はてなキーワード: 大発見とは
すごい。大発見やん。みんなに教えたろ!!
以下のツイートとそのブコメの着眼点が一面的で残念だったので考えを述べる。
@koshian
というか学者なんてのは真理探求のために一般よりずっと不道徳であることが認められたり奨励されたりするもんでしょ
https://twitter.com/koshian/status/1485127978162229252
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/koshian/status/1485127978162229252
その変更が主流派にとって受け入れられないものであれば不道徳と批判される。
パラダイムシフトと呼ばれるような重大発見であり、学者はそれを目指すべきだ。
中世の神学的な道徳に反してコペルニクスが地動説を主張したり、
ニュートンが地上も神の世界である宇宙も同じ自然法則で物体が動いていると証明したからこそ、
素朴な感覚に反して実験と理性が導き出した世界観を採用する科学という営みが生まれた。
それを継承して相対性理論や量子力学や遺伝学を生み出し、人類の科学技術はここまで発展できた。
逆にソ連では共産主義的に道徳的なニセ科学あるルイセンコ農法を採用し、
大量の餓死者を発生させ、正当な遺伝学社達を投獄・粛清して生物学の後退を招いた。
学問のために不道徳であることを恐れない学者と、道徳のために学問を利用しようとする学者だったら
おそらく後者の方が問題を引き起こすであろう。そもそもそれは学者ではなく活動家だ。
ダビンチや平賀源内の時代は間違いなく解剖という当時としては非道徳で奇妙な行為が必要だった。
ただ現代では過去の失敗やいざこざがあってこういう手順でしましょうねって基準がある。
同じようなことを前にも考えたことがある。
そのときは「怖いな~~~。見なかったことにしよ」と放置した。
でも今年1年を何に使うのか考えていてそれを思い出してしまった。
せっかくなので一度計算してみたい。
まず平日が(24ー睡眠:8ー食事:1ートイレ風呂:1ー仕事:10ー通勤:3)=1時間。 平日の食事は土日の買いだめと仕出し弁当で済ませることとする。残業は平均2時間。通勤時間は混雑しているのでスマホも読めないものとする。
次に休日が(24-睡眠:8ー食事:1.5ートイレ風呂:1ー家事:3)=10.5時間。 休日の食事は多少の自炊と作り置きをすることとする。買い出し、掃除、洗濯の類は土日にまとめて行う。
1年間のうち120日を休めるとして245*1+120*10.5=1505時間。
あーやっぱ見なきゃよかったな。
いやまあ希望はある。
たとえばこの時間のうち2/3にあたる1000時間をある分野に注ぎ込めば10年後には1万時間の壁を超えて才能があるのなら花開く。
というか1000時間の時点でもうある程度才能が見え隠れしてくるようになる。
なにか夢があるなら1年間の可処分時間のうち2/3をその分野にだけ使えばいいってことだ。
ラクショーだな。
まず毎日1時間ネットを見て、休日には適当なサブスクで映画を見ながらネットを4時間見たとしよう。
今までと同じように。
245*1+120*4=725時間。
残り 780時間。
なんてこった。
ネットを見ることを辞めなければ少なくとも「1年でなにかしらの分野について1000時間の壁を超える」というのは不可能なんだ。
まあ土台無理な話だったから諦めよう。
というかそもそも1年の可処分時間の半分がネットに使われている。
これは凄いことだ。
ああすごい発見だ。
これだけでベストセラー作家になれそうなほどの大発見じゃないか。
絶望的だぞ。
絶望はまだまだ続く、たとえば年に10本「このゲームはやっておきたい」というゲームが産まれてそれをプレイしたら、平均40時間としてもそれで400時間が消える。
残りはもう380時間だ。
380時間!
驚いていい時間だ。
まあこの380時間をちゃんと「何らかの結果を出したい分野」に使えば3年で1000時間の壁はゆうゆう超えられる。
もちろんそう上手く行かない。
たとえば図書館で週に1冊本を借りてそれに毎週3時間使ったとする。
これでもう3*50=150時間だ
230時間で何が出来る?
意外と使いみちはある。
何かを成し遂げることを完全に諦めるなら。
ちなみにここで恐ろしい事実がある。
本を読むことをやめゲームをやめネットを削ってソレでやっと勉強の時間が出来るということだ。
「毎日1時間の勉強が何故続かないのか?」なんて大仰に言ってみせる人がいるが答えは明らかだ。
睡眠と仕事と通勤と食事と生理現象と社会的基盤維持と日常生活と趣味とで人生は一杯なんだ。
なんで簡単に「毎日1時間でいいんです」なんて言う人がいるのか理解できない。
どうしても今日までに提出しなきゃいけないものがあって、昨日から今日にかけて会社にいた。
眠くなって、椅子じゃなくて平坦なところで寝たいなと思って、辺りを見回したら、大きいプチプチが3枚あった。
ラッキーと思って、2枚を床に重ねて敷き、1枚を掛布団にした。もう1枚小さいプチプチは枕にした。
これはすごかったです。プチプチ布団、保温抜群。
重い掛布団でないと眠れないですけど、あまりにも眠かったので、プチプチを掛け布団にしたのですが、
寒い時、下手な毛布を1枚挟むより、掛け布団くらいの大きさのプチプチを布団の間に挟むことで、相当暖かいんじゃないか、と思って、
色々思ったので書く
この映画じゃなくて世間に言え。話は変わるが「シオンの本質は物理的な「ヒューマノイド」ではなく、ネットワーク内に漂っているプログラムだった、という最後の結末を考えると意図的なのかもしれない」は面白い観点。
・「サトミ母は転職できるだろ」
年頃の娘抱えてころころ転職できるかよ。AIのこと考える暇あったら人間のことをもっとよく知りなさい。
同意。攻殻機動隊は20年以上前なのでいい加減ここらへんはもっといいアイデアを使ってほしい。もっともそれはこの映画に対してだけではないが。
・その他サトミ母と星間経営陣について
サトミ母にいれるべき第一のツッコミは、「第一線AI研究者なら人間とほぼ違和感なく生活できるまで自己(!)拡張したAIを見たならば大発見のあまり驚愕しなければならない」だろ。正直自分の実験のことも星間のこともどうでもよくなるべき。あの世界であってもAIの自己拡張なんてありふれている描写はなかった。しかも、ようやく自分らの研究グループが人間に近いアンドロイドの実験をしようとしてる段階なので人間とほぼ同じレベルのAIなんてない世界だぞ?それを考えれば、史上空前のAIへの強力な手がかりである「サトミ」の母を会社に残す判断をした星間の判断は妥当。絶対に逃がしてはいけない。
感性はこの映画を良かったと判断しているので悪くない。むしろ発展の余地はほかのところにある。まずは考えが浅い部分があることを気にしなさい。
・「総じてよかった」
完全に同意。あと、偉そうなこと書いてすまんかった。
個人的にはAIの映画なのに「ディープ」だとか「ニューラル」だとかがでてこず「アトラクター」とかいう複雑系用語がでてきたことが大変良かった。
綿棒ってあるじゃない綿棒。
学園もののドラマで生徒が居眠りしていて教師がその生徒へ投げない方の綿棒。
夜の屋台の金魚すくいの時に金魚が1箇所に固まらないように業者の人が水槽をかき回す専用棒じゃない方の綿棒。
桃白白さんが自ら投げてそれに飛び乗って移動する方じゃない方の綿棒。
いろいろなそういう方じゃない方の綿棒のさ
詰め替え用綿棒を元の空になったケースに詰め替えることをしたんだけど、
今さ、
詰め替え用なのに元の容器に2回分詰め替え用が入っちゃったり
1パックでの詰め替え用では、
これまだ半分しか容器またされてないんだけどなぁーって思うし、
なんだか詰め替え用界隈の世界も
いささかそんな事情があって
なかなか詰め替えた欲を満たせないことが多いのよ。
でね、
その詰め替え用綿棒は
100本入りの元々のケースに対して100本を丸々詰め替えて補充できるので、
キタコレ!って言わんばかりのキタコレコレクションのランウェーを私は歩く!ってな勢いで、
ここは綿棒をこぼさないように充填補充詰め替え作業を緊張の面持ちのまま行ったの!
もちろん
ピッタリのケースにピッタリと詰め替え用の綿棒が入るから
一切の隙間が無く!
もの凄く私の詰め替え欲を満たしてくれたのよね。
その詰め替えるさまが
なんかいっぺんに大技を決めて何か凄いことを成し遂げるギネス記録ってあるじゃない?
あれをまさにギネス記録を叩き出すかのように
みごとに綿棒を詰め替え大成功したの!
なんか気持ちよかったわー。
もうヒーローインタビューで
このギネス記録を叩き出した気分を息も整わないままのうちに答えたいわって思ったし。
それほど100本に対して100本の詰め替え用綿棒は
もの凄く昨今の詰め替え欲を満たせない詰め替え用の不満をみごとに解決したようで、
これ詰め替え用界のプリンセスじゃね?って思うのよね。
もう何を言ってるかよく分からないと思うけど、
とにかく凄い自信なの!
あの空になった綿棒のプラスチックのケースがまたパンパンの綿棒で満たされるのは
そんで、
次そのワールドレコードのギネス記録のレコードに挑戦できる機会は
1日1本綿棒を使うとしてスーパーコンピューターに計算させると
100日後に無くなるわけじゃない。
これって100日後に無くなる綿棒ってコンテンツで毎日綿棒のイラストを描いてって、
私はそんな器用なこと出来なく描けないけど
もし描ける人がいるなら
100日後に無くなる綿棒!って切なくない?
100日後に綿棒がなくなるのよ!切ないわー
まあとにかく
簡単にみんなもワールドレコードのギネス記録レコードを叩き出す気分になれる
綿棒の詰め替えはやってみた方がいいわよ!って思った話しよ。
でもさ、
綿棒を100日なくなるイラストって
もう綿棒を何に使ったら面白いか大喜利になってしまいかねないので、
うふふ。
昨日久しぶりに食べたあのレタスサンドの味が忘れられずというか
久しぶりの再会のレタスサンドちゃんに感動したって分けなのよ。
熱を加えると案外カサも食べられるし
一石二鳥な感じがして良いと思うわよ。
湯を沸かすほどの熱い愛ならぬ
とにかく、
寒い朝は
身体の中からそう言うホッツ成分を取り入れて温活してみるのもいいかもしれないわね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
エグみとか嫌な匂い、渋味が一切なくなって口当たりスッキリ、でもコクだけは程よく残っていて飲みやすい。
まさかコーヒーが、こんなにゴクゴク飲めるなんて夢にも思わなかったよ。
コーヒーって本当はものすごく洗練された飲み物ってか、ヨーロッパの大陸人どもはこんなクールなものを飲んでたのかと。
個人的には、中華の炒め油をピーナッツオイルに変えたら高級感マシマシでめっちゃ旨いに並ぶ大発見だった。
ちなみにいろはすとかの天然水と、evianようなミネラルウォーターは似て非なるもの。
前者は軟水で後者は硬水。
硬水はまさしくミネラル≒マグネシウムの含有量が、軟水よりも桁違いに多い。
そんで、ひろゆきの味噌汁dis配信をいじったブクマで硬水を知って、調べたらパスタやコーヒーに向いてるとあったので、試してみたら大正解。
ただ、SNSでみる副反応が、全てワクチンが引き起こしたものなのか個人的に疑問に思ってしまう。ワクチン接種による”強烈な不安”が引き起こしてるものもある気がするのだ。
私も昔、研究室が辛かった時は、生理が止まったり、かと思ば突然不正出血したりということがあった。
部活がストレスだった友達は、グラウンドが近くなってくると発汗して手が震え、頭痛と腹痛で動けなくなっていた。
不安や、不安を抱えることによるストレスというものは侮れないものなのである。そう思うと、いわゆる陰謀論者や、異常な反ワクチン派といった不安を煽る人たちは罪深いなと思う。なぜなら、ワクチンを打とうという決意と、もしかしたらあの人たちが言ってるようなことが自分に降りかかるのではないかという不安は共存するからである。
私は学生時代は遺伝学を専門にしてきて、今回も論文も読んで、ワクチンは有効だと判断した。それでも不安はあるのだ。だって、mRNAでDNAが書き換えられるなんてことはことはあり得ない(もしそんなことができれば、癌も、そこそこの数の難病もすぐに治る大発見です。それができないから人間は頑張ってDNAを直接いじってます)し、ワクチンの免疫を上げるシステム自体に懸念を持つ余地はないんだけど、でもそれだけなのだ。ワクチンに関して自分の知らない部分というものは必ずあり、そこがなにをするのかはわたしもわからない。
例えば、たしかにmRNAは有効だけど、それ以外の成分で拒絶反応を起こしてみんな死にます!!とか言われても、きっと正しくないだろうと思いはするけど、なぜ正しくないのか、本当に正しくないのか、というところはわからないのだ。だから、そこに不安が生じる。もしかしたらわたし死ぬのかもって。
私は学生時代に英語の分厚い遺伝の教科書を読んでるからmRNAワクチンを信頼できるけど、世の中そんな人ばっかりじゃないと思う。高校生の時にセントラルドグマって概念は習うはずなんだけど、98%の人は覚えてないよ。なぜなら私は生物以外の科目で習ったことはほとんど覚えてないから、世の中の人は大体そんなものだと思ってる(もしかしたら私が記憶力がないだけでみんなは覚えてるのかも。そしたらごめん)
そういう人たちって、mRNAは遺伝子を書き換えますって話と、書き換えないので安心してくださいって話と、どっちを信じていいのかわからないじゃん。残念ながら、前者に関しても医者っぽい人がたくさんいってるし、私からみると的外れだけど、普通の人から見ると的外れなのか判断できないような専門用語をたくさん並べてそれっぽく言ってる。mRNAがなぜDNAを書き換えないかその仕組みから調べる人なんてきっとほとんどいないから、結局どちらの人の話が信じられそうか?ってなるけど、真反対の意見があった時、知識がなければどっちかを100%信じるのは難しい。
だから、ワクチンは安全だから打とうって思っても、もしかしたらという不安は付き纏う。そしてその不安は身体症状に出ることがある。まわりまわって長い話になってしまったが、この身体症状が副反応にみえてしまうこともある気がしている。
私は車の運転も家事全般も日常的な買い物もアルバイトもできる障碍者なので、生産性のある障碍者です。
障害年金はもらっておらず、子供部屋おばさんとして元気に生活しています。
LGBTに関して「生産性」というワードが使われたときに衝撃を受けました。
文脈としては少子化が進む、子供が生まれないという意味での「生産性」でしたが、人を生産性という観点で見るということが自分にとって大発見でした。
私はアルバイトに行ってお金を少しだけ稼ぎ、近所のスーパーにお金を落としているだけで「生産性のある障害者」だとわかりとても嬉しくなりました。
寝たきりの障害者も、支援する人や団体に雇用を生み出しているという点では生産性があるのかもしれません。
適応できる環境が整備されれば活躍できる障害者に見えない障害者と、まったく何も出来ない障害者を分けて考えたらいいのではないかと思っています。
重度であればあるほど、制度が充実していてお金も受け取れるのはある意味正しいと思いますが、生産性が見込めるこちらにお金をくれたらいいのになと思います。
少し減額してこちらにくれれば、子供部屋おばさんを抜け出し一人暮らしをしてもっと生産性が上がるのになあと思います。
機械を使ったり通院費がかかったり、お金がたくさんかかるのは少し想像すればわかるので大変そうだなと思いますが、なんだなかなーと思います。
まったく自分で動けない人と私のような何でも自分でできるけど時折支援が必要な私、本当に「支援」を必要としているのはこちらです。
小売り店でアルバイト初日に初めて「お店の店員さんも人間だったんだ!」という大発見をしたのがもう何年前か?
その時に感じた衝撃と、店員さんも人間なんだったら優しく親切にしてあげないと・・・という感情を最近忘れかけてしまっている。
最近コロナの影響もあって洋服を買っても着てくところがないので適当に通販で買って済ませたり、さらに東京にも遊びに行けないので通販で買い物したりするので日常生活で接する「お店の店員さん」がコンビニかスーパー、あとはドラッグストアの店員さんくらいしかいなくなってしまった。
スーパー、コンビニ、ドラッグストアの店員さんは忙しいのでいちいち客と雑談なんかしてる暇ないから、人間であることを忘れかけている。
いらっしゃいませ~ポイントカードお持ちですか。
袋はご入用ですか、ありがとうございました。
TSUTAYAとかファミマは完全にセルフレジで店員さんと一言も口を利かずにお会計できるし、セブンもスーパーも最近お金を自分で入れる半分セルフみたいになってるので店員さんがさらにロボットになっていく。
そんなものは寡聞にして知らないが見逃されてるだけな気もするんだよな
裾野が広い山ほど高いっていうし、レスバトルには相当な人間が参加してきてるわけだから、本来その議論から生まれるものは計り知れない
何としてもその論争に勝利すべく機転なりウィットを利かせるうちに従来の論理学では見出されていなかった論法が生み出されていることだってあるかもしれない
哲学者という名の大学教授は論文とか書いて金をもらっているように、レスバトラーにもそういった功績に応じて褒賞金が出るべきなんだよな
でも金を与えられるような身分の人間は先入観でネット上のレスバトラーを軽視してるからなのかそもそもそこで画期的な大発見がなされようが光が当てられることもないのだろう。