私は車の運転も家事全般も日常的な買い物もアルバイトもできる障碍者なので、生産性のある障碍者です。
障害年金はもらっておらず、子供部屋おばさんとして元気に生活しています。
LGBTに関して「生産性」というワードが使われたときに衝撃を受けました。
文脈としては少子化が進む、子供が生まれないという意味での「生産性」でしたが、人を生産性という観点で見るということが自分にとって大発見でした。
私はアルバイトに行ってお金を少しだけ稼ぎ、近所のスーパーにお金を落としているだけで「生産性のある障害者」だとわかりとても嬉しくなりました。
寝たきりの障害者も、支援する人や団体に雇用を生み出しているという点では生産性があるのかもしれません。
適応できる環境が整備されれば活躍できる障害者に見えない障害者と、まったく何も出来ない障害者を分けて考えたらいいのではないかと思っています。
重度であればあるほど、制度が充実していてお金も受け取れるのはある意味正しいと思いますが、生産性が見込めるこちらにお金をくれたらいいのになと思います。
少し減額してこちらにくれれば、子供部屋おばさんを抜け出し一人暮らしをしてもっと生産性が上がるのになあと思います。
機械を使ったり通院費がかかったり、お金がたくさんかかるのは少し想像すればわかるので大変そうだなと思いますが、なんだなかなーと思います。
まったく自分で動けない人と私のような何でも自分でできるけど時折支援が必要な私、本当に「支援」を必要としているのはこちらです。