同じようなことを前にも考えたことがある。
そのときは「怖いな~~~。見なかったことにしよ」と放置した。
でも今年1年を何に使うのか考えていてそれを思い出してしまった。
せっかくなので一度計算してみたい。
まず平日が(24ー睡眠:8ー食事:1ートイレ風呂:1ー仕事:10ー通勤:3)=1時間。 平日の食事は土日の買いだめと仕出し弁当で済ませることとする。残業は平均2時間。通勤時間は混雑しているのでスマホも読めないものとする。
次に休日が(24-睡眠:8ー食事:1.5ートイレ風呂:1ー家事:3)=10.5時間。 休日の食事は多少の自炊と作り置きをすることとする。買い出し、掃除、洗濯の類は土日にまとめて行う。
1年間のうち120日を休めるとして245*1+120*10.5=1505時間。
あーやっぱ見なきゃよかったな。
いやまあ希望はある。
たとえばこの時間のうち2/3にあたる1000時間をある分野に注ぎ込めば10年後には1万時間の壁を超えて才能があるのなら花開く。
というか1000時間の時点でもうある程度才能が見え隠れしてくるようになる。
なにか夢があるなら1年間の可処分時間のうち2/3をその分野にだけ使えばいいってことだ。
ラクショーだな。
まず毎日1時間ネットを見て、休日には適当なサブスクで映画を見ながらネットを4時間見たとしよう。
今までと同じように。
245*1+120*4=725時間。
残り 780時間。
なんてこった。
ネットを見ることを辞めなければ少なくとも「1年でなにかしらの分野について1000時間の壁を超える」というのは不可能なんだ。
まあ土台無理な話だったから諦めよう。
というかそもそも1年の可処分時間の半分がネットに使われている。
これは凄いことだ。
ああすごい発見だ。
これだけでベストセラー作家になれそうなほどの大発見じゃないか。
絶望的だぞ。
絶望はまだまだ続く、たとえば年に10本「このゲームはやっておきたい」というゲームが産まれてそれをプレイしたら、平均40時間としてもそれで400時間が消える。
残りはもう380時間だ。
380時間!
驚いていい時間だ。
まあこの380時間をちゃんと「何らかの結果を出したい分野」に使えば3年で1000時間の壁はゆうゆう超えられる。
もちろんそう上手く行かない。
たとえば図書館で週に1冊本を借りてそれに毎週3時間使ったとする。
これでもう3*50=150時間だ
230時間で何が出来る?
意外と使いみちはある。
何かを成し遂げることを完全に諦めるなら。
ちなみにここで恐ろしい事実がある。
本を読むことをやめゲームをやめネットを削ってソレでやっと勉強の時間が出来るということだ。
「毎日1時間の勉強が何故続かないのか?」なんて大仰に言ってみせる人がいるが答えは明らかだ。
睡眠と仕事と通勤と食事と生理現象と社会的基盤維持と日常生活と趣味とで人生は一杯なんだ。
なんで簡単に「毎日1時間でいいんです」なんて言う人がいるのか理解できない。
国家資格取りたいとかだと結構きついなぁ。 通勤3時間て長えよとかゲーム10本もしないだろとかいろいろ思うことはあるけど自分の場合を一回計算してみるってのは大事だなぁと思った...