家族に対してそんないい思い出もないし、今縁切ってハッピー!なのに改めてぼっちを自覚させられると結構ショックなのウケるwwwみたいな感じです。
特殊な体質持ち同士の人間が接触すると性的な反応が起きるので問題が起こらないよう同性同士でバディを組んで仕事をするって設定がなんか古
仕事として成り立つほどの年月経ってるなら、仮にヘテロ同士の同性ペアでも相手がビクンビクンしたりさせられる中でそのつもりはなくてもセクハラやいじめ問題起こったり問題への対処が行われたりしてない? ノウハウ蓄積されてない? 同性ペアで既に問題起こって訴訟とかされてない?
おれはわたしはヘテロだけど相手がホモだったみたいな問題もめっちゃ起こってそう…と思ってしまうしそういうリスクを社会が黙殺しないわけが…いや特殊体質持ち人間の立場が弱いので黙殺されているとかいう設定なら分かるかもしれない それなら異性ペアで問題起こっても同じく黙殺されるので異性ペアも運用されるのでは? 特殊体質持ち兼異性愛者よりは特殊体質持ち兼同性愛者の方が低く見られているとかそういうことか?
異性ペアでも同性ペアでも自分と相手の性的指向や性的指向関係ないコミュニケーションの行き違いで問題は起こる、起こるけど同性同士なら性行為に発展しても妊娠しない(性病感染は異性も同性も同程度のリスク)分異性ペアよりリスクが低い、妊娠で仕事ができなくなるなどのデメリットがない、なので問題は起こりうるけど少しでも仕事の効率化を図るために同性でペアを組ませる、という理屈なら分かる
でもこういうの考えちゃうの昔より今が同性同士でも性愛があることを前提とすることが増えたからかな
受け入れたり肯定するところまでいかなくても同性愛が存在することは認識されているのはとっくにスタンダードになって久しい、気がするだけかもしれないが
好きなものを描きたいがための設定先行なんだろうし時代設定および価値観も現代基準ではなく適宜いい感じの昔基準を採用なんだろうし突っ込むのが野暮、それはそう
全ての作品に対して設定が納得いくものでないと受け入れない、というように姿勢を貫いていない
ダブスタの表明になるからSNSだと言いにくいので匿名で投稿している
だめなやつだよ
昔やたら電池担当人間と電池のエネルギーを吸収担当人間という設定が軸のBLパロを見かけた気がする
それを思い出したのでこの際読んでみるかと思ったけどタイトルなんだったか分からない
調べてもググりかたが下手なので出てこない
やってるソシャゲのTLに流れてきたから一行も読まずに言及する そこの複数の派閥を眺めているけど一言で言うと青い
どの界隈もそうだけど自浄作用が期待できない カプ厨だろうとBL好きだろうと性的指向でおなじみの差別語を平気で使ってるしR-18のゾーニングも緩い
どの界隈もそうだけど(一応二回言う)
下手な例えで超雑に分類すると仮にA派がパリピでB派が根暗グループという感じ 外から見れば女子の仲が悪い教室
A派が時々やらかしてるのを見てB派が見えるところでプギャーしてる 新しい人にとっては怖くて下手に近寄れないんじゃないかなと勝手に心配してる
そんな感じで界隈の空気は険悪だけどA派もB派も自覚がない パリピA派がやらかすのが悪いんだけどプギャーB派も毎回嬉々として毒をばらまくからどっちもタチが悪い
The term sexual preference largely overlaps with sexual orientation, but is generally distinguished in psychological research.[8] A person who identifies as bisexual, for example, may sexually prefer one sex over the other.[9] Sexual preference may also suggest a degree of voluntary choice,[8][10][11] whereas the scientific consensus is that sexual orientation is not a choice.[12][13][14]
性的嗜好という用語は、性的指向と大部分が重複していますが、心理学的研究では一般的に区別されます。たとえば、バイセクシュアルであると特定する人は、ある性を他よりも性的に好む場合があります。[9]科学的コンセンサスでは、性的指向は選択ではないというのに対し、性的嗜好は自発的な選択の程度を示唆する場合もあります[8] [10] [11]。
https://togetter.com/li/1369547
http://toianna.hatenablog.com/entry/2019/06/25/205348
この辺読んでいて、そういえば自分はツイフェミだった時期があったなと思い反省文を。
自分がフェミニズムに興味を持ったきっかけというか要因は、人権問題に関心のあるリベラルな学生だったからだろう。私は当時ネット上で左派的な言説の多くを観測しており、その流れでフェミニストたちのアカウントをフォローするようになっていった。
彼らは現代においてなお残っている実に多くの女性差別を暴き、実に多くの不正義を告発している、ように見えた。彼らの主張はおおむね正しいように見えたし、差別によって苦しみ、不利益を被っている女性がいるのなら、この状況は是正されなければならないと思った。また自身(男性である)が無意識に女性差別的な行動を取ってしまっていないか、という点にも大いに過敏になった。
身近に思いっきりセクハラの被害に遭っている女性がいたので尚更こういう話題に関心が出たのかもしれない。フェミニストたちの行動の裡に潜む暗い衝動の存在に私が気付くのは、ずっと先のことである。
といっても、私もフェミニズムに首までどっぷりとは行かなかった。あの界隈には単に男性嫌悪を拗らせただけと見える人も多くいたし、彼らのいくつかの主張(例えば「権力勾配」「まなざし」など)については本当に正しいのか確信が持てなかったので判断を保留していた。
とはいえ、各論においてはともかく、総論においては同意していたのは事実だ。
で、私がフェミニズムという運動そのものに疑問を持ったきっかけだが、それは例の「女だけの街」騒動だった。
あの騒ぎ自体はよくあるしょうもない炎上騒ぎなので、わざわざ論じる価値はない。ネット上でよくある異性叩きコンテンツのいち類型にすぎず、個別に論じる事自体が時間の無駄だと思っている。
ただあの炎上は私にとってひとつ大きな収穫があって、それはフェミニストたちのある姿勢が露わになったことだった。
事の経緯としては、最初にとある女性が書いた「女だけの街があったら夜道で怖い思いをしなくて済むのに」といったようなツイートが発端だったと理解している。これ自体はまあ、政治的に正しいかどうかはともかく、単なる愚痴にすぎないだろう。なのでこれ自体を正しいとか正しくないとか言うつもりはない。人間はたまには正しくない愚痴を吐きたくなるものである。
が、人権という原則に照らし合わせてこの発言が色々とまずいのも事実だ。ヒトラーだって同じことを言っていただろう。「アーリア民族だけの国があったら良いのに」と。「〇〇だけの街(国)」というアイデアは古今東西多くの虐殺を引き起こしてきたのだ。
それなのに、フェミニストたちはこれを「素朴な心情の吐露にすぎない」と擁護していた。
なるほど確かに「素朴な心情の吐露」ではあるかもしれない。だが「素朴な心情の吐露」なら何を言っても良いのだろうか?件の発言が「日本人だけの街」だとしても彼らは同じように擁護しただろうか?「女は男に比べて頭が悪い」と素朴に信じている人間が自身の考えを披露するのもOKだということになるのだろうか?そもそも、そういう「素朴さ」の裏に張り付いた偏見や認知の歪みを告発してきたのがフェミニストではなかっただろうか?
本当なら、フェミニストたちはこの発言を擁護するべきではなかったのだ。
繰り返すが、人間は時に政治的に正しくない愚痴を吐くものだ。だが炎上してひとつの論点として浮上してしまった以上、擁護するべきではなかった。せめて「気持ちは分かるけどその言い方はまずいよ」と諌めるくらいのことはするべきだった。
なのに彼らはそれをやらなかった。
その時の様子を見て私は愕然としたのを覚えている。単に男性嫌悪をこじらせた似非フェミニストばかりではない。ある程度誠実に、論理的にものを言っている(ように見えた)フェミニストたちも、揃って件の発言を擁護し、食ってかかる人間へ罵倒を浴びせていた。彼らはお定まりのお題目ーー男性社会の犠牲者ーーを大声で唱えた。私たちは被害者だ、奴らが悪いのだ、と。
なんということはない。彼らの行動原理は正義などではなく、結局のところつまらない党派性と暗い攻撃衝動にすぎなかったのだ。ニーチェの言うことろの奴隷道徳というやつだ。
彼らの言葉の底が見えた瞬間だった。
「日本人だけの街」がアウトで「女だけの街」がセーフだと主張するには、おそらく根拠として例の「権力勾配」という概念を持ってくるしかないだろう。
「権力勾配」の扱いは長らく自分のなかで答えが出せていない問題だった。例えば人種隔離政策が実施されていた時代のアメリカで、黒人が白人を殴ることと白人が黒人を殴ることを同列に扱うことはできない、なぜなら黒人は被差別階級だからだ、という主張は、必ずしも狂ったものだとは言えないだろう。
ただ、私としては最終的に、これは否であると判断するに至った。理由は大きく分けてふたつある。
第一に、この主張は結局のところ、「人権の内実はその個人の属性によって変化する」と主張しているに等しいことがある。
人権というのはつまるところ社会的フィクションにすぎないのだが、ここを切り崩すことを許してしまうのはどう考えても悪手だ。女性差別を問題にできるのも、つまるところ「万人が等しく人権を持つ(べきである)」という原則があるからだ。その原則がなければ、性別、民族、性的指向、政治志向、その他あらゆる属性によって、恣意的に個人の権利を制限することができるようになってしまう。これは到底受け入れいることができない。「権力勾配」という概念は人権という原則に照らし合わせて筋が悪いばかりか、フェミニズムが拠って立つ基盤を自分で切り崩していることにもなる。
女性差別の撤廃という正しい目的を達するために、正しくない手段を用いることは正当化できるだろうか。
これは難しいところだ。政治的な目的を達するため不正な手段を用いることが、一時的な戦略として必要であるという考えは理解できる。が、例えば共産主義革命という「正しい」目的を達するためにいかに多くの人が殺されてきたか、ということを考えると、やはり首を縦に振ることはできないだろう、という結論を暫定的にだが出すことになった。
例えばアファーマティブアクション(これは自分は否定的なのだが)なんかは、マクロな不均衡を是正するためにミクロな差別を導入する、という政策だろう。他にも、件の医大入試における女性差別問題なんかでも、一概に「差別だから悪だ」とは言い切れない事情があるのは理解できる。
社会というものは原則どおりには動いてはくれず、難しいものだなと常々思う。
ともかく、あれ以来、フェミニストたちの言説がどういうものだったのかが、なんとなく見えてきた。彼らのやり口はネット右翼よりは洗練されているかもしれないが、その本質においては何も変わるところがないことが分かってきた。
敵を作ることで味方を定義し、団結させる。それは人生に不満を抱えた人間たちを動員する効率の良い手段だ。日曜革命家が効率的に票田を獲得し、鉄砲玉を生産するための手段。こういうメソッドは社会に遍く見られるもので、今日もどこかで誰かが動員されているのだな、とネットで怒っている人を見るたびに思う。
今更気づいたのか、と言われれば返す言葉もないが、当時の私はちょっとばかり難しい本を読んだだけで社会については全く無知な学生だったのだ。ちょっと首を突っ込んだだけの段階でフェミニズムのおかしさに気づき、取り返しがつかなくなる前に抜け出せたのは僥倖だったのではないかとも思う。
昨今、TERF関連でまたフェミニズムが面白いことになっており、トランスジェンダーに対するフェミニストたちの態度を見ていて、あの時フェミニズムから離れた自分の判断が正しかったことを再確認している。そのことにはなんの喜びもないが、少なくとも自分がもう彼らの一員でないことは嬉しく思うし、あの集団的な狂気から一人でも多くが目覚めてくれれば良いと思う。
教訓があるとしたら、人々の情動を喚起して動員する手口を直に学べたことと、原理原則において一貫性を保つことの重要さだろうか。社会運動自体が不要だとは思わないが、少なくとも自分は、正義を叫ぶ人間の言葉を、以前よりずっと注意深く観察するようになった。それとリベラルが必ずしも味方だとは限らないということも学んだ。
増田はなんとなくデレマスに関するお気持ち表明が多いイメージがあるから私もお気持ち表明するね。
だから何?みたいな内容だし文章もめちゃくちゃだと思うけどずっと心の中にあってモヤモヤしてること。
私は恐らく「推し被りNG」とか「同担拒否」といわれるタイプの女性プロデューサーです。
一ノ瀬志希を担当していて、スターライトステージのリリースから4年弱、彼女だけを微力ながら応援してきました。
彼女の見た目や性格はもちろん、好きな食べ物から趣味、バックグラウンドまであらゆる側面を愛しています。
性的指向はヘテロセクシャルだと思いますが、志希への感情が友愛や憧れだけかと言われると怪しいです。結婚したいと思うことはあります。でもセックスはしたくない。
自分では「推しているアイドル」に対するごく一般的な感情だと思っていますが、他人に確認したことは無いため定かではありません。
わたしの「同担拒否」は、独占欲とは少し違うと感じています。志希が有名になることは嬉しい。アイドルとしてはもちろん成功して欲しいし、もし好きな人ができたのならその想いが報われて欲しいとも思います。
でも志希が他人の欲望に晒されているのを見るのはめちゃくちゃきつい。
たとえばエロ同人。一ノ瀬志希が作者の欲望が透けるようなセックスをさせられているのを(Twitterやpixivでふいに)見てしまうと吐き気がするほど嫌悪感を抱きます。
たとえば極端な結末の二次創作。一ノ瀬志希を自殺させるような創作が一時期流行しましたが、それは本当に一ノ瀬志希じゃなきゃいけなかったのか?本当にその結末にしなければいけなかったのか?ただ悲劇が書きたいだけじゃないのか?怖くて読めてないので内容を知らないで批判するのも…とは思いますがずっと疑問でした。
たとえばコスプレ。コスプレイヤーが承認欲求を満たすためにするような、キャラクターへの敬意も愛もない、考察の薄いコスプレは志希を馬鹿にされていると感じていました。
これまでも好きなキャラクターはいたし、ジャニーズみたいな「同担拒否」が普通にまかり通るようなジャンルに身を置いていたこともあったけど、こんな感情を抱いたのは一ノ瀬志希が初めてで自分でも困惑しています。
ただ他の人が彼女を好いていることが許せないとか、私だけを好きでいて欲しいとかそういうことではなく、志希をオカズにシコられることが許せない。そこに愛を感じない。
キャラクターに感情移入しすぎと言われればそれまでかもしれませんが、私にとって志希は絵でもコンテンツでもなくかわいいかわいい担当アイドルなので自衛を覚えるまではこれが原因でかなり病んでいました。
今はデレマス用のTwitterアカウントも削除して公式から与えられる情報以外は目に入れないようにしています。
我ながら気持ち悪いオタクだなと思うけど、絶対同じような感情を持つ人はたくさんいると思うんだよな。
自分は他人の推しを貶めるような発言や創作は避けようと気をつけています。
別に「二度と一ノ瀬志希のエロ同人を書くな!」って言いたいわけじゃないし、デレマスの楽しみ方は人それぞれだからそこに割り入って文句をつけるつもりは無いんだけど、こういう人間もいるので「一ノ瀬志希好きなんだよね?この同人おすすめ!」とか「志希ちゃんコスして誕生日祝ってあげようか?」とかやめてください。